パラレルいろいろ



「また浮気してきた……」
 僕の家族は、大変やきもち焼きだ。

 僕の三日ぶりの帰宅を、リビングのソファで横になって出迎えてくれた新一は、ピンと立てていた尻尾をぶらりと下に垂らし、じっとりと恨めし気な瞳で僕を睨んできた。

 猫の獣人である新一は、人間よりも遥に優れた嗅覚を持つ。
 そのため、こうして僕の帰宅と同時に僕に纏わりつく臭いを嗅ぎ取り、機嫌を損ねてしまうことが多々あった。帰宅前にシャワーを浴びたり消臭スプレーを使ったりもしたけれど、最近はやましいことはないのだし、新一だって僕が本気で浮気すると考えているわけではなさそうなので、そのまま帰宅して新一に臭いを付け替えてもらうことにしている。

「ただいま、新一」
 今日も新一が僕の浮気を言及する理由には、心当たりがあった。
 下手な弁明をせずに、新一の座るソファに腰を下ろす。新一は体を起こし、僕の膝に手をついた。そのままクンクンと僕の首元で鼻をひくつかせ、こめかみを擦り付けてくる。
 濡羽色の手触りの良い髪が首にかかってくすぐったかった。
 可愛すぎる愛情表現に、口元がどんなに頑張っても緩んでしまう。

 こんな顔はとても新一以外には見せられないな。

 四つん這いになっている新一の腰を抱き、ゆっくり撫でた。
「ったく、どこのメスネコの臭いつけてきてんだよ」
 言葉だけ聞くとまだ機嫌は治っていなさそうだけれど、素直な喉はゴロゴロ鳴っている。
 たまらずに細身の体を力一杯抱きしめた。僕の腕の中にすっぽり収まってしまった新一は、蛙がつぶれたような声を出して「ギブ! ギブ!」と叫んだ。少しだけ腕の力を緩め、新一の顔を覗き込む。
 こんなスキンシップも、もっと激しい営みも、数えきれないほどしているのに、新一はすぐに白い肌を林檎色に染め上げてしまう。そんなところが美味しそうで堪らない。きゅっと釣り上がった目尻を味見して、それからさくら色の甘い唇に触れた。
「こんなにきみにメロメロで、浮気なんてできるはずがないよ」
「メっ、てな……、なん……騙されねえからな! こっちには証拠があるんだ!」
 そう言って新一は僕のスラックスについていた白い毛を摘み上げた。
 家に入るまえに全身を払ったけれど、まだついていたらしい。
 その白い毛は、マンションの駐車場にいた白い子猫の毛だ。名前はモモちゃん。
 近くに住んでいる老夫婦が飼っている猫で、たびたび家を抜け出してこの辺りをうろついているのを見かける。マンションの駐車場に入り込んでしまうことも何度かあって、そのまま放っておくのも危ないので、見つけた時は老夫婦の元に届けることにしていた。今夜もモモちゃんを送ってから帰ってきたせいで、新一に浮気疑惑をかけられたというわけだ。
「最近いっつも同じ臭いさせてくるし……どうせオレの真っ黒な毛に飽きて、白いフワフワの毛を堪能してんだろ」
「相変わらずこういう方面では自慢の推理力も形なしだな」

 肩を下げ、がっかりだよというポーズをとる。
 それからモモちゃんのことを説明すると、新一はようやく溜飲を下げ、僕から離れようとした。
 新一は気分屋だから、こうしていつも僕を煽るだけ煽り、自分が興味を失うとさっさと一人の時間を満喫しようとする。
 そうは問屋が卸すか。
 新一が腕の中から抜け出さないようにもう一度力をこめ、顔を近づけると、真っ白な手のひらが控えめに割って入ってきた。
「どけて」
 ぺろりと手のひらを舐める。新一はびくりと体を跳ねさせ慌てて手のひらを引っ込めた。
 これは嫌がっているわけではなく、照れているだけだから押せばイけるし、押して欲しがっているに違いない反応だ。
「三日振りなんだ。もっと新一のこと可愛がらせて欲しいな」
 ソファとクッションの間に手を突っ込み、目的のものを指で引っ掛け取りだした。
 リンと涼やかな音が室内に鳴り響く。
 僕の手が握ったのは、金色の鈴がついた黒い細めのチョーカー。それを見て、新一くんはこくりと喉を上下させた。

 このチョーカーは初めて新一に発情期がきた時に、僕がプレゼントしたものだ。
 小さな頃は、しょっちゅう迷子……というか一人で行方不明になったり誘拐されたりとトラブルに巻き込まれることが多かった新一は、防犯のためGPSと小型カメラ付きのチョーカーをつけられていた。
 その姿がひどく印象に残っていて、成長した新一がチョーカーをつけた姿も見たいと思ってしまったのだ。
 プレゼントを受け取ってくれた新一は、僕のいない時にだけこっそりそのチョーカーをつけているようだった。今日も僕が帰ってきたから慌ててチョーカーを外し、クッションの下に隠したのだろう。玄関まで微かに鈴の音が聞こえていた。

 曝け出された艶めかしい首に、チョーカーを巻き付ける。ついでに、ぽこりと隆起した喉仏に噛み付いた。
 甘い声が鼓膜を揺らす。
「れいはオレのだから」
 新一が小さく舌を出し、僕の額を舐めた。
 
 僕の愛しい家族は、今日も暴力的な可愛さで僕の理性を奪っていく。


 ♡

 にゃあ。

 小さな声で呼びかけられて、足元に視線を落とした。
「また抜け出してきたのかい?」
 白猫のモモちゃんは、僕に近づくとぴょんっと前足を僕の足に置いて身体を縦に伸ばした。
 そこでモモちゃんが求めているものに気づき、スーツの裾に手を伸ばした。スーツの裾には、艶々とした真っ直ぐな黒い毛が引っかかっていた。新一の三角耳か尻尾の毛だ。
 家を出る時、新一にコロコロをかけてもらったのに、取りきれなかったらしい。
 とりあえずそれをポケットに突っ込み、モモちゃんを抱き上げた。
「危ないからここに来てはダメだと言っただろう? 何度やって来ても僕の新一には会わせてあげないよ」
 新一は僕の浮気を疑ったけれど、モモちゃんの目的はたぶん新一だ。
 猫の言葉がわかるわけではないけれど、モモちゃんは僕に染みついた新一の匂いに惹かれてここにやってくるのだと思う。これは数々の恋敵を持つ僕の直感だけれど。
 人差し指で、モモちゃんの耳の付け根を撫でようとした瞬間、背中に鋭い視線が突き刺さる。
 振り返ると、全身の毛を逆立て、こちらを威嚇している新一がいた。 
「嫌な予感がすると思ったら……現行犯!」
 肩を怒らせた新一が大股で僕に近づき、ネクタイを引っ張った。
 顔と顔がぶつかる。ガツンと歯がぶつかって甘い痛みを味わう。
「……っ、この人、オレのだから!」
 今日も絶好調なやきもち焼きに胸が締め付けられ、新一の頬を両手で掴んで唇を食んだ。
 モモちゃんは、やってられないとばかりに大きなあくびをして、駐車場から去っていく。
 
 きっと僕たち、やきもち焼き同士お似合いだと思われたのかもしれないな。

 
5/8ページ
スキ