ずっと、待ってる。
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『リヴァイさん、見て!』
フェリーチェがショーウィンドーの前で足を止めた。かつん、とブーツと杖が鳴る。
慌てて振り向けばフェリーチェは靴屋の前で「こっちこっち!」とリヴァイを手招いていて、その顔はほんのりと赤くなっていた。
パッと花が咲いた様な明るい笑顔に、抱いた一瞬の不安と心配は消え、だがそれを悟られないようにリヴァイはあえて溜息を吐く。
「なに興奮してるんだ、お前は」
「興奮するでしょう!? だってこんな素敵なの初めて見たもん……!」
ガラスの向こうを覗くと、一足の靴が薄桃色の花で飾られた台の上に展示されている。
シンプルな、真っ白のヒールサンダル。ストラップについているのはガラスビジューだとフェリーチェは言った。
パラディの碧い海とよく似た色がそこにあった。
「女が好きそうなデザインだとは思うが、お前には少し大人っぽい気もする……。似合わねぇって意味じゃねぇぞ」
「分かってますよ〜私もそう思うもの。上品過ぎて、ね。でも素敵だなぁ……海で履いたら映えるのかなぁ。ねぇリヴァイさん、海ってすごく碧いんでしょう? 青い空、碧い海、白い砂浜――キレイなんだろうな。私も早く行きたい」
瞳をキラキラさせて、フェリーチェはサンダルとリヴァイを交互に見る。
「あぁ」
パラディ島内の巨人をほぼ淘汰した調査兵団は、初めて海に到達したあの日から何度も壁外調査として未踏の地や海岸へ出向いていた。
海――いつ見てもそこはただただ広く、波の音は不思議と心を落ち着かせる。
アルミンが見つけた巻貝は耳に当てると波の音が微かに聴こえ、同じ様なものをリヴァイがフェリーチェへ贈ると、彼女は目を瞑り小さく響いてくる音に喜んでいた。
『私も海に行ってみたい』
フェリーチェの口から夢の欠片が落ちるようになったのは最近だ。金平糖みたいな小さな欠片。数える度、早く叶えてやりたいと思う。
「確かに色は映えるだろうが、履いたらそのヒールは間違いなく砂に埋もれるな」
「え」
固まるフェリーチェ。次に「砂そんなにあるの!? 埋もれるって……それじゃ汚れちゃう」としゅんとする。
その表情が愛おしくて。
リヴァイは優しく包み込む様にフェリーチェを横向きに抱き上げた。
「わっ!?」
「こうすりゃ問題ない」
「もっ……もう! 公衆の面前で突然抱っこするの禁止! 恥ずかしいっ」
「何が恥ずかしいんだ。大声出してる方が目立って恥ずかしいだろ」
「ぅぐ……そうだけど……」
さり気なくフェリーチェの手から杖を取り上げる。フェリーチェは自由になった手をリヴァイの首に回し、頬に軽く口付けた。
「サンダルにはやっぱりワンピースだよね。でね、それを着てリヴァイさんと海に行くの」
「ほう――いいな」
「でしょ? リヴァイさん、いっつも白いシャツだから私も白にしようかな。ふふっ、そうしたら二人とも真っ白!」
「空も海も青いんだ、それくらいで丁度いいだろう。それにフェリーチェ、お前は誰よりも白が似合う……海にいるお前は綺麗なんだろうな……」
「白? 私は、リヴァイさんに似合う素敵な女性になりたいんだけどなぁ……」
フェリーチェを抱いたまま歩き始める。このまま兵舎に帰る事にした。今日はいつもより歩いたから疲れている筈だ。
また少し軽くなった身体を抱きしめリヴァイは呟いた。
「俺には初めからお前しかいない。似合う似合わないなんて関係ねぇぞ」
「……うん――」
――フェリーチェは頷いて、今度はリヴァイの首に顔を埋める。
「リヴァイさん、約束ね」
甘い香りと金平糖がひとつ。
「あぁ……」
抱きしめる腕に力をこめた。
「待って待って!」
「早く! 置いてくよ〜」
「私が先なんだからねっ」
「違うよ、僕だっ」
前から子供が四人、笑いながら駆けてきた。そして楽しそうに、跳ねる様に去っていく。
それを横目で見送ったリヴァイは、切なげに微笑んだ。
時間を巻き戻して足掻いたら、フェリーチェの残り少ない時間は変わるのだろうか――。
✽✽✽
バルコニーの窓を開け外に出て、小さな白いテーブルにコーヒーを置いた。朝に飲む一杯のコーヒーは眠気覚まし。夢と現実の間で揺蕩う想いを一度リセットする為のルーティン。
苦手だったコーヒーの味が少しずつ分かるようになってきたのは、素直に喜ぶべきなのだろうか?
(まぁ……店で出すブレンドの参考にはなるが……)
――そういう事ではないだろう。
程よい苦味の茶褐色を口に含み、自嘲した。
青い空と碧い海、白い砂浜。ここから見える景色は、遠い過去に見たあの場所にどことなく似ている。
店舗兼自宅に出来る物件を探し始めた時、条件を詳しく話す前にここを紹介され、即決で決めた。
これは運命だ――見えない何かに導かれている。本気でそう思った。
実際、この街に移り住んでから前世で共に戦ってきた仲間達と再会を果たしている。その輪は今も確実に広がっていて、今度はいつ、誰と、と皆で話している位だ。
「フェリーチェ……」
愛おしい存在の名は、ふとした瞬間に零れる。前世の記憶を取り戻す前から、その音は頻繁に自分の口から溢れ落ちていた。
何の事か分からなかったそれが、狂おしいほど愛おしく、何にも変えられないかけがえのない彼女の名と思い出した時は、愛と後悔の念に潰されそうだった。それまで忘れていた自分の事を許せず、荒れた時期もあった――。
「……逢いたかった」
生まれ変わったら必ず探し出してみせる。強く強く誓った最期の日。
もう零れ落ちる事のない金平糖が詰まったぬくもり残る彼女の唇から、甘さも何もかも全て受け取り、心身に刻んだあの数時間。
別れの日は悲しいだけではなかった。苦しみから解放された穏やかなフェリーチェの顔は、「待っているから迎えにきて」という新たな約束を残していった様に見えて。絶望がほのかな希望に変わったからだ……。
「待つのは辛いな……フェリーチェよ。あの日のお前が俺に恨み言を言ったのは当然だ」
――フェリーチェを蝕んだ病は、最後は彼女の足の自由を奪っていった。行動範囲もどんどん狭くなり、最後はベッドの上で一人、全てを待つだけになって……。
だがフェリーチェはベッドの上でも自分の腕の中でも、限られた世界と時間をいつでも慈しんでいる様だった。
『リヴァイさんの瞳になれたらいいのに。そうしたら、いつでも一緒。いつでも同じものを見ていられる』
『でもそうなったら、私を見てくれるリヴァイさんのこの優しい顔……見られなくなっちゃうのか。究極の選択だなぁ』
穏やかな波の音を聞きながら思い出すのは、自分なんかより数百倍……いや表せないほど優しい表情。最後まで自分が守りたかった笑顔。
(それがまさかあんなに怯えた顔を……)
再会の時にはフェリーチェは笑顔を見せてくれると思っていたのは、ただの自惚れだったのだ。こうなる事を想像すらしていなかったなんて愚かにも程がある。
記憶も、愛も、そこにあると信じて疑わなかったが……違っていた。
――あぁ、それでも。
(俺は今、良かったと思ってる……。フェリーチェ、お前は俺から逃げようと必死に走っていたな……)
傷付き一瞬凍った心がジワリと溶けていく。
地面を押す足、弾み揺れる長い髪。
あの世界でもう一度見たかった後ろ姿。
それだけで――。
「良かっただと……? 嘘を言うな」
髪をかきむしり、口から出るのは己を窘める言葉。
溶けた心の一滴が右目から溢れ落ちた。
本当はそれだけじゃ満足出来ないくせに。
追いかけて、捕まえて、思い切り抱き締めて、最期の冷たさをもう二度と思い出さない様に温かなフェリーチェの体温を取り戻したかったくせに。
願望と欲望が、フェリーチェと再会した日からどんどん増していた。
待つと決めた筈なのに、毎日フェリーチェを探している。この街にいるのだと思うだけで気が狂いそうになる。
なぜ思い出してくれないのだと、行き場のない怒りと焦りが心に渦巻く。
――醜い。とても醜い感情だ。
自分は聖人君子ではない。
本当は、何としてでも思い出させたいし、“あの頃”の様に一晩中抱きたいと思っている。
こんな汚い人間が前世の自分を愛していただなんて知ったら、今のフェリーチェはどう考えるのだろう。
本当は大切に、フェリーチェの“今”の幸せだけを願いたいのに。
それが出来ない自分は、ただの執念深い気持ち悪い亡霊じゃないか。
潮風が通り抜ける。寄せては返す波の音。心を落ち着かせる穏やかな音は、まれに胸の奥を引っ掻いていく雑音になる……。
コーヒーはとっくに冷めてしまった。
(前世と同じ人生はない。分かっている。分かっているが……。フェリーチェ、それでも俺はお前を……)
茶褐色を含めば広がる苦味。最初の一口と変わってしまった理由が知りたかった。
馬鹿な考えが浮かぶ。
――時を戻せば、それを知る事が出来るのだろうか……と。