パラレルいろいろ


「コナンくん、ごめん。またしばらく仕事が忙しくて、帰れそうにない」

 大きな手が頬を撫でて、あっという間に去っていった。肩を竦め、用意された朝食に手をつける。
 ハムサンド、野菜スープ、ポテトサラダ。
 野菜スープとポテトサラダは昨日の夕飯の残りだけれど、ハムサンドは朝早くから起きた透さんが準備したものだ。

「気にしないでください。ボクも明日から出張なんです」
 俯いた拍子にずり下がった黒縁の眼鏡を人差し指を丸めて、第二関節で押し戻す。右手でテーブルに置かれていた新聞を広げ、左手でふかふかのパンを掴んで口に押し込めた。
「あ、おいしい」
 一気に頬張って、指先についたマヨネーズを舐めとる。
「……それなら良かった」
 新聞の影で、透さんは何か言いたそうな顔をしていたけれど、口を噤んで笑顔を取り繕った。
 大方、行儀が悪いから食べるか読むかどっちかにしろと叱りたいのだろう。けれど、言えないのだ。
 ――俺たちは互いの生活習慣に干渉できるような関係ではないから。

「それじゃあ、僕はもういくよ」
 透さんは、わざとらしく小さく溜息を吐いて立ち上がった。
 バサバサと新聞を雑にたたんで、玄関に向かう透さんの後を追う。
「……べつに見送らなくていいよ」
「いえいえ、これも番として大事な役割ですから」
 茶色の革靴に足をいれて、振り返った透さんの首にするりと腕をまわした。
「いってらっしゃい、気を付けて」
「……ありがとう。コナンくんも、出張気を付けて」
 ちゅっと目尻に優しいキスが落とされた。ぽんっと腰をかるく叩いた手が、ゆっくりと離れていく。

 どこからどう見ても、俺たちはラブラブの番……に見えるように振舞っている。いざというときボロがでないよう、人目のない家の中でも余念なく。
 だけど実際、俺と透さんの間にはラブラブのラの字もない。
 そもそも俺、コナンって名前じゃねーし。
 おそらく透さんも、“安室透”という名前は偽名のはずだ。
 お互い必要以上に干渉しないことを条件に、俺たちは番関係を結んでいる。

 透さんとの出逢いは、半年前。
 オレが潜入調査中の製薬会社……の、近くのバーだった。
 透さんは、その店のバーテンダーだった。

 俺がタチの悪い酔っ払いに絡まれているところを、透さんが偶然を装って助けてくれたのがきっかけで、カウンター越しに話しをするようになった。

 番になろうと話をもちかけてきたのは、透さんの方だ。
 俺がフェロモンをコントロールしてβのフリをしているけれど、番のいないΩであることを見抜いて、契約をしないかと誘って来たのだ。

 日本では、二十を越えた番のいないΩに国が結婚相手を紹介する制度がある。
 制度――という名の、強制的なお見合いだ。
 相手は、遺伝子の適性検査で選ばれるとされているが、実際は権力者やその血縁関係のものにしか紹介されない。
 そしてまたαの中でもエクストラアルファと呼ばれる、より優秀なαも、その血筋を残すために、Ωとの婚姻が推奨されている。

 透さんは、自分がそのエクストラアルファだと明かした。
 もともと透さんは有名な大企業に勤めていたものの、婚姻の斡旋や、番になろうとするΩのアプローチが煩わしく、退職したそうだ。
 βのふりをしてこのバーで働き始めたけれど、未だに毎日元部下や上司がバーにやってきて復職を懇願するのだという。
 復職するのはいいけれど、また毎日見合いの話をされるのは億劫で、俺がもし、自分と同じようにお見合いを億劫だと感じ悩んでいるのなら協力しないか、と透さんは提案してきた。

 オレの仮の姿である江戸川コナンは、透さんに見抜かれた通りΩだ。
 けれど、国籍はアメリカ。
 日本の見合い制度は適応されない。

 でも、江戸川コナンに番がいることは、本来の自分を隠すことに役立つかもしれないと考えた。

 本当の俺――工藤新一は、戸籍上αで、職業は探偵だ。
 最近は専らΩの人身売買に絡む事件の潜入調査をしている。Ωに転化した俺にだからできる、自分を囮にした捜査。
 透さんからの提案は、俺にとって最高のタイミングだった。
 番になれば、人身売買の温床となっているのではないかと目星をつけている番持ちのΩ限定パーティーにも顔を出せるようになる。

 その夜、俺は早速透さんにうなじを差し出した。

 通常Ωのヒート中にうなじを噛むことが、番関係を結ぶ条件だ。
 透さんもその晩すぐに、という話ではなかったと困惑していた。
 だけど俺は他人のフェロモンを感じることができない代わりに、自分のフェロモンをコントロールすることが得意だった。
 3ヶ月に一度のヒートを好きなタイミングで自発的に起こすことも、αですら感知できないようにフェロモンを消すこともできる。
 透さんにはバレちまったから、エクストラアルファの鼻には敵わなかったみたいだけど、これも番化することで解消できたはずだ。

 番化することで、俺のフェロモンは他のαやβに感じ取れなくなってしまったけれど、その辺は大女優の息子の演技力でなんとでもなっている。

   ♡ ♡ ♡

「なあ、このあと俺の部屋にこいよ」
 馴れ馴れしく腰を抱いてくる手に身を委ね、太い首に腕を回した。
 紺色のスーツで隠れた二の腕にはぶつぶつと鳥肌が立っている。
 それを表情には出さないよう伏せ目がちに笑って、そっと男に身を寄せ耳元で囁いた。
「……ボクのこと、楽しませてくれるの?」
 今の俺からはこの男に感じ取れるフェロモンは出ていない。
 けれど、甘い匂いの香水を首につけた人工皮膚にふりかけたおかげか、男はスンっと俺のうなじの匂いを嗅いで、固くなった股間を押し付けてきた。
 思わず両手で押しのけてしまい、ハッとしてすぐに目を弧にする。
 それから蠱惑的に見えるよう、自分の下唇をぺろりと舐めた。
「部屋まで待ても、できないの?」
 男はごくりと喉を鳴らすと、強引に俺の腕を掴んで引っ張った。
 
 今日のターゲットは、番化したΩを3回連続事故で亡くしている男だった。
 はじめは階段からの転落事故、二番目は川での水難事故、三番目は居眠り運転での自動車事故だ。
 どれも怪しい点はなく、事件性なしとして処理されている。が、三番目に亡くなったΩの兄から、弟の死の真相を突き止めてほしいと依頼があった。
 本当に事故ならばそれで納得するが、三回もΩを事故で亡くすなんて偶然が本当にあるのだろうか、と。

 男と接触をするために、豪華客船で行われるパーティーに悪友のツテを使って入り込み、番がいることを隠すためうなじの噛み痕を隠す人工皮膚をつけ、その上からプロテクター用のチョーカーをつけた。

 男の元恋人たちは黒髪黒目だったというから、黒のカラコンをいれた。
 こういう捜査をする時は眼鏡をしていない方が対象の食いつきがいいけれど、いろいろと役に立つから外せない。

 さて、どうやって近づくか、と遠巻きに男を眺めていたところ、目が合った。
 男はすぐに俺に近づいてきて、部屋へと誘ってきた。
 先月番を無くしたばかりの男の行動とはとても思えない。
 番と死に別れるというのは、Ωにとってもαにとっても半身を引き裂かれるような苦しみだというのに。

 俺だって、透さんとの間に愛がないとはいえ、透さんが死んだらなんて考えるだけで胸が苦しくなって、呼吸もうまくできなくなってしまう。

 こいつが、番になったΩしか殺さないのなら長期戦。
 その前に、事故や事件だったという揺るがぬ証拠を押さえたい――と考えていたところで、ベストを着たウエイターとぶつかった。

 パシャンッ。

 銀のトレンチに乗っていたグラスが傾いて、シャツの胸元が濡れる。

「……わっ、大変失礼いたしました!」

 ぺこぺこと頭を下げたウエイターが、スラックスのポケットから紺色のハンカチを取り出して俺の胸元を拭った。
 男が舌打ちをする。
 本来なら、ウエイターになんて構わずに「早く着替えさせてほしいな」と男に甘えてみせるのに、それができなかった。

「替えのスーツを用意しますので……!」
 褐色の、温かい手が、オレの手首をつかむ。
「いいよ、ンなもん。こっちで着替えさせっから」
 男がそう言って、掴まれたままだった手を引っ張ってくる。
 ウエイターの手を振り払わなくちゃ、と思うのに、振り払っていたのは男の手だった。
「あ、……」
 ウエイターは戸惑う俺を引っ張って、足早にパーティー会場から抜け出した。
 

 パタン、と部屋の扉がしまった。
 ベッドの上に放り投げられて、仰向けに倒れこむ。
「こんなところでなにをしているんだ、コナンくん」
 やぼったい眼鏡をはずして、透さんが俺を見下ろした。
「それは、こっちのセリフですよ、……透さん」

 この人、いったい何者なんだ? 
 俺がいくら探ってもなにも出てこないなんて、怪しすぎるんだよ。


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