同棲設定
六月の上旬、年下の恋人から悲痛なメッセージが届いた。
――最悪。家中のエアコン全部使えなくなった。
それは大変だね。
そう打とうとした親指を止める。
滅多なことでは自発的な連絡をしてくれない恋人からの突然のメッセージだ。言葉以上の意味があるのかもしれないと思案する。
大体今は未だ六月に入ったばかりで、日中は二十度を越える日はあるものの、夜風は涼しい。新一くんは、日の高いうちは学校等で家を留守にしていることが多いし、今の季節ならば、そんなに困ることはないだろう。
修理費が嵩むのだろうか。
いや、ご両親は海外とはいえあの子は実家暮らしだし、修理代くらいすぐに振り込んでくれるに違いない。もちろん、なんらかの理由でご両親に言えないというのなら、僕が代金を支払ってもいいのだけれど。
……そういえば、感染症の拡大や貿易摩擦などの理由で半導体不足が続いているんだったか。
原因に思い至ったと同時に、新一くんからのメッセージを続けて受信する。
――修理も買い替えも早くても二ヶ月は待ちだって。
――年末に帰ってきた母さんにリビングのエアコン修理に出すように頼まれてたのを、すっかり忘れてた。
――客室は赤井さんが出てった時に変な音がするって言われてたけど、誰も使わねーからそのままでさ、今日業者に電話するのに全室確認したらダメだった。
スマホを強く握りすぎて途中まで打っていた「それは」まで誤送信する。とりあえず「あの男が泊っていたなら、エアコンだって働きたくもなくなるさ」と続けると新一くんから汗をいっぱいかいた黒猫のスタンプが送られてきた。
僕が新一くんにプレゼントしたスタンプだ。
このスタンプを新一くんが押しているのだと考えるだけで、癒される。三日家に帰っていない疲れも溶けていくようだ。
「降谷さん、休憩中に申し訳ありません。急ぎ確認して頂きたい書類があるのですが、よろしいでしょうか?」
手早く新一くんへの返事を打ち込む。
「――ああ、見ようか」
差し出された書類を手に取って、スマホをデスクに伏せた。
山積みの書類と飲みかけの温くなった缶コーヒーに囲まれて、黒猫が目をキラキラ輝かせていた。
『エアコンが直るまで、うちに泊まるかい? きみが熱中症になったら大変だ』
そんな誘い文句で、新一くんは僕との短期間同棲を受け入れた。
警戒心がなさすぎる。短期間でもきみが家にいる生活に味を占めた僕が、簡単にきみを実家に戻すわけがないのに。
のこのこ家までやってきた新一くんは、ボストンバッグを床に置くと、ソファに座り、落ち着かない様子でキョロキョロとリビングを見渡していた。
「どうしたの? この間遊びに来た時となにも変わってないだろ」
「そうなんですけど、でも、今日からここにオレも住むのかって思ったら、なんつーか、そわそわしちまって」
照れくさそうに頬を掻くその姿に、心が浄化されそうだった。
僕までソワソワしてきて、耳が熱くなる。動揺してスマートに渡そうと思った家の合鍵は、胸ポケットから取り損ね、新一くんの股の間に落ちた。
「おっ、と」
「ごめん。わざとじゃない」
鍵を取るのに新一くんが少し足を広げ、自分の股の間に手を突っ込んだ。
本当にわざとじゃない。
新一くんは「ンなの見りゃわかるよ」と言って首を傾げた。
いや、わかってない。わかってないけど、きみはそのままでいてくれた方が、僕が助かる。色々と。
「つーか、早速で悪いんですけど、シャワー借りてもいいですか? 外歩いてきたら暑くてさ」
機嫌良さそうにキーケースに新しい鍵をつけてしまった新一くんは、白いTシャツの襟を摘まんで、パタパタと首元を煽った。
六月二十三日、今日は二十八度の夏日。
重い荷物を運んできたのなら、汗ばんで当然だろう。やはり買い物がてら迎えにいけばよかった。
昨日は、今日の休みをもぎ取るために朝方まで書類仕事をしていて、帰宅したのが朝の七時だった。
新一くんのことだから、今日から僕の家に来るとは言っていたけれど、きっとまだなんの準備もできていない――どころか、最悪約束を忘れているだろうから、仮眠後に工藤邸に赴き準備を急かそうと思っていたのに、朝の十時に「今から行っていいですか?」と連絡が来た。
慌てて十分で支度して迎えに行くと返信すれば、もう家を出たからそのまま家にいろと言いつけられる。家の最寄り駅に迎えに行くのには間に合ったけれど、車で行けばこんなに汗をかかせてしまうこともなかったはずだ。
汗。
煩悩を振り払うため今日の反省点をまとめようと思ったけれど、視線は新一くんの首筋を伝う汗に釘付けだった。
汗を流す新一くんってエロいなあ。
欲望がうるさすぎる。
口内に唾液が溜まる。
「おーい、降谷さん。聞いてるか?」
「あ、ああ……お風呂に浸かるなら入れようか」
「ん、それは夜でいいや。とりあえず早くさっぱりしてえ」
――じゃ、借りるな。
そう言って、新一くんは軽やかにソファから降り、ボストンバックから着替えのシャツなどを取り出して、浴室に向かった。
もう何度か家に連れ込んでいるから、部屋の間取りは今更教えなくても大丈夫なようだ。
新一くんのいなくなったタイミングで生唾を飲み込む。予想通り喉から大きな音が出た。溜息を吐く。
「……年上の余裕なんて、もはや取り繕える気がしないな」
両手で顔を押さえて、もう一度溜息を吐きかけて飲み込んだ。
「あっ、タオル!」
慌てて寝室に飛び込み、クローゼットからふわふわのバスタオルをつかみ取る。
自分で使うのならタオルの肌触りなんて気にしないが、新一くんが使うのならば話は別だ。
今脱衣所には、僕が使っている生地が固くなってしまったタオルしかない。新一くんが使う時のためのふわふわなタオルは別で管理しているのだ。
「新一くん、タオルを――」
つかみ取ったタオルを持ち、脱衣所の扉をノックもせずに開けてしまうと、Tシャツを脱いだばかりの新一くんが瞬きをした。
「あ……ごめん、ノックもせず」
「べつにいいですけど。まだ服も着てるし」
腕からTシャツを抜いた新一くんが僕の方を向く。いや、なんで僕の方を向くんだ。「ん、」と新一くんが僕からタオルを受け取るために手を差し出してるのが見える。でも、僕の視線はそこよりも、違うところに注目して離れなかった。
新一くんは白いTシャツの下に、Vネックの薄いインナーを着ていた。某衣類量販店のロングヒット商品だ。シームレス仕様で吸放湿機能のある薄い生地が特徴的なそれ。僕も色違いで何着か持っている。
つまり、新一くんの上半身を守るものは今、白いスケスケのインナーシャツ一枚だけだということだ。
目を逸らそうと思っても、薄い生地の下で色づく淡いピンク色の乳首が、僕を逃さない。
「あ、このインナー、前に泊まった時に降谷さん貸してくれて、着心地よかったから真似して買っ……」
僕の視線の意味を、新一くんは間違って受け取った。その無垢ささえ、僕を煽ってしまう。
理性がぶちぶちと千切れていく。
新一くんを腕の中に抱きしめ、楽し気な唇を塞いだ。タオルが床に落ちる。
角度を変え何度も口づけをした。鼻を擦り合わせて、もう一度唇を食むと、新一くんがくすぐったそうに笑った。
「なあ」
新一くんがキスの合間に声をかけてきた。なあ、というか「にゃあ」に聞こえるのはきっと僕の耳がどうかしているんだろう。
新一くんの声を聞くために、少し顔を離す。新一くんは、猫みたいに笑って自分のインナーの襟を少しだけ人差し指で引っ張った。
つんと育った乳頭が僅かに見える。
「降谷さんって意外とすけべですよね」
「……きみには負けるかもしれないけどね」
いけない子だ、と耳元で囁いて、浴室の扉を開けた。
これから一緒に生活するのに、格好をつけてばかりもいられない。そう脳内で言い訳をして、珍しくすり寄ってくる新一くんを熱い雨の中で抱きしめた。
どうやら、同棲初日でテンションが上がっているのは僕だけじゃなかったみたいだ。
♡ ♡ ♡
「あっ、つ……」
寝返りを打った新一は、タオルケットをベッドから蹴落とし、僕のうえに腕を広げ、ベッドの上に大の字になった。
汗ばんだ白い腕を退け、ベッド脇に転がっていたエアコンのリモコンを手に取る。
七月に入ってからは猛暑日が続き、夜でも気温は二十五度以下にならない。こんな熱帯夜に新一をエアコンの壊れた家で一人きりにすることにならなくてよかったと思いながら、エアコンの設定温度を二度下げた。昨日は室内温度二十七度でも十分涼しかったのに、今日は随分効きが悪い。
「……もしかして、壊れたわけじゃ、ないよな」
そう言葉に出した瞬間、エアコンが歪な音を立て、動きを止めた。
暑さで寝苦しいのか唸っていた新一が、僕の声に反応して薄っすら目を開ける。
「れ……、」
「新一、エアコンが壊れたかもしれない」
うんともすんとも言わなくなったリモコンをシーツの上に放り投げ、新一の頬を突っついた。
眉間に皺を寄せた新一は、むくっと突然身体を起こし、さっき自分で蹴落としたタオルケットを拾って寝室から出て行った。
リビングの方で、ピッとエアコンを起動させる音がする。
追いかけていくと、新一がソファで丸まって心地よさそうに目を瞑っていた。
「ひどい。僕も一緒に寝かせてくれ」
「あちーからやだ」
つれない恋人だ。
けれどこういう時のために、ソファを大きく幅の広いものに買い替えたのだ。
無理やり新一の背後に身体をねじ込んで新一を抱き込むようにして横たわる。
新一はしばらく文句を言っていたが、冷房が効き部屋が涼しくなると大人しくなった。
「それにしても明日からどうしようか。半導体不足はまだ続いているというし、毎晩ソファで寝るのはきついよな。ホテル生活でもする?」
「零うるせえ……」
あれだけ暑い暑い文句を言っていたのだから、とっくに目が覚めていると思って話しかけたのに、新一は眠かったらしい。悪気はなかったとはいえ安眠を妨害してしまった。
これ以上睡眠の妨害をしないように口を閉ざすと、目を瞑ったままだった新一がふっと笑った。
「……エアコン壊れちまったならさ、オレの実家に泊まれば?」
腕の中を覗き込む。
ぱっちり目を開いた新一が悪戯っぽく目を弧にした。
「客室のエアコンが調子悪いのは本当だけど、あとは全部動くぜ」
――やられた。かわいい。うそつき。
言いたい事が絡まって、うめき声が漏れた。
「新一って時々すごくかわいい」
「は? 同棲するための策をめぐらせただけで、可愛い要素はないだろ」
口の近くにあったこめかみに口をつける。
「時々じゃなくていつもだったね」
微笑むと、新一が小さく唇を尖らせた。
口にキスしろ、の合図だ。
ご両親への挨拶は改めて行うとして、今はまずうちの可愛い新一の期待に応えることにしよう。
――最悪。家中のエアコン全部使えなくなった。
それは大変だね。
そう打とうとした親指を止める。
滅多なことでは自発的な連絡をしてくれない恋人からの突然のメッセージだ。言葉以上の意味があるのかもしれないと思案する。
大体今は未だ六月に入ったばかりで、日中は二十度を越える日はあるものの、夜風は涼しい。新一くんは、日の高いうちは学校等で家を留守にしていることが多いし、今の季節ならば、そんなに困ることはないだろう。
修理費が嵩むのだろうか。
いや、ご両親は海外とはいえあの子は実家暮らしだし、修理代くらいすぐに振り込んでくれるに違いない。もちろん、なんらかの理由でご両親に言えないというのなら、僕が代金を支払ってもいいのだけれど。
……そういえば、感染症の拡大や貿易摩擦などの理由で半導体不足が続いているんだったか。
原因に思い至ったと同時に、新一くんからのメッセージを続けて受信する。
――修理も買い替えも早くても二ヶ月は待ちだって。
――年末に帰ってきた母さんにリビングのエアコン修理に出すように頼まれてたのを、すっかり忘れてた。
――客室は赤井さんが出てった時に変な音がするって言われてたけど、誰も使わねーからそのままでさ、今日業者に電話するのに全室確認したらダメだった。
スマホを強く握りすぎて途中まで打っていた「それは」まで誤送信する。とりあえず「あの男が泊っていたなら、エアコンだって働きたくもなくなるさ」と続けると新一くんから汗をいっぱいかいた黒猫のスタンプが送られてきた。
僕が新一くんにプレゼントしたスタンプだ。
このスタンプを新一くんが押しているのだと考えるだけで、癒される。三日家に帰っていない疲れも溶けていくようだ。
「降谷さん、休憩中に申し訳ありません。急ぎ確認して頂きたい書類があるのですが、よろしいでしょうか?」
手早く新一くんへの返事を打ち込む。
「――ああ、見ようか」
差し出された書類を手に取って、スマホをデスクに伏せた。
山積みの書類と飲みかけの温くなった缶コーヒーに囲まれて、黒猫が目をキラキラ輝かせていた。
『エアコンが直るまで、うちに泊まるかい? きみが熱中症になったら大変だ』
そんな誘い文句で、新一くんは僕との短期間同棲を受け入れた。
警戒心がなさすぎる。短期間でもきみが家にいる生活に味を占めた僕が、簡単にきみを実家に戻すわけがないのに。
のこのこ家までやってきた新一くんは、ボストンバッグを床に置くと、ソファに座り、落ち着かない様子でキョロキョロとリビングを見渡していた。
「どうしたの? この間遊びに来た時となにも変わってないだろ」
「そうなんですけど、でも、今日からここにオレも住むのかって思ったら、なんつーか、そわそわしちまって」
照れくさそうに頬を掻くその姿に、心が浄化されそうだった。
僕までソワソワしてきて、耳が熱くなる。動揺してスマートに渡そうと思った家の合鍵は、胸ポケットから取り損ね、新一くんの股の間に落ちた。
「おっ、と」
「ごめん。わざとじゃない」
鍵を取るのに新一くんが少し足を広げ、自分の股の間に手を突っ込んだ。
本当にわざとじゃない。
新一くんは「ンなの見りゃわかるよ」と言って首を傾げた。
いや、わかってない。わかってないけど、きみはそのままでいてくれた方が、僕が助かる。色々と。
「つーか、早速で悪いんですけど、シャワー借りてもいいですか? 外歩いてきたら暑くてさ」
機嫌良さそうにキーケースに新しい鍵をつけてしまった新一くんは、白いTシャツの襟を摘まんで、パタパタと首元を煽った。
六月二十三日、今日は二十八度の夏日。
重い荷物を運んできたのなら、汗ばんで当然だろう。やはり買い物がてら迎えにいけばよかった。
昨日は、今日の休みをもぎ取るために朝方まで書類仕事をしていて、帰宅したのが朝の七時だった。
新一くんのことだから、今日から僕の家に来るとは言っていたけれど、きっとまだなんの準備もできていない――どころか、最悪約束を忘れているだろうから、仮眠後に工藤邸に赴き準備を急かそうと思っていたのに、朝の十時に「今から行っていいですか?」と連絡が来た。
慌てて十分で支度して迎えに行くと返信すれば、もう家を出たからそのまま家にいろと言いつけられる。家の最寄り駅に迎えに行くのには間に合ったけれど、車で行けばこんなに汗をかかせてしまうこともなかったはずだ。
汗。
煩悩を振り払うため今日の反省点をまとめようと思ったけれど、視線は新一くんの首筋を伝う汗に釘付けだった。
汗を流す新一くんってエロいなあ。
欲望がうるさすぎる。
口内に唾液が溜まる。
「おーい、降谷さん。聞いてるか?」
「あ、ああ……お風呂に浸かるなら入れようか」
「ん、それは夜でいいや。とりあえず早くさっぱりしてえ」
――じゃ、借りるな。
そう言って、新一くんは軽やかにソファから降り、ボストンバックから着替えのシャツなどを取り出して、浴室に向かった。
もう何度か家に連れ込んでいるから、部屋の間取りは今更教えなくても大丈夫なようだ。
新一くんのいなくなったタイミングで生唾を飲み込む。予想通り喉から大きな音が出た。溜息を吐く。
「……年上の余裕なんて、もはや取り繕える気がしないな」
両手で顔を押さえて、もう一度溜息を吐きかけて飲み込んだ。
「あっ、タオル!」
慌てて寝室に飛び込み、クローゼットからふわふわのバスタオルをつかみ取る。
自分で使うのならタオルの肌触りなんて気にしないが、新一くんが使うのならば話は別だ。
今脱衣所には、僕が使っている生地が固くなってしまったタオルしかない。新一くんが使う時のためのふわふわなタオルは別で管理しているのだ。
「新一くん、タオルを――」
つかみ取ったタオルを持ち、脱衣所の扉をノックもせずに開けてしまうと、Tシャツを脱いだばかりの新一くんが瞬きをした。
「あ……ごめん、ノックもせず」
「べつにいいですけど。まだ服も着てるし」
腕からTシャツを抜いた新一くんが僕の方を向く。いや、なんで僕の方を向くんだ。「ん、」と新一くんが僕からタオルを受け取るために手を差し出してるのが見える。でも、僕の視線はそこよりも、違うところに注目して離れなかった。
新一くんは白いTシャツの下に、Vネックの薄いインナーを着ていた。某衣類量販店のロングヒット商品だ。シームレス仕様で吸放湿機能のある薄い生地が特徴的なそれ。僕も色違いで何着か持っている。
つまり、新一くんの上半身を守るものは今、白いスケスケのインナーシャツ一枚だけだということだ。
目を逸らそうと思っても、薄い生地の下で色づく淡いピンク色の乳首が、僕を逃さない。
「あ、このインナー、前に泊まった時に降谷さん貸してくれて、着心地よかったから真似して買っ……」
僕の視線の意味を、新一くんは間違って受け取った。その無垢ささえ、僕を煽ってしまう。
理性がぶちぶちと千切れていく。
新一くんを腕の中に抱きしめ、楽し気な唇を塞いだ。タオルが床に落ちる。
角度を変え何度も口づけをした。鼻を擦り合わせて、もう一度唇を食むと、新一くんがくすぐったそうに笑った。
「なあ」
新一くんがキスの合間に声をかけてきた。なあ、というか「にゃあ」に聞こえるのはきっと僕の耳がどうかしているんだろう。
新一くんの声を聞くために、少し顔を離す。新一くんは、猫みたいに笑って自分のインナーの襟を少しだけ人差し指で引っ張った。
つんと育った乳頭が僅かに見える。
「降谷さんって意外とすけべですよね」
「……きみには負けるかもしれないけどね」
いけない子だ、と耳元で囁いて、浴室の扉を開けた。
これから一緒に生活するのに、格好をつけてばかりもいられない。そう脳内で言い訳をして、珍しくすり寄ってくる新一くんを熱い雨の中で抱きしめた。
どうやら、同棲初日でテンションが上がっているのは僕だけじゃなかったみたいだ。
♡ ♡ ♡
「あっ、つ……」
寝返りを打った新一は、タオルケットをベッドから蹴落とし、僕のうえに腕を広げ、ベッドの上に大の字になった。
汗ばんだ白い腕を退け、ベッド脇に転がっていたエアコンのリモコンを手に取る。
七月に入ってからは猛暑日が続き、夜でも気温は二十五度以下にならない。こんな熱帯夜に新一をエアコンの壊れた家で一人きりにすることにならなくてよかったと思いながら、エアコンの設定温度を二度下げた。昨日は室内温度二十七度でも十分涼しかったのに、今日は随分効きが悪い。
「……もしかして、壊れたわけじゃ、ないよな」
そう言葉に出した瞬間、エアコンが歪な音を立て、動きを止めた。
暑さで寝苦しいのか唸っていた新一が、僕の声に反応して薄っすら目を開ける。
「れ……、」
「新一、エアコンが壊れたかもしれない」
うんともすんとも言わなくなったリモコンをシーツの上に放り投げ、新一の頬を突っついた。
眉間に皺を寄せた新一は、むくっと突然身体を起こし、さっき自分で蹴落としたタオルケットを拾って寝室から出て行った。
リビングの方で、ピッとエアコンを起動させる音がする。
追いかけていくと、新一がソファで丸まって心地よさそうに目を瞑っていた。
「ひどい。僕も一緒に寝かせてくれ」
「あちーからやだ」
つれない恋人だ。
けれどこういう時のために、ソファを大きく幅の広いものに買い替えたのだ。
無理やり新一の背後に身体をねじ込んで新一を抱き込むようにして横たわる。
新一はしばらく文句を言っていたが、冷房が効き部屋が涼しくなると大人しくなった。
「それにしても明日からどうしようか。半導体不足はまだ続いているというし、毎晩ソファで寝るのはきついよな。ホテル生活でもする?」
「零うるせえ……」
あれだけ暑い暑い文句を言っていたのだから、とっくに目が覚めていると思って話しかけたのに、新一は眠かったらしい。悪気はなかったとはいえ安眠を妨害してしまった。
これ以上睡眠の妨害をしないように口を閉ざすと、目を瞑ったままだった新一がふっと笑った。
「……エアコン壊れちまったならさ、オレの実家に泊まれば?」
腕の中を覗き込む。
ぱっちり目を開いた新一が悪戯っぽく目を弧にした。
「客室のエアコンが調子悪いのは本当だけど、あとは全部動くぜ」
――やられた。かわいい。うそつき。
言いたい事が絡まって、うめき声が漏れた。
「新一って時々すごくかわいい」
「は? 同棲するための策をめぐらせただけで、可愛い要素はないだろ」
口の近くにあったこめかみに口をつける。
「時々じゃなくていつもだったね」
微笑むと、新一が小さく唇を尖らせた。
口にキスしろ、の合図だ。
ご両親への挨拶は改めて行うとして、今はまずうちの可愛い新一の期待に応えることにしよう。