刺青少女

「纏、準備できた?」
ある日の朝。
五条は寝室の妹に声をかけた。
「うん…これで、いい?」
出てきた纏は淡い色合いの夏らしいワンピースに薄手のボレロ、つばの広い帽子を被り、足元は肌の透けないストッキング。手には可愛いバッグを持っていた。
「おー、可愛いね!お嬢様っぽい」
「おじょうさま…?」
こてん、と首を傾げる。

この数日、喜怒哀楽のはっきりした五条といるせいか、纏はだいぶ表情が出るようになっていた。
言葉はまだたどたどしいのだが、あまり知識や情報がないのでこればかりはゆっくり時間をかけるしかない。

「おにいちゃん、どこに行くの?」
「どこでもいいんだけど…纏は外をあまり知らないでしょ?だから色んな物を見よう。気になる物があったら言うんだよ?」
「うん」
「でも最初は高専…君と僕が初めて出会ったあの場所だ。
あの時のおじさんやお姉さんを覚えてる?」
「うん、おひげのおじさんと、きれいなおねえさん」
「あの二人も君の事をとても気にかけてる。だから、時々顔を見せてあげると喜ぶよ。おじさんは今日いないみたいだからお姉さんに会って来よう」
「うん」
「じゃ、行こうか」
(まだ語彙が少ないなぁ…殆ど『うん』しか言わないや)

少女と手を繋いだオフ姿の五条が高専に来たのは10時過ぎ。
「やぁ」
「来たか。…うん、似合っているな。私を覚えているかい?」
薄く微笑んで顔を覗き込む家入を、纏は見上げて笑った。
「うん!しょーこせんせい、お洋服ありがとう、おにいちゃんに『これはしょーこせんせいがくれたんだよ』って聞いたよ!」
これには家入も目を丸くした。
数日前には殆ど喋りもしないどころか、表情も読み取る事すらできないくらいだったのに、ちゃんと喋れるし感情もわかる。
(これは…)
「五条、一体何をした?」
「え?何が?」
「たった数日でこんなに変わるのはそうそうないぞ。…成長期、か?だから吸収が速いのか?」
「そう?僕としては、纏はまだ語彙が少ないから『言葉ってどう覚えたんだったっけ』って感じなんだけど」
「それこそ時間が解決する。これが二度目の私から見れば、十分すぎる進歩だ」
焦るな、と釘を刺され、はいと頷くしかなかった。
「とりあえず…いや待て、まとい?」
「纏。この子の名前。親が考えた名前、あるんだろうけどわからなかったからさ。僕が付けたの」
「あぁ…そうだな。それがいいか。では、纏。こちらへおいで」
家入は、椅子に纏を座らせる。
「何するの?」
「これだ。今日はお出かけなんだろう?」
家入が取りだしたのは化粧道具だった。
「えー…お化粧するの?この子にはまだ早いんじゃ」
「馬鹿だな。化粧というのは何も色気づくだけの物じゃないぞ。
この子はあまり外に出てこなかった。普通の人だって日差しが強ければ日焼け止めを塗るだろう?この子はそんな有害な紫外線にも常人より慣れてないし、だいぶ良くなってはいるがまだ血色も良くない。身体が年相応の抵抗力を発揮するまでは、こうして保護した方がいい」
そう言いながら取り出したのは、なるほど、化粧水のようなさらりとしたファンデーションと色がうっすらついたリップクリームのみ。
手渡されたので少し出して見てみれば、殆ど色はつかない。
「逆に効果あるの?ってくらいだね」
「これが、実際使ってみると結構変わるんだぞ。まぁ見ていろ」
手際よく、スポンジを使って纏の顔に塗っていく。
するとみるみる血色が良くなってきた。
仕上げにリップを唇に乗せると…先程よりもずっと健康そうな少女の顔になる。
「へぇー…驚いた。ホントに全然違うね。可愛いよ」
「かわいい?…纏、可愛い?」
今のは単に五条の言葉を繰り返しただけなのだが…言い方は悪いがわかり易く言えばまだ何も知らないが故に、この歳にして持つ本物の純粋さで、確かに可愛かった。ある種の類の男は身悶えるだろう。
「…ヤバい、悪い虫つかないようにしなきゃ…」
「お前、シスコンに成り得る性質の持ち主だったのか…」
知らなかった、と家入がちょっと引く。が、気を取り直して「五条と話があるから」と、纏におやつを出してそれを食べて待つようにいい、五条を部屋の隅に呼んだ。
「…五条、耳を貸せ」
その顔は、普段歯に衣を着せぬさっぱりとした物言いの彼女には珍しく何かを言い淀むふうだった。
「何?」
「あの子の刺青だがな…その、早めにやっておいた方がいい所がある。足やら腹は後回しにしても…」
「なぁに、回りくどいなぁ…はっきり言いなよ」
「・・・・なら言うぞ」
一層声を潜め、ぽつり、と。
「乳房と秘部、普段隠れるような、いや、足を開かねばわからないような場所にもしっかり入っている。それを消さなければ意味がない」
五条は耳を貸すため身体ごと傾げた体勢で、ぽかんと口を開けたまま、たっぷり数十秒固まった。
「・・・・・・・マジ?」
「マジだ。これほど自我の成長が速いとは思わなかったから悠長にしていたが…そこだけは急いだ方がいい」
お前があの子を『現代の紫の上』にするのなら後回しでいいかもしれないが、と、割と真面目な顔で言う家入に冷や汗をかいた。
「それまだ言うの?止めないわけ?」
「止める理由もないし、あの子がお前しか寄る辺がないのは事実だからな」
未だに硬直する五条に向けて呪術師に一般常識は通用せんさ、と言い残し、紅茶を零してしまって慌てている纏に向かって歩いて行った。
(いやいやいや…そんな…僕はあの子の兄であって…あの子は育てて守ってあげたい妹で…光源氏って紫の上を自分好みに育てたんだっけ…って違うそうじゃない)
ごんっと後ろの壁に頭を打ち付けて思考を切り替えた。
(しかし…よくもそんな所にまで入れたねあの刺青を…殺していいかなあの術師)
学長から聞いた名前を頼りに、調べ上げた大元の術師。
纏がそれなりに目を離してもよくなったら、一度『対面』しに行こうと思っていたのだが…もういっそ永遠に眠らせてもいいかもしれない。

「あっ、しょーこせんせい…これ…」
「そこはそのままでいいよ、服は汚していないかい?これからお兄さんとお出かけなんだろう?」
「ごめんなさい…」
「気にするな。ちゃんとごめんなさいが言えて、纏はいい子だな」
家入が頭を撫でると、纏は安心したように笑った。
(…すまん、五条。これは確かにお前が悪い虫を心配するのがわかるかもしれん)
余りにも無防備な笑顔。こんなものを辺りに振り撒き始めたら大変な事になりそうだ。
(五条はその内高専の生徒たちに纏を紹介したいみたいだし…その頃には、そういう機微もわかってくるといいんだが)

「…じゃぁ、僕達そろそろ行くね」
昼も近くなってきて、店が混み出す前に食事場所を見つけよう。
纏も結構普通の食べ物を食べられるようになってきたから選択の幅は広い。
「あぁ、また様子を見せてくれ」
家入は纏を覗き込み、冗談めかして笑う。
「お兄さんに、何でも我儘を言って困らせておいで。
このお兄さんは普段人を困らせるのが得意な悪ーい人だから、纏が皆の代わりにいっぱい我儘を言ってやってくれ」
「おにいちゃん、悪い人なの?」
纏が繋いだ手を引いて見上げる。
「家入、まだそういう冗談わからないから。全部信じちゃうから!
纏、今のは大人のお姉さんの冗談、笑う所だよ」
「よかった」

立ち去る兄妹を見送って、息をつく。
(色々あるが…その内あの子は伊地知や七海にも会わせてやりたい所だな)
もちろんあの二人がロリコンだとかいう話ではない。
この呪術界にいて、稀有な純粋な存在。
話をしているだけでだいぶ心が癒される…それは家入も例外ではなく、身を持って感じているからだ。
…心配しなくても、その内会いそうだが。
後は五条があの子を後々どうするか…だが…そこはそれ、家入にはどちらでもいい事だった。
五条悟という男が、ある意味マトモでない所があるとわかり切っている以上は。

おわり
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