凪潔SS
日本で行われる代表親善試合のため、俺がドイツから日本に帰国して一週間。
目的の親善試合が終わり、翌日の休暇を「一緒に過ごそう」って誘ってきたのは、凪の方だった。
青い監獄から出た俺と凪は、現在、別々の海外チームに所属している。
シーズン中はなかなか逢えない恋人に誘われて、嬉しくないわけがなくて、試合が終わっても俺のアドレナリンはどばどば。疲労感も忘れ、凪の泊っているホテルについていった。
肌寒さでぶるりと体が震える。
重たい目蓋を持ち上げると、凪の横顔が目に入った。
いつもならべったり俺に絡ませている長い手足は、俺が寝ているのとは違うベッドの上にあった。
ぐちゃぐちゃに乱れたシーツの上に足を放りだした凪は、腕をベッドについて、大きな手で赤と青のジョイコンを操作し、手元のゲーム画面に夢中になっている。
「なぎ……」
ガラガラの声が漏れる。
「あー、起きた?」
凪は画面を見たまま、赤いジョイコンを離して、二つのベッドの間にあるサイドテーブルからペットボトルの水を取り、俺に渡してきた。
「さんきゅ」
「んー……」
ペットボトルを受け取ると、凪の手はまたジョイコンに戻る。
ゆっくり起き上がり、常温の水を飲み下した。
自分の体を見下ろすと、着た記憶はないけど、ホテル備えつけのロングシャツタイプのパジャマを身にまとっていた。
中身が半分減ったペットボトルをサイドテーブルに戻し、ナイトパネルの時計を確認する。
六時半。
せっかくの休日だっていうのに、普段通りの時間に起きてしまったみたいだ。
室内の肌寒さに身震いして、もぞもぞと布団に逆戻りする。肩まですっぽり布団をかけて、凪の方に顔を向けた。
「凪、もしかして寝てない?」
「寝たー。早起きしただけ……。潔、試合後えぐいくらい寝るじゃん。もうちょっと起きないかと思った」
凪はゲーム画面に視線を向けたままで、こっちをむかない。
器用に動く手に、むうっと小さく唇を尖らせた。
「凪、こっち来ないの?」
口元を布団で隠して、そう誘いかけてみる。
凪はちらっと俺を見て、身体を起こした。
「今ヨイチと冒険するのに、忙しいんだよね」
そう言いながら、凪は俺のベッドに移動してくる。
一瞬、喉に言葉が詰まった。
凪に名前で呼ばれたのは初めてだから。
でも、文脈を考えると凪の言う『ヨイチ』は俺のことじゃない可能性がはるかに高い。
凪は、俺の顔の前にゲーム画面を持ってきて、「ほら」とジョイコンを操作した。
小さなキャラクターが走り回っていた画面が切り替わり、短い黒髪に、青い目の少年の顔がアップになる。
どうやらキャラクターのプロフィール画面のようだ。
右側には『冒険の記録』と書いてあり、ゲームの進行度が記載されている。そして、左下にはゲームのIDと一緒に『ヨイチ』の文字。
「これさー、キャラの顔も好きな風に設定できんだよね」
結構似てると思うんだけど……、と言いながら凪が俺の顔を覗き込んできた。
「に、てないでしょーが……」
「そー? 笑った顔とかそっくりなんだけどな。かわいい」
真顔でゲームと俺を見比べる凪。
思わず両手で顔を押さえ、ベッドに突っ伏す。
「はっず……! 照れるからやだ、この会話おしまい」
突っ伏して唸っていると、凪の顎が肩に食い込んできた。
ぐりぐりすんなばか。
「もっと恥ずかしいこと散々してんじゃん。へんなの」
——変なのはお前だ。可愛いとか言うな。かっこいいの方が良い。
心の中で文句をたれていると、凪の腕が身体に絡まってくる。
どうやらゲームは手放したらしい。
うつむいたままで凪に反撃する。
「じゃ、俺も同じゲームする。そんで、セイシローって名づけるから」
寝る前に声を我慢できなかったせいで、声は枯れ、ガサガサだ。しかもシーツに口を押し付けてるから音が籠っていて、言った自分でも聞き取りにくい声だったのに、凪はちゃんと聞き取ったらしい。
筋肉で覆われた腕が、ぎちぎちと俺の体を締め付けてきた。
「潔ゲーム下手だし……やめときなよ……」
ちゅっとうなじを吸われて、うひっと変な声が漏れた。
くすぐったいんだって、そこ。
「潔の呼ぶ『誠士郎』は俺だけにしといて」
凪が、言葉だけはかわいげのあることを言って、俺を抱えたまま、ぐるりと寝返りを打った。
仰向けになった凪の上に寝そべって、心音に耳を置く。
――ドキドキドキドキ。
いつもより早い音に、唇がほころんだ。
「誠士郎……、って、改まって呼ぶと、なんか……ドキドキする」
「ねー……世一、なんでそんななの?」
凪が俺のほっぺを片手でつかんで、むぎゅっとした。
痛みよりも、名前で呼ばれたむずがゆさが勝つ。
「疲れてるだろうし、寝かしてやろうと思ったのに、できなくなんじゃん……」
またぐるんと一回転。
今度は仰向けの俺の上に、凪。
「今からいっぱい俺の名前呼んだら、ちょっとはドキドキしなくなるんじゃないの」
凪が親指で、俺の下唇をなぞる。
たぶんそれは無理。余計ドキドキしちゃう。
でも、試してみようとは思うから、凪の首に腕を引っ掻けた。
顔面に近づいてくる凪の唇から、俺の名前がこぼれて、触れる。
俺も「誠士郎」って呼びたかったのに、名前を呼ぶ隙もないまま唇を貪られた。
――ヨイチ、ごめんな。誠士郎は俺のものだから。
心の中で、ゲームのヨイチに中指を立てる。
名前を呼ぶきっかけになってくれたことには感謝するけど、凪のヨイチも俺だけで十分だ。
ヨイチには早々に改名してもらおうと思った。
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