同棲設定
喧嘩をすることが増えた。
付き合い始めて、三年目。
カップルが別れやすい時期だってよく言われている。いわゆる倦怠期やマンネリに突入するのだそうだ。
俺たちがそうなのかどうかはさておき、とにかく喧嘩が多くなった。
些細な言い合いから、時には俺の足が出ることも。
それでも、時間を置けば解決してきた。
――でもきっと、今日の喧嘩はもう時間じゃ解決できないんだろう。
今日は、好きな作家の推理小説の発売日で、帰宅するなり鞄も上着も床に放ってソファの上で早速本をめくった。
いつの間にか帰宅していた降谷さんの「君はだらしない」だとか「食事をする時は本を置け」だとかぐちぐちとした小言を聞き逃していたら、降谷さんがついに俺から本を取り上げた。
「君の、そういうところが嫌いだ」
指先からすぅっと温度が消える。
嫌い、なんて言われたのは、初めてだった。
一瞬頭が真っ白になったあと、じわじわと胸の奥から怒りがわいてきた。
降谷さんから本を取り返して、いつの間にか握っていた箸をテーブルに叩きつけた。
「そうかよ、じゃあ別れる? 嫌いなら一緒にいない方がいいだろ」
「君はいつもそうやって……」
ぐっと拳を握った降谷さんがギロリと強い眼光で睨みつけてきた。
仰け反りたくなるのを堪え、勢いよく立ち上がり、降谷さんを見下ろして腕を組む。
どうせ、降谷さんは俺と別れたくはないのだ。
こうやって喧嘩をしても、嫌いだとかいいながらも、降谷さんは俺の事をすごく好きなんだから。
だから、今日もいつものように、降谷さんが謝るか、少し時間を置いた後、俺にコーヒーを飲むかって聞いてきてそれが仲直りの合図になるはずだった。
でも、嫌いって言われたのはやっぱムカつくから、一旦は降谷さんを拒否して焦らしてやろうと考えた……罰が当たったのかもしれない。
降谷さんは、溜息を吐いて挑むように俺を見上げた。
「そうしようか。僕だって、喧嘩のたびに君から別れ話を持ち出されるのはうんざりだ」
「っ、」
サァッ。
血の下がる音が聞こえた気がした。
降谷さんは、笑みを模った表情を顔に張り付けた。目は据わっている。
虚勢を張っていた腕がだらりと身体の横に落ちた。
「戻りたくなったら、今度は君から告うんだよ。あなたがすきです、どうか僕ともう一度付き合って下さい、お願いします、って」
♡ ♡ ♡
「で、ちゃんと謝ったのかよ?」
「謝るわけねぇだろ……」
黒羽と並んで食堂までの道を歩きながら、昨日の出来事を簡単に話した。前を歩いていた白馬と服部が振り返って、呆れたような視線を向けてくる。
「ほんで、今日は弁当なしっちゅーわけか」
「早く謝った方がいい。こういうのは長引けば長引くほど、君の首を絞めることになるからね」
「……わあってるよ」
気分が重い。
食堂前のショーケースに立って、あまり美味しそうには見えない今日のランチのサンプルを見る。
「俺、Bランチ!」
「僕はAにしようかな」
「ほんなら俺はカレーで。工藤はどないする?」
「……俺もBで」
券売機で食券を買い、食堂のカウンターで四人一気に食券を出す。食券を受け取り、それぞれの皿を準備しようとした割烹着姿のおばちゃんが「あら」と手を止めた。
「ごめんなさいね、Bランチ残り一つだわ」
「それじゃあ、俺がBランチで! 黒羽は、カレーでいいよな?」
「……いいけどさぁ」
これ見よがしに肩を竦めた黒羽が、カレーの皿をとった。
「めーたんてい、おまえ絶対もう他の人間と付き合えないから、さっさと安室さんと仲直りしとけ」
カレーをすくったスプーンを咥えて、黒羽が人差し指を突き付けてきた。
それを首を傾けて避けてから、Bランチのからあげをひとつカレーの上にのせてやった。
「おまえさ、甘やかされすぎなんだよな」
「はあ?」
「安室さんは、さっきみたいにひとつしかないものを工藤くんが望んだら、今まで何も言わずに譲ってくれていたんだろう?」
「ま、それでなくとも、新ちゃんの舌はガッツリあの人に捉まれてるし?」
「勝算があるから勝負にでたんやろな」
謝るタイミングを逃し続けると、つらくなるのはお前だぞ。
三人は口々にそう言う。
――そんなのは、言われなくても分かってる。
好きだって、ごめんって、あの人の思惑通り素直に言えるような人間だったら、仲直りなんて昨日の内にしてるっつーの!
そして、拗れに拗れたまま一か月が経ち、あの人のせいで熱を持て余した身体をどうすることもできなくて、俺は、記憶を抹消したくなるほど恥ずかしい目にあわされるのであった。