憂鬱と淋しさ、安堵と愛しさ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
✽4✽
帰還の日、壁外では雨に降られなかったのは不幸中の幸いというべきか。
本部へ到着する少し前から降り始めた雨は、着く頃にはシトシトと降る程度になった。
部下に指示を与え終わったエルヴィンは、周りの兵士達を見回していた。
皆それぞれ疲労や絶望などの感情を抱いていたが、与えられた仕事を黙々とこなしている。
予定の変更で犠牲者が増えなかった事だけは救いだ。言い聞かせる様に、エルヴィンは心の中で呟いた。
「団長、指示は全て伝わりました。作業の方もじきに終了するでしょう」
「……そうか。この辺りは大分降ったのか? あちこち泥濘 んでいるな」
「はい。皆さんが到着する結構前に、随分と強く。そちらはあまり降られなかったようですね。良かったです」
「そうだな。疲弊した体に雨はキツイだろう……。皆には明日はゆっくりと身体を休める様伝えてくれ」
「了解しました」
本部に残っていた補佐の一人にそう言うと、やっと息をゆっくりと吐く。
戻って来た。しかし、結果はいつも以上に厳しいものだ。報告をどのようにすべきか。これからそれを練らないとならない。
(さぁ、もう少し動かねば)
次の調査に繋げるためにも、休んでいる暇はない。
そうして執務室へ帰ろうと踵を返したエルヴィだったが、すぐにその足を驚きに止める。
作業中の兵士達を見ている制服姿の女性。フェリーチェだった。少しも動かず、立っている。
「フェリーチェ」
声をかけ近づいたエルヴィンは、更なる驚きに言葉を失った。
フェリーチェは、ここに居る誰よりも雨に濡れた姿をしている。ずぶ濡れだった。髪は重そうに水分を含み、白いブラウスの袖が肌に張り付いていて……。
部下の言葉を思い出した。こちらは、かなり前に強く降ったと。
「フェリーチェ! 何故ここにいる! 部屋にいなかったのか」
エルヴィンの声にフェリーチェが振り返った。
調査から戻った兵達と同じ顔、いや、それ以上に痛々しいフェリーチェに胸がズキリと痛む。それは想像していた以上の表情だ。大丈夫なのか、彼女は……。
「エルヴィンさん。お帰りなさい」
「そんなに濡れて……。早く戻って着替えなさい。体が冷えきっているはずだ、風邪をひくぞ!」
「濡れて……? あ……本当だ。濡れてますね」
まるで他人事の様だ。一瞬、アインシュバルの言葉が頭によぎる。
“あの子は怖い子だよ”
――ああ……なんて娘だ。この子は……。
フェリーチェは笑って言ったのだ。その表情に、彼女より雨に濡れた感覚に陥った。体が一気に冷えていく。
「すぐ戻りなさい」
「でも、」
「フェリーチェ!」
「じゃあ、ひとつだけ。ひとつだけ話を聞いてください」
フェリーチェが腕に縋り付いてきた。その手を振り解ける訳がない。彼女の冷えた手と蒼白の顔色に言葉も出ず、エルヴィンは頷くしかなかった。
「開発部に居た時と同じ事をさせて欲しい、とは言いません! でも、後で研究に繋がる様な作業だけはしても良いですか?……頭を動かしていないと落ち着かないんです……。私、研究するのは趣味というか生活の一部なんですっ!」
その必死な姿に、ゆっくり目を閉じる。
(やはり……俺では止められない……)
分かっていた事だ。
だが、もしかしたら……と少し期待していた部分もある。アインシュバルも、兵団団長としての自分の言葉で彼女が止まる事を、同じ様に期待していた。
彼はまた同時に「兵団に移動する、それだけで……」と、微かな希望も持っている所があった。
手紙にハッキリと書かれていた訳ではないがそれは何となく伝わっている。しかし残念だが、期待も微かな希望も崩れそうな事を彼に伝えなければならなくなった。これは調査の報告より、心苦しい報告になる……。
「分かったよ、フェリーチェ……。でも、これだけは約束してくれ。無茶はしないで欲しい」
「はい!」
嬉しそうに笑うフェリーチェに、自分は自然な笑いで答えられていただろうか。エルヴィンは自信が無かった。
でも、フェリーチェにそこまで気付く余裕は無かった様だ。
フェリーチェの瞳は、もう自分を通り越した方へ向いてしまっていたから。
「エルヴィン、ちょっと聞いて欲しい話が……。え……? ちょっとフェリーチェ! 何だよその格好!」
「ハンジさん! おかえりなさい」
エルヴィン達に駆け寄って来たハンジは、さっきのエルヴィンと全く同じ顔でフェリーチェに詰め寄った。
「何でこんなに濡れてるの!? 中に居なかったのかい!? 大分前にこっちでも降ったって聞いたけど……。――エルヴィン」
歪めた顔を向けてきたハンジに、エルヴィンは黙って頷いた。話はこれで通じてしまう。いや。その前にフェリーチェの姿を見れば一目瞭然なのだ。
「ハンジさん。リヴァイさんは?」
「さっき向こうで班の皆と居たのを見たけど……。今は馬を戻しに行ったかもしれない、かな……」
「そうですか」
「いや!! その前に着替えて、フェリーチェ! そのままリヴァイの所に行っちゃダメだよ!」
走り出したフェリーチェにハンジは叫んだ。
「無理だ、ハンジ」
それをエルヴィンが止める。
「ああなるとフェリーチェが話を聞かなくなってしまうのは、お前も知っているだろう」
「そりゃ知ってるさ! だけどあれは無いよ! リヴァイがどんな反応するか目に見えてる!」
「確かにな。でも、いっそ見せてしまった方がいいかもしれない……」
「--え? エルヴィンはリヴァイに何かさせようとしてるの……?」
「フェリーチェはリヴァイの言う事なら聞くと思うか? 父親代わりの人間の言う事も聞かなかった彼女だが……」
「父親代わりの?」
ハンジは言葉に首を傾げる。
フェリーチェの後ろ姿を見送っていたエルヴィンがそんなハンジに向き合うと、彼女は苦笑した。
「どうかな。でも、リヴァイ本人はフェリーチェの保護者だとは思っていない様だからね。その父親代わりの人とは違う対応をすると思う。リヴァイがフェリーチェをどうしてやりたいかにもよるだろうけど……」
「そうか……」
「……」
ハンジはエルヴィンに怪訝そうな顔を向け、「あのさぁ」と呟く。
「エルヴィンが開発部の部長さんから何て言われてあの子を預かってるのかは知らないし、それを深く追求するつもりもないけど……。二人共、フェリーチェの為を思って行動してるってのは信じていいんだよね?」
「もちろん」
「傷付けないようにしてあげてよ? フェリーチェを」
エルヴィンの目は、ハンジに向かなかった。
ただ小さく「あぁ」と力無く頷き、
「誰も彼女が傷付く事なんて、望んでいないさ……」
濡れた地面に言葉を落とした。
帰還の日、壁外では雨に降られなかったのは不幸中の幸いというべきか。
本部へ到着する少し前から降り始めた雨は、着く頃にはシトシトと降る程度になった。
部下に指示を与え終わったエルヴィンは、周りの兵士達を見回していた。
皆それぞれ疲労や絶望などの感情を抱いていたが、与えられた仕事を黙々とこなしている。
予定の変更で犠牲者が増えなかった事だけは救いだ。言い聞かせる様に、エルヴィンは心の中で呟いた。
「団長、指示は全て伝わりました。作業の方もじきに終了するでしょう」
「……そうか。この辺りは大分降ったのか? あちこち
「はい。皆さんが到着する結構前に、随分と強く。そちらはあまり降られなかったようですね。良かったです」
「そうだな。疲弊した体に雨はキツイだろう……。皆には明日はゆっくりと身体を休める様伝えてくれ」
「了解しました」
本部に残っていた補佐の一人にそう言うと、やっと息をゆっくりと吐く。
戻って来た。しかし、結果はいつも以上に厳しいものだ。報告をどのようにすべきか。これからそれを練らないとならない。
(さぁ、もう少し動かねば)
次の調査に繋げるためにも、休んでいる暇はない。
そうして執務室へ帰ろうと踵を返したエルヴィだったが、すぐにその足を驚きに止める。
作業中の兵士達を見ている制服姿の女性。フェリーチェだった。少しも動かず、立っている。
「フェリーチェ」
声をかけ近づいたエルヴィンは、更なる驚きに言葉を失った。
フェリーチェは、ここに居る誰よりも雨に濡れた姿をしている。ずぶ濡れだった。髪は重そうに水分を含み、白いブラウスの袖が肌に張り付いていて……。
部下の言葉を思い出した。こちらは、かなり前に強く降ったと。
「フェリーチェ! 何故ここにいる! 部屋にいなかったのか」
エルヴィンの声にフェリーチェが振り返った。
調査から戻った兵達と同じ顔、いや、それ以上に痛々しいフェリーチェに胸がズキリと痛む。それは想像していた以上の表情だ。大丈夫なのか、彼女は……。
「エルヴィンさん。お帰りなさい」
「そんなに濡れて……。早く戻って着替えなさい。体が冷えきっているはずだ、風邪をひくぞ!」
「濡れて……? あ……本当だ。濡れてますね」
まるで他人事の様だ。一瞬、アインシュバルの言葉が頭によぎる。
“あの子は怖い子だよ”
――ああ……なんて娘だ。この子は……。
フェリーチェは笑って言ったのだ。その表情に、彼女より雨に濡れた感覚に陥った。体が一気に冷えていく。
「すぐ戻りなさい」
「でも、」
「フェリーチェ!」
「じゃあ、ひとつだけ。ひとつだけ話を聞いてください」
フェリーチェが腕に縋り付いてきた。その手を振り解ける訳がない。彼女の冷えた手と蒼白の顔色に言葉も出ず、エルヴィンは頷くしかなかった。
「開発部に居た時と同じ事をさせて欲しい、とは言いません! でも、後で研究に繋がる様な作業だけはしても良いですか?……頭を動かしていないと落ち着かないんです……。私、研究するのは趣味というか生活の一部なんですっ!」
その必死な姿に、ゆっくり目を閉じる。
(やはり……俺では止められない……)
分かっていた事だ。
だが、もしかしたら……と少し期待していた部分もある。アインシュバルも、兵団団長としての自分の言葉で彼女が止まる事を、同じ様に期待していた。
彼はまた同時に「兵団に移動する、それだけで……」と、微かな希望も持っている所があった。
手紙にハッキリと書かれていた訳ではないがそれは何となく伝わっている。しかし残念だが、期待も微かな希望も崩れそうな事を彼に伝えなければならなくなった。これは調査の報告より、心苦しい報告になる……。
「分かったよ、フェリーチェ……。でも、これだけは約束してくれ。無茶はしないで欲しい」
「はい!」
嬉しそうに笑うフェリーチェに、自分は自然な笑いで答えられていただろうか。エルヴィンは自信が無かった。
でも、フェリーチェにそこまで気付く余裕は無かった様だ。
フェリーチェの瞳は、もう自分を通り越した方へ向いてしまっていたから。
「エルヴィン、ちょっと聞いて欲しい話が……。え……? ちょっとフェリーチェ! 何だよその格好!」
「ハンジさん! おかえりなさい」
エルヴィン達に駆け寄って来たハンジは、さっきのエルヴィンと全く同じ顔でフェリーチェに詰め寄った。
「何でこんなに濡れてるの!? 中に居なかったのかい!? 大分前にこっちでも降ったって聞いたけど……。――エルヴィン」
歪めた顔を向けてきたハンジに、エルヴィンは黙って頷いた。話はこれで通じてしまう。いや。その前にフェリーチェの姿を見れば一目瞭然なのだ。
「ハンジさん。リヴァイさんは?」
「さっき向こうで班の皆と居たのを見たけど……。今は馬を戻しに行ったかもしれない、かな……」
「そうですか」
「いや!! その前に着替えて、フェリーチェ! そのままリヴァイの所に行っちゃダメだよ!」
走り出したフェリーチェにハンジは叫んだ。
「無理だ、ハンジ」
それをエルヴィンが止める。
「ああなるとフェリーチェが話を聞かなくなってしまうのは、お前も知っているだろう」
「そりゃ知ってるさ! だけどあれは無いよ! リヴァイがどんな反応するか目に見えてる!」
「確かにな。でも、いっそ見せてしまった方がいいかもしれない……」
「--え? エルヴィンはリヴァイに何かさせようとしてるの……?」
「フェリーチェはリヴァイの言う事なら聞くと思うか? 父親代わりの人間の言う事も聞かなかった彼女だが……」
「父親代わりの?」
ハンジは言葉に首を傾げる。
フェリーチェの後ろ姿を見送っていたエルヴィンがそんなハンジに向き合うと、彼女は苦笑した。
「どうかな。でも、リヴァイ本人はフェリーチェの保護者だとは思っていない様だからね。その父親代わりの人とは違う対応をすると思う。リヴァイがフェリーチェをどうしてやりたいかにもよるだろうけど……」
「そうか……」
「……」
ハンジはエルヴィンに怪訝そうな顔を向け、「あのさぁ」と呟く。
「エルヴィンが開発部の部長さんから何て言われてあの子を預かってるのかは知らないし、それを深く追求するつもりもないけど……。二人共、フェリーチェの為を思って行動してるってのは信じていいんだよね?」
「もちろん」
「傷付けないようにしてあげてよ? フェリーチェを」
エルヴィンの目は、ハンジに向かなかった。
ただ小さく「あぁ」と力無く頷き、
「誰も彼女が傷付く事なんて、望んでいないさ……」
濡れた地面に言葉を落とした。