同棲設定
真っ暗な寝室で聞こえてくるのは、規則正しい寝息と、今夜も静かに働き続けるエアコンの音。
部屋の外は、熱帯夜。
窓を開ければきっと、スズムシが前翅をこすって響かせる高い音も拾えるはずだ。
身体にかけたタオルケットの上には、重たい腕がのしかかって、オレの体温を二度は上げている。
――やっぱり一緒に寝るのは無理だな。
すやすや気持ちよさそうに寝ている降谷さんの腕を退かし、身体を起こした。ベッドの上にあぐらをかいて、横になって眠る降谷さんの前髪を人差し指でさらってみた。
ぴくっと降谷さんの瞼が反応したけど、目を開けない。
いつもなら、すぐにオレの指を掴んで「誘ってるの?」と熱っぽい視線で見つめてくるのに、今夜はよっぽど眠いらしい。
人差し指で降谷さんの頬を突き刺した。意外とやわらかくて、指が沈む。降谷さんは呻きながら寝返りを打ち、うつぶせになった。
「……ちぇ」
昨晩、オレは眠るのが遅かった。遅かったっていうか寝ていない。
なんせ昨日は、待ちに待ったミステリードラマの配信開始日だったのだ。一気にワンシーズン観ちまった。気づいたら朝越えて昼だった。降谷さんの作り置きしていたおかずで飯を食い、仮眠のつもりで起きたのが十九時。
眠れるわけがない。
深夜二時過ぎに帰ってきた降谷さんは疲れ切っていて、オレを抱えてベッドに入ると、即爆睡だった。
抱き枕にされ一時間、我慢して目をつぶっていた。
けれど、一向に眠気はやってこないし、降谷さんにも相手にしてくれなくなったので、あきらめてベッドから降りることにする。
いつもベッドの壁側で寝ているオレが、ベッドを降りて寝室から出るには、降谷さんを跨がなければならない。
あぐらを崩し、よっ、と降谷さんを跨ぐ。
降谷さんが、ベッドに残ったオレの足首にそっと手を添えた。
「……眠れないの?」
背後から、掠れた声がかかる。
「まあな。だから、散歩ついでにコンビニにでも行ってくるよ。なんかほしいもんあったら買ってくるけど」
力の入ってない降谷さんの手から逃れ、両足を床につけた。
「新一くん」
さっきうつぶせになってオレを拒否した降谷さんは、顔だけオレに向け、薄目を開けた。
「なんだよ?」
ちょいちょい、と人差し指で呼ばれ、しゃがんで顔を近づける。
降谷さんは手を伸ばしてオレのうなじを掴み、ちゅうっと唇を押し付けてきた。
「一緒にねよ?」
「だから寝れねーんだって」
「大丈夫。僕、きみを寝かしつけるの得意だから」
降谷さんは、ふっと笑って腕を広げた。
……全然眠れる気はしねーし、降谷さんに寝かしつけてもらった記憶もない。けど、その身体の吸引力に逆らってまで、散歩にいきたいわけでもなかった。
「ずいぶん甘えんぼだな」
素直に出戻れなくて、憎まれ口をたたく。
「君限定でね。かわいいだろ」
「……自分で言うか?」
否定はせず、脱出したばかりの降谷さんの腕に飛び込む。
上質な筋肉に包まれた胸板はふかふかしてあったかくて気持ちいい。
ぽんっと背中を叩かれた。
顎先にキスをするとくすぐったそうに笑った降谷さんが目をつぶって唇にもねだってくる。
気づかないふりをしても、勝手に唇を奪っていくけど、今夜は特別におねだりにこたえることにした。
降谷さんは、とろりとした瞳で瞬きをしてオレを柔らかく抱きしめた。
せっかく下げた体温が、脱出を試みた時よりも五度はあがっている。
体がぽかぽかしてくると、耳元で大きなあくびが聞こえた。つられてオレの唇からもあくびがこぼれた。
眠いか眠くないかでいうと眠くねーけど、押し付けられた降谷さんの胸から聞こえてくる心音を聞いていると、だんだん眠くなってくるような気もする。
これはたぶんプラシーボ効果。
オレを寝かしつけると豪語した甘えんぼは、とっくに夢の中に旅立って気持ちよさそうに寝息を立てていた。
出窓にかかったカーテンの隙間から、薄くなった夜が見えている。
ふあ、と再びのあくびをして、降谷さんの腕を退かし、寝返りを打つ。壁側に身体を向けて目をつぶった。
――いくらかわいい恋人でも、夏はあっちぃんだよな。
そんな風に思っていると、すぐにまた腕がのしかかってくる。
「……おやすみ、僕の可愛い甘えんぼくん」
囁くような声でそう言われたような気もしたけど、もう夢なのか現実なのかは曖昧だった。
――明日は、二人で夜遊びしような。
朝になったら忘れるつもりの夢の中で、オレがそう口にしたような気がした。