そのほか
「ごめんなさいね、工藤さん」
黄色い規制線の内側、高木刑事の隣で所在なさげに立っていた大家さんがオレを見つけて困ったように眉を下げた。
その表情で、全てを察する。
ヴィラ米花203号室。そこが今日の事件現場だ。
その部屋の住人である男性が包丁で腹部を刺され、部屋で死亡しているのが見つかった。死亡推定時刻は午前四時。遺体の第一発見者は、夕方に男と会う約束をしていた恋人の女性だった。
ヴィラ米花202号室。なにを隠そう、そこがオレの現在住んでいる家だ。まだ引っ越してきて一月半しか経ってねーけど。
もちろん事件現場となった部屋の隣に住むオレも事情聴取の対象で、帰宅したオレの顔を見た目暮警部は憐れみの籠った目でオレを見つめ「また工藤くんの家かね」と呟いた。オレだってこんな「また」はもうそろそろ遠慮したかった。
昨日は帝都ホテルに恋人と泊まっていたため、アリバイが証明できるオレは容疑者から外れ、そのままいつも通り捜査に協力することになった。
結論から言うと、犯人は第一発見者でもある被害者の恋人だった。恋人の浮気相手に罪を擦りつけようと色々小細工をしていたけれど、不自然な点が多く、指摘するとすぐに罪を認め、おとなしく佐藤刑事に手錠をかけられた。
そんな半日の出来事を思い返して、大家さんの前に立つ。
大家さんは視線を右下に落とし、オレと目を合わせないようにして喋り出した。いつもにこにこと親切に接してくれていたのに、そんな態度をとらせてしまうことが申し訳ない。
「工藤さんが悪くないってことはわかってるの。でも、今回の件で、他の住人に工藤さんが住んでいることがバレてしまって……、また事件が起きるんじゃないか不安だって言われると私も生活がかかっているから……申し訳ないんだけど、」
「わかりました。すぐに荷物をまとめますね」
これ以上気を使わせないために、できるだけ明るい口調で笑ってみせた。
「今までありがとうございました。荷物をまとめるので二、三日時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、それはもちろん! 今月末までは住んでもらって構わないから」
ほっと息を吐いた大家さんの横で、高木刑事が心配そうにオレを見ていた。
♡
「うわ、本当にまた引っ越すんだね」
段ボールに囲まれた部屋でスマホを放り出し、大の字で寝っ転がっていると、呑気な声が玄関から聞こえてきた。寝返りを打って玄関に視線を向ける。
グレーのスーツを着た降谷さんが、狭い廊下に積まれた段ボールを避けながら部屋にたどりついたところだった。
「荷解きしてなくてよかっただろ」
「自虐的だね」
降谷さんは半笑いでオレの腹の上に白いビニール袋を落とした。腹の上が温かくなる。
「台所が使えないと思って、お弁当を買ってきた」
「サンキュー。腹へってたんだ」
大事にビニール袋を抱えて、起き上がる。テーブルの上にビニールから出した唐揚げ弁当と、生姜焼き竜田弁当におにぎり二つを並べた。
「オレからあげ」
降谷さんの前に残りの弁当とおにぎり二つを差し出して、からあげ弁当の蓋をあけると、ほかほかの湯気がたった。唐揚げを口にする。空腹に塩分が染みた。
どうせなら降谷さんの作ったメシがよかったけど差し入れに贅沢は言わない。
「引越し作業を手伝おうと思ってきたんだけど、ほとんどすることがなさそうだな」
「なんせまだ引っ越してきて一月半ですからね……」
降谷さんの瞳も、目暮警部や高木刑事と同じ憐れみに満ちた。
「その前も二ヶ月ほどだったね。たしか、隣に誘拐犯が住んでいたんだっけ」
返事をしないで、からあげを飲み込む。
「さらに前は、半年で放火被害だったかな」
「それは一年前に住んでたところ。三ヶ月半前は親族間の怨恨による殺人事件。ちなみに放火のまえは、殺人殺人自殺……」
思い返してため息をつく。
実家を出て一人暮らしを初めてから約三年。オレが住む建物でなんらかの事件が起きることが続いている。その度、今日みたいに大家や不動産会社からやんわりと引越しを打診され、そのまま居つくほどの神経の図太さもなく、短期間で引越す日々だ。
東都の不動産業界では、オレが住む場所は事故物件になる可能性が高いという注意喚起でも回されているのか、引越し先を探しに不動産屋を訪ねても紹介できる物件はないと断られてしまうようになった。アプリで探してもそうだ。このアパートは、元依頼人の紹介でようやくみつけた住処だったのに。
……さすがにもう次が見つかる気がしない。
もう一度深いため息を吐いた。降谷さんは、虚空を見つめ頬をかいた。
「……次のデートはお祓いにいこうか」
「不動産巡りに付き合えよ。東都はだめでも、神奈川とか千葉、埼玉なら見つかるかもしんねーだろ」
「首都圏は無理だろ」
降谷さんはさらりとオレの希望を打ち砕いて、弁当に食らいついた。
「そもそもどうして一人暮らしをしたいんだ? ご両親はロスだし、実家暮らしだって一人暮らしみたいなものじゃないか」
「だって……」
冷えてきたご飯を口にふくんで飲み込む。ちらりと降谷さんに視線をやって、さっとからあげに視線をもどした。
「降谷さんが、実家じゃシねえから」
「うん?」
「……アンタのこと連れ込んで、そういうことができねえっつってんの」
テーブルの下、足を伸ばして降谷さんの胡座をかいた膝を蹴っ飛ばす。降谷さんが、蒸せてげほごほ咳き込んだ。
顔を真っ赤にしてあまりにも苦しそうで、慌てて台所でコップに水を汲んで持ってくる。降谷さんは水道水を一気に煽ると、赤い顔をしたままテーブルに手をついて身を乗り出してきた。
「僕のために、一人暮らししてたの? 自立心を養いたかったわけでなく?」
「そーだよ。中学の時からほぼ一人暮らしだし、自立心なんて今更養わなくてもあるだろ」
「あるかどうかは置いておくけど、そうか。そうなんだ……」
「あるかどうかは置いておくってどういうことだよ。言いたいことがあんなら聞きますけど?」
喧嘩を売られている気がして、割り箸をテーブルに叩きつけ腕を組んだ。
「言いたいことはある。ずっと機会を見計らっていたんだ」
そんなにずっと言いたかった小言ってなんだ?
ぶすっと下唇を尖らし不機嫌を全面に押し出すと、降谷さんはオレの隣に移動して、ぎゅっと手を握ってきた。
「養わさせてくれ」
「……は?」
「間違えた。一緒に暮らさないか」
降谷さんが目尻を下げて小首をかしげた。「一緒に暮らさないか」その意味を頭で理解するより早く、降谷さんの手を逃さないように握りかえす。
「もしかしたら事故物件になっちゃうかもしんねーけど、いい?」
「きみが住んでいたような治安が悪くてセキュリティもザルな家じゃないからきっと大丈夫だよ。だけど、もしそうなったら、どこか辺鄙なところに土地を買って家を建てよう」
一言多い気がするけど、そこは目を瞑って降谷さんに飛びついた。床に押し倒して抱きつくと、すぐに転がされ、降谷さんが上になる。
「……この家でするの、壁が薄くてきみの声が筒抜けになるだろうから嫌だったんだ。とりあえず荷物は後日、今日はきみだけ引っ越しておいで」
触れ合うだけのキスをして、降谷さんに引っ張り起こされた。
残りの弁当を胃のなかに片付けてから、一人で暮らしていたヴィラ米花202号室の鍵を閉める。
今、この瞬間から、オレと降谷さんは、二人暮らしだ。