芸能パラレル


 自分の好奇心に蓋をしておけばよかったと、あの日ほど後悔したことはない。

 きっかけは、一通のファンレターだった。
 マネージャーから渡されたファンレターの束を、自宅のソファに座って読んでいた。その中の一通に、丸っこい文字で書かれた『安新』という言葉を見つけてしまったのが運の尽き。

『新一くんのことがだいすきだけど、安新もだいすきだから二人のこと応援してます!』

 ピンク色のハートで溢れた便箋にはそんな言葉が綴られていた。

 ――二人? 安新? ……安心の誤字だとすると、文章が繋がらないよな。

 そんな風に考えて、手紙をテーブルの上に置き、スマホを手に取った。
 コンビニで買って来たカップのアイスコーヒーにストローを差し、検索画面に『安新』と打ち込む。

 あの時に戻れるのなら、自分の手を掴んで「やめておけ」と忠告してやりたい。(きっと余計に興味を持って検索しようとするだろうけど)

『#安新の人気イラストやマンガ――PIXIS』
 あの日、オレはそうやって、検索トップに表示されたその文字列をクリックしてしまった。
 次の瞬間、目に飛び込んできたのは、褐色で金髪の男と色白黒髪の男がやたらと近い距離で描かれたイラストだった。そして画面の一番上に表示された『安新』の説明文でオレは口に含んでいたコーヒーを噴出した。

『#安新 某人気俳優安●透×工●新●の非公式BLカップリング』

 名前は伏せられていたが妙に詳しい詳細が乗っているせいで、伏せられた名前が自分と安室さんであることに気付いてしまった。
 幸か不幸かオレには『BL』という言葉の知識があった。
 それは前クールのドラマがいわゆるBLものというやつだったからだ。
 しかも、安室さんとの共演だった。
 タグの詳細にはそのこともやけに熱のこもった文章で書いてあった。

 げほごほと咳き込みながら、よせばいいのに、震える手で画面をスクロールさせてしまった。
 そこには裸体で絡みあうオレと安室さんのイラストや、ハートが飛び交うえっちな小説がたくさんあった。

 あの日、オレが、『安新』なんていう言葉を知らなければ――……。



「工藤くん、大丈夫?」
 ハッと息を詰める。
 目の前には心配そうにオレの顔を覗き込む安室さんがいた。
「あ、あ……すみません、ぼーっとしてました」
「だいぶ疲れてるね。メイクで隠しているみたいだけど、クマもできてる」
 安室さんの親指がオレの目の下をなぞった。びくっと肩を揺らして、距離をとろうとしたところで後ろから甲高い声が聞こえた。
「わっ、マジで、あむぴとしんくんがいる……っ!」
 振り向くと、若い女性の二人組が、オレたちを囲うスタッフたちの後ろ側にいた。その声で、チラチラと遠巻きに撮影を覗っていた人たちも遠慮なくこちらに視線をぶつけてくるようになった。
 今は街ロケ中。
 安室さんとオレが出演するドラマの番宣で出る「それいけ! アポなし旅」という番組の収録中だった。
 後ずさりかけた足を戻して、ぴったりと安室さんにくっつく。そうするとわかりやすく黄色い悲鳴があがった。
「安室さん……」
「うん?」
「オレたちって、仲よしなのが人気なんですよ。知ってました?」
 見上げると、甘く垂れた目が緩やかに笑みを模る。
「そうなんだ? こういう感じかな」
 くすりと笑った安室さんの息が耳にかかった。
 肌がぞわぞわするのを堪え、腰に回った安室さんの手をぎゅっとつねった。
「オレは女性じゃないんですけど」
「知っているよ。仲良しなのがいいんだろ?」
「そうだけど! ちがう!」
「ええ? 難しいな……」
 首をひねる安室さんに、溜息をつく。
「撮影再開しまーす!」
 ADの声に、スイッチを切り替え、膨らませた頬から空気を抜き笑顔を浮かべた。

   ♥ ♥ ♥

「なにか悩み事でもあるの?」
 収録を終え、ロケバスに戻ると安室さんが隣に座ってきた。ペットボトルのキャップをパキッと空けて、温くなった水を口にする。
「……ないですよ、べつに」
「その割には眠れてないようだけど」
 また安室さんが目の下をなぞる。ふいっと顔をそらして窓に視線を向けた。すっかり日が落ちたせいで真っ黒なガラスには、安室さんが映っている。
「……ちょっと、興味深い読み物があって……、それで寝不足なんですよ」
 真剣な顔で心配してくれる安室さんに黙っているのも申し訳なくて、本当のことを少しだけ話す。

 アンタとオレがやらしーことしてるファンアート見て、次回作の勉強してます! ――なんて、口が裂けても言えるわけない。

 次回作……というのは、オレと降谷さんが去年の冬に出演したドラマの続編である映画だ。それが、つまり安新に火をつけた原因でもあるBLドラマなわけだけど。ドラマの時に濡れ場シーンはなかった。けれど映画は二人が結ばれた後の話だから、ベッドシーンもちゃんとある。
 そういう経験がないオレは、そのベッドシーンを演じるために毎夜勉強をしている。
「それならいいけど……。プロなんだから体調管理くらいしっかりしなよ」
「はあい」
 最もな指摘を受けて大人しく返事をする。
 安室さんはふっと息を吐くと、座席にもたれかかってスマホを手に取った。
「そういえば、工藤くん」
「なんですか?」
 話題が変わったことにほっとして、窓ガラスから隣の安室さんに視線を戻した。



「安新って、わかるよね?」


 僕もすきなんだ、と安室さんははにかんだ笑みを浮かべた。
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