刺青少女

『じゃあ、できるだけ早く帰ってくるから、いい子で待っててね』

五条悟に突然『妹』が出来たのはつい昨日の事。
そう言い残し、昼過ぎに家を出た五条は思ったよりも遅くなってしまった事に慌てて、足早に自宅に戻る。

「ただいま~まとい、いい子にしてた?ごめんね遅く…あれ?」
部屋の中は薄暗い。
テレビが点いている訳でもないし、今まで通りのひとり暮らしの部屋だった。
(あの子が一人で出掛けるはずもないし…連れ戻された?)
過った考えを打ち消す。
彼女の保護には高専の学長が絡んでいる。それに、ここを突き止めたなら彼女を五条が引き取ったとわかる。そうそうおかしな事もしてこないだろう。
「纏~、いな…うわ」
少し驚いた。
彼女は、夕暮れの部屋の中、幽霊のように佇んでいた。
部屋の隅の方で正座して、入ってきた五条を無表情に見上げ、蚊の鳴くような声で「おかえりなさい」と呟いた。
「ただいま…どうしたの、明かりも点けないで…まさかずっとそこでそうしてたの?」
こくり、と頷く。
「ご飯は?何か食べた?」
家の中の物は何でも使っていいし、食べ物も自由にしていい、と言ってあったのだが…黙って首を振る。
「昨日、食べたから…あ…お水は、もらった…」
「待って、ちょっと待って」
昨日。確かに学長の所で顔を合わせ、その後連れて来る時に「今日は遅いから」とコンビニで食料調達した。
その時彼女は、一口サイズの小さなパンをひとつ、食べたきりだった筈。
五条は彼女と目線を合わせ、肩に手をかけて恐る恐る聞いた。
「もしかして…毎日は食べ物もらってなかった…?」
黙って頷く彼女にもう少し詳しく聞いた話を総括してみると、どうやら…
・食事は3日に一度、あとは置かれていた水
・それも、一齧り程度の米やパン
・中にいる呪霊の影響で、それでも生きられる
…という事らしい。
痛み始めた頭を抱えた。体は苛立ちに震え出す。
(ほぼほぼ完全に虐待だろ。人間扱いなんてこれっぽっちもしてなかった訳か…)
「おにいちゃん…痛いの?」
枯れ木のような手が頭を押さえて震える五条の頭を撫でる。
彼女のこの細さ…恐らく15~6歳と思われる割に、背の高さも細さも中学に上がったばかりに見えるほど。それも痩せぎすとかスリム体型とかいうより発育不良とでも言えそうな細さも、そんな環境のせいに違いない。今日日中学生でももっと体格がいい。
「大丈夫…大丈夫だよ。ご飯、食べようか」
「でも」
「あのね、人は毎日ご飯食べるの。大人になると、忙しいとか食欲ないとかで食べられない事もあるけど、それでも元気なくなっちゃう。君みたいな育ち盛りの子はちゃんと食べなきゃだーめ」
とは言っても、これではいきなり普通の食事はできそうにないか…と、家入に相談してみると『とりあえず、お粥程度から内臓を慣らしていかないと、胃腸をやられるな』と言われたので、従った。
あまり自炊はしない五条が半ば勘とうろ覚えと有り合わせで作った粥でも、彼女は目を輝かせ、その姿に涙を誘われる。
「すごい…おにいちゃん、ご飯作れる…?」
「いや…えっと」
これで感動されても…後でレシピアプリでもDLしてみよう…と思った五条だった。

ちなみに、食事しながら聞いた話だと、やはり一日正座でいたらしい。
刺青を入れられたり、色々診られている時以外ただ部屋でああしていたそうで、本人曰く『何もしていないのが普通』『何をしていいかわからない』との事だ。
「………明日、遊びに行こう。多分体力もあんまりないだろうから、そうだな…普通に過ごせる様になったら、同じくらいの年頃の子たちを紹介するから、一緒に遊んでもいい。何でも、少しずつ慣らしていこうね」
1年にしろ2年にしろ、いい子たちだ。きっとこの子とも仲良くやってくれるだろう。パンダあたりは、会ったら喜ぶかもしれない。
(待てよ…パンダって動物、知らなかったりして…?)
もしそうなら、動物園にでも行こうか…騒がしいのが苦手そうなら、水族館なんかもいいか。
(何か僕、デートの行先決める初々しいカップルみたい)

腹が膨れて(それでも想像以上に小食で不安になる)眠そうにし始めた彼女を寝かしつけ、昨日の今日でようやく日用品などなど、色々入用な事に気が付いた。
(簡単に調達できそうなものは伊地知にでも頼むとして…好みが分かれそうなものは本人連れて…好みとかなさそうだなぁ)
「あ、そうだ」
スマホを取り出し、家入にLINEを送る。
『家入、彼女の3サイズとか計った?』
既読はついたが、だいぶ長い事返事がない。
まさかと思って補足する。
『変な意味じゃないからね!彼女、着替えとかないから!服はともかく下着なんて僕買えないし、買いについても行けないでしょ!行ったらヤバいでしょ!?彼女一人で買い物できるか怪しいし!だから代わりに買ってきて!』
すぐに着信が入る。
『…ビックリしたぞ。そういう事か。確かにお前みたいなのが女性物の下着なんて買ってたら、下手したら事案だな』
あっさり理解してもらえて安堵する。
「そういう事。彼女、食事すらマトモにしてないし研究らしい事以外は1日中座敷牢みたいな部屋で正座してた、って言うんだよ。娯楽も日常生活も多分知らない」
『それは…』
家入も絶句した。
『解呪云々の前に、社会生活へのリハビリが必要かもな。学長からもサポートを頼まれた、女性の方が対応に向いているような場合は連絡しろ』
「あぁ…そういう事もあるだろうね。その時は、お願いするよ」
とりあえず、当座の着替え類を頼んで通話を切ると、今度は学長に掛けた。
『どうした、悟』
「学長、あの子、どこの家から取り戻してきたんです?」
長い沈黙が返ってくる。
『…それを聞いて、どうする?』
「知ってましたか?彼女、相当な扱いを受けてきた。学長、『養女とされていない』って言ってましたよね。それどころじゃない、人間扱いじゃなかった。食事は3日に一欠けら、自分たちが必要な時以外は、まるで『使っていない部屋に置かれた人形』。誰の目にも留められず娯楽も自由もない。これが子供にする事だと思いますか?」
電話を握る五条の手に力が篭る。パキ、と鳴る無機質な音は学長に届いているだろうか。
自分がいない間彼女がどうしていたのか、努めて単調に語ろうとする五条の怒りを電話越しにでも感じ取った学長は、ため息交じりに答えた。
『そこまでとは知らなかった。今のお前に教えれば、何をするのかは火を見るより明らかだが…あの娘は、友の遺した忘れ形見でもあるからな…』
良識と情の迷いで暫く口を閉ざした学長だが、やがてぽつりと一つの名前を口にした。
五条は聞いた事のない名前だったが、元々あまり評判は良くない家らしい。
「一応、聞いてみますけど…例え話ですよ?
例えば。そいつがある日突然姿を消したら、学長、何か困ります?」
「全く何ひとつ困らん」
これには即答された。
その有様に喉で笑った五条は、礼を言って電話を切った。
隣室を覗き、変わらず眠る少女の頭を撫でる。
初めは同情心も大きかったけれど、たった1日で親心のようなものさえ感じ始めた。
穏やかな寝顔にこっそり約束する。
(君は、これから僕がたくさん幸せにしてあげる)

おわり
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