短編集
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
(そういえば、アイツは地下にいた時いつも本を読んでいたが……どんな本を読んでいたんだろうな……)
そんな事を考える余裕が出来たのは、初めて壁外に出てから数カ月も経ってからだった。ファーランとイザベルを忘れた事は一度だってない。いつも思い出し、その度に様々な感情を味わった。ただ、過去なんとなく過ごしてた時間の、取るに足らない出来事までは思い出せなかっただけだ。
廊下の窓から、新兵達が揃って笑っているのを見ていたら、少し感傷的な気分になった――。
古書店の彼女
「でも、凄いですね。そんな前の事なのに、何冊もハッキリ覚えているなんて」
「覚えているのは本の装丁だけだ。題名を覚えていれば一発なんだろうが……」
「一部でも覚えているのが凄いんですよ。大切な思い出なんですね」
微笑んだフェリーチェは、本の山をふたつ俺の前に置いた。
「とりあえず、聞いた感じで近いイメージのものをピックアップしてみました。でも、ウチの本……奥の倉庫にまだ沢山有るんですよねぇ……。それは店頭にあったものなので、そこに無いなら奥で探してみますね」
「二日でこれだけ見つけてきたのか……?」
「それが私の仕事ですから」
街のはずれにあるこの小さな古書店は、ハンジが教えてくれた場所だ。
——へぇ〜。昔友達が読んでいた本を探しているのか。それなら良い店があるよ。小さいけどかなりの在庫を持っているんだ。で、三代目店主の娘さんが、また古書に関してとんでもなく詳しくてね。題名が分からなくても小さなヒントさえあれば、結構な割合で見つけ出してくれるよ!
半信半疑で訪れ事情を話すと、フェリーチェはあっという間に探していた内の一冊を見つけ出してきた。フェリーチェの知識は、俺の想像をはるか超えていたのだ。
(その力を借りれば、覚えている限りの本を見つけ出す事が出来るかもしれない……)
そう思った時から、俺はこの店へ通う様になっていた。
「フェリーチェが二日かけて探した本を、十分程度で否定する結果になるのも考えものだな。……すまない」
「だから、これが私の仕事なんですって! リヴァイ兵長は気にし過ぎ」
フェリーチェがクスクス笑う。彼女が本の山を店の隅に移動させるのを手伝うと、フェリーチェを追ってふわりといい香りが舞った。これは何かの花の香りなのか? 前から気になっていたが……。
聞けば、フェリーチェは頷き、親戚が北に居ると言った。
「初夏に紫色の花が咲くそうです。私は行った事が無いから上手く説明出来ないんですけど」
「ほう……北の花か」
「ポプリにして沢山送ってくれるから、その匂いが染み付いちゃったのかな。好き嫌いが分かれるらしくて、苦手な人もいる様です。お店に来るお客様もダメって人多いですよ。リヴァイ兵長は……苦手ですか……?」
「いや。俺はそうは思わない」
苦手どころか好きだ。……フェリーチェの香りだと思っているから余計だろうな。
――とは言えねぇ。さすがに。
「良かった。本を探すのにお店に長く居てくれるから、大丈夫なのかな? とは思ってたんですけど……実際聞くとちょっと安心しますね!」
いや。店に居るのは、お前と少しでも長く過ごしたいからだ。
――これも言えねぇな。
本を探しに来てたのに、目的がお前に変わったと、真面目に探してくれているフェリーチェに言っていいものか……。
「落ち着く香りだ。この店の雰囲気にもよく合っている」
「……ありがとうございます」
フェリーチェが喜んでいるのを見て、言わない言葉を頭で繰り返した。
(お前と居ると落ち着く……という意味で言っているんだぞ)
✽✽✽
ふたつの山を崩した日から十日。店へ久しぶりに行くと、フェリーチェは前より高い本の山を五つも作っていた。
その多さに一瞬怯んだが、確認すること小一時間。結果は……フェリーチェの仕事がひとつ終わった。
「一冊発見! 今日は大収穫でしたね!」
「ああ。ありがとう、フェリーチェ。お前のおかげだ」
「お役に立てて嬉しいです。あとはもう一冊ですね……。よく見かけるタイプの装丁っぽいから、ちょっと時間かかるかもな……」
言いながら、フェリーチェは店の本棚を見上げた。店に出している物は、どこに何があるか全部覚えていると前に聞いた事がある。
その頭の良さなら、兵団でも十分通用するだろう。いっそ、フェリーチェを俺のそばへ置くために連れて行ってしまおうか――。
そんな馬鹿な考えが頭を過ぎる。
「えっと……例えばこれ。こんな感じの表紙でした?……リヴァイ兵長?」
香りが自分を包む様に漂う。
ハッとした時には、フェリーチェは目の前にいた。
「フェリーチェ」
「あ……! 私ったら、自分は全然平気だからって気付かなかった!……疲れちゃいますよね? ずっと選別作業してたし、床から天井まで本だらけだから、目、チカチカしたり……」
「いや……そういう事は」
「本当に?……大丈夫ですか?」
「……あぁ」
違う意味では大丈夫じゃねぇが――。
なんで今日はその花の香り、いつもより強いんだ。お前不足だった俺には相当キツイ……。
「でも休みましょう。お茶用意しますから……」
フェリーチェは俺の横を通り過ぎて店の奥へ消えようとした。
足下の本の山を避けた事で、ぶつかるぞと言いたくなるほど近くに来る。
――案の定、下ばかり見ていたフェリーチェは俺に気付かずぶつかってきた。
しかも、運良く俺の胸に飛び込む形で。
(まずい――)
接近戦でこんな凶器を出されたら、あえなく敗戦だ。おまけに逃げ道もないじゃないか。
俺の足下に散らかったままの本はこの店の商品だ。下手をして踏んではいけない。
目の前の娘に手を出しても……いけない。
「気を付けろ。平気か?」
「……ごめんなさいっ!」
まさか腰や背に手を回す訳にもいかず、肩に手を置く。すると、俺を見上げたフェリーチェからまた香りが……。
間近に可愛らしい顔。誘惑してくる香り。なんの苦行だ、これは。俺は試されてるのか?
フェリーチェは、ジッと俺を見上げたまま動かない。手も振り払われる様子が無かったので、つい俺もそのままフェリーチェを見ていたが……これで間が持つ訳ない。
結局、疑問を口にし時間を進める。
「………香りが」
「へっ!?」
「今日はいつもより強い様な気がする」
「あっ! そ、それは……多分石鹸のせいです」
「石鹸?」
「あの花、ポプリだけじゃなく石鹸もあるから」
「ああ、それでか」
「ちょっとキツイですか?」
「そういう意味で言ったんじゃねぇよ。フェリーチェに似合う香りだしな……俺はこれ位の方が好みだ」
どさくさに紛れて、少し踏み込んだ事を言ってみた。感の良い女なら気付く、ギリギリのラインってところだろう。
フェリーチェは嬉しそうに笑った。
「良かった……!」
無邪気な笑顔を向けてくるという事は、本当の意味には気付かなかったという事か? まぁ、女は少し鈍い位が可愛い。フェリーチェは条件無く愛らしいが。
「リヴァイ兵長。お茶の前にこれだけ。どうです? この表紙はお探しの物に似てますか?」
「……かなり似てるが、色合いが少し……? ああ、そうだな、ここに刺繍の様な赤いラインがあった」
フェリーチェの持つ本を見て、記憶が鮮明に蘇った。指で上下部分をなぞると、フェリーチェの表情が変わる。
「あ……それ……。リヴァイ兵長、分かりました……私」
コクリと頷き、フェリーチェは微笑んだ。
✽✽✽
「リヴァイ兵長が探している本を読んでいた方って……」
次の日に店を訪ねると、フェリーチェがそう聞いてきた。眺めていた本を棚にしまい、彼女を見る。
「どうした?」
「どんな方だったんですか?」
「どんな? まぁ、割と頭の回転は速かった方か……。後は……面倒見が良かった。他の奴に勉強を教えたりしてな」
「いつも一緒に?」
「共に生活していた」
「……そうですか」
フェリーチェは、本を胸元で抱え、呟いた。
その本を今度は俺にスッと差し出すと笑う。
「これじゃないでしょうか。最後の一冊」
「っ!……見つけるのは大変そうだと言っていたが、よく分かったな……これだ」
「リヴァイ兵長の覚えていたこの部分のラインは、特殊な糸を織り込んでいてこの本の初版にしかありません。大変珍しく、高価で取引されています」
「そうか。なるほど……」
地下にある様な物は、大概上からの盗品だ。それをまた上の奴らに転売すれば、いい金になる。ファーランがいつの間に持っていた本も、その辺りから拝借してきたものだったのだろう。
「その方のこと……好きだったんですか?」
「は? 好き?」
――考える。
アイツ等とはいつの間にかつるむ様になって、悪さをよくしたものだが……。
好きってなんだ? 二人に対しては、仲間意識はあったがそういう意味でか?
「好きか嫌いかで分類するならば、まぁそっち寄りになるんだろうが……」
(男同士で好きとか、気持ち悪ぃな。言うなら友情と言った方が正しい。イザベルは女だが、そういう目で見たことねぇし……)
「す、好きなら好きって……はっきり言ってください! 諦めますから!」
……は?
「何言ってんだ? フェリーチェ」
「とても大切な方なんでしょう? 今もずっと想って……。読んでいた本を探して、その人を思い出すんだって言ってたじゃないですか!」
「偲ぶ思いがあるとは確かに話したが……?」
「見つけた時のリヴァイ兵長の顔は、いつもすごく優しい目をしてましたよ? あ、本当に大事な人なんだなって、わたし思いました。だから、気になってたんです。そのお相手……」
俺はそんな目をしていたのか。
単純に、本を見つけて喜ぶフェリーチェの顔を見ていただけのつもりだったのに。
「探していた本はジャンルはバラバラでしたけど、どの本も珍しくて、当時はきっと手に入り難いはずだったものばかりです。きっとその方は本当に本好きで聡明な人だろうと……」
いや。なにせ金目当ての盗品だ。貴重な品なのは当たり前で、そこから盗んできたアイツも選り好みしてきたとは思えねぇ……。
だがその話を、フェリーチェにどう説明すればいいんだ。
「とりあえず落ち着け。本に関しては説明がいる」
「最後の本を見つけて、分かったんです! その方やっぱり女性なんですよね?……亡くなった後もこんなにリヴァイ兵長に想われてるなんて」
「いや、男だ」
「私じゃ敵いっこないっ!」
お互いの言葉が重なる。
「敵わない?」
「男?」
と、また重なった。
普段は物静かなフェリーチェが、興奮して一気に捲し立てて喋るのは初めて見る。本人も勢いに任せて喋っていたのだろう。その勢いを「男」という一言で断たれ、茫然としていた。
「……うそ。だってこれ……。え? ちょっと待ってください、いま整理を……」
ソロソロと俺から離れようとするフェリーチェを、黙って逃がす訳にはいかない。
聞き流せない言葉を聞いたぞ、今。
本を取り上げ、本棚と自分の間にフェリーチェを追い込む。
狭い空間の中で、フェリーチェは上目遣いで俺を見た。
戸惑っている姿とその目に理性を失いそうになるが……まだ駄目だ。まず確かめないと。
「敵わないって何にだ?」
「いえ……その……それは……」
「お前はずっと勘違いしてたんだろう? 俺の“大切な誰か”は女だと。なぁ?」
「……」
赤い顔で目を泳がし始めたフェリーチェに、一言放つ。
「はっきり言ってくれ。俺もどうしたらいいか分からねぇ……俺の考えは間違っているのか? 諦めた方がいいのか?」
「えっ」
目を丸くしたフェリーチェは、「う」だか「あ」だか零してから、言った。
「あ、あなたが……リヴァイ兵長が好きです。あの、だから諦めるとかは……その」
俺がフェリーチェの額に口付けたのは、ほぼ同時だ。顔を見れば十分だったが、その言葉を聞きたかった。
まぁ、それもあるが、何か喋らせていないと唇を奪いたくなってしまうという理由の方が強い。かろうじての理性くらいはまだ保たねぇとマズイしな……。
「女だと思った理由は?」
「ちょっと待ってくださ」
「このままだ。退く気は無い」
額と額を合わせ目を閉じた。花の香りが鼻腔をくすぐってくる。
早く言え。本能が勝つ前に――。
「こ……これは……女性に大人気の恋愛小説作家の、幻の詩集なんです。今は恋愛小説で有名な作家ですけど、デビュー作は詩集で、その後詩集は出していません。さっきも言いましたが貴重な初版は部数が少なくて、重版した物には無い装飾の装丁が特徴……」
「詩集?」
フェリーチェから顔を離し、本を開く。そこには、男に向けた気持ちを、こっ恥ずかしい単語の羅列で表現した文とも言えないような文が並んでいる。確かに男が好んで読む様なモンではないと思うが……アイツ読んでたな。
しかも何度か。
「ほう……。これを」
これならフェリーチェが誤解しても無理は無い――。
見下ろすと、フェリーチェが「ね?」と俺に確認してきた。
「女性だって思うじゃないですか」
「そうだな」
急に可笑しくなってきて笑いが込み上げてくる。アイツはアイツで、これを読もうとした時にはさぞかし驚いただろう。
でも、捨てずに律儀に読むのがなんともファーランらしい。
いつかイザベルが「兄貴! ファーランがおかしくなった!」と言っていたのは、もしかしてコレを見たから……か?
笑っている俺を、フェリーチェは困り顔で見てきた。
「だから私はてっきり……」
「俺が偲ぶ相手が女だと」
「だってあんな顔してたし」
「優しく大事に思う目ってやつか」
「…………」
顔をそむけたフェリーチェは頷いた。恥ずかしそうな表情だが、やや拗ねている風にも見える。
(お前は俺をどこまで誘いたいんだよ……)
「それはお前に向けたもんだ」
「え?」
「自分に向けられているとは思わなかったのか?」
「思う訳ないじゃないですか!」
「……そうか。それなら、これからはフェリーチェにも分かるように向けなきゃならねぇな」
「リヴァイ兵長……?」
もう一度、額同士を合わせた。
互いの鼻先が触れる。
「今日も香りが強い」
「お客様が来るから今まで使わなかったけど、リヴァイ兵長がこの香りが好きって言ってくれたから……」
「……。そりゃあ堪らねぇな」
「!?」
そのまま唇に触れようとすると、フェリーチェは「あ」とそれに戸惑いを見せる。
……拒むのかよ。この状態で。
「す、好きなら好きってはっきり……言ってください……」
「そうきたか」
「だって……!」
……まぁそうだな。フェリーチェに言わせたクセに、こっちは言ってない。
「お前だけが好きだ」
「よかった……うれしい」
伝えるべき言葉を言った後は、何度もキスを交わすだけだ。
過去と現在を抱きしめながら――。