同棲設定

 二十畳のリビングに、食器棚と本棚が二つずつ所在なさげに壁面を埋めていた。
 運び込まれたばかりのダイニングテーブルのセットに、恋人と膝を突き合わせて座る。
 テーブルの上には新品の電気ポットと、ブルー、イエロー、グレー、ホワイトのマグカップが並ぶ。それと、コンビニの袋に入ったサンドイッチやおにぎり。
 ここには二人しかいないのに、マグカップ四つにそれぞれドリップコーヒーが注がれていた。
 お互いに持ち込んだペアマグカップで同棲初日、初めての朝食をとることを譲らなかったからだ。
 降谷さんがイエローのマグカップに口をつけたのを確認して、オレは降谷さんが用意したホワイトのマグカップを手に取った。
 息を吹きかけて、湯気の立ったコーヒーを冷ます。
 降谷さんは、マグカップをテーブルに戻し、視線をリビング中央のガランとした空間に向けた。
「どうして、」
 降谷さんが呟いた。
 どうしてこんなことになってしまったのか。
 そう問うのなら、間違いなく原因は、忙しすぎたことにある。お互いに。
「どうして、きみが食器棚を買ったんだ? しかもあんなに大きい」
 降谷さんの視線が、百八十センチはある収納力抜群の白い食器棚を捉えて眉を下げた。
「だって、降谷さん電話で『食器棚は……』って言ってる途中で、人に呼ばれて電話切っただろ。いつも使うものだから、オレに選んで欲しいのかと思って」
 手で顔を覆った降谷さんを視界の端にとらえながら、縦にも横にもでかい食器棚の隣に置かれた、レンジ台付きの食器棚を眺めた。
 高さはオレが選んだのと同じくらいあるけど、幅はその半分くらいしかない。もし降谷さんが食器棚を買わなかったとしても、オレの選択が間違っていたことがわかる。
「降谷さん家で夕飯御馳走になった時、いろんなデカい皿があったから、これくらいあったらいいかなと思ったんだけど」
「大きな皿は、引っ越すときに処分してしまったんだ」
 降谷さんが肩を竦めた。
「……降谷さんこそどうして、オレの部屋に置く本棚まで買ってんだよ」
 カーテンのない窓から差し込む朝日を浴びるのは、オレが買った食器棚の幅二つ分のデカい本棚。ちなみにオレが買ったのは食器棚と同じくらいのサイズの本棚だ。
 朝日のあまりの眩しさで目を細める。
「だって、新一くん電話の途中で『本棚をまだ注文してなくて……あ、ワリ……またあとで電話するな!』って言っていただろう。君の部屋で、一番面積をとるであろう本棚の手配を僕に任せてくれるなんて光栄だと思って浮かれてしまった」
 語尾に向かって小さくなっていく声が新鮮で、咄嗟に俯き、眉間を押さえるふりをして、顔を隠した。
「きみの実家の蔵書量から、これでもまだ小さいかなって思っていたんだけど」
「本はほとんど電子書籍に切り替えて、お気に入り以外は置いてきたんですよね」
 沈黙が、一拍。二拍、三泊。
 くっ、と笑いを噛み損ねたのはオレが先だった。肩を揺らしたのは降谷さんが先。くはっ、と堪らずに笑い声を漏らしてしまう。ほぼ同時に、笑い声が重なった。
「もうやめてくれ……」
 腹を押さえた降谷さんが笑い声に負けて声を震わせた。
「オレだってもう嫌ですよ! なんで……、」
 目尻にたまった涙を指で拭う。
「ベッドも食器棚も本棚も二つずつあるのに、カーテンもソファもテレビもないのかって?」
 一瞬まじめぶった顔をした降谷さんは、すぐに相好を崩した。
「はじめてのことだらけで上手くいかないな」
 今オレたちの間にテーブルが無かったら、降谷さんのことを抱きしめていたかもしれない。
 普段隙の無い男が見せる頼りなさに、胸がギュンギュン伸縮を繰り返す。
「とりあえずオレが選んだ食器棚と本棚、貰ってくれる人がいないか知り合いに聞いてみますね」
 心拍数の変化に気付かれないよう平然を装って、テーブルに転がったサンドイッチを手に取った。
「その必要はないよ」
 降谷さんは昆布のおにぎりを手に取って、ぺりぺりと上手に袋を剥がしていく。
「調味料や食材のストックを並べるのに、僕が選んだものだと少し小さいかなと思っていたんだ。それにやっぱり、料理に合わせてお皿も変えたいし、僕のときみの両方あって丁度いいさ。本棚もひとつはリビングに置こう。僕も使うからさ」
 サンドイッチとだらしなく緩む頬を同時に噛む。
「じゃあ、降谷さんが選んでくれたやつ、オレの部屋に置きます。本当はもっと紙媒体で置きたい本があったから助かる」
 ふっ、と同時に笑った。
 オレたちって結構似ているところがあるのかもしれない。
 冷めたマグカップ二つ分のコーヒーを飲み切って、家具を買い足しに行くために着替えようと席を立った。
でも、まずはガスの開栓が先だな。昨日みたいに真夜中、風呂に入れねえのは困るから。

 二人の家に、インターホンが鳴り響く。
 なんだかそれが祝福の鐘のように聞こえた。
 ……オレも降谷さんに負けず劣らず浮かれているみたいだ。
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