女体化


「新一くん、そろそろ帰るね」

 ソファにひっかけていたジャケットを手に取った降谷さんが、立ち上がって俺の頭を撫でた。
 ぴくりと自慢の黒い立ち耳を動かして、ほとんど飲み干したアイスコ―ヒー入りのグラスをテーブルに置く。

 降谷さんが用意してくれた夕飯を食べて、食後のアイスコーヒーを飲みながらリビングでくつろいで一時間。
 ――いつもと変わらない降谷さんの帰宅時間。
 今日こそは、と気合いを入れて塗ったピンク色のグロスは、「おやつでも食べたの? 油がついているよ」とティッシュで拭われてしまったし、大人のセクシーさが出るはずと思い着た黒いレースのトップスも、「すごく寒そうだね」と苦笑いされた。
 降谷さんが、胸よりもケツ派なのかもしれない可能性までも吟味して履いたヒップラインが出る白いスキニーパンツには、目もくれなかった。

 やっぱ降谷さん、俺の身体に興味ねえんだろうな。潜入捜査官として俺よりボインでぎゅっとくる女性相手にハニトラで鍛えてるだろうし……。

 ――きみが、大人になるまではそういうことはしないよ。
 付き合って欲しいと猛アタックして手に入れた十二歳年上の恋人は、いつだってつれない。
 色仕掛けのつもりで膝に乗れば、にっこり笑みを深めた降谷さんに子どもをあやすようにぐらぐら揺らされたあげく、「はい、おしまい」と脇の下に差し込まれた手で抱き上げられ、膝から下ろされた。

 先週は降谷さんの性欲増強のためにマムシを煮込んだスープを作ったけれど、降谷さんはけろっとした顔で全部飲み干して絶対マズいのに「おいしかったよ」と俺の頭を撫でてくれた。そしていつも通り、二十一時には家を出て行った。
 手を掴んで胸に押し付けようにも、俺の思惑に気付いた降谷さんに逆手をとらえられ、脇腹が攣るくらいくすぐられることになるし。

 正直、万策尽きている感じは否めない。
 これがマンネリってやつか。

 ううむ、とアゴに手をあてて、玄関に向かう降谷さんの後をついていく。

「おやすみ、新一くん」

 靴を履いた降谷さんが振り返って、子どもを寝かしつけるように俺の目尻に軽くキスをした。むうっと頬を膨らませる。
 困ったように眉尻を下げる降谷さんの顔を見ないように視線を伏せ、しなやかな筋肉がついた二の腕をつかんだ。降谷さんの身体に力が入る。
 俺にイタズラされないように動かなくなった腕に、こっちから胸を押し付ける。
「……今日も帰っちゃうんですか」
 グルル……。
 降谷さんの喉が鳴った。

 降谷さんは獣性を隠しているけれど、たまにフサフサした灰色の尻尾が揺れている時がある。そういう時は犬歯も伸びているし、間違いなく降谷さんの獣性は犬だろう。

 ちらりと視線をあげると、赤い顔をした降谷さんが笑みを浮かべたまま固まっていた。
「降谷さん?」
 こてん。
 首を傾げる。
 ぶわっと髪の毛を逆立てた降谷さんの頭から、濃いグレーと白い毛が交じった三角耳が現れた。
 同じ色をした立派な尻尾が背後でゆらゆら揺れている。

 つうっと首筋を汗が伝った。

 本能的な危険を感じ、融通のきかない腕からパッと手を離す。
「な、なーんちゃって、はは……」
 空笑いで、じりじり降谷さんから距離をとろうとした。瞬時に伸びてきた手が、俺の手首を掴んだ。
「ひえっ」
「……そうやって誘うクセに、また逃げるの」
 獣の唸り声が聞こえる。
 悪い子だな、耳元で掠れた声がした。
 ゆっくりと大きな手が背中を撫でる。
 ひくっと腰が疼いた。
 無意識に背伸びをしていたせいでバランスを崩して、降谷さんの胸にもたれかかる。突き出すようになっていた尻と、そこでひくひく揺れる丸い尻尾を見て、降谷さんが笑う。

「きみの前で、僕は、善良な大人ではいられない」
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