同棲設定

「ただいま」
 ――おかえり、零。

 マンションの前で部屋に電気がついているのを確認した時から、恋人がそう出迎えてくれる声を期待していたけれど、残念ながら今日は返事がない日のようだ。
 玄関まで出迎えにやってきてくれたハロの頭を撫で、煌々とした光が溢れるリビングへ足を向ける。
 リビングの扉はハロが出入りしていたから開けっ放しになっていた。
 エアコンの冷たい風が、ひんやりと頬を撫でる。
「……設定温度が低すぎじゃないか?」
 壁に取り付けられているエアコンのリモコンを見ると、二十五度になっていた。とりあえず二度温度をあげる。エアコンは稼働音を下げた。

 リビングの入口に背を向けるように設置されているソファを覗き込むと、タオルケットに包まれた新一くんが黙々と分厚い文庫本を読んでいた。
「ただいま、新一」
「おー……」
 声をかけても、視線は一向に文字列から離れない。生返事が返ってきたけれど、完全に僕のことは意識の外だ。
『首切り男―四方館の殺人事件―』
 間違いなくミステリー小説だとわかるタイトルの本に、肩を落とす。 
 これは絶対読み終わるまで、相手にしてくれないだろう。残りのページ数は、まだ百ページ以上ありそうだった。
 ここは一度撤退しよう。
 先に風呂と腹ごしらえをすませれば、その頃には、新一くんの読書も終わっているはずだ。



 僕がシャワーを済ませ、冷蔵庫の残り物でチャーハンを作って食べ終わったあとも、新一くんは最初と同じ姿勢でブランケットだけを足もとに落とし、本を読み続けていた。

 タンマツでニュースのチェックでもしようかとソファの前に胡坐をかく。ハロが膝の上に乗ってきた。
 僕が帰宅したことを喜んで、相手をしてくれるのは、今のところきみだけのようだ。
 ハロは、ころんと仰向けになり、お腹を差し出してくる。
 誘われるがまま、手のひらで腹を撫でてやる。ハロの小さな足がぴくぴく動いて気持ちがよさそうだ。
 そうやってハロとスキンシップをとっているうちに、後ろにいる気まぐれな子の読書も終わったらしい。
 本を閉じる音がして、ぎしっとソファが軋んだ。新一くんが近づいてくる気配がする。それでも振り向かずに、ハロを撫で続ける。ちゅっと首の後ろで音がした。柔らかくてくすぐったい感触がする。
 ちゅっちゅ、と連続でうなじに吸い付かれる。
「こら。くすぐったいよ」
 思わず笑ってしまう。
 新一くんは、ソファに腰かけたまま、僕の首に腕をひっかけ上体をもたれかからせてきた。
 エアコンの風が直撃していたのか、冷えた鼻が首筋に押し付けられる。
「おけーり」
 僕の首筋に顔を埋めて新一くんがやっとお帰りを言ってくれた。「ただいま」は三度目にしてようやく新一くんの耳に届いた。
 ハロを撫でる手を止めると、ハロはぷしゅっと鼻を鳴らして僕の膝から下り、リビングの隅にある寝床に移動した。
 首に吸い付いている新一くんの方に顔を向け、濡れ羽色の髪を頬で擦る。
「新一くん、ご飯食べたの? チャーハンあるよ」
「おー……、」
 また生返事だ。
 でも今度は、僕に夢中らしい。
 ぐるりと身体の向きを変えると、僕にもたれかかっていた新一くんがバランスをくずしてソファから落ちた。それを抱きとめて、膝の上に仰向けになるようにひっくり返す。
 悪戯な口に触れるだけのキスをして、ハロにしたように薄い腹を撫でた。
 新一くんの身体が、ぴくんと小さく跳ねる。
「ん、……」
 甘い声が、腹の奥に響いた。本能に忠実な股間が熱を持つ。いきり立った股間は、新一の脇腹に当たった。
「れい」
 新一が服の裾をまくり上げ、薄く割れた白い腹を見せてくる。
「優しく撫でるだけでは終わらないよ」
「わかってるよ」
 腹をくすぐるように指先で撫でる。
 新一が笑いながら身を捩った。
 すかさずやり返そうと不穏な動きをする新一の手を掴んで、膝から落とした新一の上に覆いかぶさる。

「今夜も、仲良くしようね」

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