憂鬱と淋しさ、安堵と愛しさ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
✽5✽
愛馬を労ったリヴァイは馬小屋を後にし、自室へ戻ろうと重い足を動かしていた。
立体機動装置も外し、マントも脱いだ。自分が抱えていたそれらの僅かな重さはもう感じない。それなのに、身体にまとわりつく形の無い重みが、歩を進める度に増えていく。
フェリーチェに今会うべきか、それとも明日にすべきか。リヴァイはそれを迷っていた。
――くだらない迷いだ。
避けて何になる。現実は変えられない。受け入れなければ先へ進めない。
昨夜見た兵と重なった……。フェリーチェも、ここに来た以上は今までと違うものを受け入れていかなければならないのだ。
自分もまた同じであるように――。
「リヴァイさん」
不意に後ろからかけられた声に、肩が震えた。
考え事をしていたせいか、自分に近づく足音に気付かなかった。
「フェリーチェ、お前いつの間に……」
と、振り返ったリヴァイは、フェリーチェの姿に凍り付く。
どう言葉をかければいいか……と悩んでいたものは、一瞬でどこかへ消えた。
「なんだその格好は……!」
「あ。ちょっと濡れちゃったみたいですね」
「お前の話をしてるんだろ! 他人事みたいに言ってんじゃねぇ!」
つい、声を大きく、荒くしてしまった。
フェリーチェが、びくっと身体を強張らせる。
戸惑いの表情で小さく「ごめんなさい……」と俯いたフェリーチェに、リヴァイもハッと我に返った。
「でも、本当に気付かなかったんです……。エルヴィンさんに言われて、それで」
「気付かない? ……そんな馬鹿な話あるかよ」
ちょっと雨に降られて濡れてしまった……というレベルじゃない。ここまでずぶ濡れになっておきながら、気付かなかったなんて普通じゃ考えられない。
しかし、フェリーチェは変な嘘を吐くような娘ではない。今のその顔を見ていても、偽っている様には思えなかった。
……という事は、本当に気付かなかった……と?
明るいキャラメルブラウンの髪色は、濡れて濃く見えた。
雨に濡れたせいで、いつもは胸のあたりでゆるくウェーブしているくせのある髪が水分を含み伸び、着ている制服のベストに張り付いている。
「…………」
その髪を一房手に取る。じっとりとした感触と冷たさが、掌に乗った。
「こんなに濡れやがって……」
リヴァイがつい言ってしまうと、フェリーチェは髪を一つに束ね絞った。ぼたぼたと水が落ちる。
「あ、すごい。こんなに絞れた」
「絞れた、じゃねぇよ……」
呑気な表情をしているフェリーチェだが、表情と顔色が全く合っていなかった。
元々色白とはいえ、その異様な白さは、もはや病的だ。
どれだけ身体が冷えているか想像が出来た。朝っぱらから廊下にいたあの時より、ずっと冷たいだろう。
「リヴァイさん?」
両手で頬を包むと、すぐに自分の体温が持っていかれる。本人は寒さを訴えないが、唇は紫色で本人の代わりにそれを訴えていた。
(何故、こんなになっているフェリーチェを、本部に残っていた者達は誰も見付けられなかった……!)
怒りさえ湧く。
しかし、よくよく考えれば、周りの人間を避けているのはフェリーチェ本人なのだ。気付ける程の近くに他人がいなかったのは、当然といえば当然かもしれない。
「フェリーチェ……」
「はい?」
「説教は後だ。戻って身体をあたためろ」
自分がいれば、こんなになるまで気付かなかった……なんて無かっただろう――。
やり場の無い怒りが、後悔に続く様な苦々しさに変わっていく。
「説教……!」
「そっちの心配じゃなく、まず自分の体を心配してくれ……」
リヴァイはそういうや否や、フェリーチェを抱き上げ、急ぎ足でその場を離れた。
✽✽✽
バスタブにたっぷりの湯を入れると、バスルーム内も蒸気であたたかくなる。
――これなら十分だろう。
リヴァイはフェリーチェへと振り返った。
「………」
「えっ!? だから何でですか? リヴァイさん?」
自分の後ろでは、フェリーチェがずっと困惑の言葉を投げかけてきていた。
外から自室までの間、「自分で歩けます!」「他の人に見られたら笑われるし!」と腕の中で騒いでいたフェリーチェだったが、ここまで来てしまうと、流石にこの後の事の方が気になるらしい。
……当たり前か。何も言われず連れてこられたかと思ったら、バスルームに閉じ込められてこの状態だ。
オロオロするフェリーチェを再び抱きかかえると、リヴァイはポイッと彼女を湯船に放った。
「うわあっ!?」
「おい。勝手にそこから逃げ出したら許さねぇからな」
「ずぶ濡れですよ……」
「始めからずぶ濡れだろうが」
殺気を込めて言うリヴァイを見上げたフェリーチェは、今度は項垂れる。絵に描いた様な項垂れ方だ。……溜息が出た。
「リヴァイさん……怒ってる……」
「当たり前だろ」
「私、ちゃんと大人しくしてましたよ……」
「大人しく出来ていたら、雨ん中外に居る訳がねぇ。お前は落ち着きの無いガキか」
「今朝まではちゃんとしてましたもん……」
バスタブの縁に足を組み座り、フェリーチェを見た。頬に少し色が戻ってきている……やっと人心地ついた。
朝といえば、エルヴィンが夜中に伝達に向かわせた兵が着いた頃だ。予定変更、帰還の知らせを聞き、フェリーチェはジッとはしていられなかったのだろう。
気持ちは分かる。だが、フェリーチェが雨の中で兵達の帰還を待つ必要は無い。それが、濡れているのに気付かずに、ずっと待っていただと? ふざけるな。
「今朝まで出来ていたなら、何故それを貫かなかった。俺達が戻るのを知っていたんだろう?」
「知ったから、出来なかったんです!」
パシャッ、と湯を叩き、フェリーチェが寄ってきた。
「俺が戻るまで大人しく待っていろ、と言った筈だ」
「だって……」
自分のすぐ横の縁に掴まり、その手の上に顎を乗せたフェリーチェは、ボソッと呟く。
「帰ってきてくれる……って思ったら、我慢出来なかったんですよ……」
「……馬鹿が。その我慢が出来ないのをガキだって言うんだ」
「それなら、私は“ガキ”で結構です。……リヴァイさんの命令を聞けなかったのは、私が悪いですけど……」
「………」
くしゅっ、
フェリーチェが、小さなくしゃみをひとつした。
身体が小さいと、くしゃみもそれか。
それまで苛立ちの方が多かったが、その小さな響きで気をそがれてしまう。――長く息を吐いた。
(今回ばかりは言い訳もなにもねぇ……。自分でも呆れるが、)
最悪の結果を残した調査から、帰って来たばかりだ。ついさっきまで、どんよりと沈みきった空気の中心にいたというのに。
(浮つき過ぎだろ……)
自分の目の前にいるフェリーチェを、可愛い、と思ってしまった。触れたいと手が疼く。
なにが我慢の出来ないガキだ。自分も人の事を言えたもんじゃねぇ……――。
「リヴァイさん?」
「なんだ」
「私はいつまでここに……浸かってればいいんでしょう?」
大きな瞳が自分を見上げていた。
額に張り付いている前髪から、数滴の水が肌を伝い落ちていく。
それが気になるのか、それとも半分目を隠す前髪が気になるのか、フェリーチェはパチパチと瞬きを繰り返した。
「まだだ」
前髪を指で上げてやってから、フェリーチェから視線を外し言う。額の薄肌色に、やけに心がざわつくとはどういう事だ……。
「一体どれだけ雨に打たれてたんだよ。濡れてる感覚失うほどか? お前の体感はどうなってるんだ」
「へ?」
「大分浸かっている筈だが……。唇の色が中々戻らねぇ。冷やし過ぎたな、体を」
「そうなんですか? 自分では見えないから、分かりませんねぇ。寒いどころか熱いんですけど。というか、リヴァイさんのお部屋はお風呂があって凄いですね! 私の部屋はシャワーしかないんですよ?」
相変わらずのんびりとした調子でフェリーチェは笑った。
(コイツ、本当に馬鹿だろう。引きこもりで丁度いい位じゃねぇか?)
訳もあり服も着ているからといっても、男の部屋の風呂に浸かっているのだ。何故、そこに対して何の疑念も危機も抱かない?
ぬくぬく危険の無い場所にいたせいなのか? 余程人のいい連中に囲まれていたのか?
世間知らずとは恐ろしい事この上ない。しかも、一度人見知りを脱すると、フェリーチェは人を信用しきって? しまう傾向がある様だ……。
そうなると、調査に出る前に、愛想を振りまけと言った自分の言葉が、とんでもないものに思える。
それだけは嫌だと拒まれたのは、結果良しということだ。下手したら、フェリーチェは笑うどころか泣く羽目になっていたかもしれない。
「……リヴァイさんがいいって言うまで大人しく浸かりますから、ベストは脱いでいいですよね? ……熱い……!」
「アホかお前は!? その状態でベストを脱ぐな!」
「なんで!? ベスト位いいでしょう? のぼせますよ私!」
「脱ぐなら俺が出ていってからにしろ……」
「え……リヴァイさん、ここに居てくれないんですか?」
「当たり前だろうが……! 今ハンジが着替えを持って来るから、後は二人でやってくれ」
――久々に頭を抱えた。
昨夜、エルヴィンが「お前には心を許している」云々の話をしていたが、どうだろう……フェリーチェのそれとはベクトルの違う話の様な気がする……。
エルヴィン、お前の考えはやはり甘い。
(フェリーチェには、俺等の常識は通用しねぇぞ……)
「リヴァイさんが出ていっちゃったら、ハンジさんが来てくれるまで私はここで一人ぼっちになるんですが……」
「大げさな奴だな。ハンジももう来る頃だ」
「男性のお部屋のお風呂に、一人でのんびり浸かっていろ……と」
「……今更そこに気付くのかよ」
「?」
「とにかく、お前はハンジが来るまでそうしていろ。いいな?」
リヴァイは溜息と同時に立ち上がった。
……冗談じゃない。これ以上ここに居たら、フェリーチェが何をしだすか分かったもんじゃないし、それに対して自分も何をするか分かったもんじゃない。
もう一度「いいな」と念を押してから、リヴァイはバスルームのドアを開けた。
外の部屋の涼しい空気がドアから入ってくる。
頬にあった湿気がフッと消えた、その刹那――。
「やだっ!!」
バシャッバシャッ! と派手な水音に重なったフェリーチェの声が、背にぶつかってきた。
驚きに振り返った直後、軽く衝撃を受ける。
受け止めたフェリーチェは、泣きそうな表情で自分の胸元にいた。
「フェリーチェ?」
「……っ!?」
飛び込んで来た本人が、自分より驚いた顔をしている。
「どうした?」
「……いえ……」
リヴァイが聞くと、フェリーチェは顔を下げ目を伏せる。
しかし、その顔が再び悲しそうになったのは確認しなくても分かり、リヴァイは下を向いたフェリーチェの顎を指で上げ、目と目が合うようにした。……やはり悲しげだ。
「置いてかないでください……一人は嫌です……」
「嫌だと言っても、たかが風呂場にいるだけだろう」
リヴァイと目が合えば、フェリーチェは聞かずとも喋った。言われた言葉にいつもの彼女なら何かしら反応し、リヴァイも困る様な事を返したりする。
しかし、今のフェリーチェにその気配は無かった。少しの沈黙--。
「……嫌なんです。分からないけど、でも嫌なんです」
「…………」
「リヴァイさん……行かないで」
お願いします。
呟くフェリーチェの心情が掴めない。
たった数分の事だろう?
すぐにハンジが来る。特別長い間バスルームに放置する訳ではない。なのに、ここまで嫌がるとは思わなかった。
(たった二日間だったが、一人になったのはそんなにコイツを追い詰めたのか?)
自分がいない間に、何かあったのだろうか? 何か……嫌な事でも…。
――何かってなんだ。
フッと浮かぶ想像に心の中で頭を振る。いや。ある訳が無い。考え過ぎだ。
「フェリーチェ、身体がまた冷える」
「やだ」
「お前、本当にどうした? おかしいぞ」
「また……いなくなっちゃう……」
「なんだそれ……」
フェリーチェはこんな声も出すのかと、初めて知った。
低く腹の底から響く様な声。明るい姿しか見せない娘の真の暗闇を見たような気がした。
リヴァイが言葉に詰まり動けずにいる姿に、フェリーチェは更に不安でも感じたのだろう。リヴァイのシャツを握り、頭を胸元へ寄せた。まるで子供が縋るみたいに。
肩に手を置くと、濡れたそこは再び冷たくなっている。このままでは、同じ事の繰り返しだ。せっかく温まらせたのに、意味が無い。
「居なくなるだと? そんな訳あるか。ここは俺の部屋だぞ」
「……」
「それに、調査から戻ったばかりで疲れている。しばらくはウロウロする気力もねぇ」
「本当ですか?」
「嘘を付いてどうなるってんだ」
はぁ、と溜息が出た。そう言っても、フェリーチェは自分から離れようとしない。
「だからお前はハンジが来るまで温まってろ。これじゃあ、いつまで経っても外で濡れたまま突っ立ってるのと変わらねぇだろうが」
「ハンジさんが来るまでこうしてます。じゃないと、リヴァイさんここから出ちゃうんでしょう?」
随分と頑なだ。
フェリーチェは言い出したら聞かない所があるが、これは困る。何故こんな事をするのか。
リヴァイは困惑しつつもフェリーチェの頭をそっと撫でた。ぎゅっ、とフェリーチェが、シャツを握る手に力を込める。
――やめろ。そんなに俺を信用しない方がいい……。
撫でていた手を後頭部に回し、フェリーチェの頭を自分の胸に押し付けた。心で思ってる事と行動が矛盾しているのは重々承知の上でだ。
背の低いフェリーチェは、寄り添ってみるとその低さがより分かった。自分はあまり背が高くないと自覚しているが、フェリーチェは自分と頭一つ分違う。……小さい。改めて思う。
「言う事を聞け。俺は居なくなりゃしない、ドアの向こう側に居るだけだ。だからお前は、もう少しまともな姿で湯に浸かってろ」
「まとも? 裸って事ですか? お風呂だけに」
「……別にそこまでしろとは言ってない」
逆にそう思うのなら、俺を引き止めてる場合じゃねぇだろ……。
「居なくならないって約束してくれるなら、言う通りに……」
小さく答えたフェリーチェの頭に頬を静かに寄せてみた。気付かれる事は無いから出来る事だ。
――甘いな。
そういえば初めてフェリーチェに会った時、ミケは「可憐な花の様な香りだ」と言っていた。
鼻の利くアイツだからこそ、そんな表現をするのだろうと思っていたが……。
こうして知るフェリーチェの香りは、可憐な花というより、甘い果実の様に思える。
――自分以外の人間は、この香りを知っているのだろうか?
やっと言う通りにすると言ったフェリーチェに、リヴァイは寄り添ったまま呟いた。
「よし……いい子だ」
甘く香る冷たい髪に口付けても、フェリーチェは絶対に気付かない――。
ハンジはその後すぐに部屋に現れた。
リヴァイが何か言う前にバスルームにさっさと入って行き、そして、今はなにやら騒いでいる。
「い、いいですって! 大丈夫! 出来ます! 出来ます一人でっ!」
「大丈夫大丈夫! ホラ、私に任せてごらんっ!」
「うわぁっ!? ちょっ……! リヴァイさんっ、リヴァイさん助けてーっ!!」
「………」
(……助けられるか)
ハンジに何をされてるのか想像がつく。今入って行けば、自分は後で何を言われるか。行く気は絶対に無い。
……本当は助けてやりたいが。
やがて、ハンジは満足げにバスルームから出てきた。一人だ。という事は、フェリーチェは今頃湯の中でグッタリしているだろう……。
「ねぇねぇ、リヴァイ。フェリーチェってさぁ~。やっわらかいねー!」
「………」
おい。今すぐそのイヤらしい手つきを止めろ。
「っていうか。私本当は邪魔だったんじゃない? いたすところだった?」
「何をいたすっつうんだ、クソ眼鏡が」
「だって、上脱いでるし」
「これは、フェリーチェを運んできて濡れたから着替えてるところだろうが。分かってて言うんじゃねぇよ」
「いや。とりあえずは言っておこうと思って」
(なにがとりあえずだ。ふざけやがって……)
こちらの気も知らずに笑うハンジは、「それにしても」とバスルームに視線を向け言う。
「フェリーチェの有様にも驚いたけどさ、リヴァイがフェリーチェをお姫様抱っこして歩いて帰って来たのと、“俺の部屋に着替え持って来い”って言ったのには驚いた」
「……。あのままの状態で放って置ける訳がねぇだろ」
「そうだけどねぇ。それなら私かぺトラに預ければ良かったでしょう」
そこまで考える余裕が無かった、とは言える訳も無く。
チッと舌打ちで誤魔化す。それをどう捉えたかは知らないが、ハンジは笑いながら、ソファーに飛び乗る様に座った。
「私が着替えを直ぐに持って来なくても、良かったんじゃない?」
「そんな訳あるか」
「リヴァイのシャツがあるじゃん? ほら、女に自分のシャツ着せるのって、男の憧れなんだろ?」
「……くだらねぇ」
「そういうの興味ないのかぁ、リヴァイは。意外だな。昔散々やりましたって男かと思ったよ」
「お前……。人の過去をなんだと思ってるんだ」
「フェリーチェ、渡したら素直に着ちゃいそうだよね」
昨日余計な事を言ってしまったばかりに、ハンジに言われたい放題だ。
しかも、放って置いたら何かおかしな事をやり始めかねない。フェリーチェといい、ハンジといい、研究バカの考える事は全く理解出来ないものだ。
「用が済んだらさっさと帰れよ。フェリーチェを連れてな」
「いいの? そばに居てやらなくて」
「お前がいるだろう」
「……リヴァイ」
ハンジは、一転して口調を変えた。眼鏡の奥の瞳が、リヴァイに抗議する様に細くなる。
「あんなに心配してたでしょ? ここまでフェリーチェにしてやるのに、なんでだよ。彼女についていてあげればいいのに」
「……」
「ま、君がそうしてくれって言うなら、私はあの子を連れてくけどさ。でも大丈夫かなぁ……」
俺にどうしろと……、リヴァイが口を開きかけたところで、バスルームのドアが開いた。そろそろとシンプルな白のワンピースを着たフェリーチェが出てくる。
そして、首を傾げた。
「ハンジさん。私の着替えと一緒に、リヴァイさんのシャツが紛れ込んでましたけど?」
「あ。それ? 着るかもって思って」
「テメェ……! いつの間に人のシャツ持ち出した!」
「ソファーのトコにあったから! あわよくば、私も眼福に預かれると思ったんだよね!」
横っ腹目掛けて蹴りを飛ばす。予感していたのかハンジはスルリとそれをかわすと、フェリーチェの腕を掴んだ。
「さて! リヴァイは忙しいみたいだから、私の部屋に行くことにしよう。前から見たがっていたあの本を見せたげる!」
「え? ……あ……はい……」
フェリーチェに部屋を出るよう促したハンジは「あ、そうだ」と一人戻って来ると、リヴァイに小声で話しかけてきた。
「ねぇ、どうだった?」
いきなり言われ、その意味が一瞬理解出来ない。
「何がだ」
「あの子、ずぶ濡れになっていても笑顔だったろう。それがどうも引っかかってさ……。リヴァイの前でもそうだったの? 泣いてなかった?」
「ああ……。泣いてはいねぇな」
(泣きそうな顔はしていたが)
「そっか……」
自分の言葉にハンジが何か考え込む表情を見せる。
「イマイチ分からないんだよね……」
そう呟かれて、ますます彼女が何を言いたいのか分からなくなった。
愛馬を労ったリヴァイは馬小屋を後にし、自室へ戻ろうと重い足を動かしていた。
立体機動装置も外し、マントも脱いだ。自分が抱えていたそれらの僅かな重さはもう感じない。それなのに、身体にまとわりつく形の無い重みが、歩を進める度に増えていく。
フェリーチェに今会うべきか、それとも明日にすべきか。リヴァイはそれを迷っていた。
――くだらない迷いだ。
避けて何になる。現実は変えられない。受け入れなければ先へ進めない。
昨夜見た兵と重なった……。フェリーチェも、ここに来た以上は今までと違うものを受け入れていかなければならないのだ。
自分もまた同じであるように――。
「リヴァイさん」
不意に後ろからかけられた声に、肩が震えた。
考え事をしていたせいか、自分に近づく足音に気付かなかった。
「フェリーチェ、お前いつの間に……」
と、振り返ったリヴァイは、フェリーチェの姿に凍り付く。
どう言葉をかければいいか……と悩んでいたものは、一瞬でどこかへ消えた。
「なんだその格好は……!」
「あ。ちょっと濡れちゃったみたいですね」
「お前の話をしてるんだろ! 他人事みたいに言ってんじゃねぇ!」
つい、声を大きく、荒くしてしまった。
フェリーチェが、びくっと身体を強張らせる。
戸惑いの表情で小さく「ごめんなさい……」と俯いたフェリーチェに、リヴァイもハッと我に返った。
「でも、本当に気付かなかったんです……。エルヴィンさんに言われて、それで」
「気付かない? ……そんな馬鹿な話あるかよ」
ちょっと雨に降られて濡れてしまった……というレベルじゃない。ここまでずぶ濡れになっておきながら、気付かなかったなんて普通じゃ考えられない。
しかし、フェリーチェは変な嘘を吐くような娘ではない。今のその顔を見ていても、偽っている様には思えなかった。
……という事は、本当に気付かなかった……と?
明るいキャラメルブラウンの髪色は、濡れて濃く見えた。
雨に濡れたせいで、いつもは胸のあたりでゆるくウェーブしているくせのある髪が水分を含み伸び、着ている制服のベストに張り付いている。
「…………」
その髪を一房手に取る。じっとりとした感触と冷たさが、掌に乗った。
「こんなに濡れやがって……」
リヴァイがつい言ってしまうと、フェリーチェは髪を一つに束ね絞った。ぼたぼたと水が落ちる。
「あ、すごい。こんなに絞れた」
「絞れた、じゃねぇよ……」
呑気な表情をしているフェリーチェだが、表情と顔色が全く合っていなかった。
元々色白とはいえ、その異様な白さは、もはや病的だ。
どれだけ身体が冷えているか想像が出来た。朝っぱらから廊下にいたあの時より、ずっと冷たいだろう。
「リヴァイさん?」
両手で頬を包むと、すぐに自分の体温が持っていかれる。本人は寒さを訴えないが、唇は紫色で本人の代わりにそれを訴えていた。
(何故、こんなになっているフェリーチェを、本部に残っていた者達は誰も見付けられなかった……!)
怒りさえ湧く。
しかし、よくよく考えれば、周りの人間を避けているのはフェリーチェ本人なのだ。気付ける程の近くに他人がいなかったのは、当然といえば当然かもしれない。
「フェリーチェ……」
「はい?」
「説教は後だ。戻って身体をあたためろ」
自分がいれば、こんなになるまで気付かなかった……なんて無かっただろう――。
やり場の無い怒りが、後悔に続く様な苦々しさに変わっていく。
「説教……!」
「そっちの心配じゃなく、まず自分の体を心配してくれ……」
リヴァイはそういうや否や、フェリーチェを抱き上げ、急ぎ足でその場を離れた。
✽✽✽
バスタブにたっぷりの湯を入れると、バスルーム内も蒸気であたたかくなる。
――これなら十分だろう。
リヴァイはフェリーチェへと振り返った。
「………」
「えっ!? だから何でですか? リヴァイさん?」
自分の後ろでは、フェリーチェがずっと困惑の言葉を投げかけてきていた。
外から自室までの間、「自分で歩けます!」「他の人に見られたら笑われるし!」と腕の中で騒いでいたフェリーチェだったが、ここまで来てしまうと、流石にこの後の事の方が気になるらしい。
……当たり前か。何も言われず連れてこられたかと思ったら、バスルームに閉じ込められてこの状態だ。
オロオロするフェリーチェを再び抱きかかえると、リヴァイはポイッと彼女を湯船に放った。
「うわあっ!?」
「おい。勝手にそこから逃げ出したら許さねぇからな」
「ずぶ濡れですよ……」
「始めからずぶ濡れだろうが」
殺気を込めて言うリヴァイを見上げたフェリーチェは、今度は項垂れる。絵に描いた様な項垂れ方だ。……溜息が出た。
「リヴァイさん……怒ってる……」
「当たり前だろ」
「私、ちゃんと大人しくしてましたよ……」
「大人しく出来ていたら、雨ん中外に居る訳がねぇ。お前は落ち着きの無いガキか」
「今朝まではちゃんとしてましたもん……」
バスタブの縁に足を組み座り、フェリーチェを見た。頬に少し色が戻ってきている……やっと人心地ついた。
朝といえば、エルヴィンが夜中に伝達に向かわせた兵が着いた頃だ。予定変更、帰還の知らせを聞き、フェリーチェはジッとはしていられなかったのだろう。
気持ちは分かる。だが、フェリーチェが雨の中で兵達の帰還を待つ必要は無い。それが、濡れているのに気付かずに、ずっと待っていただと? ふざけるな。
「今朝まで出来ていたなら、何故それを貫かなかった。俺達が戻るのを知っていたんだろう?」
「知ったから、出来なかったんです!」
パシャッ、と湯を叩き、フェリーチェが寄ってきた。
「俺が戻るまで大人しく待っていろ、と言った筈だ」
「だって……」
自分のすぐ横の縁に掴まり、その手の上に顎を乗せたフェリーチェは、ボソッと呟く。
「帰ってきてくれる……って思ったら、我慢出来なかったんですよ……」
「……馬鹿が。その我慢が出来ないのをガキだって言うんだ」
「それなら、私は“ガキ”で結構です。……リヴァイさんの命令を聞けなかったのは、私が悪いですけど……」
「………」
くしゅっ、
フェリーチェが、小さなくしゃみをひとつした。
身体が小さいと、くしゃみもそれか。
それまで苛立ちの方が多かったが、その小さな響きで気をそがれてしまう。――長く息を吐いた。
(今回ばかりは言い訳もなにもねぇ……。自分でも呆れるが、)
最悪の結果を残した調査から、帰って来たばかりだ。ついさっきまで、どんよりと沈みきった空気の中心にいたというのに。
(浮つき過ぎだろ……)
自分の目の前にいるフェリーチェを、可愛い、と思ってしまった。触れたいと手が疼く。
なにが我慢の出来ないガキだ。自分も人の事を言えたもんじゃねぇ……――。
「リヴァイさん?」
「なんだ」
「私はいつまでここに……浸かってればいいんでしょう?」
大きな瞳が自分を見上げていた。
額に張り付いている前髪から、数滴の水が肌を伝い落ちていく。
それが気になるのか、それとも半分目を隠す前髪が気になるのか、フェリーチェはパチパチと瞬きを繰り返した。
「まだだ」
前髪を指で上げてやってから、フェリーチェから視線を外し言う。額の薄肌色に、やけに心がざわつくとはどういう事だ……。
「一体どれだけ雨に打たれてたんだよ。濡れてる感覚失うほどか? お前の体感はどうなってるんだ」
「へ?」
「大分浸かっている筈だが……。唇の色が中々戻らねぇ。冷やし過ぎたな、体を」
「そうなんですか? 自分では見えないから、分かりませんねぇ。寒いどころか熱いんですけど。というか、リヴァイさんのお部屋はお風呂があって凄いですね! 私の部屋はシャワーしかないんですよ?」
相変わらずのんびりとした調子でフェリーチェは笑った。
(コイツ、本当に馬鹿だろう。引きこもりで丁度いい位じゃねぇか?)
訳もあり服も着ているからといっても、男の部屋の風呂に浸かっているのだ。何故、そこに対して何の疑念も危機も抱かない?
ぬくぬく危険の無い場所にいたせいなのか? 余程人のいい連中に囲まれていたのか?
世間知らずとは恐ろしい事この上ない。しかも、一度人見知りを脱すると、フェリーチェは人を信用しきって? しまう傾向がある様だ……。
そうなると、調査に出る前に、愛想を振りまけと言った自分の言葉が、とんでもないものに思える。
それだけは嫌だと拒まれたのは、結果良しということだ。下手したら、フェリーチェは笑うどころか泣く羽目になっていたかもしれない。
「……リヴァイさんがいいって言うまで大人しく浸かりますから、ベストは脱いでいいですよね? ……熱い……!」
「アホかお前は!? その状態でベストを脱ぐな!」
「なんで!? ベスト位いいでしょう? のぼせますよ私!」
「脱ぐなら俺が出ていってからにしろ……」
「え……リヴァイさん、ここに居てくれないんですか?」
「当たり前だろうが……! 今ハンジが着替えを持って来るから、後は二人でやってくれ」
――久々に頭を抱えた。
昨夜、エルヴィンが「お前には心を許している」云々の話をしていたが、どうだろう……フェリーチェのそれとはベクトルの違う話の様な気がする……。
エルヴィン、お前の考えはやはり甘い。
(フェリーチェには、俺等の常識は通用しねぇぞ……)
「リヴァイさんが出ていっちゃったら、ハンジさんが来てくれるまで私はここで一人ぼっちになるんですが……」
「大げさな奴だな。ハンジももう来る頃だ」
「男性のお部屋のお風呂に、一人でのんびり浸かっていろ……と」
「……今更そこに気付くのかよ」
「?」
「とにかく、お前はハンジが来るまでそうしていろ。いいな?」
リヴァイは溜息と同時に立ち上がった。
……冗談じゃない。これ以上ここに居たら、フェリーチェが何をしだすか分かったもんじゃないし、それに対して自分も何をするか分かったもんじゃない。
もう一度「いいな」と念を押してから、リヴァイはバスルームのドアを開けた。
外の部屋の涼しい空気がドアから入ってくる。
頬にあった湿気がフッと消えた、その刹那――。
「やだっ!!」
バシャッバシャッ! と派手な水音に重なったフェリーチェの声が、背にぶつかってきた。
驚きに振り返った直後、軽く衝撃を受ける。
受け止めたフェリーチェは、泣きそうな表情で自分の胸元にいた。
「フェリーチェ?」
「……っ!?」
飛び込んで来た本人が、自分より驚いた顔をしている。
「どうした?」
「……いえ……」
リヴァイが聞くと、フェリーチェは顔を下げ目を伏せる。
しかし、その顔が再び悲しそうになったのは確認しなくても分かり、リヴァイは下を向いたフェリーチェの顎を指で上げ、目と目が合うようにした。……やはり悲しげだ。
「置いてかないでください……一人は嫌です……」
「嫌だと言っても、たかが風呂場にいるだけだろう」
リヴァイと目が合えば、フェリーチェは聞かずとも喋った。言われた言葉にいつもの彼女なら何かしら反応し、リヴァイも困る様な事を返したりする。
しかし、今のフェリーチェにその気配は無かった。少しの沈黙--。
「……嫌なんです。分からないけど、でも嫌なんです」
「…………」
「リヴァイさん……行かないで」
お願いします。
呟くフェリーチェの心情が掴めない。
たった数分の事だろう?
すぐにハンジが来る。特別長い間バスルームに放置する訳ではない。なのに、ここまで嫌がるとは思わなかった。
(たった二日間だったが、一人になったのはそんなにコイツを追い詰めたのか?)
自分がいない間に、何かあったのだろうか? 何か……嫌な事でも…。
――何かってなんだ。
フッと浮かぶ想像に心の中で頭を振る。いや。ある訳が無い。考え過ぎだ。
「フェリーチェ、身体がまた冷える」
「やだ」
「お前、本当にどうした? おかしいぞ」
「また……いなくなっちゃう……」
「なんだそれ……」
フェリーチェはこんな声も出すのかと、初めて知った。
低く腹の底から響く様な声。明るい姿しか見せない娘の真の暗闇を見たような気がした。
リヴァイが言葉に詰まり動けずにいる姿に、フェリーチェは更に不安でも感じたのだろう。リヴァイのシャツを握り、頭を胸元へ寄せた。まるで子供が縋るみたいに。
肩に手を置くと、濡れたそこは再び冷たくなっている。このままでは、同じ事の繰り返しだ。せっかく温まらせたのに、意味が無い。
「居なくなるだと? そんな訳あるか。ここは俺の部屋だぞ」
「……」
「それに、調査から戻ったばかりで疲れている。しばらくはウロウロする気力もねぇ」
「本当ですか?」
「嘘を付いてどうなるってんだ」
はぁ、と溜息が出た。そう言っても、フェリーチェは自分から離れようとしない。
「だからお前はハンジが来るまで温まってろ。これじゃあ、いつまで経っても外で濡れたまま突っ立ってるのと変わらねぇだろうが」
「ハンジさんが来るまでこうしてます。じゃないと、リヴァイさんここから出ちゃうんでしょう?」
随分と頑なだ。
フェリーチェは言い出したら聞かない所があるが、これは困る。何故こんな事をするのか。
リヴァイは困惑しつつもフェリーチェの頭をそっと撫でた。ぎゅっ、とフェリーチェが、シャツを握る手に力を込める。
――やめろ。そんなに俺を信用しない方がいい……。
撫でていた手を後頭部に回し、フェリーチェの頭を自分の胸に押し付けた。心で思ってる事と行動が矛盾しているのは重々承知の上でだ。
背の低いフェリーチェは、寄り添ってみるとその低さがより分かった。自分はあまり背が高くないと自覚しているが、フェリーチェは自分と頭一つ分違う。……小さい。改めて思う。
「言う事を聞け。俺は居なくなりゃしない、ドアの向こう側に居るだけだ。だからお前は、もう少しまともな姿で湯に浸かってろ」
「まとも? 裸って事ですか? お風呂だけに」
「……別にそこまでしろとは言ってない」
逆にそう思うのなら、俺を引き止めてる場合じゃねぇだろ……。
「居なくならないって約束してくれるなら、言う通りに……」
小さく答えたフェリーチェの頭に頬を静かに寄せてみた。気付かれる事は無いから出来る事だ。
――甘いな。
そういえば初めてフェリーチェに会った時、ミケは「可憐な花の様な香りだ」と言っていた。
鼻の利くアイツだからこそ、そんな表現をするのだろうと思っていたが……。
こうして知るフェリーチェの香りは、可憐な花というより、甘い果実の様に思える。
――自分以外の人間は、この香りを知っているのだろうか?
やっと言う通りにすると言ったフェリーチェに、リヴァイは寄り添ったまま呟いた。
「よし……いい子だ」
甘く香る冷たい髪に口付けても、フェリーチェは絶対に気付かない――。
ハンジはその後すぐに部屋に現れた。
リヴァイが何か言う前にバスルームにさっさと入って行き、そして、今はなにやら騒いでいる。
「い、いいですって! 大丈夫! 出来ます! 出来ます一人でっ!」
「大丈夫大丈夫! ホラ、私に任せてごらんっ!」
「うわぁっ!? ちょっ……! リヴァイさんっ、リヴァイさん助けてーっ!!」
「………」
(……助けられるか)
ハンジに何をされてるのか想像がつく。今入って行けば、自分は後で何を言われるか。行く気は絶対に無い。
……本当は助けてやりたいが。
やがて、ハンジは満足げにバスルームから出てきた。一人だ。という事は、フェリーチェは今頃湯の中でグッタリしているだろう……。
「ねぇねぇ、リヴァイ。フェリーチェってさぁ~。やっわらかいねー!」
「………」
おい。今すぐそのイヤらしい手つきを止めろ。
「っていうか。私本当は邪魔だったんじゃない? いたすところだった?」
「何をいたすっつうんだ、クソ眼鏡が」
「だって、上脱いでるし」
「これは、フェリーチェを運んできて濡れたから着替えてるところだろうが。分かってて言うんじゃねぇよ」
「いや。とりあえずは言っておこうと思って」
(なにがとりあえずだ。ふざけやがって……)
こちらの気も知らずに笑うハンジは、「それにしても」とバスルームに視線を向け言う。
「フェリーチェの有様にも驚いたけどさ、リヴァイがフェリーチェをお姫様抱っこして歩いて帰って来たのと、“俺の部屋に着替え持って来い”って言ったのには驚いた」
「……。あのままの状態で放って置ける訳がねぇだろ」
「そうだけどねぇ。それなら私かぺトラに預ければ良かったでしょう」
そこまで考える余裕が無かった、とは言える訳も無く。
チッと舌打ちで誤魔化す。それをどう捉えたかは知らないが、ハンジは笑いながら、ソファーに飛び乗る様に座った。
「私が着替えを直ぐに持って来なくても、良かったんじゃない?」
「そんな訳あるか」
「リヴァイのシャツがあるじゃん? ほら、女に自分のシャツ着せるのって、男の憧れなんだろ?」
「……くだらねぇ」
「そういうの興味ないのかぁ、リヴァイは。意外だな。昔散々やりましたって男かと思ったよ」
「お前……。人の過去をなんだと思ってるんだ」
「フェリーチェ、渡したら素直に着ちゃいそうだよね」
昨日余計な事を言ってしまったばかりに、ハンジに言われたい放題だ。
しかも、放って置いたら何かおかしな事をやり始めかねない。フェリーチェといい、ハンジといい、研究バカの考える事は全く理解出来ないものだ。
「用が済んだらさっさと帰れよ。フェリーチェを連れてな」
「いいの? そばに居てやらなくて」
「お前がいるだろう」
「……リヴァイ」
ハンジは、一転して口調を変えた。眼鏡の奥の瞳が、リヴァイに抗議する様に細くなる。
「あんなに心配してたでしょ? ここまでフェリーチェにしてやるのに、なんでだよ。彼女についていてあげればいいのに」
「……」
「ま、君がそうしてくれって言うなら、私はあの子を連れてくけどさ。でも大丈夫かなぁ……」
俺にどうしろと……、リヴァイが口を開きかけたところで、バスルームのドアが開いた。そろそろとシンプルな白のワンピースを着たフェリーチェが出てくる。
そして、首を傾げた。
「ハンジさん。私の着替えと一緒に、リヴァイさんのシャツが紛れ込んでましたけど?」
「あ。それ? 着るかもって思って」
「テメェ……! いつの間に人のシャツ持ち出した!」
「ソファーのトコにあったから! あわよくば、私も眼福に預かれると思ったんだよね!」
横っ腹目掛けて蹴りを飛ばす。予感していたのかハンジはスルリとそれをかわすと、フェリーチェの腕を掴んだ。
「さて! リヴァイは忙しいみたいだから、私の部屋に行くことにしよう。前から見たがっていたあの本を見せたげる!」
「え? ……あ……はい……」
フェリーチェに部屋を出るよう促したハンジは「あ、そうだ」と一人戻って来ると、リヴァイに小声で話しかけてきた。
「ねぇ、どうだった?」
いきなり言われ、その意味が一瞬理解出来ない。
「何がだ」
「あの子、ずぶ濡れになっていても笑顔だったろう。それがどうも引っかかってさ……。リヴァイの前でもそうだったの? 泣いてなかった?」
「ああ……。泣いてはいねぇな」
(泣きそうな顔はしていたが)
「そっか……」
自分の言葉にハンジが何か考え込む表情を見せる。
「イマイチ分からないんだよね……」
そう呟かれて、ますます彼女が何を言いたいのか分からなくなった。