女体化
純白のドレスの裾を、翻して駆けだしたいなんて思わない。
少しサイズの合わないエナメルの白いパンプスは、歩く度に足から抜け出しそうだった。短時間だからなんでもいいと、結婚式当日に空きのあるレンタルの靴で、自分のサイズに一番近いものを選んだ。新郎の身長に合わせた低いヒール。
長いドレスの裾に隠れた靴に、つま先だけをひっかけて、足を伸ばす。
――あの人がもし、こんなオレを見たらなんていうだろう。
白い大きな鏡台には、普段より華やかなメイクを施され、短い髪に白いベールをつけられたオレがいた。
こんな姿を、両親に見せる日が来るとは思わなかった。
鏡に映る浮かない顔の花嫁を、白いレースのグローブをつけた手で覆い隠す。
控室の扉をノックされ、溜息がこぼれた。
――時間だ。
鏡から顔を背け、椅子から立ち上がる。
ドレスの裾を靴で蹴っ飛ばすようにして歩く。
過ぎ去った過去をどれだけ想ったところで、時間は戻せないんだ。
『神さまには誓えない』
朝から最悪の気分で、依頼人の元へ向かう。
最悪の原因は、出かけにかかってきた母さんからの電話だった。
『新ちゃん、お見合いとかに興味はない? とっても良いお話があるんだけど』
お見合い。その単語だけで辟易とする。
この頃、そんな話ばっかりだ。
友人や、昔の依頼人から呼び出されたと思ったら、知らない男が同席していて、その人を紹介されたり、事件で呼び出された警視庁で、警察のお偉いさんに捕まってお見合いの打診を受けたりとかもあったな、そういえば。
いいかげん、うんざりする。
……大体オレは、まだ二十三だっつーの。
大学を卒業して、念願だった自分の事務所を開いて一年。結婚どころか、彼氏を作ることも考えていない。
母さんの電話は、忙しいからと言って話の途中で切ったけど、これからもそんな話を聞かされる機会があるのかと思うだけで、頭が痛くなった。
「お疲れですか?」
対面のソファに座っていた依頼人――吉永さんが、垂れがちな目尻を緩めて微笑んだ。
「え?」
「さっきから溜息ばかりついていますよ」
完全に無意識だった。苦笑して、調査報告をするためにテーブルの上に広げていた資料をまとめ、吉永さんに差し出す。
吉永さんの依頼は毎回、恋人の素行調査だ。
こういった依頼は、多忙を理由に、毛利探偵事務所を紹介し直すことが多いけれど、吉永さんは、事務所を設立してすぐに園子から紹介された人で、毎回調査はオレが受けることにしている。園子曰く「ものっすごくいい人なんだけど、女運が死ぬほど悪くて放っておけないのよ」らしい。
この一年で三回、オレも吉永さんの相手を見てきた。一回目は吉永さんとは別の学生時代からの恋人がいる女性――つまり、二股。二回目は婚活サイトで結婚詐欺を繰り返している女性。そして今回の三回目は、プロスポーツ選手と愛人関係にあった。園子の言うこともあながち間違いじゃないみたいだ。
吉永さんは、オレが書類に目を通すと、肩を竦めて「残念だな」とひとりごちて、書類をテーブルに置いた。
「それで、工藤さんはなにをそんなにお悩みなんですか?」
人好きのする笑みを浮かべて、吉永さんは首を傾げた。
「すみません。私、また溜息をついていました?」
外向きの顔で、頬に手を当てる。
装うことは得意だ。
高校生の時に、毒薬を飲まされ、身体が縮んで小学生になるなんて体験をしたから、母親仕込みの演技力に経験がついて、磨きがかかったような気がする。
「いいえ。いつもは僕が工藤さんに相談しているので、たまには僕が、あなたの悩みを解決できたらなと思っただけです。ほら、亀の甲より年の劫っていうでしょう? 人に話すことで楽になるかもしれませんよ」
「年の功って……吉永さん、まだ三十才ですよね?」
「今年で三十三です。きみより、十も上だよ」
穏やかな瞳が、悪戯っぽく弧を描いた。
脳がバグを起こして、青灰色のフィルターをかける。瞬きをすると、フィルターは消えて、茶褐色の瞳と目が合った。
小さく息を吐く。肩を落とす。「くだらない話ですよ」そう前置きをして、近頃身の回りを騒がしてくる厄介な話題のことを口にした。
「……なるほど。工藤さんは、お見合い話に辟易しているんですね」
「ええ。昔、……知人が、同じ理由で悩んでいたのを思い出しました」
そこで言葉を切る。金色の影が過って、頭を横に振った。
吉永さんは顎に手を当てると、ひとつ頷いて、手を叩いた。
「じゃあ、僕と結婚しませんか?」
「……は?」
思わず外面が飛んでいく。開きっぱなしの口を閉じて、吉永さんをじろりと睨みつけた。
「タチの悪い冗談ですね」
「いやいや、冗談じゃないんですよ。工藤さんは、僕がこの一年結婚相手を探していたのを知っているでしょう? その理由も」
「……吉永財閥の当主である、あなたの祖父――吉永実巳の出している次期当主の条件が、既婚者であることだから」
「そうです。そして、祖父の体調が思わしくない今、一刻も早く結婚相手を見つけなくちゃいけない。そして、工藤さんは見合い話が鬱陶しい。見合いを断る手段として、偽装結婚は有効じゃないでしょう?」
呆れて溜息さえ出てこない。断るために口を開こうとすると、吉永さんがさらに言葉を重ねた。
「というのは、口実です。あなたは言わなきゃ気付かないでしょうから、ちゃんと伝えます。僕は、あなたが好きだ。あなたに出逢ってからは、あなたに逢いたくて、わざと素行の悪い女性を選んで付き合っているふりをした。あなたから、他にお見合いの話があると聞いて、焦っているんです。この場で判断しないで、もう一度考えてくれませんか?」
縋るような瞳に涙の膜が揺れているのが見えて、言葉を飲み込んだ。
「工藤新一さん。僕はあなたのことが、好きです」
――工藤新一くん。僕は、きみのことが好きなんだ。
遠い昔の言葉が、鼓膜に蘇る。温和な顔が、甘い男の顔に隠れて見えなくなった。その時点で、自分の気持ちなんか分かり切っているのが悔しくて、首を横に振る。
「すみません、今日は帰ります」
足元に置いていたバックを掴んで、応接室から飛び出す。園子の家並みに広い屋敷を足早に歩いて、気が付いたら、雑踏の中にいた。
立ち止まって、切れ切れの息を整える。
ぐるりと周囲を見回し、駅の近くまで無心で歩いてきたことを知る。高級ブティックが立ち並ぶ駅前のショッピング街を、地下鉄を目指して突っ切ろうとした。
ガラス張りのショップの白いアーチを描いた扉の前で、足が止まる。目が釘付けになる。見つけてしまう。
この三年間、一度も会うことがなかった男が、ジュエリーショップの中にいた。
輝くガラス扉の向こう、煌びやかなシャンデリアの下。幸福の光に照らされて、蜂蜜色の髪が揺れる。
大学生の時に、園子や蘭と一緒に、この店に入ったことがあった。男の立っているショップ中央のショーケースは、ブライダルエリアで婚約指輪が並べてあったはずだ。
グレーのスーツを着た後ろ姿から、視線を引きはがした。
地下鉄の入口を見つけて、階段を駆け下りる。
――オレは、悲しんでなんかいないし、傷ついてもいない。
ぎゅっとベージュのジャケットの上から、心臓を掴んだ。
***
「工藤さん、もうやめておいたほうがいいよ」
筋張った白い手が、オレの手からバーボンの入ったグラスを取り上げた。
御馳走するから飲みに行こうよ、と声をかけてきたのは吉永さんなのに、オレから酒を取り上げるとはどういう了見だ。
「かえしてくらさい~!」
手を伸ばして、取り上げられたグラスに指をかける。「だぁめ」子どもに言い聞かせるようにオレを咎めた吉永さんは、カウンター向こうのバーテンダーを呼ぶと、バーボンを下げさせた。代わりに「シンデレラ」を頼む。
「オ……わたしは、もう少女じゃないれすう~」
「はいはい」
吉永さんが適当に返事をして、オレの手に鮮やかな黄色のノンアルコールカクテルが注がれたグラスを握らせた。ぐいっと一気に飲み干して、グラスのふちに刺さっていたパイナップルを齧る。すっぱくて甘い。鼻がツンと痺れる。
急に目が回って、カウンターに突っ伏した。
三年前――二十歳の誕生日も、こうしてシンデレラを飲んでいた。『カクテル言葉は、夢見る少女っていうんだって』そう言って、笑う男の足を、蹴っ飛ばした。
少女なんて言ってからかえるのは今夜が最後だ。覚えとけ――そう思って、挑んだ初めての二人で過ごす夜は、結局、男の仕事が入ってしまった。
ホテルの部屋で一人迎えた朝のほろ苦さを、まだ覚えている。
「大丈夫?」
勢いよく顔を上げて、隣を見る。三年前とは違う人が、隣にいた。
……でも、同じ顔をしていた。
心配そうに眉を下げて、オレの顔を覗き込んだ。その瞳に不埒な色はなくて、ただただオレを心配していることが伝わってくる。
水の入ったグラスを差し出され、こくりと一口飲み下した。
心臓が、静かに脈打っている。グラスを掴む手に、力が入った。
「吉永さん、私と結婚しましょうか」
前後不覚になるほど酔っていたわけじゃないけれど、人間酔うとろくなことはしない。
朝起きた瞬間、激痛の走る頭を布団に隠しながら、うめき声を漏らした。
***
高校生の時、恋をした。
気付けば、その人のことばかり考えているようになっていた。毎日毎日、好きが積もって、これ以上好きになれないってくらいに好きになって、我慢できずに告白したら、オッケーをもらった。
はじめて恋人ができた。一回り年上の男の人だった。
だけど、恋人らしいことなんて、あんまりした記憶がない。たまに一緒にご飯を食べたり、遊びに行ったりするくらいだ。
『君のことが好きだからこそ、大事にしたいんだ』
警察官という職業もあってか、恋人は未成年のオレに、手を出したりなんかしなかった。えっちなことはもちろん、キスも、手を繋いだこともない。
好きだよって言ってくれる。それで十分だった。
仕事が立て込んで連絡がとれない期間が長くあっても、たぶん職務上のなにかで女性と親密そうに身を寄せているところを目撃してしまっても、愛車のダッシュボードに見合い写真がしまわれているのを見つけても、ホテルのラウンジでどう考えてもお見合いだろって場面を目撃しても、気にしないようにした。
だって、仕事の邪魔をしたいわけじゃない。嫉妬して、癇癪を起こしたり拗ねたりなんかしたくなかった。
子どもっぽいと思われるのが嫌だった。だから平気な顔をして、想像上の大人の女を演じていた。
限界が来たのは、二十歳の誕生日だ。
ひとりぼっちで残されたホテルをチェックアウトして、電車に乗った。朝まで起きていたせいで電車を乗り過ごし、普段下りない駅で降りた。
乗り換えを待つ電車のホームの反対側に、ホテルに戻ってこなかった恋人を見つけた。
――その腕には、女性の細い手が絡まっていた。
乾いた瞳に、その姿が焼き付いた。あ、もう無理だ。そう思った。
ずきりともしない胸に、とっくに心は限界を迎えていたことを知った。
きっとこれ以上付き合っていたら、オレはあの人のことを好きじゃなくなってしまう。
――だから、別れることにした。
当時よく一緒に過ごしていた喫茶店に呼び出して、「もう別れたい」と言った。理由はとくに言わなかったし、向こうもなにも聞いてこなかった。
でも、いやだ、とは言われた。
機嫌をとろうとする手を、咄嗟に振り払った。傷ついた顔をしていた。くしゃりと顔を歪めて、泣きだしそうな顔をした男の頬を、引っ叩いた。
ぺちん、と乾いた音が響いて、引っ叩いたのはオレなのに、めちゃくちゃ驚いた。驚いて、そのまま逃げだした。
その日の夜、家にあの人が謝りに来ていた。
オレは自分の部屋から出なかったけれど、両親となにかを話して帰って行った。
きっと、娘さんを傷つけて申し訳ないだとか、別れることになってしまいましたって報告にきたんだとおもう。そうやって最後にけじめをつけにくるのが、あの人らしかった。
***
酔った勢いで決めた結婚の外堀が、迅速に埋められていく。
しなくていいと粘った結婚式は、もう二週間後に迫っていた。
吉永財閥の息子というだけあって、どでかい規模で開催されそうになった結婚式を、やめてほしいとごね続けることで、親族だけの小さなチャペル挙式にしてもらった。
ウェディングドレスもオーダーメイドにされそうになるのを、一回しか着ないものにそんなにお金をかけたくないとレンタルをごり押しした。
ドレスにべつにこだわりはないから、オレの代わりに吉永さんがマーメイドラインのドレスを選んだ。
オレが「結婚する」って報告した時も、まだ見合いを進めてきた母さんは、最近は吉永さんのことを気に入ったみたいで、気付くと、二人でこそこそ話している。
ドレスの最終チェックで、コーディネーターにウェディングドレスを着せられていると、カーテンの向こう側で二人が話している声が僅かに聞こえてきた。「当日は――」「それで、僕はなるべく……」
……どうやら、当日なにかサプライズをしかけているらしい。肝心のとこが聞こえねーけど。あんま余計なことをしなきゃいいけど……。
ドレスの後ろにある編み上げ紐をぐっと絞られて、うめき声がもれた。
ドレスに着替え終わると、試着室と待合席を仕切るカーテンが開いて、ソファに座っていた母さんと吉永さんがオレを見た。
「……きれいだ」
吉永さんが、頬を染めてそう言う。母さんは、「新ちゃん可愛い!」とはしゃいだ声をあげて、オレの写真を撮りだした。
開けたばかりのカーテンをひき、姿を隠す。
壁面いっぱいにはめ込まれた鏡の中には、世界で一番ウェディングドレスの似合わない花嫁が映っていた。
***
遠くで、ベルの音が響いている。
真っ白でこじんまりとした教会を見上げていると、隣に人の気配がした。顔を向けると、ライトグレーのタキシードを着た男が立っていた。手が差しだされる。
いつも、見ていた手だった。
器用に動く大きな手が、魔法をかけるようにいろんな料理を作り出すのが、好きだった。
甘い垂れ目を一層緩めて、オレを見つめる。
「最悪……」
夢を見た。最低な夢だった。
枕に頬を押し付けて、身体を丸める。
スマホを手に取ると、目覚ましが鳴る五分前だった。ゆっくり身体を起こして、ベッドから床に足を下ろす。
カーテンを開けると、眩い光が部屋に溢れた。梅雨時なのが嘘のように、今週は晴れ間続きだ。明日も、きっと晴れ。昨日会った吉永さんが「僕って晴れ男なんだよね」と笑っていた。
昔、付き合っていた人は、どっちかっていうと雨男だった。
デートの日は、雨が降っている日が多かったように思う。傘を差して歩くのに出来た距離がもどかしくて、わざと傘を忘れたこともあった。色濃く濡れたジャケットの肩に気付いてからは、忘れたフリをするのはやめたけれど。
「……いやになるくらい、あんたのことばっか」
三年経っても色褪せるどころか、むしろ、思い出補正でいいところばかり記憶に残っているのに、腹が立つ。
「結婚前夜に考えることじゃねーよな」
明日は、結婚式だ。
あまり実感はないけれど。
教会で式をあげて婚姻届けを書くだけで、なにも変わらない。
吉永さんもオレも忙しくて、まだ新居を探していないし、式が終われば、それぞれの家に帰る予定だ。
まだ、かわらない。でも、別れた男を思い出すのは、もう最後にしようと決めた。
***
今更、純白のドレスの裾を翻して、走り出したいなんて思っているわけじゃない。
だって、走っても、今更だ。もう向かう先に、あの人はいない。あの人には、婚約指輪を選ぶ相手がいるんだから。
吉永さんのことだったら、この先、そういう意味で好きになれる自信があった。結婚を急いでいるなら、その先で、少しずつ気持ちを育てていけばいい――そう思うのに、鏡に映る自分が、滑稽だった。
いつの間にか、一人残された控室。
鏡に映る、陰気な花嫁の顔を塞いでいるとノックの音が響いた。重たいドレスを引きずって、扉に向かう。
「久しぶりだね」
扉の隙間からするりと入り込んできた男は、そう言って小さく微笑んだ。
一歩下がった足がドレスの裾を踏んずけて、後ろに倒れ込みそうになる。すかさず、腰を抱き寄せられ、昔となにも変わらない見慣れたグレーのジャケットが視線の先に迫っていた。
「な、んで……?」
厚い胸板に手を置いて押し返す。
降谷さん、は、オレから離れて、きゅっと唇を結んだ。
「新一くんと、話がしたかったから」
あの頃と同じように、オレの名前を呼ぶ。それだけで、ドッと音を立て、一気に動きだす血流に押し流されてしまいそうになる。
「はなし……?」
それは、きみが幸せになってくれそうで安心しただとか、結婚おめでとうだとか、そういう話だろうか。
それだけは、アンタの口から聞きたくねーな……。
「オレは、あんたと話すことなんてないよ」
手をひらひらと払ってみせる。その手首を降谷さんが掴んだ。
「僕には、あるんだ。聞いてほしい。僕はまだ――遅くはないと、信じている」
雨の日の空みたいな瞳に見つめられて、言葉が詰まる。
聞きたくねーのに。
オレは、昔からずっと、この瞳に――
「今日のきみも、とてもきれいだね……昔からずっと、可愛くて美しかったけれど」
――かわいいな。
ことあるごとに、そう言われた過去が鮮烈に脳裏に蘇る。
たとえば、降谷さんの手料理を食べているとき。頬を膨らませるオレを、リスみたいだとからかって、ふにゃりと笑った。アンタの方が可愛いと思った。
初めてのデートで、ワンピースを着て行った時。頬を染めて、可愛いなと言ってくれた。でも次のデートで、Tシャツにデニムを着て行っても、可愛いなってデレた顔をしていた。
ドライブの帰り道、うっかり寝ちまったオレの顔を覗き込んで「かわいいな」と呟いていたこともあった。目が覚めたのに、言い出せなくてずっと寝たふりをしていたら、それに気付いていて、笑いを噛んでもう一度「可愛いな」って言った。
ぐるぐる走馬灯のようにめぐる思い出に、感情が悲鳴をあげた。
「……きれいだなんて言うなよ」
滲んだ視界で、降谷さんを睨みつける。胸倉を掴んで、高いところにある顔を引寄せた。
「アンタのため以外に着飾ったオレを、アンタに、きれいだなんて言われたくない……っ」
ブルーグレイの瞳に、子どもみたいに癇癪を起す女の顔が映っていた。
……かっこわる。
頭が冷える。胸倉から離そうとした手を、降谷さんが掴んだ。
「……じゃあ、僕以外のために着飾らないでくれ」
太く長い指が、オレの手に絡まる。
「これから先は、僕だけを想って、きれいになって」
手を引き寄せられて、身体がぶつかる。オレの顔を見つめる瞳が、雨で濡れていた。
「きみがすきだ。忘れたことなんて一度もない。きみは、きみは、もう僕のことなんてどうでもいいの? ……違うだろう。きみだって、僕を忘れられないはずだ」
意識はあるのに、身体が動かない。金縛りにかかったオレを、降谷さんは、そっと腕のなかに閉じ込めた。
「……すげぇ自信」
「だって、そういう風に愛したから。もし、僕から離れるようなことがあっても、きみが僕を想い出して寂しくなって、戻ってきてくれますようにって思いながら、きみを愛していたから」
「な、に……それ」
「あの頃の僕は、きみの不安全てを解消できる男じゃなかった。だから、きみにフラれて、当然だと思ったよ。きみを泣かせない男になってから出直そうと決めた。そして、ようやく迎えにいけると思ったら、きみは僕とのお見合いを断って、別の男と結婚するって言い出すんだ……悪い冗談だろ?」
「冗談じゃな、――……」
身を捩る。降谷さんの腕が緩んで、身体が解けた。
「もう一度、僕を選んでくれ、新一くん」
降谷さんがオレの手をとって、跪いた。指先に、降谷さんの唇が当たる。びりびりと指先が痺れて、慌てて手をひっこめた。
首を横に振る。
そこで、はっとした。
薄く開いた扉から、父さん、母さん、吉永さんが部屋の中を覗き込んでいた。にやにや笑う父さん母さんと違って、吉永さんは、オレと目が合うと、コホンと咳払いをして、部屋の中に入ってきた。
「……最初に言ったでしょう? あなたの悩みを解決できたらな、って。彼を呼ぶように頼んだのは、僕なんです」
吉永さんは、肩を竦めてウインクをした。
「あなたを見ていれば、誰か想う人がいるんだろうなってことは、探偵を雇わなくてもわかりましたよ。だから、僕は自分の家族を今日ここに呼んでいないし、あなたのことを家族に一度も紹介しなかった。あなたは、後のことは何も気にせず、ただ自分の気持ちに正直になればいいんです」
――まあ、あなたとこのまま結婚出来たら僕はラッキーなので、素直になってくれなくてもいいんですけど。
吉永さんは、笑ってそう言った。
唇を結ぶ。降谷さんが、オレの指先を引っ張った。昔からずっと変わらない、ただ真っ直ぐにオレを見る瞳に射抜かれて、心の奥底に雁字搦めにして閉じ込めた気持ちが、あふれ出す。
「オ、レは……、ずっとばかみたいに、アンタのことが、忘れられなくて――、腹立つくらいに、ずっと、アンタの……降谷さんのことが、好きなままだった……でも、オレは、降谷さんの良い彼女にも、奥さんにもなれない」
しゃくりあげそうになるのを堪え、一度深呼吸をする。
「きっと、オレ、何年経っても、降谷さんの前だと大人になれないよ。子どもみたいに、怒ったり拗ねたりしちまう。仕事でも、オレ以外の女の人と親しくしたら嫌なんだ」
「……もうきみにそんな思いをさせるようなことはしないけれど、もし僕が原因で、きみの機嫌を損ねてしまったら、きみは怒ったり拗ねたりしていいんだ。僕だって、きみの前だと、いつまで経ってもスマートに振舞えない。かっこ悪い男だけど、それでも良いって言って。そうしたら、僕は僕の全てで、きみを幸せにすると、きみに誓える」
唇が震える。人前で泣きたくなんかねーから、上を向く。
「ふるやさんがいい……っ」
上を向いたのに、目尻に熱が溢れた。
思いっきり手を引っ張られて、前のめりになる。降谷さんはそんなオレの足をすくって抱き上げた。
サイズの合わない靴が脱げて、木製の床に転がる。
降谷さんはオレの顔を上から覗き込んで、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「僕もきみがいい。新一くんじゃないと、ダメなんだ」
降谷さんの首に手を回す。その後ろで、三人がそっと控室から出て行ったのが見えた。
目を閉じて、降谷さんの唇に、キスをする。
――愛を誓うなら、神さまじゃなくて、あなたに誓う。