凪潔SS

 ♡ 鮭フレーク ♡


 ジリジリ鳴り響く目覚ましの音で、ぽかぽかふわふわなところにあった意識が浮上する。
手探りで目覚ましをとめ、ゆっくり目を開け、右隣を見た。
そこに置いてあったはずの枕が行方不明になっている。
そっと布団をめくると、行方不明の枕を大事そうに抱きしめた潔が、涎を垂らしながら眠っていた。

「抱きしめる相手がちがくない……?」

 枕を引っ張りたいのを我慢して、潔の頭をぽんぽんと二回叩いて身体を起こす。
「チョキ、おはよー……いて、」
 朝の日課、チョキの棘で人差し指を刺してから、熟睡中の潔を跨いでベッドから降りた。冷えた床に置いた足がひんやりする。
リビング兼寝室のエアコンをつけて、冷蔵庫を覗き込む。

 水と飲むタイプのゼリー以外ほとんどなにも入ってない冷蔵庫から、鮭フレークの入った瓶を取り出した。それから、電子レンジの横にあった赤いフィルムのついたご飯のパックの封を少し開けてレンジに突っ込み、二分温める。その間に電気ケトルでお湯も沸かして、マグカップにインスタントの味噌汁の素を準備しておく。具はわかめ。

 レンジが止まって、熱々のご飯のパックを取り出す。はがれかけのフィルムを全部剥がして、その上に鮭フレークをたっぷりのせ、沸いたお湯をマグカップの中に注ぎ込んでスプーンを突き刺す。
「うし、かんぺき」
 マグカップと鮭フレーク乗せご飯、ついでに使わなかった海苔も袋ごとテーブルに運んで並べて置いた。

「潔ー、朝ごはんできたー」
 テーブルのすぐ横にあるベッドに顎を乗せて、潔の肩を揺らす。寝返りを打って俺の方を向いた潔はゆっくり目を開けた。
 閉まったままのカーテンの隙間から漏れた朝日を受けて青い瞳がきらきら輝く。

「マジで一泊朝ごはん付きだった……」

 潔の目が嬉しそうに弧を描く。

 ——うちに泊まったら、美味しい朝食もついてくるよ。

 昨日はそう言って、潔を家に誘った。潔は半信半疑だったけど俺についてきた。きっと潔は俺が朝ごはんを用意してなくても怒らなかったはずだ。少し残念そうな顔をして「うそつき」と唇をとがらせて、「一緒に朝飯買いに行こ」ってコンビニデートに誘ってくれる。
でも今日はそれとは違う朝にしてみたかった。俺が作った朝ごはんを食べる潔に興味があった。

 
「味噌汁の良い匂いする」
 飛び起きた潔が、テーブルを見て笑った。
「鮭だ! ありがと、凪」

 顔を洗ってくる、と洗面台に向かった潔についてって、俺も顔を洗って歯を磨く。リビングに戻る前に、自分用のゼリー飲料を冷蔵庫から出して「いただきます」と頭を下げた潔の隣に並んで座った。
テーブルに頬杖をついて、横からじっと潔の膨らんだ頬を観察する。リスみたいだ。

「おいし?」
「ん! 絶妙なご飯の温め具合と、お湯と鮭の量……、この海苔は?」
「あー……おにぎり作ろうと思ったけど、……全部一緒に食べれば胃の中でおにぎりになるよね」
 袋から一枚長い海苔を取り出して、潔の口元に近づける。
潔は何とも言えない顔をして、ぱりっと海苔を齧った。
「はい、おにぎり完成―」
「いや、できてないから」
 俺の手から残りの海苔を回収して、潔がご飯の上に乗せた。しなしなになった海苔をスプーンで割いて口に運ぶ。
「これじゃノリ弁だろ」
 そう言って、潔は小さく零れるように笑った。

「……俺、このノリ弁も好き」

いつその気になるかわからないから次の約束はできないけど、気が向いたらまた作ってあげようかなって気にはなった。



♡ からあげ ♡


「潔、これあげんね」
 凪が俺の取り皿に唐揚げを入れて、じっと俺の顔を見てくる。
 ……視線が痛い。
凪のもだけど、目の前に座ってる蜂楽や千切の視線も俺の顔に刺さっていた。

「あ、りがと凪……でも、」
「はい、もう一個」
「そうじゃなくて、」

 凪の前に置かれた唐揚げ定食のお皿から次々に唐揚げが消え、俺の焼き鮭定食の上に積まれていく。

 もはや恒例となった国際試合直前の青い監獄での代表合宿。
いつもお世話になっている食堂は、選抜試験初期の強制納豆漬けの日々とは違って、スポンサー企業の管理栄養士さんが入って毎日いろんな定食の中から好きなメニューを選んで注文できるようになった。
 今日の定食は、鮭、サバ、からあげ、生姜焼きの四種類。
俺が鮭定食を注文する後ろで、凪がからあげ定食を選んだのは聞こえていた。だから、凪のからあげひとつと、俺の鮭定食についてる厚焼き玉子をトレードしようと声をかけるつもりではいたんだけど、それより早く凪は俺の皿にからあげをうつしてきた。

「なっ、むぐ!」
 凪、ちゃんと自分でご飯を食べろよ。
そう言うために開いた口に、からあげを押し込まれる。むぐ、と一口。あ、うま。皮がパリとして、身はふわふわで……もぐもぐと無心で口の中に広がる肉汁を堪能する。頬が蕩ける。

「うまぁ~……」

 ほっぺを押さえて、からあげの後味を楽しんでると、凪がふっと唇を緩めた。
 千切の箸から生姜焼きが落ちる。蜂楽が俺のトレーから奪おうとしていた厚焼き玉子を掴み損ねた。
「凪っち今笑った……?」
「幻覚じゃね……?」
「んーん、俺いまめっちゃ笑顔。潔ってチョロ可愛いね」
 真顔でそういった凪は、また俺の口元に唐揚げを近付けてくる。
「もぉ、この一個でいいから……凪もちゃんと食べないと午後の練習もたないだろ?」
 と言いつつ、からあげから香ってくる醤油とにんにくの混じった香ばしい匂いに負けて、二個目もいただいてしまった。
 
 ……からあげに罪はないもんな。



 ♡ あんまん ♡


 あ、ゴムないや。
 
 凪のマンションに向かう途中、コンビニの前で凪が呟いた。
 そのままフラッとコンビニに入っていった凪についていけなくて、コンビニ前のポールに腰かけて白い息を吐く。
 冷たくなった鼻先を擦って、真っ暗な夜空を見上げる。飛行機の赤いライトがチカチカ点滅しているのを目で追っていると、頬が突然あったかくなった。
凪が俺の顔を覗き込んできて、夜空が遮られる。

「……びっくりした?」
「ちょっとな」

 わずかに口角をあげた凪は、俺の頬から両手をどけて、右手に持っていたほかほかの白い小さな袋を俺に握らせた。
「あんまんにした。粒のやつ」
「やった! 気が利くじゃん、凪。はんぶんこにしよーぜ」
「ん、惚れ直したでしょ」

 凪は左手に残ったレモンティーのペットボトルを手の中でもてあそんで、首を傾げる。
 返事をしないで、あんまんを半分に割る。片方が明らかに小さくなってしまった。

「……へたくそ」
「切れ目がないから難しいんだよっ」
 あんまんを買ってくれた凪にデカい方を差し出して、3分の1も残らなかった小さな塊を口にちかづける。
 あんまんの皮が唇に触れるよりも早く、ひんやりした冷たい感触が俺の唇に触れた。
 至近距離に見えたのは、凪の飴色の瞳。
「ごちそーさま」
「………………食べてないじゃん」
 両手にそのまんま残っているあんまんを口に押し込む。大好きなあんこの味なのによくわからない。それどころか俺も凪も飲んでないのにレモンティーの味がする気がした。
「ありゃ、潔ご機嫌ナナメ?」
「……ちがうし」
 凪の白いダウンの裾をひっぱる。

「早く食べてほしいなって思ってんだよ」


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