そのほか
「降谷さん、オレずっと考えてたんですけど」
思いつめた顔をした工藤くんがそう言って、汗をかいたグラスを両手で握った。中のアイスコーヒーはとっくに氷が溶け、水の層ができている。いつもの工藤くんなら、僕の淹れたアイスコーヒーは氷が溶けだす前に飲み切ってくれるから油断していた。
次は氷コーヒーでも作っておくか。
「降谷さん、ちゃんと聞いてんのかよ」
「ああ、聞いているよ。どうぞ続けて」
返事をしなかったら、新一くんが拗ねた。小さく唇を尖らせ、上目遣いで対面に座る僕を睨んでくる。
今、僕ときみの間を隔てるこのダイニングテーブルが無ければ、唇を塞がれていたとも知らないで。
今日は工藤くんとの一ヵ月ぶりのデートだった。
去年の春、高校卒業と同時に工藤くんからの告白で付き合いをはじめた僕らは、大体月に一、二度のペースで逢瀬を重ねている。
成人年齢が引き下げられたとはいえ、工藤くんはまだ十代。清く正しい――とは言い切れないが、キスは触れるだけ、身体は服の上から撫でるだけといったような健全の範囲内にある付き合い方をしている。
もっとも、考えなし――いや、怖いもの知らずの工藤くんにとって、この付き合い方は満足のいくようなものではないようで、あの手この手を使っていつも僕を誘惑しようとしているのだけれど。
誘惑されるのが嫌ならば自宅になんて連れて来なければいいものを、誘いには乗れないとはいえ、僕を誘惑する工藤くんを見ておきたいという欲に抗う気にもなれず、ついデート帰りには自宅に工藤くんを連れこんでしまう。ひどく我慢を強いられる時間になるのはわかりきっているのに。
きっと、十日後にはもう、工藤くんが僕を誘惑することなんてなくなってしまうはずだから。
今日も僕に手を出させる手段を考えてきたに違いないと思った工藤くんは、珍しくイスに座って大人しくしている。
これも作戦のうちだろうか。押して駄目なら引いてみろという古典的な手法が脳裏をよぎる。
「あのさあ、オレたちって、もしかしてマンネリってやつじゃねーのかな」
言いにくそうに口を閉じたり開いてたりしていた工藤くんがようやくそう声に出した。
グラスを握る手に力が入る。手の中で危険な音が聞こえ、慌ててグラスから手を離した。
「どういうこと」
口調は柔らかくを心がけたのに、温度のない尖った声が漏れた。
工藤くんはグラスを見つめたまま目を伏せる。長い睫毛が目元に影を作り、憂いを帯びたように見えるその顔に、一瞬で腹の中に溜まった淀が解消されるような気がした。
「だって、最近あんま降谷さんといてもドキドキしねーし……むしろ、安心するっつーか? それに、先週なんて降谷さんと女の人が手を繋いで歩いてるの見たけど、嫉妬もしなかったんですよね……これってマンネリだろ」
俯いていた工藤くんが視線をあげ、ちらりと僕を見た。
その美しい瞳がみるみるうちに見開かれて、工藤くんは口をあけたまま固まる。
僕は今、どんな顔をしているのだろうか。
黙って席を立ち、座っている工藤くんの背後に回り、緊張して固くなっている身体を後ろから抱きしめた。僕の腕に閉じ込めた工藤くんは、小さく身体を跳ねさせる。
真っ白な肌がじわじわピンク色に染まっていく。
ほっとして思わず零れた吐息が、工藤くんの耳にかかったようで、ぷるっと子犬のように震えた工藤くんは姿勢をまっすぐに正した。
「……誰が、誰に、ドキドキしないって?」
工藤くんがうなる。
茹でたこみたいな耳たぶを食んで、息を吹きかける。そうして虐めていると、工藤くんが蚊の鳴くような声で「嘘です!」と白状した。
「相変わらず嘘つきだな、きみは」
悔しそうに吊り上がった勝気な瞳が、横目で僕を睨んでくる。
「こういう嘘はダメだよ。狭量な僕を虐めないでくれ」
「どっちが……」
宥めるように目尻にキスをする。呆れ気味に溜息をついた工藤くんが指で自分の唇を二回叩いた。その指示に従い、唇を押し付ける。
工藤くんの唇は、あたたかくてやわらかくて、きもちいい。できるならずっと唇を触れ合わせていたくなる。
深めたい唇をぐっと堪え、三度触れて離れようとすると、工藤くんが僕の唇を舐めてきた。
「こら。我慢できなくなるからやめなさい」
「いやです。嘘って言っただろ? オレを嫉妬させる悪い大人にはお仕置きしねーとな」
僕の首に腕を回し、立ち上がった工藤くんが腕の中に飛び込んでくる。そんな彼を突き飛ばせるはずもなく、そのまま抱きしめるしかない。ちゃっかり工藤くんの腰に回った僕の手は、しなやかな腰を撫でてしまっていた。
工藤くんが悩まし気な吐息をもらす。そして、自分のその声に驚いたようで一瞬で頬を発火させ、僕の胸に顔を押し付けて顔を隠そうとする。
……がっつり誘いに来られるよりも、こういう初心な反応に弱いんだ僕は。
自身の性癖を工藤くんに意図せずに暴かれた僕は、生唾を飲み込んだ。
「……十日なんて、誤差の範囲内だろ」
悪い大人にお仕置きしようと企む無謀な小悪魔が囁いた。
自分がこれからどんな目にあうのかもしらないくせに。
思いつめた顔をした工藤くんがそう言って、汗をかいたグラスを両手で握った。中のアイスコーヒーはとっくに氷が溶け、水の層ができている。いつもの工藤くんなら、僕の淹れたアイスコーヒーは氷が溶けだす前に飲み切ってくれるから油断していた。
次は氷コーヒーでも作っておくか。
「降谷さん、ちゃんと聞いてんのかよ」
「ああ、聞いているよ。どうぞ続けて」
返事をしなかったら、新一くんが拗ねた。小さく唇を尖らせ、上目遣いで対面に座る僕を睨んでくる。
今、僕ときみの間を隔てるこのダイニングテーブルが無ければ、唇を塞がれていたとも知らないで。
今日は工藤くんとの一ヵ月ぶりのデートだった。
去年の春、高校卒業と同時に工藤くんからの告白で付き合いをはじめた僕らは、大体月に一、二度のペースで逢瀬を重ねている。
成人年齢が引き下げられたとはいえ、工藤くんはまだ十代。清く正しい――とは言い切れないが、キスは触れるだけ、身体は服の上から撫でるだけといったような健全の範囲内にある付き合い方をしている。
もっとも、考えなし――いや、怖いもの知らずの工藤くんにとって、この付き合い方は満足のいくようなものではないようで、あの手この手を使っていつも僕を誘惑しようとしているのだけれど。
誘惑されるのが嫌ならば自宅になんて連れて来なければいいものを、誘いには乗れないとはいえ、僕を誘惑する工藤くんを見ておきたいという欲に抗う気にもなれず、ついデート帰りには自宅に工藤くんを連れこんでしまう。ひどく我慢を強いられる時間になるのはわかりきっているのに。
きっと、十日後にはもう、工藤くんが僕を誘惑することなんてなくなってしまうはずだから。
今日も僕に手を出させる手段を考えてきたに違いないと思った工藤くんは、珍しくイスに座って大人しくしている。
これも作戦のうちだろうか。押して駄目なら引いてみろという古典的な手法が脳裏をよぎる。
「あのさあ、オレたちって、もしかしてマンネリってやつじゃねーのかな」
言いにくそうに口を閉じたり開いてたりしていた工藤くんがようやくそう声に出した。
グラスを握る手に力が入る。手の中で危険な音が聞こえ、慌ててグラスから手を離した。
「どういうこと」
口調は柔らかくを心がけたのに、温度のない尖った声が漏れた。
工藤くんはグラスを見つめたまま目を伏せる。長い睫毛が目元に影を作り、憂いを帯びたように見えるその顔に、一瞬で腹の中に溜まった淀が解消されるような気がした。
「だって、最近あんま降谷さんといてもドキドキしねーし……むしろ、安心するっつーか? それに、先週なんて降谷さんと女の人が手を繋いで歩いてるの見たけど、嫉妬もしなかったんですよね……これってマンネリだろ」
俯いていた工藤くんが視線をあげ、ちらりと僕を見た。
その美しい瞳がみるみるうちに見開かれて、工藤くんは口をあけたまま固まる。
僕は今、どんな顔をしているのだろうか。
黙って席を立ち、座っている工藤くんの背後に回り、緊張して固くなっている身体を後ろから抱きしめた。僕の腕に閉じ込めた工藤くんは、小さく身体を跳ねさせる。
真っ白な肌がじわじわピンク色に染まっていく。
ほっとして思わず零れた吐息が、工藤くんの耳にかかったようで、ぷるっと子犬のように震えた工藤くんは姿勢をまっすぐに正した。
「……誰が、誰に、ドキドキしないって?」
工藤くんがうなる。
茹でたこみたいな耳たぶを食んで、息を吹きかける。そうして虐めていると、工藤くんが蚊の鳴くような声で「嘘です!」と白状した。
「相変わらず嘘つきだな、きみは」
悔しそうに吊り上がった勝気な瞳が、横目で僕を睨んでくる。
「こういう嘘はダメだよ。狭量な僕を虐めないでくれ」
「どっちが……」
宥めるように目尻にキスをする。呆れ気味に溜息をついた工藤くんが指で自分の唇を二回叩いた。その指示に従い、唇を押し付ける。
工藤くんの唇は、あたたかくてやわらかくて、きもちいい。できるならずっと唇を触れ合わせていたくなる。
深めたい唇をぐっと堪え、三度触れて離れようとすると、工藤くんが僕の唇を舐めてきた。
「こら。我慢できなくなるからやめなさい」
「いやです。嘘って言っただろ? オレを嫉妬させる悪い大人にはお仕置きしねーとな」
僕の首に腕を回し、立ち上がった工藤くんが腕の中に飛び込んでくる。そんな彼を突き飛ばせるはずもなく、そのまま抱きしめるしかない。ちゃっかり工藤くんの腰に回った僕の手は、しなやかな腰を撫でてしまっていた。
工藤くんが悩まし気な吐息をもらす。そして、自分のその声に驚いたようで一瞬で頬を発火させ、僕の胸に顔を押し付けて顔を隠そうとする。
……がっつり誘いに来られるよりも、こういう初心な反応に弱いんだ僕は。
自身の性癖を工藤くんに意図せずに暴かれた僕は、生唾を飲み込んだ。
「……十日なんて、誤差の範囲内だろ」
悪い大人にお仕置きしようと企む無謀な小悪魔が囁いた。
自分がこれからどんな目にあうのかもしらないくせに。