箱庭ロンドの主要楽句
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✽✽✽
様々な考えが頭の中で回り、足も気持ちもズシリと重くなった。
しかし、部屋の前まで来るといくらか気が軽くなる。自分の寝床に戻れたというただの安心感とは、きっと違うものだという自覚があった。
(寝てるか……良かった)
出てきた時と同じ部屋の薄暗さに、肩の力がフッと抜ける。
――が、こちらの予想を裏切るのがフェリーチェだ。
一瞬でもホッとしてしまった自分自身に呆れる……。
カサリ、カサリ、とソファーの向こう側からする音。
普通なら、こんな囁き声と間違えそうな音が聞こえれば不審者侵入だと身構えるところだが、あいにく今は普通の状態ではない。
こんな音が気こえる原因が明らかにひとつしかない事も分かっているのだ。
(寝てねぇのかよ)
「どうして起きてる……フェリーチェ」
床に座り込んで紙を漁っている後姿へ声をかけたが、フェリーチェは振り向きもしない。
黙々と一枚紙を見ては置き、また一枚見ては置き……。その姿はまるで闇に暮らす幽霊だ。
「お前に夢遊病の気があるとは聞いてないぞ」
顔を上向かせ、面と向かって言えば、フェリーチェはやっと自分の存在に気付いた。
「あ。おかえりなさい、リヴァイさん」
――あ。おかえり、じゃねぇだろ。
しかし、脱力を誘う笑顔にその言葉が出なくなる。
「なぁ……お前なんで起きてられるんだ?」
フェリーチェが打たれたのは鎮静剤だった。酷かった喉の症状が収まったのに熱が下がらないのは、精神的疲労の蓄積のせいだろうというのが、医者の見解だ。
調査兵団に来てからずっと、環境の変化、慣れない人間関係などなど……きっと気が休まる事は無かったのだと。
精神を落ち着かせ、体を無理矢理にでも休ませると医者が打った強めの薬。副作用の眠気も強く出る筈と言われていたのだが、本人にはなんて事ない様で……思わず首を傾げた。
「夢の中で思い出した数値があって……忘れない内に確認したかったんです」
「夢と現実の境目が無いのかよ、お前には」
一枚の紙を持ち、フェリーチェはソファーに座った。
「寝てる場合じゃないな……と思って」
そう言ってる割に、眠そうに目をこすっている。
「いや……お前の場合は寝てるのが正しい。これをさせない為に周りがどれだけ苦労してると思ってる」
「……だってエルヴィンさんは良いって言いましたよ?」
「アイツだってお前がここまでするとは思ってなかった筈だ」
リヴァイが紙を取り上げるとフェリーチェはしゅんとなった。そして、また目をこする。
やはり、薬は効いていて副作用の眠気は出ている様だ。
フェリーチェの横に座ったリヴァイは、深く息を吐いた……。
小さな灯りしかない薄暗い部屋で、こうして二人でソファーに座っているのもおかしな話だが、今はこの方が落ち着く気がする。
それに、このまま暗い中なら、睡魔に負けてフェリーチェも早々に目を閉じるかもしれない。少しの間付き合うのも手だ。
「明日からは仕事に戻りますね。熱も下がりましたし」
「下がった? 朝はまだ……」
「ほら!」
前髪を自分で上げて、フェリーチェは額をリヴァイに見せた。自信満々に「触って確かめろ」という表情に、リヴァイは渋々掌を当てる。
――確かに。下がっている。
「ね?」
「あぁ」
「これで、リヴァイさんもゆっくりベッドで寝れるようになりますよ」
そんなに嬉しそうに言われても……。
違うか。ここは自分も「そうだな」と嬉しがるところだ。
ところなのだが――。
「自分の部屋に戻っても、ちゃんと睡眠は取るんだろうな」
「今まで通り、補佐の仕事に支障が出ない様にしますね」
「取るとは言わねぇのか」
「……それなりには」
リヴァイの視線にフェリーチェは肩を竦めて見せた。
「昔から夜は割と活動的です。ショートスリーパー、熟睡型なんですよ、きっと私」
“きっと”というのが、どこからどう考えても怪しい……。
もう一度大きく息を吐いた。今度はフェリーチェにも分かる様に、大袈裟な溜息にして見せる。
「だ、大丈夫です! 昔っからそうですから! 子供の時からっ」
フェリーチェは早口で言った。
「子供の時から……」
「はいっ。子供の時から!」
(コイツ……そうやってまともに寝ないから、しょっちゅう風邪ひくんじゃねぇか?)
ふとそんな風に思う。
これでは親も苦労しただろう……。
「少しは学習しろ、賢いんじゃねぇのかお前は。同じ事を繰り返すな」
「ライフスタイルです……」
「聞こえ良く言えばいいってもんじゃない」
「うーん……」
「医務室嫌いなら、入らない様にする努力をしたらどうだ。アホが」
「あー……そうですねぇ。部に戻っちゃったら、またあそこに入らなきゃですもんね」
「…………」
苦笑しているフェリーチェに、リヴァイは例の話題を振るか躊躇った。
さっきハンジと話していた事を確かめるには、今は丁度良いタイミングだと思う。
ただ、フェリーチェは素直に事の真相を喋るだろうか……。
「フェリーチェ」
「はい?」
「お前にひとつ聞きたい事がある……」
悩んだが、リヴァイは結局口を開いた。
疑問はひとつずつ潰していくしかない。何も知らないままでは、エルヴィンに踊らされるだけになる様な気もして嫌だった。
「背中の傷は、どうした」
「っ!?」
リヴァイの言葉に、フェリーチェはすぐに反応した。ハッとした顔で右肩を押さえる。
リヴァイを驚いた顔で見つめ、フェリーチェは答えた。
「どうしてそれ……。――もしかして?」
「ああ……ハンジに聞いた。余計なお世話だと思うが、ハンジも俺もお前のその傷には興味があってな……興味といっても、面白半分で言ってる訳じゃねぇぞ」
「心配して? って事ですか?」
「そうだ」
「――これは……」
「……気が進まないなら話すな。無理矢理聞き出すつもりは無い」
明らかに逡巡している――。
そのフェリーチェを見て、リヴァイは思わず「話すな」と言っていた。自分の勝手さをフェリーチェに押し付け、傷付ける気は毛頭無いからだ。
「……。開発部に入ってからです。自分が悪いとはいえ、部長には申し訳ない事を……」
「……自分が悪い?」
「…………」
フェリーチェは表情を曇らせながら頷き、そして黙った。
となると……やはり。
悪い予想は当たっている可能性が高い。
「誰がお前にそんな事を……」
「それは覚えてません。私、部に入った頃の記憶が曖昧で……。両親が亡くなってから、親代わりになってくれた部長に勧められて開発部に入ったんですけど、どうもその辺りはぼんやりとしか……。これでも記憶力には自信があるんですけどね」
下を向き小さく微笑むフェリーチェは、酷く苦しそうだった。
これ以上聞いても、彼女は詳しい事を語らないだろう。最初の疑問も沈黙に溶けてしまった。わからないと言いつつ、本当はまだ何か隠しているのかもしれない。
喋らない。喋れない。
どっちだ……?
「…………」
リヴァイは何も言えずフェリーチェの頭をそっと撫でた。
沈痛な表情を見て、いま聞いてしまって良かったのだろうかと思いもした。……でも、後悔はしない。
フェリーチェやその周りで起きているものを理解する為には、必要な手段だ。そう割り切る――。
沈黙の時間は長かった。
さらりと指に触れる髪の柔らかさを感じながらフェリーチェの横顔を見つめていると、胸が苦しくなってくる。
やるせない気持ちのまま、彼女の横髪を耳に掛け頬に触れた。
「リヴァイさん……あの」
フェリーチェが口を開いた。
僅かな光に照らされるライムグリーンの瞳は、暗さの中でもいつもの様に澄んでいる。
頬を触るリヴァイの手に自分の手を重ねたフェリーチェは、ゆっくりと呼吸をしてからリヴァイの手をそっと握った。
「私、リヴァイさんには……」
言葉を続けたフェリーチェはギュッと目を瞑り、そして何を思ったのか、自分のシャツの胸元を押さえた後にボタンをひとつずつはずし始める。
「ッ!」
いくら何でもやる事が唐突過ぎる上、その行動は無防備だけで済まされる話じゃない。
咄嗟に視線を逸らす。
「お前、自分が今何をしてるか分かってるのか!?」
「はい。えっと……み、見てくださいっ!」
「は!?」
「傷を……見て貰いたくて……」
「……そんなもの」
見れるかよ。
言おうとしたのに声が出なかった。
自分はフェリーチェのそれを見たいと思っているのか? 何の為に?
フェリーチェは何故「見て貰いたい」なんて言ってくる……。
「リヴァイさん」
小さく衣擦れの音が聞こえ、フェリーチェがリヴァイを呼ぶ。
リヴァイが動く気配を見せないのを感じたのか、フェリーチェは「お願いします」と呟いた。
「……知ってもらいたいんです」
「俺に、か?」
「リヴァイさんだからです」
「……」
声に促され、リヴァイはゆっくりと視線をフェリーチェに戻した。
後ろを向いたフェリーチェが、シャツをずらし背中を見せた状態でいる。
少し丸めた後姿は寒そうにしている様にも見えた。
「フェリーチェ」
「これ……なんですけど」
――ハンジが言っていた通りだった。
右の肩甲骨辺りから左腰に向けて、斜めに一筋の線。
上部の方は軽傷だったのか線も細くあまり目立たないが、背中から腰への傷は太く所々ケロイド状になっていて痛々しい痕になっている。
ハンジが悲しそうな表情をしていたのを思い出せば、納得出来た。
普段は隠れた場所とはいえ、これだけの大きな傷。女にとってはさぞや……。
「部長はこれ見た時、随分と泣いていました。すまない、って……悪いのは私なのに……」
怪我を負った部下の姿に心を傷めない上司などいない。ましてや、娘同然に思っている存在だ。尚のこと辛いだろう。
部長が泣いたのは当然だ――。
「……みんなも、ごめんって。どうして……」
フェリーチェはそこまで言って止め、口を閉ざす。
再び「リヴァイさんは」と口を開いた時は、それまで以上に声の調子が重かった。
「この痕……あまりいいものとは、その……み……醜いって思います……か?」
フェリーチェの声と肩は小刻みに震えていた。
「……フェリーチェ」
それは寒さで震えている訳じゃない。震えの原因は一つでは無いのだろう。
過去の恐怖。
現在の不安。
彼女の内心を思うと、ただただ苦しく、リヴァイはもう見ていられなかった。
「すまない……お前にこんな思いをさせてまで聞く話じゃなかった」
シャツをフェリーチェの肩にかけて戻した後、まだ震えているフェリーチェをそのまま後ろから抱き締めたリヴァイは、彼女の首元に顔をうずめる。
鼻腔にフェリーチェの甘い香りが届き、また強く抱き締めた。
「え? リヴァイさん?」
「醜いなんて思う訳がない」
「……本当に……?」
「ああ。誰がお前にこの傷を残したのか……見つけ出して同じ目に遭わせてやる」
「だ、駄目ですよ! そんな事しちゃ!」
「じゃねぇと俺の気が済まねぇ」
「なんで……」
「いくら昔の話といっても、好きになった女をここまで傷付けられて黙っていられるか」
「……すき?」
抱き締められて戸惑っていたのか、フェリーチェの身体はリヴァイの腕の中でずっと固くなっていた。
だが、一つの単語でフッと緩む。
「すき……」
「…………」
表情は見えないが、フェリーチェの顔はきっと微笑んでいるのだろうと思う。
声も、それまでとは違い安らいだ声だった……。
「私もリヴァイさんのこと……好きです」
フェリーチェは純粋なんだ、とハンジが言っていた。ビックリするくらい純粋だから馬鹿に見えると。
「……」
(ああ、そうだな。バカだ)
「お前の言ってる意味とは、違ぇんだよ……」
「……え?」
以前はどさくさに紛れ、バレない様にした。
でも、もう隠す必要は無いだろう。ここまでしても、どれだけ自分の想いが伝わるか……分からない――。
フェリーチェの髪に頬を摺り寄せた。
自分の胸に強く引き寄せ抱く身体は、本当に線が細く、これ以上力を加えれば簡単に折れてしまいそうだ。
――離すのが惜しい。ずっと抱き締めていたい。
「リヴァイさん?」
「もう少し……このままでいさせてくれ……」
弱々しく呟いたリヴァイの言葉に、
「……はい」
フェリーチェは頷いた。
様々な考えが頭の中で回り、足も気持ちもズシリと重くなった。
しかし、部屋の前まで来るといくらか気が軽くなる。自分の寝床に戻れたというただの安心感とは、きっと違うものだという自覚があった。
(寝てるか……良かった)
出てきた時と同じ部屋の薄暗さに、肩の力がフッと抜ける。
――が、こちらの予想を裏切るのがフェリーチェだ。
一瞬でもホッとしてしまった自分自身に呆れる……。
カサリ、カサリ、とソファーの向こう側からする音。
普通なら、こんな囁き声と間違えそうな音が聞こえれば不審者侵入だと身構えるところだが、あいにく今は普通の状態ではない。
こんな音が気こえる原因が明らかにひとつしかない事も分かっているのだ。
(寝てねぇのかよ)
「どうして起きてる……フェリーチェ」
床に座り込んで紙を漁っている後姿へ声をかけたが、フェリーチェは振り向きもしない。
黙々と一枚紙を見ては置き、また一枚見ては置き……。その姿はまるで闇に暮らす幽霊だ。
「お前に夢遊病の気があるとは聞いてないぞ」
顔を上向かせ、面と向かって言えば、フェリーチェはやっと自分の存在に気付いた。
「あ。おかえりなさい、リヴァイさん」
――あ。おかえり、じゃねぇだろ。
しかし、脱力を誘う笑顔にその言葉が出なくなる。
「なぁ……お前なんで起きてられるんだ?」
フェリーチェが打たれたのは鎮静剤だった。酷かった喉の症状が収まったのに熱が下がらないのは、精神的疲労の蓄積のせいだろうというのが、医者の見解だ。
調査兵団に来てからずっと、環境の変化、慣れない人間関係などなど……きっと気が休まる事は無かったのだと。
精神を落ち着かせ、体を無理矢理にでも休ませると医者が打った強めの薬。副作用の眠気も強く出る筈と言われていたのだが、本人にはなんて事ない様で……思わず首を傾げた。
「夢の中で思い出した数値があって……忘れない内に確認したかったんです」
「夢と現実の境目が無いのかよ、お前には」
一枚の紙を持ち、フェリーチェはソファーに座った。
「寝てる場合じゃないな……と思って」
そう言ってる割に、眠そうに目をこすっている。
「いや……お前の場合は寝てるのが正しい。これをさせない為に周りがどれだけ苦労してると思ってる」
「……だってエルヴィンさんは良いって言いましたよ?」
「アイツだってお前がここまでするとは思ってなかった筈だ」
リヴァイが紙を取り上げるとフェリーチェはしゅんとなった。そして、また目をこする。
やはり、薬は効いていて副作用の眠気は出ている様だ。
フェリーチェの横に座ったリヴァイは、深く息を吐いた……。
小さな灯りしかない薄暗い部屋で、こうして二人でソファーに座っているのもおかしな話だが、今はこの方が落ち着く気がする。
それに、このまま暗い中なら、睡魔に負けてフェリーチェも早々に目を閉じるかもしれない。少しの間付き合うのも手だ。
「明日からは仕事に戻りますね。熱も下がりましたし」
「下がった? 朝はまだ……」
「ほら!」
前髪を自分で上げて、フェリーチェは額をリヴァイに見せた。自信満々に「触って確かめろ」という表情に、リヴァイは渋々掌を当てる。
――確かに。下がっている。
「ね?」
「あぁ」
「これで、リヴァイさんもゆっくりベッドで寝れるようになりますよ」
そんなに嬉しそうに言われても……。
違うか。ここは自分も「そうだな」と嬉しがるところだ。
ところなのだが――。
「自分の部屋に戻っても、ちゃんと睡眠は取るんだろうな」
「今まで通り、補佐の仕事に支障が出ない様にしますね」
「取るとは言わねぇのか」
「……それなりには」
リヴァイの視線にフェリーチェは肩を竦めて見せた。
「昔から夜は割と活動的です。ショートスリーパー、熟睡型なんですよ、きっと私」
“きっと”というのが、どこからどう考えても怪しい……。
もう一度大きく息を吐いた。今度はフェリーチェにも分かる様に、大袈裟な溜息にして見せる。
「だ、大丈夫です! 昔っからそうですから! 子供の時からっ」
フェリーチェは早口で言った。
「子供の時から……」
「はいっ。子供の時から!」
(コイツ……そうやってまともに寝ないから、しょっちゅう風邪ひくんじゃねぇか?)
ふとそんな風に思う。
これでは親も苦労しただろう……。
「少しは学習しろ、賢いんじゃねぇのかお前は。同じ事を繰り返すな」
「ライフスタイルです……」
「聞こえ良く言えばいいってもんじゃない」
「うーん……」
「医務室嫌いなら、入らない様にする努力をしたらどうだ。アホが」
「あー……そうですねぇ。部に戻っちゃったら、またあそこに入らなきゃですもんね」
「…………」
苦笑しているフェリーチェに、リヴァイは例の話題を振るか躊躇った。
さっきハンジと話していた事を確かめるには、今は丁度良いタイミングだと思う。
ただ、フェリーチェは素直に事の真相を喋るだろうか……。
「フェリーチェ」
「はい?」
「お前にひとつ聞きたい事がある……」
悩んだが、リヴァイは結局口を開いた。
疑問はひとつずつ潰していくしかない。何も知らないままでは、エルヴィンに踊らされるだけになる様な気もして嫌だった。
「背中の傷は、どうした」
「っ!?」
リヴァイの言葉に、フェリーチェはすぐに反応した。ハッとした顔で右肩を押さえる。
リヴァイを驚いた顔で見つめ、フェリーチェは答えた。
「どうしてそれ……。――もしかして?」
「ああ……ハンジに聞いた。余計なお世話だと思うが、ハンジも俺もお前のその傷には興味があってな……興味といっても、面白半分で言ってる訳じゃねぇぞ」
「心配して? って事ですか?」
「そうだ」
「――これは……」
「……気が進まないなら話すな。無理矢理聞き出すつもりは無い」
明らかに逡巡している――。
そのフェリーチェを見て、リヴァイは思わず「話すな」と言っていた。自分の勝手さをフェリーチェに押し付け、傷付ける気は毛頭無いからだ。
「……。開発部に入ってからです。自分が悪いとはいえ、部長には申し訳ない事を……」
「……自分が悪い?」
「…………」
フェリーチェは表情を曇らせながら頷き、そして黙った。
となると……やはり。
悪い予想は当たっている可能性が高い。
「誰がお前にそんな事を……」
「それは覚えてません。私、部に入った頃の記憶が曖昧で……。両親が亡くなってから、親代わりになってくれた部長に勧められて開発部に入ったんですけど、どうもその辺りはぼんやりとしか……。これでも記憶力には自信があるんですけどね」
下を向き小さく微笑むフェリーチェは、酷く苦しそうだった。
これ以上聞いても、彼女は詳しい事を語らないだろう。最初の疑問も沈黙に溶けてしまった。わからないと言いつつ、本当はまだ何か隠しているのかもしれない。
喋らない。喋れない。
どっちだ……?
「…………」
リヴァイは何も言えずフェリーチェの頭をそっと撫でた。
沈痛な表情を見て、いま聞いてしまって良かったのだろうかと思いもした。……でも、後悔はしない。
フェリーチェやその周りで起きているものを理解する為には、必要な手段だ。そう割り切る――。
沈黙の時間は長かった。
さらりと指に触れる髪の柔らかさを感じながらフェリーチェの横顔を見つめていると、胸が苦しくなってくる。
やるせない気持ちのまま、彼女の横髪を耳に掛け頬に触れた。
「リヴァイさん……あの」
フェリーチェが口を開いた。
僅かな光に照らされるライムグリーンの瞳は、暗さの中でもいつもの様に澄んでいる。
頬を触るリヴァイの手に自分の手を重ねたフェリーチェは、ゆっくりと呼吸をしてからリヴァイの手をそっと握った。
「私、リヴァイさんには……」
言葉を続けたフェリーチェはギュッと目を瞑り、そして何を思ったのか、自分のシャツの胸元を押さえた後にボタンをひとつずつはずし始める。
「ッ!」
いくら何でもやる事が唐突過ぎる上、その行動は無防備だけで済まされる話じゃない。
咄嗟に視線を逸らす。
「お前、自分が今何をしてるか分かってるのか!?」
「はい。えっと……み、見てくださいっ!」
「は!?」
「傷を……見て貰いたくて……」
「……そんなもの」
見れるかよ。
言おうとしたのに声が出なかった。
自分はフェリーチェのそれを見たいと思っているのか? 何の為に?
フェリーチェは何故「見て貰いたい」なんて言ってくる……。
「リヴァイさん」
小さく衣擦れの音が聞こえ、フェリーチェがリヴァイを呼ぶ。
リヴァイが動く気配を見せないのを感じたのか、フェリーチェは「お願いします」と呟いた。
「……知ってもらいたいんです」
「俺に、か?」
「リヴァイさんだからです」
「……」
声に促され、リヴァイはゆっくりと視線をフェリーチェに戻した。
後ろを向いたフェリーチェが、シャツをずらし背中を見せた状態でいる。
少し丸めた後姿は寒そうにしている様にも見えた。
「フェリーチェ」
「これ……なんですけど」
――ハンジが言っていた通りだった。
右の肩甲骨辺りから左腰に向けて、斜めに一筋の線。
上部の方は軽傷だったのか線も細くあまり目立たないが、背中から腰への傷は太く所々ケロイド状になっていて痛々しい痕になっている。
ハンジが悲しそうな表情をしていたのを思い出せば、納得出来た。
普段は隠れた場所とはいえ、これだけの大きな傷。女にとってはさぞや……。
「部長はこれ見た時、随分と泣いていました。すまない、って……悪いのは私なのに……」
怪我を負った部下の姿に心を傷めない上司などいない。ましてや、娘同然に思っている存在だ。尚のこと辛いだろう。
部長が泣いたのは当然だ――。
「……みんなも、ごめんって。どうして……」
フェリーチェはそこまで言って止め、口を閉ざす。
再び「リヴァイさんは」と口を開いた時は、それまで以上に声の調子が重かった。
「この痕……あまりいいものとは、その……み……醜いって思います……か?」
フェリーチェの声と肩は小刻みに震えていた。
「……フェリーチェ」
それは寒さで震えている訳じゃない。震えの原因は一つでは無いのだろう。
過去の恐怖。
現在の不安。
彼女の内心を思うと、ただただ苦しく、リヴァイはもう見ていられなかった。
「すまない……お前にこんな思いをさせてまで聞く話じゃなかった」
シャツをフェリーチェの肩にかけて戻した後、まだ震えているフェリーチェをそのまま後ろから抱き締めたリヴァイは、彼女の首元に顔をうずめる。
鼻腔にフェリーチェの甘い香りが届き、また強く抱き締めた。
「え? リヴァイさん?」
「醜いなんて思う訳がない」
「……本当に……?」
「ああ。誰がお前にこの傷を残したのか……見つけ出して同じ目に遭わせてやる」
「だ、駄目ですよ! そんな事しちゃ!」
「じゃねぇと俺の気が済まねぇ」
「なんで……」
「いくら昔の話といっても、好きになった女をここまで傷付けられて黙っていられるか」
「……すき?」
抱き締められて戸惑っていたのか、フェリーチェの身体はリヴァイの腕の中でずっと固くなっていた。
だが、一つの単語でフッと緩む。
「すき……」
「…………」
表情は見えないが、フェリーチェの顔はきっと微笑んでいるのだろうと思う。
声も、それまでとは違い安らいだ声だった……。
「私もリヴァイさんのこと……好きです」
フェリーチェは純粋なんだ、とハンジが言っていた。ビックリするくらい純粋だから馬鹿に見えると。
「……」
(ああ、そうだな。バカだ)
「お前の言ってる意味とは、違ぇんだよ……」
「……え?」
以前はどさくさに紛れ、バレない様にした。
でも、もう隠す必要は無いだろう。ここまでしても、どれだけ自分の想いが伝わるか……分からない――。
フェリーチェの髪に頬を摺り寄せた。
自分の胸に強く引き寄せ抱く身体は、本当に線が細く、これ以上力を加えれば簡単に折れてしまいそうだ。
――離すのが惜しい。ずっと抱き締めていたい。
「リヴァイさん?」
「もう少し……このままでいさせてくれ……」
弱々しく呟いたリヴァイの言葉に、
「……はい」
フェリーチェは頷いた。