同棲設定

 彼と僕。
 二人で暮らす家は、2LDK。
 玄関を入って左側にトイレと洗面所に浴室。右側に僕の部屋。まっすぐ進んでリビングとキッチン。リビングから繋がる扉の向こうが、新一くんの部屋だった。
 
 新一くんのご両親がロスに戻られるのをきっかけに、公安の保護という名目で同居をはじめてから早くも半年が経つ。

 自動点灯の電気で明るく照らされた玄関。リビングは真っ暗でシンとしていた。代わりに、三日前、家を出る時にはしっかりと閉めていたはずの僕の部屋の扉が薄く開き、部屋からは煌々とした光が漏れている。人の気配がないことをわかっていながらも「ただいま」と声をかける。
「アン!」
足元で弾む声が聞こえた。声の主に応えるために屈んで、白いふわふわの毛を撫でる。ハロは尻尾を激しく左右に振り、僕の足に飛びついた。靴を脱ぎ、戯れるハロを連れ、手洗いうがいをしっかりしてから、自分の部屋に入る。
 テーブルから床、ベッドの上にまで散らばる本やプリント、メモ紙を見て思わず笑ってしまった。
「まったく……こんなに散らかして」
 どうやら新一くんは、部屋の主より自由気ままにこの部屋で過ごしているらしい。
メモを踏まないように部屋の奥に進み、ウォールハンガーに引っかかっている青い制服の隣に脱いだジャケットを引っ掛けた。
 制服がここにあるということは、学校帰りに家に帰ってきて、着替えてまた出かけたのだろう。
 ハロの散歩に行くために黒のジャージに着替えて、部屋の中をぐるりと見渡した。
 以前はギター一つしか大切なものがなかった部屋には、いつのまにか物が増えて随分と賑やかになっている。
 数日ぶりに帰宅した時の習慣で、棚の上に勇ましく君臨する恐竜のぬいぐるみを撫でた。

 これは、昔コナンくんと恐竜博物館に行った時の思い出の品だ。
 彼がまだコナンくんで、僕が安室透だったころの話。
博物館の館長から脅迫状が届いたという相談を受けた毛利先生にくっついて、コナンくんと僕、毛利先生の三人で博物館に向かうことになったことがあった。
結局、脅迫状は近くに住む中学生のいたずらだったことがわかり、毛利先生が中学生たちを厳重注意して事件は解決となった。毛利先生はそのまま館長と飲みに行くというので、僕とコナンくんは閉園時間まで館内を見て回ることにした。
 僕の横を呆れたような顔をしてついてきていたコナンくんも、さすがに圧巻のティラノサウルスの全身骨格を前にすると目を輝かせ「すっげぇ」と呟いていた。
恐竜を前にしてロマンを感じない少年は、きっとあまり多くはないだろう。
その姿が妙に年相応に見えて、思わず帰りに恐竜のぬいぐるみをプレゼントしてしまった。コナンくんは、一瞬きょとんとしたあと「わ、あ〜、嬉しいな! ボク、恐竜だ〜いすき!」と猫をかぶって喜んだふりをしてくれた。

 コナンくんは、外見は七歳でも、中身は十七歳の男子高校生。きっとぬいぐるみなど子供っぽいものもらっても嬉しくなかったに違いない。
 潜入していた犯罪組織壊滅後、コナンくんの正体を知った僕はそう考えた。
 けれど、新一くんは、同居を始めるためにこの部屋に持ってきたキャリーケース一つ分の荷物の中に、このぬいぐるみを入れていた。「まだ持ってたの、これ」ぬいぐるみを手にし、目を丸くする僕に「当たり前だろ。…………大事なもんだから」そう答えた新一くんは、顔を赤くして、不機嫌そうな顔でそっぽをむいた。
 その日から、このぬいぐるみは僕の宝物でもある。

 最初は新一くんの部屋の勉強机の上に乗っていたぬいぐるみは、いつのまにか僕の部屋に置かれるようになっていた。
……新一くんの部屋は、いまや書斎と化している。ベッドの上にも本が積み上がり、最近は寝る時も僕の部屋、僕のベッドで寝ているのだ。
 黒とグレーで落ち着いた雰囲気にまとめたベッドに視線を向ける。そこには、けばけばしいピンク色で「YES」と書かれた枕が堂々と置かれていた。
その枕は、新一くんが僕のベッドで眠るようになってしばらくしてから、そこに置かれるようになった。裏面の「NO」になっている日は見た事がない。僕の方からは触れずにいるから、新一くんも枕に関してなにかを言ったことはない。
 第一、僕と新一くんは、まだ付き合っていなかった。
 大人のケジメとして、高校を卒業するまでは、そういう関係になるのは待とうと新一くんにも伝えてある。新一くんは唇を結んで不服そうに頷いていたけど、どうも高校卒業までに僕から付き合ってくださいと言い出すように仕向けようとしている……ような気がする。枕もおそらくその作戦の一環だろう。

「アンッ!」
 ハロに呼ばれて、足元に視線を落とす。ハロは新一くんの書き散らかしたプリントを咥えて、おすわりをしていた。
「拾ってくれたのか? ありがとう。ハロは新一くんより掃除上手だな」
 ハロの口からプリントを外し、頭を撫でる。プリントには、近代ヨーロッパの歴史が虫食い問題になってまとめられていた。虫食いの部分には、新一くんの字で正解の言葉が記入されている。
 どうやら世界史の授業で使ったプリントのようだ。懐かしい気持ちになって、プリントの裏面も読むためにめくると、プリント右端の落書きに目がいった。
 新一くんも落書きなんてするんだな、という感動を覚える。

 落書きは平仮名の「れ」だった。「れ」がたくさん並んでいる。丸く重なるようになった「れ」の束の中に、ひとつだけ「い」を見つけた。

 そういえばこの二週間、新一くんは僕を呼ぶとき「れ……降谷さん」「ふる……れ、降谷さん」と呼んでいる。そのたびに胸が疼くのだけれど、気づかないふりをしていた。代わりに、心を込めて新一くんの名前を呼ぶ。そうすると新一くんは、口をへの形にして、何も言わなくなってしまう。それが、可愛くて愛おしくてたまらないのだ。

 僕の名前が書かれたプリントを四つ折りにして、棚に飾った新一くんの球技大会でサッカーをしている写真の裏にしまう。新一くんがいないときに、今後もこっそり見たい。
 他の散らばっている本と紙類をまとめてテーブルの上に揃え、ハロと一緒に玄関に向かう。
 ハロに散歩用のハーネスをつけていると、玄関の扉前に人の気配がした。ハロはお尻ごと尻尾を揺らして喜んでいる。
 ……新一くんだな。
 立ち上がって、扉の方を向き待ち構えていると、「ただいま〜」と言いながら扉を開けた新一くんがのけぞった。
「うわ、びっくりした。ふる……れ、……降谷さん帰ってたのかよ」
「うん、少し前にね。これからハロの散歩にいってくるよ」
「……じゃあ、オレも一緒にいく」
 新一くんはサコッシュを外して廊下の端に置いて、ハロと僕のあとに続いて家を出た。鍵は手に持ったままだった新一くんがかけた。
「どこに行ってたんだい?」
「あー、コンビニ。課題やってたんだけど、シャーペンの芯切れて買ってきた。ついでに本屋も寄ったら、結構時間経ってた」
「言ってくれたら買ってきたのに」
「気分転換だから、いいんだよ」
 エレベーターで一階まで降りる。夜になり、少し冷えた空気が頬を撫でた。都会の真ん中でも、どこかでリンリンと鳴く虫の声が聞こえる。 
 弾むように歩くハロの少し後ろを、新一くんと並んで歩く。
 胸がじんわりと熱くなる。
 新一くんの手が僕の手の甲を掠めた。新一くんの歩く右側に顔を向けると、夜道でもわかってしまう赤い顔の新一くんがいた。僕の前で下唇を尖らせている時、彼は大抵赤い顔をしている。照れを誤魔化すための不機嫌顔なのだ。可愛い。
「れ……れい」
「っ、」
「点とらないようにしなきゃな、今度の試験」
 ずこっと古のコントみたいに前のめりになってしまった。いや、今のは間髪入れずに反応できなかった僕のせいだろう。
 こほん、と咳払いして姿勢を正す。まっすぐ前を向いて歩く。自然を装って会話を続ける。
「心配しなくても、新一くんは0点なんてとらないだろう」
「……そーかもしんないですね」
 僅かに肩を落とした新一くんが、口をへの字にした。ふっと口元が緩んでしまう。
「きみが、レイなんて言うから、名前を呼ばれたのかと思ってドキドキしたよ」
 ちらりと横目で視線を新一くんに送る。新一くんは口を丸くして立ち止まった。
「ねえ、呼んでみてよ。僕のこと、名前で」
 先を歩きたがっているハロには申し訳ないけれど、新一くんを置いていかないように立ち止まった。リードが引っ張られ振り返ったハロは足を止め、その場でお座りをした。えらいぞ。
 新一くんは、立ち尽くしたまま口をぱくぱくさせて、ぎゅっと唇を結ぶと地面を勢いよく踏みしめ、僕との間に開いた距離を一気に詰めた。僕の手からハロのリードを奪って走り出す。
「新、」
「はやく来いよ、置いてくぞ、れ、れいっ!」
 リードをとられた勢いで伸ばした手をそのままに、立ち尽くす。たどたどしく呼ばれた名前が、脳にもゆっくり染み渡ってようやく、身体が動いた。熱くなった顔を押さえ、その場にしゃがみこむ。
「よ、呼び捨て……」
 12も年下の男の子に呼び捨てにされ、胸が激しく脈打つ日がくるとは思わなかった。
 新一くんはいつも僕の予想を飛び越えていく。
「……かわいいな」
 いつも心の中にとどめていた言葉が、たまらずに溢れた。
 顔を覆う手のひらの中で溜息を吐く。走り去って行ったはずの一人と一匹の足音が戻ってきて、ようやく顔をあげた。
「ふ、……零、具合悪いのかよ」
「……いや」
 きらきらした瞳で首を傾げるハロの頭を撫で、立ち上がる。ふらついたふりをして新一くんを思いっきり抱きしめた。「ぎえ!」可愛さの欠片もない悲鳴が腕の中に響く。カチンコチンに固くなった身体を宥めるように背中を撫でると、余計固くなってしまった。
 腕の中を覗き込む。いつのものようにへの字口をしていると思った新一くんは、へにゃりと眉を下げ、迷子になった子犬のような顔をしていた。
 胸が高鳴る。息がするのも苦しいくらいに、心臓が圧迫されていた。
「……好きだよ。僕と付き合ってくれる?」
 あっ、と思った瞬間には、もう言葉が口から零れていた。
 卒業まで待つと決めた僕の理性を殴り壊した新一くんは、固まっている。
 もしかしたら、抱きしめられたことで怖気づいて、否というかもしれない。そんな不安がよぎった。
畳みかけるように、もう一度「好きだ」と伝える。一二〇秒後、新一くんは僅かに首を動かした。縦に動いたのか横に動いたのかは分からなかったけれど、縦に動いたことにして、もう一度新一くんを抱きしめた。
 座ったままじっとしていたハロが、ふあんと小さな欠伸をした。
 ぼんやりしている新一くんの手を引いて、散歩を続行する。

 新一くんが可愛くて、可愛くて、最近はどうしてだか、いたずら心の方も疼いてしまうのだから、困ったものだ。
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