短編集

「…てな感じで、ここに来たんすよね、俺」
数日前、五条先生から紹介された、1年生。
自分がいられない事も多いから、様子を見てあげて、と頼まれたのはいいけれど…
基礎知識もあまりなく、どうやら元は呪術師じゃないらしい。それで、つい疑問が口に出た。
『しかしまぁ、それでこんな学校に来るなんて、何でまた…』
そんな疑問に彼・虎杖悠仁は自分の境遇をあっさり語った。
まさか、つい最近祖父を亡くして両親の事はわからず天涯孤独、しかも他人の為に自ら特級呪物を飲み込んで、それで両面宿儺の器だったって…?
「…宿儺の指って、見た目ミイラでしょ」
「うん。あれすっげー不味い」
「普通美味い不味いで宿儺を語らない…いや、よくあんなもの飲み込もうと思ったね?」
「何でだろーな…あん時は、そうしなきゃと思った、のかな?
俺、人を助けなきゃいけないから」
「助けなきゃいけない?」
聞けばそれが、祖父の遺言だと言う。
「………………」
『お前は強いから人を助けろ』
立派な言葉だと思うが…まだ15か16そこらのはず。人を助けるにしたって、やり方はもっと色々あるだろう。その中で、たまたま呪物と巡り会ってしまったが為に、こんな道を選び、それを苦にしていない…?
この子は…どこか…

気がついたら、彼に身を寄せていた。
彼の頭を胸に抱き寄せる。
「え、えっ!?せ、先輩っ!?」
「痛々しいのよ、キミ…」
「……俺、が?」
黙って子供をあやす様に抱きしめていると、やがて微かに嗚咽が零れた。
「あれ、俺、何で泣いて…」
胸元に涙が染み込んで、冷たく濡れていく。
「ごめん、先輩、ちょっと…」
身を攀じるので離れると、ぐいと袖で目を拭う。
「おかしーな、何で…止まんねぇの…?」
彼の涙は次々零れて、一向に収まる気配もない。
「…おいで。胸貸してあげるから、泣けてくるなら泣けばいい。気が済んだら勝手に止まるから、それまで。ね?」
迎えるように腕を広げれば、ぎゅっと抱き締められる。
「先輩…俺、何で泣いてんの…?」
泣きながら喋るせいで辿々しくなる疑問には、わからないと答える。
「でも、色んな事があって、決壊寸前だったのかもね」
「ううぅ…っ!」
「よしよし、思いっきり泣きなさい。
…これからきっと、色んな事が君に大人になる事を急かしてくる。それに応えるのも自由、でも、どこかに子供の心を残しておくのも自由。
…辛くなったら、何が何だかわからなくなったら、何かに寄りかかりたくなったら、なんでもいいよ。いつでも私の所に来ればいい」
「せんぱい…せんぱいっ…!おれ、おれ…うわぁぁぁ……」
押し殺すような泣き方から、堰を切ったように泣き出した彼を、ずっと抱きしめ続けた。

どれくらいそうしていたのか…不意に泣き声が止んで、疲れたような呼吸に変わる。
寝てしまったか?と思ったが、ただ泣き止んだだけらしかった。
「収まった?」
「…うん。あの…」
彼はもぞもぞと身じろぎする。
「もう少しこのままで。本当は泣き顔、私に見られたくないでしょ?」
「先輩、なんでさっきから俺の考えてる事わかるの…?」
超能力かなんか?なんて疑問には、思わず噴き出した。
「これでも、君より年上のお姉さんだから」
1度は緩んでいた腕が、もう一度、ぎゅうと強くなる。
「先輩、苦しくない?俺結構力あると思うから…折れちゃいそう」
「何を今更。平気だよ、折れたりしないって」
「そっか。…何かこうしてるとさ…落ち着くってーか…先輩、柔らかいし、あったかいし」
「人肌も体温もハグもパニクった人を落ち着かせるのに効果あるらしいからね。普通にこうしててたって、落ち着けるんじゃない?」
実際、自分もどこか穏やかだ。
今は体の小さい自分の方が彼に包まれている形だけれど、抱き返す体の力強さは、これは確かに男性の物だと、安心感を与えてくれる。
「何か、ずっとこうしてたいなー…」
呟きに眠気が混じる。やはり泣き疲れているのだろう。
「眠っていいよ、私も時間があるし」
「うん…」
「歌でも歌ってあげようか。外国の歌だけど」
その方が、歌詞も聞き流せて眠気の邪魔にならないだろう。
「先輩、声キレイだし、聴いてみたいかも」
「わかった」
この格好で歌うのは少し辛いが、小声なら何とかなるだろう。
彼が眠りに落ちたらこのままソファで横にさせて…毛布でもかけておけばいい。

………はずだったのだが。

(何で外れないの!?!?)
眠ったら力も抜けて腕も解けると思っていたのに…がっちり抱き締められたままで抜け出せない。
本当に寝ているのか一瞬疑ったが、すぅすぅ寝息が聞こえるので本当に寝ているらしい。
あまり動けばせっかく寝た子を起こすだろうし、腕が緩むのを待つしかなかった。

しばらく後に、様子を見に来た五条先生にバッチリ見られ、変な誤解をされる前に先手を打って事の次第を説明した。
「あ~…ま、生い立ちを聞くにお母さんもお姉さんもいないみたいだしね、君にそれらしい何かを感じたんでしょ」
彼を起こさぬように、そーっと腕を外してくれて、横にさせて。
「お疲れ様。大分しんどかったんじゃない?悠仁馬鹿力だったでしょ」
ぐぐ…と体を伸ばし、凝り固まった筋肉を解した。
「そうですね…見た目より、いや、彼割と着痩せしますね。一見そうでもないのに、抱き締めるとガッチガチでしたよ、筋肉で。わんこみたいな癖に」
「わんこか…確かに人懐っこい子だよね」
「…………させたくありませんね」
「え?」
主語のない呟きでも、五条先生は驚いたようにこちらを見た。
先生に怒ってはいないが、自分の心が冷えていくのがわかる。
「彼、両面宿儺の器ですよね?それなら…対象なんじゃないですか」
「…悠仁に聞いたの。そうだよ。僕が上に掛け合って、今は執行猶予中。悠仁が全ての指を取り込むまでね」
「そんなおつもりないのでは?」
この人、彼が『それ』を成し得た所で執行させる気ないんじゃないだろうか。
そう問えば、食えない笑みを浮かべ、指を私の唇に当てた。
「そこまで。…これ以上は、踏み込まない事を勧めるよ。君はただ、僕がいない間悠仁を見ていてくれればいい。何も知らず、何も気付かないままでね」
それこそが、君の為だと。
先生は、鼾をかいて眠る彼を確かめて、屈んで耳打ちする。
「それとも…悠仁に惹かれそうな自分がいる、とか?毒を食らわば皿まで食らうつもりなら話は別だけど、もう後には退けなくなるよ?」
そう言われたなら、こう答えよう。
「考えさせて戴きます」
どうにもあの子は放っておけない。惹かれる、という言葉は別に恋だけを差すのではないから先生の言う事は間違ってはいないが……

この気持ちが何なのか見極めたいし、呪物や器とはいえ、両面宿儺に絡む物と関わるならば、心構えと覚悟が必要だから。

おわり
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