女体化


「本日の星座占い、一位はおうし座のあなた! ラッキーアイテムはぬいぐるみ、ラッキーカラーはイエロー。好調なのは恋愛運! 思いがけないところで意中の人と出逢うかも?! 貴方からの積極的なアピールが幸運の鍵よ! Have a nice day! よいバレンタインデーを♡」

 BGM代わりにつけていたテレビからの声に顔を上げる。
 オフホワイトのふわふわしたニットを着た女性アナウンサーが、笑顔で手を振った。

「……よしっ」

 紙やリボン、テープでぐちゃぐちゃになったテーブルから黄色のリボンを引っ張り出し、昨日蘭や園子に教わった通りに白い箱に巻き付ける。
 カラフルに乱れたテーブルからは目を反らし、少し傾いた黄色いリボンを整え、完成した箱を小ぶりな紙袋の中に突っ込んだ。
 一仕事を終え、ふうっと息を吐くと、テーブルの上に置いていたスマホがアラームを鳴らし、ぶるぶる震え始める。
「やべっ、遅刻する!」
 着ていたスウェットをその場に脱ぎ捨て、ソファの背に引っ掛けていた制服に着替える。新緑のネクタイを結びながら、アラームを止めた。
 朝食代わりに、テーブルの白い皿の上に転がっていたチョコレートを摘まむ。
 さっきの箱の中身と同じチョコレートは、昨日蘭と園子と一緒に作ったものだった。
 俺が作ったのは、二人みたいに綺麗に丸くはならなかったけど、味は悪くないはず。

「ん、うまい」
 ぺろりとチョコのついた指を舐め、紺色のハイソックスを履いた。
 今日の気温では、コートの出番はなさそうだ。水色と白のチェックのマフラーを巻いて、準備完了。
 鞄と、忘れずに紙袋を持って、リビングを出る。
 いつもなら玄関に直行だけど、今日は洗面台に向かった。ブレザーのポケットから、昨日蘭たちに貰ったピンク色のリップを取り出す。
 高校に入学する前に、母さんから化粧の方法は一通り教わっているけれど、自分でメイクをしたいと思ったのは初めてだった。
 唇をピンクで色づける。
 今日は睫毛をあげて、マスカラも塗ってみた。
 いつもとほんの少し違う自分の顔がすこしくすぐったい。
 急いで着替えたせいで乱れた前髪を指先で整える。その指先も、昨日園子が塗ってくれた桜色のネイルできらきら光っている。
 気合いを入れて、鏡越しの自分にとっておきの笑顔を向ける。
 ……すぐに照れくさくて視線を反らした。
 
 ピンポーン。
 
 玄関で呼び鈴が鳴る。慌てて洗面所を出て、ローファーに足を入れた。
 扉を開いて、駆け足で門に向かうと、迎えに来てくれた蘭は目を丸くして、ふわりと微笑んだ。
「新一、とってもかわいいよ」
 そんなこと言ってるオメーはいつも可愛いんだけど? ……なんて、照れくさくて言えないから鼻を擦って「バーロー」と返した。

   ♥ ♥ ♥

「それで、新一くん、肝心の相手と会う約束はできたの?」
 おはようより先に、俺の机に両手を突いた園子が顔を接近させてくる。
 頬を掻いてへらりと誤魔化す。
 園子は腕を組んで「まったく」と溜息を吐いた。
「いくら、準備したって肝心の相手に会えなきゃ意味ないじゃない」
「俺を誰だと思ってんだよ?」
 約束なんてしなくても、会う手段なら用意してあるのだと胸を張る。
園子は肩を竦め、ひらりと手を振った。
「応援してるから、頑張りなさいよ」

 今日は二月十四日、バレンタインデーだった。
 学校だけでなく、街中どこかそわそわしている感じがする。
 それはきっと、俺が一番そわそわしているからだ。

 今日、告白をすると決めた。年上の、あの人に。
 十二も年が離れた俺なんて相手にされないのは分かっているけれど、玉砕覚悟で勝負をするつもりだった。

 俺の好きな人、降谷零――警察庁警備局警備企画課、通称ゼロと呼ばれる特殊な組織に所属している降谷さんとは、俺が子どもの時に出逢った。
 といっても、それは去年の話だ。
 ある事件に関わり毒薬を飲まされたせいで、身体が幼くなってしまった俺と、組織に潜入していた降谷さんは出逢ったのだ。
 その組織を壊滅させたのが去年の話。
 潜入捜査を終えた降谷さんとは、元の身体に戻ればさよならになるかと思っていたのに、面倒見の良い大人は、その後も俺が薬の後遺症などで苦しんだり困ったりすることはないかと気にかけて、定期的に連絡をくれた。
 向こうはいつまでも七歳児に接触するような態度だけれど、子ども扱いされているのに、好きになってしまうのだから救えない。

 だから、今日は子ども扱いをやめてもらうために、あわよくば意識してくれたらいいなという下心をもって、一世一大の告白をすると決めた。

 そわそわしていると、一日があっという間に過ぎていく。
 放課後、蘭と園子に別れを告げて、警察庁に向かうことにした。
 降谷さんと会う約束を事前にしなかったのは、勘の良いあの人のことだから、バレンタインに呼び出されれば、すぐにその理由を察してのらりくらりと逃げられると思ったからだった。

 園子には豪語したけれど、会う手段なんてのは、結局、警察庁やその周辺を張って、降谷さんの愛車を見つければそのまま待ち続けるというだけだ。
 俺は、あの人の住んでるとこも知らねえし。
 でも、それで間違いなく会える自信はあった。
 なんてったって、今日の星座占い一位だからな、――なんて。
 


 帰り道を反れて、米花駅に向かう道を歩いていると、聞き覚えのあるエンジン音が聞こえてきた。白いRX-7が横切っていく。
「……は?」
 運転席には、今まさに会いに行こうとしていた人物が乗っていた。
 立ち止まって振り向くと、エンジン音も止まる。
「……工藤くん?」
 車を端に止め、降りてきた降谷さんは俺の前で足を止めた。
「降谷さん、こんなとこでなにしてんの?」
「……工藤くんこそ、こっちは帰り道じゃないだろ。これから、どこかに出かけるのかい?」
「……」
 紙袋を握る手に力を入れた。
 すきです、と言ってこれを渡すだけ。一瞬で終わる動作なのに、うまくいかない。言葉まで喉に張り付いた。
 答えられずにいると、訝し気に眉間へ皺を寄せた降谷さんが顔を覗き込んでくる。

 そんな渋い顔すらカッコいいとかどうなってんの、アンタの顔面。

 手のひらに汗をかく。指先が冷えて固まった。
 落ち着け、と心で呟き、ぎゅっと瞳をつぶる。

 深呼吸!

「きゃああああああっ!」
 息を吐く前に、どこからか悲鳴が聞こえた。

 深く吸った息を一気に吐き出して、目を見開く。
 降谷さんの背後、およそ百メートル先で、女性が倒れていた。その先に、女性もののハンドバックを片手にバイクの男が走り去っていく。
「降谷さん、あっちから回って! 俺はこっち!」
 両手に持っていた鞄と紙袋を押し付け、地面を蹴った。
 全速力で駆けて、倒れこんだ女性の様子を心配してバイクから降りた学生からヘルメットとバイクを勝手に借りる。
「すぐ返すから、借りるぜ!」
 アクセルを捻って、ひったくり男のバイクを追った。


 最悪バイクをぶつけて男を止めようと思ったけれど、降谷さんが回り込んで上手く逃げ道を潰してくれたおかげで、男は大人しくバイクから降りてバックを手放した。

 ひったくり犯を警察官に引き渡し、警察が来る前に姿を消していた降谷さんを近くのコインパーキングで見つける。
 コンと助手席のサイドウインドウを叩いて覗き込むと、鍵の開く音がした。ドアを開け、助手席に乗り込む。膝の上に、鞄と紙袋が乗せられた。
「まったく、きみは……僕が止めに入らなければ、体当たりするつもりだっただろ」
「いやいや、降谷さんがいるんだから、そんなことしなくて済むってわかってましたよ」
「本当かな。目が離せなくて困るよ」
 ステアリングに突っ伏した降谷さんが、顔を俺の方に向けて手を伸ばしてきた。
 擽る様に前髪を撫でられ、呼吸が止まる。

「……ふ、ボサボサ」

 朝も放課後も学校を出る前に髪を梳かしたのに、走り回ったせいで埃や砂を含んだ髪は、降谷さんの指をひっかけた。

「また子ども扱いかよ」
 ドキドキした自分がバカみたいだ。
 ガキみたいだってわかっているけど、頬を膨らませて唇を突き出す。
 せっかく塗ったリップだってもう絶対落ちてるし、最悪だ。

「……子ども扱いなんてしたことないだろう」

「うそつき」

 膝の上に置かれた紙袋に視線を落とす。リボンがかかった箱がひっくり返っているのが見えた。
 あーあ、中もぐちゃぐちゃだろうな。
 いじけた気持ちで、袋から箱を取り出して、ほとんど解けかけたリボンにも溜息を吐いた。
 とても人に渡せる状態じゃない。

「それ、誰かに渡し損ねたの?」

 降谷さんが箱を指さす。黙って頷くと、大きな手が俺の手から箱を奪った。
「それなら、これは僕がもらう。代わりにきみにはコレ」
 そう言って上半身を捻り、後部座席に手を伸ばした降谷さんは、俺の膝にぽとりとなにかを落とした。

 膝の上に転がった茶色いクマのぬいぐるみを両手で持ち上げる。
 縫い付けられたクマの手には一本のハート形チョコレートの棒部分が差し込まれていた。
 こんな時まで子ども扱いで、そんな子ども扱いにすら、胸がきゅうきゅう苦しくなってしまう。

 ズルい、すきだ。

 そう思ったら、ふはっと吹き出してしまった。
 かっこはつかなくても、やっぱ、この気持ちは、今、伝えたい。

「それ、降谷さんに渡そうと思って作ったんです」

 ぬいぐるみを膝に戻して、降谷さんの胸倉を掴んで引き寄せる。

「本命だから……俺のこと、もう子ども扱いしないで」

 唇を重ねる。

 一瞬の、ましゅまろに似た感触。レモンの味はわからなかった。
 ドキドキして心臓が口から出そう。耳がじんじん痺れている。
 降谷さんがなにかを呟いた。聞き取れなかった。
 もう一度、唇が触れる。頭が真っ白になる。聞いたことのない甘ったるい自分の声が、頭の中で響いた。

 湿った音を立てて、唇が離れる。

「俺はもうずっと、きみが魅力的すぎて子どもに見えないから困っているのに、まさか全然気付いていないとはね」

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