絶対零度が溶けていく

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✽2✽


 ハンジがリヴァイの執務室を訪れたのは、約束の時間を少し過ぎてからだった。

「どうぞ!」

 フェリーチェが切った林檎をテーブルへ置くと、ハンジは目を輝かせ、リヴァイは何だこれはという顔をした。

「何これ可愛いねぇ。うさぎだね?」
「そうです。私、こういうの得意です」

 誇らしげに胸を張ったフェリーチェは、二人が林檎を口に運ぶ様子をニコニコと見つめる。
 ハンジはとても美味しそうに食べてくれてる。
 やっぱり、ただ切っただけのものより目でも楽しめるものの方が食べていて楽しいのだ。楽しさは食を彩るうちのひとつ。自分はそう思っている。
 一方リヴァイは……微妙な顔で。
 フェリーチェは首を傾げた。あれ、おかしいな。美味しくないのだろうか? でも同じ林檎を同じ様に切ったはずなのに……。

「あ。いけない! 紅茶でしたね! すぐ淹れます」

(リヴァイさんは林檎より紅茶の方が好きか)
 林檎より早く紅茶が飲みたい。あれはそれを言えない顔に違いない。なんだ。それならそうと言ってくれればいいのに。
 フェリーチェはそう思ったのだが、実の所は、林檎を丁寧に切って貰うどころかウサギの形に飾り切って貰うなど現在まで無かったリヴァイが、目の前のファンシーな物体にどう反応していいか困惑していた……というのが正解である。
 この僅かな考え方のズレが二人を噛み合わせなくしてる最大の原因なのだが、当の本人がそれに気付く訳も無く、リヴァイとフェリーチェの距離は縮まっている様で中々縮まらない。

「リヴァイさんどうぞ。今日は不味くない筈です」
「何? リヴァイ、そんな事言ってるの?」
「本当に不味いんだから仕方ない」

 カップを見つめるリヴァイは、これでもかという程しかめっ面だった。また不味いものを飲まされるのかと、表情筋をフル稼働させている。
 大丈夫です。私、頑張りました。
 フェリーチェは心の中でそう彼に伝えた。

「んん? 美味しいじゃないか! もー、どんだけ紅茶に厳しいの。リヴァイは……」

 先に口を付けたハンジは呆れ顔でリヴァイを見、続けて口を付けたリヴァイは驚きの感情を目の微かな動きで表す。
 その反応を、フェリーチェは見逃さなかった。
 ほら! 大丈夫。良かった。今日は喜んでもらえる。
 頬の緊張が解けた。本当は少し不安だったのだ。でも、もう心配なさそうだ。

「お前……この味どうやって出した?」
「どうって……。真似しただけですよ?」
「俺は淹れ方なんか教えた覚えはないぞ」
「はい、直接は。でも、二度も淹れて貰えました。あれだけで十分です」

 リヴァイの顔はその言葉に更なる驚きを表した。
 二人の様子を見ていたハンジは、勿論興味津々で、

「ナニ何? どういう事?」
「コイツ……飲んだだけで完璧に俺の淹れ方再現しやがった……!」
「えっ!? 嘘でしょ?」

 フェリーチェは肩を竦める。そんなに驚かれる程凄い事をした訳ではない。

「紅茶の淹れ方は勉強不足でしたので」

 そう。勉強不足だった。だから少し努力してその不足分を補ったのだ。

「いや。勉強って。だからって飲んだだけのお茶の味を再現するって、そう簡単な事じゃないよ?」
「そうなんですよねぇ。味は覚えていても同じにする事は中々難しくって……。何度も失敗してしまいました! でも幸いというか何というか、答えは分かっているのですから、あとは分析構築を繰り返せば……」
「ちょっとリヴァイ! 紅茶がいきなり科学になったよ!」
「ああ……そうだな」
 興奮するハンジを呆れ顔で見たリヴァイは、その目をフェリーチェにも向けた。
 いつもより眉間の皺は少ないものの、その目が厳しそうにしてるのは変わりない。
 あれ。どうしたんだろう? 私、変な事言ったかな?

「どれだけ試した? 何故そこまでする」

 リヴァイにそう問われ、フェリーチェは急に悲しくなった。それは……迷惑だったという意味なのだろうか。
 私はただ、

「穏やかな顔をして貰いたかっただけで……」
「あ?」
「リヴァイさんは紅茶が好きです。自分であんなに美味しく淹れる程です。それに、仕事の合間にお茶を飲んだ時、リヴァイさんの目は少しだけホッとします」

 リヴァイが恐くてまともに目を合わせられなかった頃、フェリーチェはよくリヴァイの反応が気になりチラチラと彼を盗み見ていた事がある。
 そんな事を繰り返していたら、とある小さな変化に気付いてしまった。
――いつもは厳しく鋭い眼光。でも、あたたかい紅茶を口にした時は、一瞬だけその瞳の鋭さが緩む。
 知った時はかなりの衝撃だった。
 この人、こんな顔するんだ……!?
(こ、紅茶って凄い……!)
 紅茶の凄さはそれだけじゃなかった。自分の淹れたものとリヴァイが淹れたものでは差が歴然としていた。
 コーヒーが豆の種類や煎り方などで味が変わる事は知っている。どうやら紅茶もそうらしい。しかし、開発部の人間は皆コーヒー派だ。
 コーヒーに関しての知識は膨大にあっても、紅茶に関しては悲しいかな皆無に等しい。
 でも、リヴァイが好きなのは紅茶なのだ。
 しかもそれを飲んだ彼は、あんな一瞬でも穏やかになれるらしい。
 更に自分にも、彼が淹れてくれたお茶で幸せな気持ちになれたという経験がある。
 そうして総合的に入ってきた情報を整理してみれば、フェリーチェのやりたい事はもうただひとつだった。 
 私が、彼のために出来る事は……――。

「私、リヴァイさんに私が淹れたお茶で幸せになってもらいたかったんですっ!」
「ちょっとリヴァイ! これはまた随分と可愛い愛の告白じゃないか! いやぁ良かったねぇ、おめでとう!」
「……なんでそうなる。めでたいのはテメェの頭の方だ」

(ん? 愛の告白? ハンジさん。それはちょっと違うかな……? 私はただリヴァイさんに……)
 こちらの考えが上手く伝わってないらしい。しかもリヴァイは穏やかどころか不機嫌だ。
 それは、何かのバランスを間違えているという事。自分はまた何かを忘れ失敗しているようだ。でもなんだろう……
――……あ!
 もしかして……?
 ハンジとリヴァイのやり取りを見ていたフェリーチェは、しゅん……と項垂れる。

「あの……。まさか私、また……やり過ぎたのでしょうか……?」

 フェリーチェはよく「お前は周りを見ず突っ走り過ぎる所がある」と言われるが、当のフェリーチェには自分のどこがその突っ走っている部分なのかよく解らない。
 だからいつも間違えてしまう。同じ事を繰り返す。
 頭の中がひとつの事で一杯になるともうそれ以外の事を考えられないという所は、フェリーチェの長所であり短所でもあった。

「そうだな。お前はやり過ぎだ」
「……やっぱりそうなんですね。ごめんなさい……」
「たかだか紅茶を淹れるという事だけに。馬鹿みてぇだな」
「はい……」
「時間も貴重な茶葉も無駄にし過ぎだろうが。ものには限りがあるという事を知れ、阿呆が」
「う……ごめんなさい」
「……。知りたいならまず俺に聞け。一度だけなら教えてやる。それなら無駄も無い」
「えっ?」

 ハッと顔を上げたフェリーチェに、リヴァイは真っ直ぐに視線を向けた。厳しいが、先程までよりはマシな色にみえる。
 まぁ……努力だけは認めてやってもいい。
 溜息まじりで低い声がそう言った。
 うわぁ! 褒められた!

「まわりくどいなぁ。素直に『俺の為に頑張り過ぎるな』とか言ってあげた方がいいと思うよ?」
「何考えてるか知らねぇが、俺はただ、茶葉をこれ以上無駄にされるのが嫌なだけだ」
「ふぅーん……」

 ニヤニヤ笑うハンジの腹に一発拳を入れるリヴァイだったが、同じ心情をこめたその拳をすぐに持て余す羽目となった。
 二人を尻目にひとりブツブツと独り言を言っていたフェリーチェが、笑顔で一言放ったからだ。

「私、必ずリヴァイさんを幸せにしてみせますっ!」
「……お前、間違ってもその言葉他の場所で言うんじゃねぇぞ……」

 ぶはっ! とハンジが吹き出した。
 さすがのリヴァイもフェリーチェに拳は振るえず、頭を抱えるしかなかった……。

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