箱庭ロンドの主要楽句
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✽4✽
去って行く背中に、手を伸ばした。
待って! 私も行きます!
出来ることは何でもするから……!
だから置いて行かないでください
私は……私は……
(そのために、生きてるのに!)
「ッ……!」
自分の言葉にハッとして、目を開けた。
――息苦しい。
(……夢、だよね?)
やけにリアルだったせいか心臓が早鐘を打っている。
激しい動悸を鎮めるべく、フェリーチェはゆっくりと呼吸をした。
いくらかマシになったのは三度目の深呼吸の後。
視界いっぱいにチカチカと舞っていた光の粒も徐々に消えて、うっすらと天井の木目が見えてくる。
(ここ……どこ……?)
医務室?……それとも、もしかして?
「フェリーチェ。起きたのか?」
「あ」
薄暗い世界の真横からリヴァイの声がした。
目を向けると、サイドテーブルに本を置いているリヴァイがいる。……期待も込めて聞いてみた。
「えっと……リヴァイさんのベッド?」
「あぁ。お前が占領してるな」
「……ごめんなさい」
「構わない」
リヴァイはベッドに座ると額に手を当ててくる。柔らかく包まれる感触に目を瞑ってみれば、うるさかった心臓はすっかり大人しくなった。
(部屋に連れてきてくれたんだ……医務室じゃなくて良かった)
「………水は飲めそうか?」
「はい」
いつもより身体が重だるくて、声もちょっと出しづらい。が、えいっと気合いを入れれば、案外動けるものだったりする。
そうして難なく起き上がったフェリーチェに、リヴァイは怪訝そうに眉を寄せた。
「お前……病人だよな?」
「病人って起き上がれないくらい重症な人の事ですよね?」
「さっきまでは確かに重病人だったぞ、お前」
「はぁ……。でも、今は起きてますよ?」
「それは薬が効いたからだ」
コップと溜息が差し出された。
「医者が言ってた。昔からこんな事ばかり繰り返してるのか」
「えぇ、まぁそれなりに……。点滴の薬はよく効きますけど、繋がれるし、動き回ると怒られるしで……私にとっては天敵ですね!」
「上手い事言った、みたいな顔してんじゃねぇよ」
額を弾かれたものの、力はいつもより加減されて弱い。けれど、つい癖で額をさすってしまう……。
「……お水、いただきます」
フェリーチェは、額をさすりつつコップに口をつけた。
まだ熱が残ってるみたいだ。貰った水を飲んだら、冷たいものが喉を流れていくのがハッキリ分かる。
じんわりと、身体に冷たさが沁み込んでいく感覚が気持ちいい。
「はぁ……。こういう時のお水って、本当美味しいですよね~」
空になったコップを握りしめてリヴァイに言うと、こっちをジッと見ている三白眼とすぐに目が合う。
何も言わず少し怖い顔をしているリヴァイに、フェリーチェはギクリとした。
「……リヴァイさん」
「……フェリーチェ」
言葉は同時だった。
そして、リヴァイが動いたのも同時だった。
「え!?」
突然頬を撫でられ、フェリーチェは驚きに固まる。
どうしたのだろうと見つめ返しても、リヴァイはずっと黙ったままだ。
「…………」
リヴァイの掌はひんやりしていた。自分の頬が熱を持っているから余計にそう感じるのだろう。
「リヴァイさん?」
沈黙は続き、触れているリヴァイの冷えた手があたたかくなっていく。
――私の熱が、リヴァイさんの体温を変えた。
そう思うと胸がきゅうっと締め付けられる。
なんだろう? これは。
こんな気持ちは初めてだ。
「あの、えっと……。ごめんなさい」
「どうしてお前が謝る」
「リヴァイさん、なんか怒ってますよね?」
「……」
頬に触れる手が、僅かに反応した。
ほら、やっぱり。怒ってるんだ。
「私が迷惑ばかりかけるから?」
「違う」
「でも」
「違うと言ってるだろう……。もし俺が怒っている様に見えるのなら、それは、俺が自分に辟易しているからだ……」
「辟易? なんで?」
疑問を投げるとリヴァイは少し考える様な素振りを見せてから、小さく頭を振った。
「自分が考えている以上に、俺は欲深いらしい」
「へ?」
欲? 欲が深いらしい?
(突然どうしたんだろう)
リヴァイの言葉を頭の中で繰り返して考えてみる。
だけど、あまりにも突拍子の無い言葉だったので、今の状況からは何も想像に繋げる事が出来ない。
全然分らないものだから、もう冗談だとしか思えず、フェリーチェは真剣な表情のリヴァイに笑ってしまった。
「リヴァイさんも、具合悪くなっちゃいました?」
「は? 俺がか」
「ええ。だって、リヴァイさん急に変なこと言うから。実は私もそうらしいんですよ! 高熱出してひっくり返ってる時『変な寝言言ってるぞ』ってみんなが教えてくれて……」
「変な寝言?」
「寝言っていうよりうわ言ですね。私の場合、大体が素数をずっと数えてるみたいで。笑われました」
「…………」
面白エピソードを話したつもりだったけど、リヴァイには「なんだそれ?」という顔をされてしまった。
この話は開発部の中でしか笑い話にならないのだろうか?
困った。冗談には冗談で返そうと思ったのに。
「は。……うわ言か。それはいいな」
すると、リヴァイは目を細めてフッと微笑んだ。
(リヴァイさん、笑った……!)
素数エピソードは全く通じなかったが、思わぬところで自分なりの冗談が伝わったらしい。心の中で「やった!」と手を叩く。
しかも、見たこと無い雰囲気のリヴァイの微笑みまで見れた――!
「ある意味、俺も熱に浮かされてるのかもしれねぇしな」
「私の風邪うつったんですか!?」
「馬鹿か。うつるかよ」
頬に触れていたリヴァイの手は頭に移り、髪をそっと撫でてくる。スッと指先が髪を滑っていくと、神経が通っていないはずのそこにくすぐったさを感じた。すごく不思議だけど、気持ちいい。
「お前は自分の体調をまず考えろ。熱だって完全に下がった訳じゃねぇだろ。ったく、起きたと思ったら通常運転おっぱじめやがって。また倒れても今度は面倒見ねぇぞ」
「え……それは困ります」
「知るか」
また微笑むリヴァイを見つめてフェリーチェは思う。
――ねぇ誰か、こんな近くでリヴァイさんの笑った顔見たことある?
もし、誰かが見たことがあるというのならば、自分はその誰かよりリヴァイに近付きたい。負けたくない――。
我ながら変な考えだと思うけど、気になるのだからしょうがない。近付きたい欲求がどんどん膨らむ。
「リヴァイさん」
ほんの数センチでいいからそれを埋めてみたい。大丈夫。ほんのちょっとだ。分かるか分からないかのギリギリな距離で。
――それだけのつもりだった。
また余計な事をしてリヴァイに怒られても困るし。困らせてもいけないと思うし。
なのに、身体は意思に反して大きく動いてしまい……。
「っな!? フェリーチェ!?」
リヴァイの驚いた声に我に返った時には、もう石鹸の香りを鼻腔に感じていた。
まさか。
まさか、リヴァイの首に抱きついてしまうなんて。
「何してんだお前っ」
(引き離されちゃう……!)
当然だ。いきなりこんな事をされたら自分だったら全力で逃げる。
「おい、フェリーチェ」
「あ……」
リヴァイの身体は固まったまま動かなかった。
どうしよう、離れなきゃ。
「……ごめんなさい」
だけど、謝罪の言葉は出ても、身体を動かす事は出来なくて。
「…………」
どうすればいいのか分からなくなった――。
ベッドサイドにあるランプの灯りは部屋の隅をほとんど照らさない。
それだけリヴァイの寝室が自分の部屋よりも広いという事だ。
加えて、リヴァイの部屋は本やメモ用紙に埋め尽くされてる自分の部屋とは正反対に、必要最低限の物しかない。それがより一層部屋を広く見せている気がする。
「フェリーチェ……?」
少し開いている寝室のドアの隙間から隣の部屋の灯りが見え、フェリーチェは腕に力を入れてリヴァイの肩口に顔を埋めた。
離れなくてはならないと頭では分かっている。でもこの体を離したら、リヴァイは自分に「寝ろ」と言い、あのドアから向こう側へ行ってしまうのだろう。
――淋しいのは嫌だ。
――ひとりは辛い。
「お前、また自分を置いて行くなって言うんじゃねぇだろうな」
「言ったらどうします?」
「どうもこうもねぇだろ。何度も言わせんな、ここは俺の部屋だ」
「だって、病気の時って誰かに頼りたくなる……というか?」
はじめはそんな理由でリヴァイに抱きついた訳じゃないのに、いざリヴァイにくっ付いてみたら、ポロポロと言い訳がましい言葉がこぼれてくる。
(興味本位でほんの少し近付くだけのつもりだったのに……)
バスルームでリヴァイを引き止めた時と同じ思いが、今になってジワジワとフェリーチェの胸に広がっていた。
――さっきの夢はまだ頭の中に鮮明に残ってる。そういえばあの夢の中では、伸ばした手は先へ届かなかった……。
「ハァ……。お前は最近そればかりだな。ホームシックにでもなったか?」
「なってません!」
そんな事ない。ホームシック? なにそれ!
首を振ったら、リヴァイは「そうか」と自分の背中に触れる。
「ならいいが……」
「……?」
柔らかく包み込まれた様な感じがしたのは、気のせい?
「フェリーチェ」
「はい?」
「だったらいい加減離れろ」
「あ」
返事を返す間もなく、べりっと音がしそうな位の勢いで体を引き離されてしまう。
手だけはリヴァイの肩を掴んだので残ったのだけど、それにもリヴァイはなんともいえない表情を見せた。
(やっぱり駄目ですか……)
「おい、フェリーチェ」
「分かってますよ……」
「少しは病人らしくしていたらどうだ。さっさと休んでとっとと治せ」
「ここには居ていいんですか?」
「熱が下がるまでだぞ」
「はいっ」
――今夜はここに居られるんだ。
フェリーチェはホッとし、身体をベッドの端に移動させる。
シーツの上に転がっていた空のコップをテーブルに置いたリヴァイが、それを不審げに見た。
「何をしてる?」
「リヴァイさんの場所はこっち側で」
「寝るわけねぇだろ。何考えてんだお前は」
「だってこれリヴァイさんのベッドだし」
「俺は椅子で寝る。ふざけるのも大概にしとけ」
怒られた。
なんで!
フェリーチェは一瞬断られた理由が分からず、首を傾げる。
(あっ、そうか。気を遣ってくれてるのかな?)
「お構いなく」
「それはコッチが言う台詞だ。……いいから一人で寝ろ」
「でも」
「お前と一緒にそこに寝て、ゆっくり休めると思うか」
また怒られた……。
「ご、ごめんなさい」
リヴァイは、誰かが近くにいると眠れないタイプなのかもしれない。
確かに普段の自分も似たようなものだから、それも分かる気がする。
――でも……。
「子供の頃、具合が悪い時は両親が同じベッドで一緒に寝てくれたんです。熱で苦しくても、ギュウギュウ詰めで狭くても、嬉しかったんですよね……。リヴァイさんにはそういう思い出ありませんか?」
「……。無ぇよ」
はぁ、と息を吐いてからリヴァイは言った。
「――俺は、ガキの頃は独りで寝ることばかりだったからな」
「…………」
リヴァイの目は暗く、それにつられ自分の心の奥にある淋しさが……また増えた。
「――それで」
「?」
「お前は熱を出す度に、開発部の誰かに添い寝を頼んでいたのか。今の俺にしたみたいに」
「……してませんよ?」
まだ怒っているのか、リヴァイの口調は刺々しい。
自分に戻ってきた視線もいつになく厳しく、フェリーチェは肩を竦めた。
――こわいです、リヴァイさん。
「部長がお見舞いに来てくれる事はありましたけど、さすがに夜までは……。基本、面会は禁止ですしね」
「……面会禁止? 随分仰々しい言い方だな」
リヴァイの目がふと鋭さを弱める。
真横に座ると、リヴァイはフェリーチェを無言で見た。瞳が「説明しろ」と言っている。
「開発部の医務室は、個室というか何というか……特別室~みたいな所に入れられて、わざわざお医者様が来てくれるんです」
「は?」
病気でも怪我でも、研究員はそこに入れられ療養する。
部屋にいる間は他者とは接触が制限され、全快するまでは絶対に部に戻れなかった。プラス、部屋からも一歩も出られないという条件付き。
「そこがまた壁も何も真っ白だし消毒薬臭いしで! とにかく嫌な所なんです……!」
「それは療養という名の軟禁じゃねぇか。医務室ごときで何故そこまでする必要がある?」
「うーん、研究員の数が少ないからじゃないでしょうか。あそこで流行り病なんかが出ちゃった日には、研究員すぐ全滅ですよ。だから、念には念を入れて……の結果考えられた処置だと思います」
「それにしたって……。普通じゃねぇだろ、そんなのは」
「私達には普通でしたよ?」
「普通の程度がおかしい」
リヴァイは眉を顰めた。チッと舌打ちも漏らす。
「お前の医務室嫌いの本当の理由はそっちか。――熱を出す度に軟禁……そりゃあ嫌にもなるな」
「あそこから比べたら、調査兵団の医務室はとても親切な場所ですけどね。でも……」
「……」
リヴァイさんの部屋の方が落ち着くから好きなんです。
と言ったら、また「俺の部屋を医務室代わりにするな」と叱られるかも。
フェリーチェは言葉を飲み込み、笑顔でそれを誤魔化した。うっかり言って追い出されたら……困る。
「………、俺の所に置い……」
「え?」
(今、何て言ったんだろう? 独り言?)
小さな小さな呟きだったからよく分からない。最初の方も、俺の所に……の後も、聞こえなかった。
「リヴァイさん? 今なんて?」
「…………」
――俺の所にいろ、とかだったら嬉しいのに。……それは期待し過ぎか。
(いや、期待って)
――それに、この部屋は広くても二人部屋じゃないでしょ。
(いやいやいや! “二人部屋”って何! 何言ってるの私)
「ちょっと待って、えーっと……」
駄目だ。考えが上手くまとまらない。
「フェリーチェ? もういいから寝ろ」
必死で考えていたのを具合が悪くなってきたと思われたのか、リヴァイにそう言われた。
グイッと腕を引っ張られて、無理矢理ベッドに寝かされそうになる。それに対しフェリーチェは精一杯の力で抵抗した。
どうにもスッキリしないのだ。まだ寝る訳にはいかない。
「そうだリヴァイさん、椅子! 椅子ってどこの椅子で寝るんですか? ここの部屋? 向こうの部屋?」
「しつこい!」
「でも重要な問題ですよ!」
「どこがだ。全く問題ねぇよ」
「部屋の主が気も休まらず朝まで……とあっては」
「それを、熱出して転がり込んでるお前が言うのか」
「それはそうなんですけど……うわっ!?」
一瞬の隙にあっけなくひっくり返されて、フェリーチェは仰向けにベッドに転がった。
世界が大きく揺れる。
パチパチと瞬きをして揺れる視界を止めたら、目の前に天井とリヴァイが見えた。
囲まれる様に両脇に置かれる腕。抱きついた時より今の方が離れているのに、フェリーチェはリヴァイとの距離にドキッとする。
自分から近付くのと、近付かれるのとでは、どうしてこんなに気持ちが変わるんだろう……。
「リ……リヴァイさんもちゃんと寝ますよね?」
「添い寝はしねぇぞ」
ムッとした顔が自分を見下ろしたまま言った。
「医者から、今夜はお前の様子をよく見ておくようにと言われてる。この部屋には居るつもりだ」
「………」
「だが、寝るか寝ないかは俺の自由だ」
「……ですよね……」
「フェリーチェ」
長い綺麗な指が目の前に伸びてくる。反射的に目を瞑ると、その指はゆっくりと前髪を梳いた。
「こんな時、何をすればお前の不安を拭ってやれるのか……俺には分からねぇ。俺はお前の親じゃねぇしな」
「……へ?」
「はっ。この歳になってガキの頃を思い出すとは思わなかった――」
ポツリと零すリヴァイは目をスッと細める。表情はほとんど変わっていないが、微笑んだようにも見えた。
ランプの灯りで煌めくリヴァイの瞳は、とても綺麗だ。目が離せなくなってしまう。
(宝石みたい……)
フェリーチェが見惚れていると、リヴァイはまた呟いた。
「これくらいなら、俺にも覚えがある……」
なにを? と聞こうと口を開きかけたフェリーチェは、急に近付いてきた影にまた反射で目を瞑った。
額にリヴァイの唇が押し当てられたのは、その直後。
ん? と思った時には、リヴァイはもう離れていた。
「……リヴァイさん、今」
「熱がぶり返してるぞ。調子に乗って動き過ぎたからだ。早く寝ろ」
「えっ!? あ! リヴァイさんどこへ」
「シャワーだ。覗いたら追い出すからな、風邪野郎」
こちらを振り返りもせず寝室を出て行ったリヴァイ。
ひとり残されたフェリーチェは、届かない文句を言うしかなかった。
「の、覗かないですよ!」
額をさすると確かに熱い。
――さっきからずっと顔が火照っていたのは、熱のせいだったのか……。
(お母さんも、おまじないだよってしてくれたな……おでこにキス)
シーツに頬を寄せてみると心地よい冷たさが肌に当たる。
そして、
(あ……リヴァイさんの香りだ)
ひんやりとしているそこは、清らかな石鹸の香りがした――。
去って行く背中に、手を伸ばした。
待って! 私も行きます!
出来ることは何でもするから……!
だから置いて行かないでください
私は……私は……
(そのために、生きてるのに!)
「ッ……!」
自分の言葉にハッとして、目を開けた。
――息苦しい。
(……夢、だよね?)
やけにリアルだったせいか心臓が早鐘を打っている。
激しい動悸を鎮めるべく、フェリーチェはゆっくりと呼吸をした。
いくらかマシになったのは三度目の深呼吸の後。
視界いっぱいにチカチカと舞っていた光の粒も徐々に消えて、うっすらと天井の木目が見えてくる。
(ここ……どこ……?)
医務室?……それとも、もしかして?
「フェリーチェ。起きたのか?」
「あ」
薄暗い世界の真横からリヴァイの声がした。
目を向けると、サイドテーブルに本を置いているリヴァイがいる。……期待も込めて聞いてみた。
「えっと……リヴァイさんのベッド?」
「あぁ。お前が占領してるな」
「……ごめんなさい」
「構わない」
リヴァイはベッドに座ると額に手を当ててくる。柔らかく包まれる感触に目を瞑ってみれば、うるさかった心臓はすっかり大人しくなった。
(部屋に連れてきてくれたんだ……医務室じゃなくて良かった)
「………水は飲めそうか?」
「はい」
いつもより身体が重だるくて、声もちょっと出しづらい。が、えいっと気合いを入れれば、案外動けるものだったりする。
そうして難なく起き上がったフェリーチェに、リヴァイは怪訝そうに眉を寄せた。
「お前……病人だよな?」
「病人って起き上がれないくらい重症な人の事ですよね?」
「さっきまでは確かに重病人だったぞ、お前」
「はぁ……。でも、今は起きてますよ?」
「それは薬が効いたからだ」
コップと溜息が差し出された。
「医者が言ってた。昔からこんな事ばかり繰り返してるのか」
「えぇ、まぁそれなりに……。点滴の薬はよく効きますけど、繋がれるし、動き回ると怒られるしで……私にとっては天敵ですね!」
「上手い事言った、みたいな顔してんじゃねぇよ」
額を弾かれたものの、力はいつもより加減されて弱い。けれど、つい癖で額をさすってしまう……。
「……お水、いただきます」
フェリーチェは、額をさすりつつコップに口をつけた。
まだ熱が残ってるみたいだ。貰った水を飲んだら、冷たいものが喉を流れていくのがハッキリ分かる。
じんわりと、身体に冷たさが沁み込んでいく感覚が気持ちいい。
「はぁ……。こういう時のお水って、本当美味しいですよね~」
空になったコップを握りしめてリヴァイに言うと、こっちをジッと見ている三白眼とすぐに目が合う。
何も言わず少し怖い顔をしているリヴァイに、フェリーチェはギクリとした。
「……リヴァイさん」
「……フェリーチェ」
言葉は同時だった。
そして、リヴァイが動いたのも同時だった。
「え!?」
突然頬を撫でられ、フェリーチェは驚きに固まる。
どうしたのだろうと見つめ返しても、リヴァイはずっと黙ったままだ。
「…………」
リヴァイの掌はひんやりしていた。自分の頬が熱を持っているから余計にそう感じるのだろう。
「リヴァイさん?」
沈黙は続き、触れているリヴァイの冷えた手があたたかくなっていく。
――私の熱が、リヴァイさんの体温を変えた。
そう思うと胸がきゅうっと締め付けられる。
なんだろう? これは。
こんな気持ちは初めてだ。
「あの、えっと……。ごめんなさい」
「どうしてお前が謝る」
「リヴァイさん、なんか怒ってますよね?」
「……」
頬に触れる手が、僅かに反応した。
ほら、やっぱり。怒ってるんだ。
「私が迷惑ばかりかけるから?」
「違う」
「でも」
「違うと言ってるだろう……。もし俺が怒っている様に見えるのなら、それは、俺が自分に辟易しているからだ……」
「辟易? なんで?」
疑問を投げるとリヴァイは少し考える様な素振りを見せてから、小さく頭を振った。
「自分が考えている以上に、俺は欲深いらしい」
「へ?」
欲? 欲が深いらしい?
(突然どうしたんだろう)
リヴァイの言葉を頭の中で繰り返して考えてみる。
だけど、あまりにも突拍子の無い言葉だったので、今の状況からは何も想像に繋げる事が出来ない。
全然分らないものだから、もう冗談だとしか思えず、フェリーチェは真剣な表情のリヴァイに笑ってしまった。
「リヴァイさんも、具合悪くなっちゃいました?」
「は? 俺がか」
「ええ。だって、リヴァイさん急に変なこと言うから。実は私もそうらしいんですよ! 高熱出してひっくり返ってる時『変な寝言言ってるぞ』ってみんなが教えてくれて……」
「変な寝言?」
「寝言っていうよりうわ言ですね。私の場合、大体が素数をずっと数えてるみたいで。笑われました」
「…………」
面白エピソードを話したつもりだったけど、リヴァイには「なんだそれ?」という顔をされてしまった。
この話は開発部の中でしか笑い話にならないのだろうか?
困った。冗談には冗談で返そうと思ったのに。
「は。……うわ言か。それはいいな」
すると、リヴァイは目を細めてフッと微笑んだ。
(リヴァイさん、笑った……!)
素数エピソードは全く通じなかったが、思わぬところで自分なりの冗談が伝わったらしい。心の中で「やった!」と手を叩く。
しかも、見たこと無い雰囲気のリヴァイの微笑みまで見れた――!
「ある意味、俺も熱に浮かされてるのかもしれねぇしな」
「私の風邪うつったんですか!?」
「馬鹿か。うつるかよ」
頬に触れていたリヴァイの手は頭に移り、髪をそっと撫でてくる。スッと指先が髪を滑っていくと、神経が通っていないはずのそこにくすぐったさを感じた。すごく不思議だけど、気持ちいい。
「お前は自分の体調をまず考えろ。熱だって完全に下がった訳じゃねぇだろ。ったく、起きたと思ったら通常運転おっぱじめやがって。また倒れても今度は面倒見ねぇぞ」
「え……それは困ります」
「知るか」
また微笑むリヴァイを見つめてフェリーチェは思う。
――ねぇ誰か、こんな近くでリヴァイさんの笑った顔見たことある?
もし、誰かが見たことがあるというのならば、自分はその誰かよりリヴァイに近付きたい。負けたくない――。
我ながら変な考えだと思うけど、気になるのだからしょうがない。近付きたい欲求がどんどん膨らむ。
「リヴァイさん」
ほんの数センチでいいからそれを埋めてみたい。大丈夫。ほんのちょっとだ。分かるか分からないかのギリギリな距離で。
――それだけのつもりだった。
また余計な事をしてリヴァイに怒られても困るし。困らせてもいけないと思うし。
なのに、身体は意思に反して大きく動いてしまい……。
「っな!? フェリーチェ!?」
リヴァイの驚いた声に我に返った時には、もう石鹸の香りを鼻腔に感じていた。
まさか。
まさか、リヴァイの首に抱きついてしまうなんて。
「何してんだお前っ」
(引き離されちゃう……!)
当然だ。いきなりこんな事をされたら自分だったら全力で逃げる。
「おい、フェリーチェ」
「あ……」
リヴァイの身体は固まったまま動かなかった。
どうしよう、離れなきゃ。
「……ごめんなさい」
だけど、謝罪の言葉は出ても、身体を動かす事は出来なくて。
「…………」
どうすればいいのか分からなくなった――。
ベッドサイドにあるランプの灯りは部屋の隅をほとんど照らさない。
それだけリヴァイの寝室が自分の部屋よりも広いという事だ。
加えて、リヴァイの部屋は本やメモ用紙に埋め尽くされてる自分の部屋とは正反対に、必要最低限の物しかない。それがより一層部屋を広く見せている気がする。
「フェリーチェ……?」
少し開いている寝室のドアの隙間から隣の部屋の灯りが見え、フェリーチェは腕に力を入れてリヴァイの肩口に顔を埋めた。
離れなくてはならないと頭では分かっている。でもこの体を離したら、リヴァイは自分に「寝ろ」と言い、あのドアから向こう側へ行ってしまうのだろう。
――淋しいのは嫌だ。
――ひとりは辛い。
「お前、また自分を置いて行くなって言うんじゃねぇだろうな」
「言ったらどうします?」
「どうもこうもねぇだろ。何度も言わせんな、ここは俺の部屋だ」
「だって、病気の時って誰かに頼りたくなる……というか?」
はじめはそんな理由でリヴァイに抱きついた訳じゃないのに、いざリヴァイにくっ付いてみたら、ポロポロと言い訳がましい言葉がこぼれてくる。
(興味本位でほんの少し近付くだけのつもりだったのに……)
バスルームでリヴァイを引き止めた時と同じ思いが、今になってジワジワとフェリーチェの胸に広がっていた。
――さっきの夢はまだ頭の中に鮮明に残ってる。そういえばあの夢の中では、伸ばした手は先へ届かなかった……。
「ハァ……。お前は最近そればかりだな。ホームシックにでもなったか?」
「なってません!」
そんな事ない。ホームシック? なにそれ!
首を振ったら、リヴァイは「そうか」と自分の背中に触れる。
「ならいいが……」
「……?」
柔らかく包み込まれた様な感じがしたのは、気のせい?
「フェリーチェ」
「はい?」
「だったらいい加減離れろ」
「あ」
返事を返す間もなく、べりっと音がしそうな位の勢いで体を引き離されてしまう。
手だけはリヴァイの肩を掴んだので残ったのだけど、それにもリヴァイはなんともいえない表情を見せた。
(やっぱり駄目ですか……)
「おい、フェリーチェ」
「分かってますよ……」
「少しは病人らしくしていたらどうだ。さっさと休んでとっとと治せ」
「ここには居ていいんですか?」
「熱が下がるまでだぞ」
「はいっ」
――今夜はここに居られるんだ。
フェリーチェはホッとし、身体をベッドの端に移動させる。
シーツの上に転がっていた空のコップをテーブルに置いたリヴァイが、それを不審げに見た。
「何をしてる?」
「リヴァイさんの場所はこっち側で」
「寝るわけねぇだろ。何考えてんだお前は」
「だってこれリヴァイさんのベッドだし」
「俺は椅子で寝る。ふざけるのも大概にしとけ」
怒られた。
なんで!
フェリーチェは一瞬断られた理由が分からず、首を傾げる。
(あっ、そうか。気を遣ってくれてるのかな?)
「お構いなく」
「それはコッチが言う台詞だ。……いいから一人で寝ろ」
「でも」
「お前と一緒にそこに寝て、ゆっくり休めると思うか」
また怒られた……。
「ご、ごめんなさい」
リヴァイは、誰かが近くにいると眠れないタイプなのかもしれない。
確かに普段の自分も似たようなものだから、それも分かる気がする。
――でも……。
「子供の頃、具合が悪い時は両親が同じベッドで一緒に寝てくれたんです。熱で苦しくても、ギュウギュウ詰めで狭くても、嬉しかったんですよね……。リヴァイさんにはそういう思い出ありませんか?」
「……。無ぇよ」
はぁ、と息を吐いてからリヴァイは言った。
「――俺は、ガキの頃は独りで寝ることばかりだったからな」
「…………」
リヴァイの目は暗く、それにつられ自分の心の奥にある淋しさが……また増えた。
「――それで」
「?」
「お前は熱を出す度に、開発部の誰かに添い寝を頼んでいたのか。今の俺にしたみたいに」
「……してませんよ?」
まだ怒っているのか、リヴァイの口調は刺々しい。
自分に戻ってきた視線もいつになく厳しく、フェリーチェは肩を竦めた。
――こわいです、リヴァイさん。
「部長がお見舞いに来てくれる事はありましたけど、さすがに夜までは……。基本、面会は禁止ですしね」
「……面会禁止? 随分仰々しい言い方だな」
リヴァイの目がふと鋭さを弱める。
真横に座ると、リヴァイはフェリーチェを無言で見た。瞳が「説明しろ」と言っている。
「開発部の医務室は、個室というか何というか……特別室~みたいな所に入れられて、わざわざお医者様が来てくれるんです」
「は?」
病気でも怪我でも、研究員はそこに入れられ療養する。
部屋にいる間は他者とは接触が制限され、全快するまでは絶対に部に戻れなかった。プラス、部屋からも一歩も出られないという条件付き。
「そこがまた壁も何も真っ白だし消毒薬臭いしで! とにかく嫌な所なんです……!」
「それは療養という名の軟禁じゃねぇか。医務室ごときで何故そこまでする必要がある?」
「うーん、研究員の数が少ないからじゃないでしょうか。あそこで流行り病なんかが出ちゃった日には、研究員すぐ全滅ですよ。だから、念には念を入れて……の結果考えられた処置だと思います」
「それにしたって……。普通じゃねぇだろ、そんなのは」
「私達には普通でしたよ?」
「普通の程度がおかしい」
リヴァイは眉を顰めた。チッと舌打ちも漏らす。
「お前の医務室嫌いの本当の理由はそっちか。――熱を出す度に軟禁……そりゃあ嫌にもなるな」
「あそこから比べたら、調査兵団の医務室はとても親切な場所ですけどね。でも……」
「……」
リヴァイさんの部屋の方が落ち着くから好きなんです。
と言ったら、また「俺の部屋を医務室代わりにするな」と叱られるかも。
フェリーチェは言葉を飲み込み、笑顔でそれを誤魔化した。うっかり言って追い出されたら……困る。
「………、俺の所に置い……」
「え?」
(今、何て言ったんだろう? 独り言?)
小さな小さな呟きだったからよく分からない。最初の方も、俺の所に……の後も、聞こえなかった。
「リヴァイさん? 今なんて?」
「…………」
――俺の所にいろ、とかだったら嬉しいのに。……それは期待し過ぎか。
(いや、期待って)
――それに、この部屋は広くても二人部屋じゃないでしょ。
(いやいやいや! “二人部屋”って何! 何言ってるの私)
「ちょっと待って、えーっと……」
駄目だ。考えが上手くまとまらない。
「フェリーチェ? もういいから寝ろ」
必死で考えていたのを具合が悪くなってきたと思われたのか、リヴァイにそう言われた。
グイッと腕を引っ張られて、無理矢理ベッドに寝かされそうになる。それに対しフェリーチェは精一杯の力で抵抗した。
どうにもスッキリしないのだ。まだ寝る訳にはいかない。
「そうだリヴァイさん、椅子! 椅子ってどこの椅子で寝るんですか? ここの部屋? 向こうの部屋?」
「しつこい!」
「でも重要な問題ですよ!」
「どこがだ。全く問題ねぇよ」
「部屋の主が気も休まらず朝まで……とあっては」
「それを、熱出して転がり込んでるお前が言うのか」
「それはそうなんですけど……うわっ!?」
一瞬の隙にあっけなくひっくり返されて、フェリーチェは仰向けにベッドに転がった。
世界が大きく揺れる。
パチパチと瞬きをして揺れる視界を止めたら、目の前に天井とリヴァイが見えた。
囲まれる様に両脇に置かれる腕。抱きついた時より今の方が離れているのに、フェリーチェはリヴァイとの距離にドキッとする。
自分から近付くのと、近付かれるのとでは、どうしてこんなに気持ちが変わるんだろう……。
「リ……リヴァイさんもちゃんと寝ますよね?」
「添い寝はしねぇぞ」
ムッとした顔が自分を見下ろしたまま言った。
「医者から、今夜はお前の様子をよく見ておくようにと言われてる。この部屋には居るつもりだ」
「………」
「だが、寝るか寝ないかは俺の自由だ」
「……ですよね……」
「フェリーチェ」
長い綺麗な指が目の前に伸びてくる。反射的に目を瞑ると、その指はゆっくりと前髪を梳いた。
「こんな時、何をすればお前の不安を拭ってやれるのか……俺には分からねぇ。俺はお前の親じゃねぇしな」
「……へ?」
「はっ。この歳になってガキの頃を思い出すとは思わなかった――」
ポツリと零すリヴァイは目をスッと細める。表情はほとんど変わっていないが、微笑んだようにも見えた。
ランプの灯りで煌めくリヴァイの瞳は、とても綺麗だ。目が離せなくなってしまう。
(宝石みたい……)
フェリーチェが見惚れていると、リヴァイはまた呟いた。
「これくらいなら、俺にも覚えがある……」
なにを? と聞こうと口を開きかけたフェリーチェは、急に近付いてきた影にまた反射で目を瞑った。
額にリヴァイの唇が押し当てられたのは、その直後。
ん? と思った時には、リヴァイはもう離れていた。
「……リヴァイさん、今」
「熱がぶり返してるぞ。調子に乗って動き過ぎたからだ。早く寝ろ」
「えっ!? あ! リヴァイさんどこへ」
「シャワーだ。覗いたら追い出すからな、風邪野郎」
こちらを振り返りもせず寝室を出て行ったリヴァイ。
ひとり残されたフェリーチェは、届かない文句を言うしかなかった。
「の、覗かないですよ!」
額をさすると確かに熱い。
――さっきからずっと顔が火照っていたのは、熱のせいだったのか……。
(お母さんも、おまじないだよってしてくれたな……おでこにキス)
シーツに頬を寄せてみると心地よい冷たさが肌に当たる。
そして、
(あ……リヴァイさんの香りだ)
ひんやりとしているそこは、清らかな石鹸の香りがした――。