同棲設定



 日曜日の繁華街。
 人が溢れ、歩行者天国になった大通りで、黒髪の美人と手を繋ぎ、仲睦まじい様子で歩く金髪長身の男とすれ違った。
 男は、ちらりともこちらに視線をよこさない。

 ――あ、浮気だ。

 確信すると同時に、ジーンズのポケットに突っ込んでいたスマホを取り出し、カメラを起動していた。振り返って、とっくに小さくなった後ろ姿をスマホに収め、無心でシャッターを切る。
「……これじゃ、使えねーか」
 雑踏の中、金色の頭が小さく写った画面をスライドして、舌打ちをした。使えない写真はそのままに、今目撃した浮気中の恋人とのメッセージ画面を開く。
 最後にメッセージをやりとりした日付は、一か月も前だった。

 ――あまり夜更かしをしないように。おやすみ。

 最後は、降谷さんからのメッセージで終わっている。
 スマホを顎に当てて、思案する。

(つーか、オレと降谷さんって、自然消滅しててもおかしくないよな?)

 メッセージ画面を閉じて、後を追いそうになる足を踏み留めた。
 小さく息を吸って、大きく吐き出す。
 脳裏には、先ほど見た光景が焼き付いて、当分離れそうもなかった。



「ただいま」
 にこやかな笑みで二ヶ月ぶりに帰宅した降谷さんを、とりあえず出迎える。
 つってもソファに座ったまま「おけーり」と声をかけたくらいだ。
 だって、内心はずっと、はらわたが煮えくりかえっている。
 一カ月前、オレに女性といるところを見られたのに気付いてながら、言い訳一つしないことにも、なにもなかったかのように振舞うことにも腹が立つ。

 ――オレがそんなに物分かりのいい人間だと思うなよ。

 そんなオレの代わりに、ハロが降谷さんの帰宅を大歓迎していた。降谷さんの足を八の字を描くようにくるくる回っていたハロの頭を、降谷さんが嬉しそうに撫でる。ハロの尻尾が忙しなく左右に揺れた。
「シャワー浴びてから、ご飯作るね」
「……おー」
 降谷さんはテーブルの上にスマホを置き、ジャケットを椅子に引っ掛けた。そしてネイビーのエコバックから食材を取り出し、冷蔵庫にしまってから、浴室に向かう。
 シャワーの水音が聞こえてきて、ようやくソファから立ち上がった。狙うは、置き去りにされたスマホ。
 不貞腐れていても、探偵。浮気調査は、幾度もこなしてきた。
 まず自分のスマホのカメラを起動させ、ビデオモードにする。録画ボタンを押し、降谷さんのスマホにパスコードを入力した。
『0504869』
 二ヶ月前と同じパスワードでロックを解除できた。
 まず写真フォルダをスクロールして、いやらしい写真がないかチェックする。
(……ハロとオレの写真しか入ってねえな……よし、)
『最近削除した項目』もきちんとチェックしてから、今度はメッセージアプリを開いた。
 一番上に固定されていたオレの名前は無視して、その下にある風見さんの名前をタップする。浮気相手を、風見さんの名前で登録してるかもしんねーしな。
 背後に人の気配を感じるけど無視。
「なにしてるの?」
「……浮気の証拠つかんで、アンタと別れようとしてる」
 淡々と答える。
 背後の人は、黙ってオレのすることに口を出さないことにしたらしい。腹に回る手をつねって、それ以上降谷さんのスマホを探るのをやめた。録画を止めると、降谷さんが後ろから抱き付いてくる。
 家のシャンプーの香りが鼻をついた。

「浮気なんてしてなかっただろ?」
「いや、そもそもアンタ、スマホは複数持ってるし、浮気相手と連絡しあってるスマホも別にあるんだろ? それを家に持ち込むはずないよな」
「そんなものあるはずがない」
 降谷さんの声が固くなる。身体を捩って降谷さんの腕から脱出しようとするも、抵抗するほど太い腕がオレに絡みついて離れなかった。
「新一」
 懇願するように名前を呼ばれ、胸の奥がぎゅうっと絞られたような感覚を覚えた。
「僕が浮気していた証拠なんてないから、きみは僕と別れられない」
「……そうでもないよ」
 自分のスマホを操作する。写真フォルダを開いて、二週間前に作った画像の一覧を表示する。
 降谷さんの身体が強張った。
 十二個の小さな正方形の中には、オレと男が裸で絡み合ったりキスをしたり、オレがイチモツを咥えている姿が閉じ込められていた。
 これは全部コラージュ写真だ。自分で作った。かなりの力作だった。だけど、拡大したら画質の荒さでバレると思うから、一枚一枚を表示させたりはしない。

「……オレが浮気した証拠があるから。これで、降谷さんも別れたくなっただろ?」

 じっくり見られないようスマホの画面を消す。降谷さんは一拍置いて「それでもいい」と静かな声で呟いた。
「浮気に走るほど、きみに寂しい想いをさせてしまったのは僕だ。……もう二度ときみに浮気させるような真似はしないと誓う」
 ほとんど想像通りの言葉に、振り返ってネタ晴らしをすることにする。
 本当はオレだって、降谷さんのアレが職務上で必要な対象との接触だったことくらいわかってんだ。精々が手を繋ぐ程度で、性行為はしていないことも、調査済み。

 それがわかってるからって、笑って許せたりはしねーけど。

 振り返ろうとした瞬間、強い力で肩を掴まれた。無理やり向きを変えさせられて、降谷さんが帰宅してからはじめて視線が合う。

「でも」

 降谷さんがそう言った。地獄の底から響いている気がした『でも』だった。

 あれれ……。

 首を傾げる。
 おかしい。
 下手に出なきゃいけないのはこの人の方なのに、なんでオレの足はこの場から逃げようとしているんだ?
 降谷さんは、笑っていた。口角だけで微笑んでいた。
 逃げろ、と第六感が必死に警告音を鳴らしているのに、肩を押さえられているだけで、身体が一歩も動かねえ。
「おかしいな。きみは、この一か月、探偵業と学校で出かける以外は家にいたはずなのに、どこでこんなにたくさんの男とセックスする時間があったんだろうね……?」
 ずいっと顔を近づけてくる降谷さんを避けて、背中からテーブルに倒れこむ。
「連絡がとれないとはいえ、さすがにきみのことが心配でね。風見に頼んで、こちらの伝手がある興信所にきみの監視をお願いしていたんだ」
「は……?」
「あとで見る? 調査報告書」
 そこまで言って、降谷さんは顔から笑みを抜いた。
「怒っているわけじゃないんだ。悪いのは僕だし、きみを傷つけてしまったのに、連絡一つとれなかった。きみは僕を責めて良い。でも、僕も、久しぶりに会えた恋人に、他の男とセックスしている写真を見せられて、冷静にはなれないよ」
 降谷さんの瞳が揺れる。それが泣きそうな顔に見えて、胸が苦しくなった。
「あっ、と……それ、コラ……」
 居心地悪く小声でネタ晴らしをした。降谷さんは瞳を細めた。
「だから? そんなのは分かっているよ」
「えっ」
「体毛の濃さが全然違う。新一くんは、腋毛もすね毛も陰毛もあんなに濃くないだろ」
 そんなことねーよ。
 そう突っ込む前に、降谷さんがオレの右足を持ち上げた。完全にテーブルに乗り上げてしまい、電気を背にした降谷さんの薄暗い笑みを見上げる。
「冷静になれないって言っただろ……? まずは、お互い会えなかった間の不安が全て吹き飛ぶくらいのセックスをしようか」
 獲物を追い詰めた空腹の肉食獣みたいな顔をして、降谷さんがオレの膝にキスをした。
 手を伸ばして、足にかかった降谷さんの手を握る。それを引っ張って顔に寄せ、指先に口づけを落とした。

 心以外の全部も、いつかオレだけのものになればいいのに。

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