純粋さは狂気にも成り得る
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✽✽
(どうしよう……)
どうやってその場を離れたのか覚えてない。数分前の事なのに全く覚えてない。
気付いた時にはこうして暗い廊下を速足で歩いていて、どうしよう、とそれだけを考えている。
――知ってしまった。
あんなに分からなくて首を傾げていた問題なのに、一瞬で解けるなんて。
行き詰って苦しんでた研究内容が、ちょっと視点を変えて問題点を見つめたり、参考数値を入れ替えてみた事によって劇的に変化した時みたいだ。
目の前に沢山あった障害物が一気に取り払われて、眼前に広がる光景に感動で肌が粟立つ瞬間。まさにその感覚を数分前に味わった。
単純にタイミングが合っただけなのかもしれない。
だけど、クライダーからの告白と口づけが無かったらずっと知らずにいた気がする――。
(……あの“好き”だったんだ)
「どうしよう……ハンジさん……にっ!?」
床に向けたはずの独り言が、落ちずに壁にぶつかった。
壁? だれ? すみませんっ!
「何してる」
「わ! リッ……! ごめんなさいっ」
見なくても分かって……というよりも、胸元に突っ込んでいったから視界は白。声で分かった。
どうしてリヴァイとは、毎回待ち合わせた様になるのやら――。
「ちゃんと前を見て歩かねぇと、人か壁にぶつかるだろうが。今みたいにな」
「こんな時間だから、誰も居ないと思って……」
「ほう……。その“こんな時間”に、お前はどうして廊下をほっつき歩いてる」
「……き、気分転換……」
間違ってない。そのつもりで部屋を出て来たのだから間違ってない!
気分転換中に何があったかまでは説明を求められてないから、そこは答えなくても大丈夫――。
「気分転換?」
「ちょっと色々行き詰っててですね! う、ウロウロしてれば突破口が見えるかな? と思ってたら、あら不思議! こ、こんな所に!」
「フェリーチェ」
「……は、い」
「俺の顔を見ねぇ理由は?」
「とくにりゆうは」
「無いとは言わせねぇぞ」
恐る恐る顔を上げると怖い顔のリヴァイ。
いつもと変わらない様に見えるけど、二割くらい迫力が増してる気もする……辺りが暗いせい?
「えっと……」
迫力に気圧され、すぐに目を逸らしてしまった。勢いで本音も出てしまう。
「色々、こわい……からでしょうか……?」
「あ?」
「うっ」
(もう今日は……とにかく早く部屋に帰ろう!)
迫力に背が寒くなったり、距離の近さに顔が熱くなったり――体温の不安定さは発熱時と変わらないじゃないか。自分は今、具合悪そうに見えてるかもしれない。
(ううん、それならまだ……。変な顔してたらどうしようっ……)
「いやっ、あの、ちょっと私お先に失礼しま」
「おい!」
リヴァイの横をすり抜けようとしたけど、あっさり手首を掴まれた。
当たり前だ。こんな近くにいれば、少しの身動ぎで伝わってしまう。
特にリヴァイの様な人には。
「待て、フェリーチェ。行くな」
「いくなって……あ……!」
“手首を掴まれて引き止められる”
相手は違えども、気付けば同じ事が繰り返されてるのに驚いた。クライダーとリヴァイが嫌でも重なる。
そして、二人の姿が想像だけじゃなく現実で横並びになるのを予感したのは、遠くに物音を聞いた時だった。
少し速い……足音。角の向こう側だけど、音はしっかり響いてくる。
(まさかクライダーが追って来た……の?)
「え……なんでこっちに……やだ」
「――は? お前は逃げてるのか?」
「たぶんっ」
「多分?」
リヴァイの問いかけには即座に大きく頷いた。
よりによってこんな時に、リヴァイとクライダーと自分が勢揃い……なんて……ちょっと困る。
どうしよう。どうすれば。
とにかくリヴァイの前でクライダーと会うのだけは今は絶対に嫌だ――。
「――来い」
リヴァイはそれ以上言わず、フェリーチェを引っ張り長い廊下を歩き始めた。
フェリーチェの様に焦ってはいないのだが、対応には困っているのか「クソが……」と低く呟き舌打ちを。
後ろを気にしながら歩くフェリーチェとは対照的に、リヴァイはただ前だけを見て歩き――。ふと足を止めた。
「ここじゃ長過ぎてすぐ見つかる……。賭けるしかねぇか」
「へ?」
「死角に入ってやり過ごす」
「は?」
そう言うやいなや、リヴァイは柱の陰にフェリーチェを引き込んだ。
「いいか、気配は消せよ。すぐ気付かれる」
「えっ!?」
(気配を消す? どうやってやるんですか? それ!)
それくらい出来るだろう
出来ないですよ!
と、目だけで会話。
無理と首を振る自分に、リヴァイは「嘘だろ?」と言いたげな顔だ。
いやいや! 普通は出来ないですから!
こっちも「嘘でしょ?」と無言で言い返す。
人類最強と同レベルの技術を求められても、それは無茶な相談というもので。
眉を顰めたリヴァイに、もう一度……今度は激しく首を振った。無理ムリ無理ムリ! あ。振り過ぎてクラクラしてきた!
「……。それなら、少しの間息止めてる位の努力はしてくれ」
「んっ!?」
リヴァイの声が耳朶に響く。潜められた声は甘い囁きみたいで、くすぐったさと恥ずかしさに思わずビクッと跳ねてしまった。
柱の陰。相手の死角。極端に限られた場所に二人で隠れてるんだから、この密着度は当然。
腕の中に入れて貰えるのも、“緊急事態”ゆえ。
だから、抱きしめられてる? なんて思うのはおかしい。いつかの夜みたいだなって思い出すのもおかしい。
今は“緊急事態”なんだから――。
窮屈な中、そっとリヴァイの顔を見上げてみる。向かってくる相手を待つリヴァイは、こちらではなく廊下を睨みつける様にしていた。
鋭い目。前から知ってるこの瞳が、いつもとは全然違って見える。
(どうしよう)
見つめ続けることは出来ずに、リヴァイの胸元へ顔を埋めギュッと目を閉じた。
胸が苦しい……。
駄目だと自分に言い聞かせても、でも、ずっとこうしてたいと思ってしまう……。
速度の変わらない足音は少ししてから自分達に追い付き、あっという間に横を通り過ぎていった。
――歩いてきた人物はやっぱりクライダーだった……様で。
「随分と焦っていたから余計だったんだろうが……アイツの愚直さに救われたな」
「はぁ……」
クライダーの視線は廊下のずっと先しか見てなかった、とリヴァイは教えてくれた。
(この長い廊下で私の後ろ姿を見つけられない事を、クライダーは不思議に思わなかったのかな?……もしかして、それも気付かないくらい必死に追ってたってこと!? 私のこと!?)
「なぁ……フェリーチェ。ひとつ聞きたい事がある。いいか?」
「はい……?」
部屋まで送ってやる、と言ってくれたリヴァイと歩き始めた時に、そう切り出された言葉。フェリーチェは、リヴァイの低く重い口調に不安と嫌な予感を感じる。
そして、それは次の言葉で現実となってしまった。
「クライダーの言ってた“あんな事してごめん”って何だ? お前ら一体何してた」
「……」
サァっと、一瞬でフェリーチェの背中が冷えていく――。
(どうして? 何? クライダーが言ってた、ってどういう事?)
「ブツブツ同じ事を呟きながら歩いてたぞ。死人みてぇな面してな」
「……え」
「クライダーは、お前が逃げたくなる様な事をしたのか……」
「…………」
リヴァイの声が水中で聞く音の様に聞こえた。
暗い廊下は、まるで永遠に続く寂しい一本道の様。
その一本道に一緒に立つリヴァイの顔も、どことなく哀し気な雰囲気に思えてくる。
それは、自分が哀しいからなのか……?
(どうせ知られるなら、ハンジさんの方が良かった――)
フェリーチェは、そっと下唇を噛んだ。
(喧嘩した流れで……みたいな感じで曖昧にしたら、リヴァイさんはそれ以上聞いてこないかもしれない……)
一瞬とはいえ、狡さしかない考えが浮かぶ。
でも、リヴァイはそんな自分をどう思うのだろう。目の前の瞳に自分はどんな風に映る?
――駄目。駄目だ。
リヴァイには、もう誤魔化しの嘘は吐きたくない。前みたいに怒らせたくない。
あの時と同じこの廊下で、過ちを繰り返すなんて……絶対にあっちゃいけない事だ。
きちんと、嘘無く話さないと――。
「好きって言われたんです」
立ち止まらず歩こうと思ったのは、そうしていればリヴァイの顔を見なくても不自然じゃないから。
こんな話を、リヴァイの目を見ながらなんて出来ない。
「……そうか」
「びっくりしちゃって。だってクライダーの言う『好きだ』は、私がクライダーに思ってたのと違いましたし」
「だろうな」
チラッとリヴァイを見ると苦笑された。きっと、ハンジも似た様な反応をするだろう。
想いの違いが解ってしまえば、ハンジがくれた『親愛と情愛』というヒントは、ヒントでもあるけど答えそのものだと思う。
「それでお前は」
「……怖かったです。すごく」
迷いも無く向けられた言葉が、全部自分の中にある想いと重なった。
それがきっかけで、クライダーがぶつけてきた感情は、自分がリヴァイへ抱いてるものと全く同じものなんだと了知して。
「クライダーはよっぽどお前に『好きだ』と伝えたかった様だな。……剥き出しの感情ってやつは、良くも悪くも受ける側の心をえらく揺さぶるもんだ。お前は特に影響され易そうだから……まぁ……無理もねぇだろ……」
リヴァイは、溜息混じりにそう言った。
「私は……」
(クライダーが怖いというより……自分が怖かったです)
――私を知って欲しい。他の人は見ないで自分だけを見て欲しい。リヴァイさんの事が知りたい。許されるならもっと側にいたい。
離れていかないで。キスがしたい――。
(私……こんなに!?……リヴァイさんを?)
「だから、あの時は困ったというか……その……」
クライダーは鏡に映った自分だった。リヴァイを好きでいる自分と瓜ふたつ。
だから、感情のまま動いたクライダーを押し退けたら、自分の気持ちや行動をも否定する事になってしまう気がして。
それで――。
「フェリーチェ?」
「……ごめんなさい」
フェリーチェは、手の甲で唇を拭った。
とっくに消えた筈のオレンジの味が口内に広がる。
甘くはなく、ただ苦い。
苦い。
「……オイ」
苦さが戻ってきた途端に、罪悪感でいっぱいになった心。
違う男と唇を重ねました、と、リヴァイにキスをせがんだ自分が言えるの? 後悔したって何したって、浅ましい行動が消えた事にはならない――。
強く擦った唇がヒリヒリと痛んだ。
身体は、中に鉛の塊を埋め込まれた様に重く、歩幅も少しずつ狭まってきてる気がする。
(ちゃんと話さないとって思った癖に。何してるんだろう……)
「オイ、止まれ。フェリーチェ」
「……は……い」
リヴァイに先を阻まれ、フェリーチェはやっと覚悟を決めた。恐る恐るリヴァイを見上げる。
そこには厳しい顔つきのリヴァイがいた――。
「クライダーはお前に謝り、お前は俺に謝る? どうしてだ?」
「それは私が……あの……」
「……さっき、俺はお前に逃げてるのかと聞いたんだったな」
「えぇ」
「お前は、多分と答えた」
少し冷たい目に頷く。
「……多分、なのかよ」
「え?」
「お前の行動は、さっきも、今までもあの時も、そんな曖昧なもんだったって言うのか……?」
リヴァイから出てきた言葉は、フェリーチェには想像もつかなかったもので。
それだけに、深く胸に突き刺さった。
(今までも……あの時……って……)
「っ違います! さっきのはそういうんじゃない! あれは私が変な答え方しちゃっただけで……ちゃんと考えなかったから!!」
フェリーチェは、リヴァイのシャツを握り締めた。
違う、とまた否定して。
「今までは自覚してなかった……。でも、今はハッキリ分かります。私はリヴァイさんに曖昧な事なんてしてきてない。“あの時”だって——!」
「……」
「本当です。信じてください」
「……フェリーチェ」
頬に触れてきたリヴァイの手は少しひんやりとしていて、それは夜の気温のせいなのかと思った。
親指が唇をなぞった時もそう。
両頬を包まれた時も――。
「クライダーとキスをしたんだな」
「っ…………はい」
「お前は……いや……なんでもない」
言いかけて口を結んだリヴァイは、代わりにフェリーチェの頬をそっと撫でた。
くすぐったいだけじゃない、ろうそくの灯火の様な揺らめきが胸の中に現れ、思わず指と肩にきゅっと力が入る。
それが伝わったのか、リヴァイの手にも僅かに力が。俯くな、と言う瞳。
返答は見つめるだけで済んで――。
(……あ。そうか……)
ふと気付いた。
リヴァイの手が冷たく感じるのは、自分の頬がとても熱くなってるからなのか――。
「俺は、クライダーみたいにはなれない……」
「え?」
リヴァイは、自嘲を口の端に浮かばせ言った。
「手探りで行く事しか出来ねぇなんて……笑っちまうが」
「てさぐ……っ」
聞く前に、傾いたリヴァイの顔がゆっくりと近付いてくる。
だけど、自分はそれに疑問なんか一つも感じない。ただ気持ちのままに目を瞑り、リヴァイの唇を待つだけだった――嬉しさと一緒に。
それなのに、唇と唇が触れ合ったのは数秒にも満たない一回のまばたきの間。
物足りなさを感じてしまう。
「いいのか?」
「え……なんで……聞くんですか」
「……逃げねぇなら続けるぞ」
ちょっとだけ首を動かして頷きを。待ってたのに、とはさすがに言えないので、それが精一杯だ。
逃げないなら続ける
そう宣言しながらも、リヴァイは確かめる様に触れてから浅く合わせた。
浅い重なりは、一度離れ再び重なる毎にその時間を伸ばしていく。
前にした夢みたいな儚いキスとは全然違う。クライダーのキスとも全然違う。優しくて幸せな――。
「リヴァイさん……」
「なんだ」
「……もっと……」
「…………フェリーチェ。お前、そうやってクライダーの地雷踏んだんだろ」
「へ?」
いつもより低い声で言われ目を開けると、大真面目な顔のリヴァイが自分を見ていた。
その様子でクライダーの名前が出て来たという事は、リヴァイは怒っている……?
やっぱり、自分のした事は相当な罪に値するのかもしれない?
常識外れめ、というリヴァイの言葉が聞こえてくるようだった。
「す、……すみません……」
「誰が責めてると言った」
(違うの!?)
「お前は隠し持ってる事が多いからな……」
違うと証明するかの様に、リヴァイはフッと笑みをもらす。
一瞬切なそうに見えたのが少し引っ掛かったけど、普段は見られない微笑みに胸がキュッと熱くなり、その考えはすぐ感動の奥に埋まってしまった――。
「教えてくれ。……今じゃなくても構わねぇから……」
「それ! 私も知りたいんです。リヴァイさんの事、もっと」
「……っ!?」
え。そんなに驚く?
という程、リヴァイの瞳が見開く。
「クソッ……本当にお前ってヤツは……」
しかも、何か悔しがられてるし?
フェリーチェが首を傾げたところで、リヴァイの手は再びフェリーチェの頬を撫でた。
好きになった人の手は、他の誰よりもあたたかくて安心する。寄り添って甘えたい。もっと触って。
(誰かを特別な存在として好きになるって、こういう事なんだね……)
ウットリ目を閉じたフェリーチェに、リヴァイが口付けた。浅く、そこから少し深く――。
「フェリーチェ……一つ教えてやる……」
「リヴァイさんのこと?」
「そう……なるのか?」
「なんでまた聞くんですか……」
「…………」
そうして、リヴァイが教えてくれた事。
数分後、今度はフェリーチェの目が、
(リ……!? リヴァイさんの舌……した……がっ……!)
驚きに見開いていた――。
(どうしよう……)
どうやってその場を離れたのか覚えてない。数分前の事なのに全く覚えてない。
気付いた時にはこうして暗い廊下を速足で歩いていて、どうしよう、とそれだけを考えている。
――知ってしまった。
あんなに分からなくて首を傾げていた問題なのに、一瞬で解けるなんて。
行き詰って苦しんでた研究内容が、ちょっと視点を変えて問題点を見つめたり、参考数値を入れ替えてみた事によって劇的に変化した時みたいだ。
目の前に沢山あった障害物が一気に取り払われて、眼前に広がる光景に感動で肌が粟立つ瞬間。まさにその感覚を数分前に味わった。
単純にタイミングが合っただけなのかもしれない。
だけど、クライダーからの告白と口づけが無かったらずっと知らずにいた気がする――。
(……あの“好き”だったんだ)
「どうしよう……ハンジさん……にっ!?」
床に向けたはずの独り言が、落ちずに壁にぶつかった。
壁? だれ? すみませんっ!
「何してる」
「わ! リッ……! ごめんなさいっ」
見なくても分かって……というよりも、胸元に突っ込んでいったから視界は白。声で分かった。
どうしてリヴァイとは、毎回待ち合わせた様になるのやら――。
「ちゃんと前を見て歩かねぇと、人か壁にぶつかるだろうが。今みたいにな」
「こんな時間だから、誰も居ないと思って……」
「ほう……。その“こんな時間”に、お前はどうして廊下をほっつき歩いてる」
「……き、気分転換……」
間違ってない。そのつもりで部屋を出て来たのだから間違ってない!
気分転換中に何があったかまでは説明を求められてないから、そこは答えなくても大丈夫――。
「気分転換?」
「ちょっと色々行き詰っててですね! う、ウロウロしてれば突破口が見えるかな? と思ってたら、あら不思議! こ、こんな所に!」
「フェリーチェ」
「……は、い」
「俺の顔を見ねぇ理由は?」
「とくにりゆうは」
「無いとは言わせねぇぞ」
恐る恐る顔を上げると怖い顔のリヴァイ。
いつもと変わらない様に見えるけど、二割くらい迫力が増してる気もする……辺りが暗いせい?
「えっと……」
迫力に気圧され、すぐに目を逸らしてしまった。勢いで本音も出てしまう。
「色々、こわい……からでしょうか……?」
「あ?」
「うっ」
(もう今日は……とにかく早く部屋に帰ろう!)
迫力に背が寒くなったり、距離の近さに顔が熱くなったり――体温の不安定さは発熱時と変わらないじゃないか。自分は今、具合悪そうに見えてるかもしれない。
(ううん、それならまだ……。変な顔してたらどうしようっ……)
「いやっ、あの、ちょっと私お先に失礼しま」
「おい!」
リヴァイの横をすり抜けようとしたけど、あっさり手首を掴まれた。
当たり前だ。こんな近くにいれば、少しの身動ぎで伝わってしまう。
特にリヴァイの様な人には。
「待て、フェリーチェ。行くな」
「いくなって……あ……!」
“手首を掴まれて引き止められる”
相手は違えども、気付けば同じ事が繰り返されてるのに驚いた。クライダーとリヴァイが嫌でも重なる。
そして、二人の姿が想像だけじゃなく現実で横並びになるのを予感したのは、遠くに物音を聞いた時だった。
少し速い……足音。角の向こう側だけど、音はしっかり響いてくる。
(まさかクライダーが追って来た……の?)
「え……なんでこっちに……やだ」
「――は? お前は逃げてるのか?」
「たぶんっ」
「多分?」
リヴァイの問いかけには即座に大きく頷いた。
よりによってこんな時に、リヴァイとクライダーと自分が勢揃い……なんて……ちょっと困る。
どうしよう。どうすれば。
とにかくリヴァイの前でクライダーと会うのだけは今は絶対に嫌だ――。
「――来い」
リヴァイはそれ以上言わず、フェリーチェを引っ張り長い廊下を歩き始めた。
フェリーチェの様に焦ってはいないのだが、対応には困っているのか「クソが……」と低く呟き舌打ちを。
後ろを気にしながら歩くフェリーチェとは対照的に、リヴァイはただ前だけを見て歩き――。ふと足を止めた。
「ここじゃ長過ぎてすぐ見つかる……。賭けるしかねぇか」
「へ?」
「死角に入ってやり過ごす」
「は?」
そう言うやいなや、リヴァイは柱の陰にフェリーチェを引き込んだ。
「いいか、気配は消せよ。すぐ気付かれる」
「えっ!?」
(気配を消す? どうやってやるんですか? それ!)
それくらい出来るだろう
出来ないですよ!
と、目だけで会話。
無理と首を振る自分に、リヴァイは「嘘だろ?」と言いたげな顔だ。
いやいや! 普通は出来ないですから!
こっちも「嘘でしょ?」と無言で言い返す。
人類最強と同レベルの技術を求められても、それは無茶な相談というもので。
眉を顰めたリヴァイに、もう一度……今度は激しく首を振った。無理ムリ無理ムリ! あ。振り過ぎてクラクラしてきた!
「……。それなら、少しの間息止めてる位の努力はしてくれ」
「んっ!?」
リヴァイの声が耳朶に響く。潜められた声は甘い囁きみたいで、くすぐったさと恥ずかしさに思わずビクッと跳ねてしまった。
柱の陰。相手の死角。極端に限られた場所に二人で隠れてるんだから、この密着度は当然。
腕の中に入れて貰えるのも、“緊急事態”ゆえ。
だから、抱きしめられてる? なんて思うのはおかしい。いつかの夜みたいだなって思い出すのもおかしい。
今は“緊急事態”なんだから――。
窮屈な中、そっとリヴァイの顔を見上げてみる。向かってくる相手を待つリヴァイは、こちらではなく廊下を睨みつける様にしていた。
鋭い目。前から知ってるこの瞳が、いつもとは全然違って見える。
(どうしよう)
見つめ続けることは出来ずに、リヴァイの胸元へ顔を埋めギュッと目を閉じた。
胸が苦しい……。
駄目だと自分に言い聞かせても、でも、ずっとこうしてたいと思ってしまう……。
速度の変わらない足音は少ししてから自分達に追い付き、あっという間に横を通り過ぎていった。
――歩いてきた人物はやっぱりクライダーだった……様で。
「随分と焦っていたから余計だったんだろうが……アイツの愚直さに救われたな」
「はぁ……」
クライダーの視線は廊下のずっと先しか見てなかった、とリヴァイは教えてくれた。
(この長い廊下で私の後ろ姿を見つけられない事を、クライダーは不思議に思わなかったのかな?……もしかして、それも気付かないくらい必死に追ってたってこと!? 私のこと!?)
「なぁ……フェリーチェ。ひとつ聞きたい事がある。いいか?」
「はい……?」
部屋まで送ってやる、と言ってくれたリヴァイと歩き始めた時に、そう切り出された言葉。フェリーチェは、リヴァイの低く重い口調に不安と嫌な予感を感じる。
そして、それは次の言葉で現実となってしまった。
「クライダーの言ってた“あんな事してごめん”って何だ? お前ら一体何してた」
「……」
サァっと、一瞬でフェリーチェの背中が冷えていく――。
(どうして? 何? クライダーが言ってた、ってどういう事?)
「ブツブツ同じ事を呟きながら歩いてたぞ。死人みてぇな面してな」
「……え」
「クライダーは、お前が逃げたくなる様な事をしたのか……」
「…………」
リヴァイの声が水中で聞く音の様に聞こえた。
暗い廊下は、まるで永遠に続く寂しい一本道の様。
その一本道に一緒に立つリヴァイの顔も、どことなく哀し気な雰囲気に思えてくる。
それは、自分が哀しいからなのか……?
(どうせ知られるなら、ハンジさんの方が良かった――)
フェリーチェは、そっと下唇を噛んだ。
(喧嘩した流れで……みたいな感じで曖昧にしたら、リヴァイさんはそれ以上聞いてこないかもしれない……)
一瞬とはいえ、狡さしかない考えが浮かぶ。
でも、リヴァイはそんな自分をどう思うのだろう。目の前の瞳に自分はどんな風に映る?
――駄目。駄目だ。
リヴァイには、もう誤魔化しの嘘は吐きたくない。前みたいに怒らせたくない。
あの時と同じこの廊下で、過ちを繰り返すなんて……絶対にあっちゃいけない事だ。
きちんと、嘘無く話さないと――。
「好きって言われたんです」
立ち止まらず歩こうと思ったのは、そうしていればリヴァイの顔を見なくても不自然じゃないから。
こんな話を、リヴァイの目を見ながらなんて出来ない。
「……そうか」
「びっくりしちゃって。だってクライダーの言う『好きだ』は、私がクライダーに思ってたのと違いましたし」
「だろうな」
チラッとリヴァイを見ると苦笑された。きっと、ハンジも似た様な反応をするだろう。
想いの違いが解ってしまえば、ハンジがくれた『親愛と情愛』というヒントは、ヒントでもあるけど答えそのものだと思う。
「それでお前は」
「……怖かったです。すごく」
迷いも無く向けられた言葉が、全部自分の中にある想いと重なった。
それがきっかけで、クライダーがぶつけてきた感情は、自分がリヴァイへ抱いてるものと全く同じものなんだと了知して。
「クライダーはよっぽどお前に『好きだ』と伝えたかった様だな。……剥き出しの感情ってやつは、良くも悪くも受ける側の心をえらく揺さぶるもんだ。お前は特に影響され易そうだから……まぁ……無理もねぇだろ……」
リヴァイは、溜息混じりにそう言った。
「私は……」
(クライダーが怖いというより……自分が怖かったです)
――私を知って欲しい。他の人は見ないで自分だけを見て欲しい。リヴァイさんの事が知りたい。許されるならもっと側にいたい。
離れていかないで。キスがしたい――。
(私……こんなに!?……リヴァイさんを?)
「だから、あの時は困ったというか……その……」
クライダーは鏡に映った自分だった。リヴァイを好きでいる自分と瓜ふたつ。
だから、感情のまま動いたクライダーを押し退けたら、自分の気持ちや行動をも否定する事になってしまう気がして。
それで――。
「フェリーチェ?」
「……ごめんなさい」
フェリーチェは、手の甲で唇を拭った。
とっくに消えた筈のオレンジの味が口内に広がる。
甘くはなく、ただ苦い。
苦い。
「……オイ」
苦さが戻ってきた途端に、罪悪感でいっぱいになった心。
違う男と唇を重ねました、と、リヴァイにキスをせがんだ自分が言えるの? 後悔したって何したって、浅ましい行動が消えた事にはならない――。
強く擦った唇がヒリヒリと痛んだ。
身体は、中に鉛の塊を埋め込まれた様に重く、歩幅も少しずつ狭まってきてる気がする。
(ちゃんと話さないとって思った癖に。何してるんだろう……)
「オイ、止まれ。フェリーチェ」
「……は……い」
リヴァイに先を阻まれ、フェリーチェはやっと覚悟を決めた。恐る恐るリヴァイを見上げる。
そこには厳しい顔つきのリヴァイがいた――。
「クライダーはお前に謝り、お前は俺に謝る? どうしてだ?」
「それは私が……あの……」
「……さっき、俺はお前に逃げてるのかと聞いたんだったな」
「えぇ」
「お前は、多分と答えた」
少し冷たい目に頷く。
「……多分、なのかよ」
「え?」
「お前の行動は、さっきも、今までもあの時も、そんな曖昧なもんだったって言うのか……?」
リヴァイから出てきた言葉は、フェリーチェには想像もつかなかったもので。
それだけに、深く胸に突き刺さった。
(今までも……あの時……って……)
「っ違います! さっきのはそういうんじゃない! あれは私が変な答え方しちゃっただけで……ちゃんと考えなかったから!!」
フェリーチェは、リヴァイのシャツを握り締めた。
違う、とまた否定して。
「今までは自覚してなかった……。でも、今はハッキリ分かります。私はリヴァイさんに曖昧な事なんてしてきてない。“あの時”だって——!」
「……」
「本当です。信じてください」
「……フェリーチェ」
頬に触れてきたリヴァイの手は少しひんやりとしていて、それは夜の気温のせいなのかと思った。
親指が唇をなぞった時もそう。
両頬を包まれた時も――。
「クライダーとキスをしたんだな」
「っ…………はい」
「お前は……いや……なんでもない」
言いかけて口を結んだリヴァイは、代わりにフェリーチェの頬をそっと撫でた。
くすぐったいだけじゃない、ろうそくの灯火の様な揺らめきが胸の中に現れ、思わず指と肩にきゅっと力が入る。
それが伝わったのか、リヴァイの手にも僅かに力が。俯くな、と言う瞳。
返答は見つめるだけで済んで――。
(……あ。そうか……)
ふと気付いた。
リヴァイの手が冷たく感じるのは、自分の頬がとても熱くなってるからなのか――。
「俺は、クライダーみたいにはなれない……」
「え?」
リヴァイは、自嘲を口の端に浮かばせ言った。
「手探りで行く事しか出来ねぇなんて……笑っちまうが」
「てさぐ……っ」
聞く前に、傾いたリヴァイの顔がゆっくりと近付いてくる。
だけど、自分はそれに疑問なんか一つも感じない。ただ気持ちのままに目を瞑り、リヴァイの唇を待つだけだった――嬉しさと一緒に。
それなのに、唇と唇が触れ合ったのは数秒にも満たない一回のまばたきの間。
物足りなさを感じてしまう。
「いいのか?」
「え……なんで……聞くんですか」
「……逃げねぇなら続けるぞ」
ちょっとだけ首を動かして頷きを。待ってたのに、とはさすがに言えないので、それが精一杯だ。
逃げないなら続ける
そう宣言しながらも、リヴァイは確かめる様に触れてから浅く合わせた。
浅い重なりは、一度離れ再び重なる毎にその時間を伸ばしていく。
前にした夢みたいな儚いキスとは全然違う。クライダーのキスとも全然違う。優しくて幸せな――。
「リヴァイさん……」
「なんだ」
「……もっと……」
「…………フェリーチェ。お前、そうやってクライダーの地雷踏んだんだろ」
「へ?」
いつもより低い声で言われ目を開けると、大真面目な顔のリヴァイが自分を見ていた。
その様子でクライダーの名前が出て来たという事は、リヴァイは怒っている……?
やっぱり、自分のした事は相当な罪に値するのかもしれない?
常識外れめ、というリヴァイの言葉が聞こえてくるようだった。
「す、……すみません……」
「誰が責めてると言った」
(違うの!?)
「お前は隠し持ってる事が多いからな……」
違うと証明するかの様に、リヴァイはフッと笑みをもらす。
一瞬切なそうに見えたのが少し引っ掛かったけど、普段は見られない微笑みに胸がキュッと熱くなり、その考えはすぐ感動の奥に埋まってしまった――。
「教えてくれ。……今じゃなくても構わねぇから……」
「それ! 私も知りたいんです。リヴァイさんの事、もっと」
「……っ!?」
え。そんなに驚く?
という程、リヴァイの瞳が見開く。
「クソッ……本当にお前ってヤツは……」
しかも、何か悔しがられてるし?
フェリーチェが首を傾げたところで、リヴァイの手は再びフェリーチェの頬を撫でた。
好きになった人の手は、他の誰よりもあたたかくて安心する。寄り添って甘えたい。もっと触って。
(誰かを特別な存在として好きになるって、こういう事なんだね……)
ウットリ目を閉じたフェリーチェに、リヴァイが口付けた。浅く、そこから少し深く――。
「フェリーチェ……一つ教えてやる……」
「リヴァイさんのこと?」
「そう……なるのか?」
「なんでまた聞くんですか……」
「…………」
そうして、リヴァイが教えてくれた事。
数分後、今度はフェリーチェの目が、
(リ……!? リヴァイさんの舌……した……がっ……!)
驚きに見開いていた――。