束縛の中の限られた自由
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✽✽
通りを抜け、街の灯りからどんどん離れていく。
一体どこに行くつもりだ? と思っていると、街のはずれ、ただの高台に向かう為の小道をフェリーチェは登り始めた。
ここまで来ると辺りは真っ暗だ。月が出ていて良かった。頼りない明かりでも、無いよりは断然良い。
たまにつまづくフェリーチェの後ろを追い、そのまま転んで落ちて来やしないかとヒヤヒヤしたが、幸いにもそんな事態には陥らずに済んだ。
「やっぱり夜も綺麗ですね」
「やっぱり? 来た事があるのか」
「昼間にエルヴィンさんが連れてきてくれました」
「エルヴィンが……」
こんな所まで連れて来ていたとは。
確かに、フェリーチェが好きそうな場所だ。自分達にとってはなんて事の無い場所でも、フェリーチェは子供が初めての経験をする時の様に喜ぶ。
……先を越された。そう考えると嫌な気分になり、イラつく自分にも嫌味が出る。
いつの間に、ここまでフェリーチェを我が物の様に思うようになったんだ――。
「エルヴィンと来たなら、わざわざまた来る事もなかっただろう」
言葉に棘を持たせてしまうのは、嫉妬が頭をもたげ始めたから。
しかし、リヴァイ自身それに気付かずにいた。
無意識であればあるほど深いもの。
もしハンジがこの場に居たら、そう言われ笑われるだろう。彼女がここに居なかった事は、今のリヴァイには幸運だった。
「昼間来て、とっても気に入ったんですよ。だから、リヴァイさんにも……って」
「俺に見せたかった、と?」
「はい!」
「よく分からねぇな……。お前の考える事は」
溜息の出たリヴァイに、フェリーチェは「そうですかね?」と首を傾げる。
「自分の気に入ったものを見せたい、って思うのは普通じゃないですか?」
「そんなものか……?」
「そんなものです。きっと。少なくとも私はそうだもん……。だから、この服だって――」
「……」
フェリーチェがスカートをつまみ揺らした。昼間選んで買ったものだという事はもう知っている。
(それだって、エルヴィンが買い与えたものだろうが)
この場所を教えたように――。
「フェリーチェ」
「プレゼントじゃないですからねっ! さっきも言いましたけど!」
リヴァイが言いかけた言葉をフェリーチェは遮る。さっきの押問答が再び……か。
「……」
「確かに、初めはプレゼントしてくれるって話でしたが……。やっぱりそれはおかしいし。だって、エルヴィンさんに買ってもらう理由どこにもないじゃないですか! なので丁重にお断りしたら、エルヴィンさんから『それならば兵団から支給するというのはどうだ』と言われたんです。エルヴィンさんは団長さんですし、それなら納得です」
「……」
(……それで納得するのかよ)
上手く言いくるめられただけだと思うのだが。
「プレゼントは駄目で、支給品なら良い。変な奴だな……」
「変じゃないです。プレゼントは、お誕生日に貰うもの。支給の品は、必要な時に必要なものを。私には当たり前できた事です。だから、私服を自分で選んで買うのに驚いたんじゃないですか。お給料って、そういう時に使うんですねぇ」
「は? フェリーチェ、お前……。今まで一体どういう生活してたんだ……?」
「へ?」
「開発部は中央にあるんだろう?」
「はい」
「お前だって、休みの日くらい外に出るだろうが。あそこは王都だぞ、買い物だって」
「お休みは……無かったようなものでしたし……? 外出はしたこと無いです」
「…………」
「リヴァイさん?」
「いや。いや待て。オイオイオイ……それはねぇだろ。休みも無けりゃ外出も無いだと? 下手な冗談はやめろ」
「……」
フェリーチェは、リヴァイの顔をジッと見た後に「冗談なんか言ってません」とキッパリ言った。
大真面目な顔をしている。
その顔にリヴァイは眉間に皺を寄せた。
(そんな馬鹿な話があるか――)
穏やかな夜風が高台に吹く。
フェリーチェの髪が揺れると、甘いほのかな香りがリヴァイに届いた。
にわかには信じ難い話に、リヴァイは一歩前に出てフェリーチェに近付いた。
緑の瞳を見つめ確かめたかったのだ。
その色が濁っていないか――。
しかし、本当は分かっている。フェリーチェの瞳が嘘に濁ることは無いこと。
それが意味するのは――。
「フェリーチェ。お前が、訓練兵団に入団する事なく開発部に入った話は前から聞いているが」
「えぇ。私は部長に連れられて入りましたので」
「……いつから開発部にいる」
「え?」
「いつからだ」
リヴァイの質問に、フェリーチェはパチパチと瞬きをした後、
「十歳の時に。両親が亡くなって少し経った後ですが?」
不思議そうな表情を浮かべ答えた。何故急にそんな事を聞かれたのだろうと思っている様だ。
「……十五年近くも……」
「そうなりますね。そろそろ入部十五周年記念」
笑っているが、笑える話ではない。
「その間、一度も……か?」
「? 外出の話ですか? はい、出たこと無いですね。でも、特に不自由なくやってきたので」
(そういう問題じゃねぇだろ……)
リヴァイは舌打ちした。
「規則で、外出は基本的に許されないんですよ。出る時は許可が必要です。でも、滅多に許可は下りません。部長も例外ではないです」
「規則だと? 何故そんな規則が存在する……」
「さぁ? それは私にもよく分からないですけど……。入部した時にそれだけはきつく言われて――」
フェリーチェはそこまで喋ると、空を仰いだ。
月と星。それを眺めるフェリーチェの目が、一瞬だけ悲しそうに見えたのは気のせいだろうか?
一呼吸してる間に、もうフェリーチェは笑っていたので……確かめる事は出来なかった。
「でも、必要なものは雑貨類も含めきちんと用意して貰えます。服は日中は制服と白衣だし、あとは部屋着に寝間着に……。ね? あそこに居ると、私服は要らないでしょう?」
「……。支給品だとお前が言うのは、だからか……」
「調査兵団に行く事が決まった時に、調整担当さんの方から受け取りました。あ、調整担当さんってのは私達研究員のお世話をしてくれる方の事です!」
「……」
そんなキラキラした目で話されても困る。
(だが……そうか。今の話で大分合点がいく……)
私服の件もそうだが、フェリーチェの今までの言動の数々。
子供の様に旺盛な好奇心、街に出た際の人酔いに音酔い。
偏った知識。図書館の利用方法も知らなかった世間知らずさ。
そして、極度の人見知り。
フェリーチェは、自ら引きこもってた訳ではなかった。
『出られない』でいたのだ――。
(……クソ野郎共が)
これはもう、医務室に軟禁どころの話じゃないだろう。
(何を考えてこんな事までしやがる――)
「フェリーチェ」
「はい?」
「どうして外に出ようとしなかった。お前の好奇心旺盛なところを見る限り、一度も外に興味を持たなかったなんて考えられねぇ」
「………。そりゃあ、私だって興味を持った事くらいありますよ? 部長が外出した時にお土産で買ってきてくれるお菓子の箱や瓶は、どれも可愛かったから……お店にはもっと色々可愛いものがあるんだろうなぁって思ったし」
肩を竦めてフェリーチェは苦笑する。
「少しだけ、王都の様子を聞いたこともありましたから。家族に会いに自分の家へ帰った人も数人いたし……」
それならば何故――。
口を開きかけたリヴァイから逃げる様に、フェリーチェはライムグリーンの瞳を逸らした。
透き通った目に、明らかな憂いの色。
ポツリとフェリーチェが呟く。
「でも、私には……帰る家も会いたい家族も、とっくにありません……」
「……」
「開発部では何不自由なく暮らせています。大好きな研究も出来ます。だから――」
フェリーチェは言いかけてやめてしまった。
「…………」
「どうした」
沈黙に、リヴァイが先を促すと、再びフェリーチェは口を開く。
「それに、けい………いえ規則、規則があります。わざわざ許可を申請するほどの理由が私には無かった。ただそれだけの事ですよ」
外出も許されない『規則』に、フェリーチェは何故こんなにも素直に従う事が出来るのだろう。
リヴァイは眉を顰める。
(たかだか十歳の子供……。部に入った時期が悪かったか……)
きつく言い聞かせれば、刷り込む事なんて簡単だ。素直な子供なら特に。
幼いフェリーチェを取り囲む大人達の姿を想像すると、気味が悪く、最後には憎悪だけが残った――。
「リヴァイさん、見て。本当にいい景色ですねぇ」
フェリーチェは微笑みながら眼下を見つめる。
リヴァイも隣に立つと、フェリーチェの指差す街の明かりを見つめた。
「あの明かりの数より多くの人達が、ここに暮らしてるんですよね」
「ああ……そうだな」
「昼間の街の様子やさっきのお店の人達を見ていると、みんな幸せそうにしてるなぁって……。なんだかそういうのを見てると、嬉しくなっちゃいますね」
「そうか? 別に嬉しくはならないが」
「“リヴァイさん”ですねー、そういうところ」
フェリーチェのくすくすという笑い声は、楽し気に聞こえた。
その様子を見て胸に感じるものこそ、今フェリーチェが言った『嬉しい』に近い感情なのかもしれない。
しかし、自分のこれは、フェリーチェに対してだけに言える事。
彼女が街のすべての人間に対してそう思う事とは、また何か違う気もする。
フェリーチェが言う『好き』が自分の気持ちと重ならないのは、だからだ。きっと。
「リヴァイさん達は、この壁の中にいる人類の未来を守って、切り拓こうとしてくれてるんですよね。……私は兵士としては役に立てませんが、武器の開発や改良をする事で調査兵団の皆さんのお役に立てているんだと思うと、自分の仕事が誇らしいです! 自分がやっている事に間違いは無いんだ、って!」
「フェリーチェ……」
「えっと……なんかですね。今日は昼間も夜も街に出て、色々な人を見たからか……その気持ちがとっても強く感じられまして……。さっきのお店では特に。だって、みんなとても楽しそうにしてるんだもの!」
「ただの酔っ払い共のバカ騒ぎじゃねぇか」
「でも、みんな笑ってました。お店の人も、お客さんも」
「……。遠巻きにだが、お前もな」
「ふふっ」
キャラメルブラウンの柔らかな髪が風になびき、リヴァイに触れる。リヴァイがその一房を手に取ると、フェリーチェは少し驚いた様だった。
「リヴァイさん?」
「お前が楽しかったなら……まぁ、良かった」
「……。リヴァイさんが居てくれたから」
フェリーチェは微笑んだ。
「いつもそばに居てくれますよね」
そう言って、また笑う。
リヴァイが手放さない自分の髪を見て、フェリーチェは照れくさそうにしていた。
「お前は俺の補佐だしな」
「私はリヴァイさんの補佐ですもんね」
「……」
「……」
言葉が重なり、思わず顔を見合わせる――。
「同じこと言ってる」
苦笑するフェリーチェに、リヴァイは複雑な気分になった。
確かに今は自分の補佐だ。だが、それは調査兵団にいる為に与えられた仕事。フェリーチェは、本来は開発部の研究員なのだ。
いつか、開発部へ呼び戻される。
――そこは自由の無い場所……。
「……」
「リヴァイさん?」
自分はもう、フェリーチェをただの補佐としては思えなくなっているというのに、彼女が連れ戻される時に黙って見ていられるのだろうか……?
愛しい存在が、目の前で箱に閉じ込められる……その時に。
「――フェリーチェ。上の奴らが何を考えて今更お前を外に出したかは知らねぇが、今『帰ってこい』と言われたら……お前は明日にでも帰る事が出来るのか?」
「……えっ!?」
そう聞きながら、リヴァイは掌にある柔らかな髪を握り締めた。
(俺は、即答で肯定の言葉が返ってくる事が怖いのか?……情けねぇ話じゃねぇか)
指先から本音が漏れているぞ――。
「そ、それは……」
フェリーチェは言葉に詰まり、目を泳がせ逡巡している。
当たり前だが、突然の質問に困っている様だった。
「――お前には意地の悪い質問だったな。……少し言い方を変えよう」
「言い方……ですか?」
「お前は、俺がもし『お前はまだここに居るべきだ』と助言したら……俺の判断を信じ、ここに残るか?」
そのリヴァイの言葉に、フェリーチェの瞳が瞬時に変化した。大きな目が見開かれる。
そして……
「……えぇ」
真っすぐリヴァイを見据えるライムグリーンは、それまでの様に揺れる事はなかった――。
「そうか……」
フェリーチェの返事にホッとする自分がいた。
まるで、自分と開発部を天秤にかけさせる様な質問だったが……。
そもそも両者は比べるものではない。自分は今、「私と仕事どちらを選ぶの」など、的外れな選択を迫る馬鹿な女と同じ事をしているのだ。これには、自嘲しかなかった。
「少し冷えてきたな……。帰るぞ」
握り締めていた甘い香りを離して、リヴァイはフェリーチェに背を向け歩き始める。
自分でも『どうしようもない』と思う顔を見られるのを避けたかった――。
フェリーチェも「はい」と後を追いかけて来た。
だが、バツの悪さがそうさせていたのか、つい歩く速度が速くなっていたらしい。
後ろから聞こえてくるフェリーチェの足音が……弾んでいる。
リヴァイは速度を落としコンパスを縮め、足音が真後ろにつくのを待った。
(暗い……月が陰ったか?)
来た時より足元が暗くなっているのに気付いたのは、高台から下りる階段を数段下りた時だった。
小さな石を横数列に並べただけの石段。なるべく平らの物を使用してはいるのだが、作りは素人仕事なので、お世辞にもよく出来た作りとは言えない。
……そういえば、と思い出した。
登って来る時、フェリーチェは何度もつまづいていた――。
「フェリーチェ」
「はい……へっ!?」
振り向いたリヴァイは、石段を下りようとしていたフェリーチェに手を差し伸べる。フェリーチェは、それにキョトンとして動きを止めた。
「リヴァイさん?」
「その服は『初めて自分で選んだお気に入り』なんだろう? 汚したくなかったら、転げ落ちてくるんじゃねぇぞ」
「……っ!?」
差し伸べられた手の意味を知り、フェリーチェは驚きを隠さなかった。丸くした目をリヴァイに向け、そして、俯く様にして自分の服を見て。
「――あのっ……」
「は?」
そんな小さな声が聞こえた瞬間、フェリーチェはリヴァイの胸元に飛び込んできた。
「ッ!? フェリーチェ! 俺は、手を取れと言ったんだ。思い切り突っ込んで来いとは言ってねぇだろうが!」
「……」
「……おい」
胸元に顔をうずめるフェリーチェは、ぴったりとリヴァイに身を寄せ動かない。
さっきの店で背にくっ付いてきた様子が頭によぎり、リヴァイはフェリーチェの頭に手を乗せ「どうした?」と聞いてみた。
(また何か怖がるようなものが……? いや、だが周りには何も……)
「……リヴァイさん」
ふと、か細い声が自分を呼んだ。
「なんだ」
「……」
「フェリーチェ? おい」
それでも動かないフェリーチェ。何なのだと、彼女の両頬を掌で包み顔を上向かせたところで、自分の何気なく取った行動に後悔した。
「ッ……」
――親指が唇に触れてしまったのは、偶然だった……。
しかしそれは、たとえ一瞬でも以前の記憶を呼び戻すには十分過ぎるほどで。
ああ、しまった……。そう思っても、もう遅い。
親指が覚えている唇は、水分を失ってかさついていたのに。
今日のフェリーチェの唇は――。
「…………」
「…………」
お互い言葉が無かった。
逃げないフェリーチェと、逃がす事を忘れた自分。
顔を近づけても真っすぐ見つめてくる瞳に疑問を感じながら、でも、止める事は出来ない。
鼻先が触れ合うほどにまで距離を詰めても、フェリーチェはジッとしていた――。
ここまで近付いた後の事を想像出来ない程、フェリーチェも馬鹿ではないだろう。
キスをする男女を見、仲睦まじい親を思い出し、恥ずかしそうに俯いた位だ。
自分も今、『そういう状態になりかけている』のをどう思っているのか……。
(……知らねぇぞ、フェリーチェ)
今さら退けと言われても無理だ。
大きなライムグリーンの瞳さえぼやけて見える近さ。
お互いの鼻先が触れたところで、フェリーチェは目を閉じた。
「……」
触れたのは一瞬。刹那のくちづけ。
触れたかどうかも分からない曖昧さで、掠め取る様なキスをした。
躊躇からか、それとも理性が働いたのか。
自分自身でも解らない。
ただ、ここで止めなければ後戻りは出来ないだろう……とだけは解る。
意識の無い相手の唇を勝手に奪うのと、そうではない相手の意思を感じて……とでは、当たり前だが全く違うからだ――。
なぜ俺に許した。
離れたらまず最初に聞こうと思った。
しかし、すぐに離れることは出来なかった。フェリーチェが数センチを追いかけてきたのだ。
ふわりと揺れる甘い香りと、囁く様な吐息。
『離れないでほしい』
そう言われた様な気がしたのは何故だ。自分の気持ちを、フェリーチェのそれと勘違いしたのだろうか?
巡らせた考えが、あっという間に脳内に沈んでいく。後戻りはもう出来ない……。
辺りの静けさにも後押しされ、一度軽く触れてから、ゆっくりと、今度はお互いの温度を感じられるまで唇を重ねた――。
「……」
「……」
離れると、フェリーチェはすぐに自分の胸元に顔をうずめてしまう。
表情を見られたくない、と思っているのは明白だった。自分も、今この瞬間はどういう顔をしていいのか分からない。
フェリーチェを抱きしめながら戸惑う数分間は、とても長く感じられた。
だが、ずっとこうしていても……。
「フェリーチェ」
声をかけると、フェリーチェは小さくこくりと頷いた。
「リヴァイさん……」
「ん?」
「手を繋いで帰っても……いい……ですか…?」
「……。広場の手前までだ」
「それ、すぐそこじゃないですか」
胸元でクスクスと笑うフェリーチェが、やっと顔を上げ自分を見る。
ほわん、とした笑顔が変わらず目の前に現れた事にホッとしつつ、フェリーチェの頭を撫でて。
「譲らねぇぞ。俺は」
何か言われる前に念を押した。
繋いだまま帰って、誰かに見られたら少々困る。
――いや。一番困るのは、離したくないあまりにフェリーチェをそのまま部屋に連れ込んでしまいそうな自分だ。
「……じゃあ広場まで。……はい」
そんなこちらの気も知らず、フェリーチェは手を出し微笑んだ。
改めてそうされるとやりづらいものだな……と思いながらも、フェリーチェの手を取り石段を下りる。
――思い出した。さっきは転ばない様にと、自分が手を差し伸べた方だった。
なんだ。元々しようとしていたところに、落ち着いたという事じゃないか。
ただ理由が『手助け』ではなくなり、少しばかり距離が伸びただけだ……。
「月が見えなくなっちゃった」
「完全に雲に隠れたか」
「でも、星はまだ沢山見えてますね」
「そうだな」
広場までたわいもない会話をしながら手を繋ぎ歩く。
月が再び現れたのは、兵舎が見えて来た頃だった――。
通りを抜け、街の灯りからどんどん離れていく。
一体どこに行くつもりだ? と思っていると、街のはずれ、ただの高台に向かう為の小道をフェリーチェは登り始めた。
ここまで来ると辺りは真っ暗だ。月が出ていて良かった。頼りない明かりでも、無いよりは断然良い。
たまにつまづくフェリーチェの後ろを追い、そのまま転んで落ちて来やしないかとヒヤヒヤしたが、幸いにもそんな事態には陥らずに済んだ。
「やっぱり夜も綺麗ですね」
「やっぱり? 来た事があるのか」
「昼間にエルヴィンさんが連れてきてくれました」
「エルヴィンが……」
こんな所まで連れて来ていたとは。
確かに、フェリーチェが好きそうな場所だ。自分達にとってはなんて事の無い場所でも、フェリーチェは子供が初めての経験をする時の様に喜ぶ。
……先を越された。そう考えると嫌な気分になり、イラつく自分にも嫌味が出る。
いつの間に、ここまでフェリーチェを我が物の様に思うようになったんだ――。
「エルヴィンと来たなら、わざわざまた来る事もなかっただろう」
言葉に棘を持たせてしまうのは、嫉妬が頭をもたげ始めたから。
しかし、リヴァイ自身それに気付かずにいた。
無意識であればあるほど深いもの。
もしハンジがこの場に居たら、そう言われ笑われるだろう。彼女がここに居なかった事は、今のリヴァイには幸運だった。
「昼間来て、とっても気に入ったんですよ。だから、リヴァイさんにも……って」
「俺に見せたかった、と?」
「はい!」
「よく分からねぇな……。お前の考える事は」
溜息の出たリヴァイに、フェリーチェは「そうですかね?」と首を傾げる。
「自分の気に入ったものを見せたい、って思うのは普通じゃないですか?」
「そんなものか……?」
「そんなものです。きっと。少なくとも私はそうだもん……。だから、この服だって――」
「……」
フェリーチェがスカートをつまみ揺らした。昼間選んで買ったものだという事はもう知っている。
(それだって、エルヴィンが買い与えたものだろうが)
この場所を教えたように――。
「フェリーチェ」
「プレゼントじゃないですからねっ! さっきも言いましたけど!」
リヴァイが言いかけた言葉をフェリーチェは遮る。さっきの押問答が再び……か。
「……」
「確かに、初めはプレゼントしてくれるって話でしたが……。やっぱりそれはおかしいし。だって、エルヴィンさんに買ってもらう理由どこにもないじゃないですか! なので丁重にお断りしたら、エルヴィンさんから『それならば兵団から支給するというのはどうだ』と言われたんです。エルヴィンさんは団長さんですし、それなら納得です」
「……」
(……それで納得するのかよ)
上手く言いくるめられただけだと思うのだが。
「プレゼントは駄目で、支給品なら良い。変な奴だな……」
「変じゃないです。プレゼントは、お誕生日に貰うもの。支給の品は、必要な時に必要なものを。私には当たり前できた事です。だから、私服を自分で選んで買うのに驚いたんじゃないですか。お給料って、そういう時に使うんですねぇ」
「は? フェリーチェ、お前……。今まで一体どういう生活してたんだ……?」
「へ?」
「開発部は中央にあるんだろう?」
「はい」
「お前だって、休みの日くらい外に出るだろうが。あそこは王都だぞ、買い物だって」
「お休みは……無かったようなものでしたし……? 外出はしたこと無いです」
「…………」
「リヴァイさん?」
「いや。いや待て。オイオイオイ……それはねぇだろ。休みも無けりゃ外出も無いだと? 下手な冗談はやめろ」
「……」
フェリーチェは、リヴァイの顔をジッと見た後に「冗談なんか言ってません」とキッパリ言った。
大真面目な顔をしている。
その顔にリヴァイは眉間に皺を寄せた。
(そんな馬鹿な話があるか――)
穏やかな夜風が高台に吹く。
フェリーチェの髪が揺れると、甘いほのかな香りがリヴァイに届いた。
にわかには信じ難い話に、リヴァイは一歩前に出てフェリーチェに近付いた。
緑の瞳を見つめ確かめたかったのだ。
その色が濁っていないか――。
しかし、本当は分かっている。フェリーチェの瞳が嘘に濁ることは無いこと。
それが意味するのは――。
「フェリーチェ。お前が、訓練兵団に入団する事なく開発部に入った話は前から聞いているが」
「えぇ。私は部長に連れられて入りましたので」
「……いつから開発部にいる」
「え?」
「いつからだ」
リヴァイの質問に、フェリーチェはパチパチと瞬きをした後、
「十歳の時に。両親が亡くなって少し経った後ですが?」
不思議そうな表情を浮かべ答えた。何故急にそんな事を聞かれたのだろうと思っている様だ。
「……十五年近くも……」
「そうなりますね。そろそろ入部十五周年記念」
笑っているが、笑える話ではない。
「その間、一度も……か?」
「? 外出の話ですか? はい、出たこと無いですね。でも、特に不自由なくやってきたので」
(そういう問題じゃねぇだろ……)
リヴァイは舌打ちした。
「規則で、外出は基本的に許されないんですよ。出る時は許可が必要です。でも、滅多に許可は下りません。部長も例外ではないです」
「規則だと? 何故そんな規則が存在する……」
「さぁ? それは私にもよく分からないですけど……。入部した時にそれだけはきつく言われて――」
フェリーチェはそこまで喋ると、空を仰いだ。
月と星。それを眺めるフェリーチェの目が、一瞬だけ悲しそうに見えたのは気のせいだろうか?
一呼吸してる間に、もうフェリーチェは笑っていたので……確かめる事は出来なかった。
「でも、必要なものは雑貨類も含めきちんと用意して貰えます。服は日中は制服と白衣だし、あとは部屋着に寝間着に……。ね? あそこに居ると、私服は要らないでしょう?」
「……。支給品だとお前が言うのは、だからか……」
「調査兵団に行く事が決まった時に、調整担当さんの方から受け取りました。あ、調整担当さんってのは私達研究員のお世話をしてくれる方の事です!」
「……」
そんなキラキラした目で話されても困る。
(だが……そうか。今の話で大分合点がいく……)
私服の件もそうだが、フェリーチェの今までの言動の数々。
子供の様に旺盛な好奇心、街に出た際の人酔いに音酔い。
偏った知識。図書館の利用方法も知らなかった世間知らずさ。
そして、極度の人見知り。
フェリーチェは、自ら引きこもってた訳ではなかった。
『出られない』でいたのだ――。
(……クソ野郎共が)
これはもう、医務室に軟禁どころの話じゃないだろう。
(何を考えてこんな事までしやがる――)
「フェリーチェ」
「はい?」
「どうして外に出ようとしなかった。お前の好奇心旺盛なところを見る限り、一度も外に興味を持たなかったなんて考えられねぇ」
「………。そりゃあ、私だって興味を持った事くらいありますよ? 部長が外出した時にお土産で買ってきてくれるお菓子の箱や瓶は、どれも可愛かったから……お店にはもっと色々可愛いものがあるんだろうなぁって思ったし」
肩を竦めてフェリーチェは苦笑する。
「少しだけ、王都の様子を聞いたこともありましたから。家族に会いに自分の家へ帰った人も数人いたし……」
それならば何故――。
口を開きかけたリヴァイから逃げる様に、フェリーチェはライムグリーンの瞳を逸らした。
透き通った目に、明らかな憂いの色。
ポツリとフェリーチェが呟く。
「でも、私には……帰る家も会いたい家族も、とっくにありません……」
「……」
「開発部では何不自由なく暮らせています。大好きな研究も出来ます。だから――」
フェリーチェは言いかけてやめてしまった。
「…………」
「どうした」
沈黙に、リヴァイが先を促すと、再びフェリーチェは口を開く。
「それに、けい………いえ規則、規則があります。わざわざ許可を申請するほどの理由が私には無かった。ただそれだけの事ですよ」
外出も許されない『規則』に、フェリーチェは何故こんなにも素直に従う事が出来るのだろう。
リヴァイは眉を顰める。
(たかだか十歳の子供……。部に入った時期が悪かったか……)
きつく言い聞かせれば、刷り込む事なんて簡単だ。素直な子供なら特に。
幼いフェリーチェを取り囲む大人達の姿を想像すると、気味が悪く、最後には憎悪だけが残った――。
「リヴァイさん、見て。本当にいい景色ですねぇ」
フェリーチェは微笑みながら眼下を見つめる。
リヴァイも隣に立つと、フェリーチェの指差す街の明かりを見つめた。
「あの明かりの数より多くの人達が、ここに暮らしてるんですよね」
「ああ……そうだな」
「昼間の街の様子やさっきのお店の人達を見ていると、みんな幸せそうにしてるなぁって……。なんだかそういうのを見てると、嬉しくなっちゃいますね」
「そうか? 別に嬉しくはならないが」
「“リヴァイさん”ですねー、そういうところ」
フェリーチェのくすくすという笑い声は、楽し気に聞こえた。
その様子を見て胸に感じるものこそ、今フェリーチェが言った『嬉しい』に近い感情なのかもしれない。
しかし、自分のこれは、フェリーチェに対してだけに言える事。
彼女が街のすべての人間に対してそう思う事とは、また何か違う気もする。
フェリーチェが言う『好き』が自分の気持ちと重ならないのは、だからだ。きっと。
「リヴァイさん達は、この壁の中にいる人類の未来を守って、切り拓こうとしてくれてるんですよね。……私は兵士としては役に立てませんが、武器の開発や改良をする事で調査兵団の皆さんのお役に立てているんだと思うと、自分の仕事が誇らしいです! 自分がやっている事に間違いは無いんだ、って!」
「フェリーチェ……」
「えっと……なんかですね。今日は昼間も夜も街に出て、色々な人を見たからか……その気持ちがとっても強く感じられまして……。さっきのお店では特に。だって、みんなとても楽しそうにしてるんだもの!」
「ただの酔っ払い共のバカ騒ぎじゃねぇか」
「でも、みんな笑ってました。お店の人も、お客さんも」
「……。遠巻きにだが、お前もな」
「ふふっ」
キャラメルブラウンの柔らかな髪が風になびき、リヴァイに触れる。リヴァイがその一房を手に取ると、フェリーチェは少し驚いた様だった。
「リヴァイさん?」
「お前が楽しかったなら……まぁ、良かった」
「……。リヴァイさんが居てくれたから」
フェリーチェは微笑んだ。
「いつもそばに居てくれますよね」
そう言って、また笑う。
リヴァイが手放さない自分の髪を見て、フェリーチェは照れくさそうにしていた。
「お前は俺の補佐だしな」
「私はリヴァイさんの補佐ですもんね」
「……」
「……」
言葉が重なり、思わず顔を見合わせる――。
「同じこと言ってる」
苦笑するフェリーチェに、リヴァイは複雑な気分になった。
確かに今は自分の補佐だ。だが、それは調査兵団にいる為に与えられた仕事。フェリーチェは、本来は開発部の研究員なのだ。
いつか、開発部へ呼び戻される。
――そこは自由の無い場所……。
「……」
「リヴァイさん?」
自分はもう、フェリーチェをただの補佐としては思えなくなっているというのに、彼女が連れ戻される時に黙って見ていられるのだろうか……?
愛しい存在が、目の前で箱に閉じ込められる……その時に。
「――フェリーチェ。上の奴らが何を考えて今更お前を外に出したかは知らねぇが、今『帰ってこい』と言われたら……お前は明日にでも帰る事が出来るのか?」
「……えっ!?」
そう聞きながら、リヴァイは掌にある柔らかな髪を握り締めた。
(俺は、即答で肯定の言葉が返ってくる事が怖いのか?……情けねぇ話じゃねぇか)
指先から本音が漏れているぞ――。
「そ、それは……」
フェリーチェは言葉に詰まり、目を泳がせ逡巡している。
当たり前だが、突然の質問に困っている様だった。
「――お前には意地の悪い質問だったな。……少し言い方を変えよう」
「言い方……ですか?」
「お前は、俺がもし『お前はまだここに居るべきだ』と助言したら……俺の判断を信じ、ここに残るか?」
そのリヴァイの言葉に、フェリーチェの瞳が瞬時に変化した。大きな目が見開かれる。
そして……
「……えぇ」
真っすぐリヴァイを見据えるライムグリーンは、それまでの様に揺れる事はなかった――。
「そうか……」
フェリーチェの返事にホッとする自分がいた。
まるで、自分と開発部を天秤にかけさせる様な質問だったが……。
そもそも両者は比べるものではない。自分は今、「私と仕事どちらを選ぶの」など、的外れな選択を迫る馬鹿な女と同じ事をしているのだ。これには、自嘲しかなかった。
「少し冷えてきたな……。帰るぞ」
握り締めていた甘い香りを離して、リヴァイはフェリーチェに背を向け歩き始める。
自分でも『どうしようもない』と思う顔を見られるのを避けたかった――。
フェリーチェも「はい」と後を追いかけて来た。
だが、バツの悪さがそうさせていたのか、つい歩く速度が速くなっていたらしい。
後ろから聞こえてくるフェリーチェの足音が……弾んでいる。
リヴァイは速度を落としコンパスを縮め、足音が真後ろにつくのを待った。
(暗い……月が陰ったか?)
来た時より足元が暗くなっているのに気付いたのは、高台から下りる階段を数段下りた時だった。
小さな石を横数列に並べただけの石段。なるべく平らの物を使用してはいるのだが、作りは素人仕事なので、お世辞にもよく出来た作りとは言えない。
……そういえば、と思い出した。
登って来る時、フェリーチェは何度もつまづいていた――。
「フェリーチェ」
「はい……へっ!?」
振り向いたリヴァイは、石段を下りようとしていたフェリーチェに手を差し伸べる。フェリーチェは、それにキョトンとして動きを止めた。
「リヴァイさん?」
「その服は『初めて自分で選んだお気に入り』なんだろう? 汚したくなかったら、転げ落ちてくるんじゃねぇぞ」
「……っ!?」
差し伸べられた手の意味を知り、フェリーチェは驚きを隠さなかった。丸くした目をリヴァイに向け、そして、俯く様にして自分の服を見て。
「――あのっ……」
「は?」
そんな小さな声が聞こえた瞬間、フェリーチェはリヴァイの胸元に飛び込んできた。
「ッ!? フェリーチェ! 俺は、手を取れと言ったんだ。思い切り突っ込んで来いとは言ってねぇだろうが!」
「……」
「……おい」
胸元に顔をうずめるフェリーチェは、ぴったりとリヴァイに身を寄せ動かない。
さっきの店で背にくっ付いてきた様子が頭によぎり、リヴァイはフェリーチェの頭に手を乗せ「どうした?」と聞いてみた。
(また何か怖がるようなものが……? いや、だが周りには何も……)
「……リヴァイさん」
ふと、か細い声が自分を呼んだ。
「なんだ」
「……」
「フェリーチェ? おい」
それでも動かないフェリーチェ。何なのだと、彼女の両頬を掌で包み顔を上向かせたところで、自分の何気なく取った行動に後悔した。
「ッ……」
――親指が唇に触れてしまったのは、偶然だった……。
しかしそれは、たとえ一瞬でも以前の記憶を呼び戻すには十分過ぎるほどで。
ああ、しまった……。そう思っても、もう遅い。
親指が覚えている唇は、水分を失ってかさついていたのに。
今日のフェリーチェの唇は――。
「…………」
「…………」
お互い言葉が無かった。
逃げないフェリーチェと、逃がす事を忘れた自分。
顔を近づけても真っすぐ見つめてくる瞳に疑問を感じながら、でも、止める事は出来ない。
鼻先が触れ合うほどにまで距離を詰めても、フェリーチェはジッとしていた――。
ここまで近付いた後の事を想像出来ない程、フェリーチェも馬鹿ではないだろう。
キスをする男女を見、仲睦まじい親を思い出し、恥ずかしそうに俯いた位だ。
自分も今、『そういう状態になりかけている』のをどう思っているのか……。
(……知らねぇぞ、フェリーチェ)
今さら退けと言われても無理だ。
大きなライムグリーンの瞳さえぼやけて見える近さ。
お互いの鼻先が触れたところで、フェリーチェは目を閉じた。
「……」
触れたのは一瞬。刹那のくちづけ。
触れたかどうかも分からない曖昧さで、掠め取る様なキスをした。
躊躇からか、それとも理性が働いたのか。
自分自身でも解らない。
ただ、ここで止めなければ後戻りは出来ないだろう……とだけは解る。
意識の無い相手の唇を勝手に奪うのと、そうではない相手の意思を感じて……とでは、当たり前だが全く違うからだ――。
なぜ俺に許した。
離れたらまず最初に聞こうと思った。
しかし、すぐに離れることは出来なかった。フェリーチェが数センチを追いかけてきたのだ。
ふわりと揺れる甘い香りと、囁く様な吐息。
『離れないでほしい』
そう言われた様な気がしたのは何故だ。自分の気持ちを、フェリーチェのそれと勘違いしたのだろうか?
巡らせた考えが、あっという間に脳内に沈んでいく。後戻りはもう出来ない……。
辺りの静けさにも後押しされ、一度軽く触れてから、ゆっくりと、今度はお互いの温度を感じられるまで唇を重ねた――。
「……」
「……」
離れると、フェリーチェはすぐに自分の胸元に顔をうずめてしまう。
表情を見られたくない、と思っているのは明白だった。自分も、今この瞬間はどういう顔をしていいのか分からない。
フェリーチェを抱きしめながら戸惑う数分間は、とても長く感じられた。
だが、ずっとこうしていても……。
「フェリーチェ」
声をかけると、フェリーチェは小さくこくりと頷いた。
「リヴァイさん……」
「ん?」
「手を繋いで帰っても……いい……ですか…?」
「……。広場の手前までだ」
「それ、すぐそこじゃないですか」
胸元でクスクスと笑うフェリーチェが、やっと顔を上げ自分を見る。
ほわん、とした笑顔が変わらず目の前に現れた事にホッとしつつ、フェリーチェの頭を撫でて。
「譲らねぇぞ。俺は」
何か言われる前に念を押した。
繋いだまま帰って、誰かに見られたら少々困る。
――いや。一番困るのは、離したくないあまりにフェリーチェをそのまま部屋に連れ込んでしまいそうな自分だ。
「……じゃあ広場まで。……はい」
そんなこちらの気も知らず、フェリーチェは手を出し微笑んだ。
改めてそうされるとやりづらいものだな……と思いながらも、フェリーチェの手を取り石段を下りる。
――思い出した。さっきは転ばない様にと、自分が手を差し伸べた方だった。
なんだ。元々しようとしていたところに、落ち着いたという事じゃないか。
ただ理由が『手助け』ではなくなり、少しばかり距離が伸びただけだ……。
「月が見えなくなっちゃった」
「完全に雲に隠れたか」
「でも、星はまだ沢山見えてますね」
「そうだな」
広場までたわいもない会話をしながら手を繋ぎ歩く。
月が再び現れたのは、兵舎が見えて来た頃だった――。