三月ウサギは物思いに耽る

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✽5✽


 暗い階段を転げ落ちるように降り、暗い廊下を周りも見ずに走った。
 一瞬、頭の中にリヴァイの存在がよぎったが、目の前の暗闇に彼は居らず、点々と廊下を照らすランプだけが見える。
 ランプの灯りを数える余裕も無くフェリーチェはとにかく走った。部屋に戻る事は考えられなかった。
 無我夢中で、どこか一人になれる所を……と求める。

――辿り着いた場所は、いつも一人で考え事をする時にお邪魔している、資料室の隣り……小さな第二資料室だった。
(やっぱりここに来ちゃうんだ……)
 隣りとは違いここに人がいるのは見たことが無い。初めてコッソリ入った時に棚の資料を見てみたら、あまりにも昔のものばかりだった。だから利用する人もいないんだろう。
 ずっと使われないでいる第二資料室。
 忘れ去られた場所は、部屋の手入れも何もかもが忘れられているらしい。
 他の部屋と違い壁紙等も古く、長い間窓も開けられずにいたから少しカビ臭い。
 でもこんな場所だからこそ、フェリーチェは落ち着けた。開発部の奥にもこういう場所があって、小さな頃は嫌な事があると籠城しアインシュバル達を困らせたものだ。
……懐かしい様な、不思議な場所。それがここだった。

「さっきから走ってばっかり」

 呟きながらドアを閉めた。誰も入ってこない様にと、内側から鍵をかける。とはいえ、昼間だって誰も来ないこの場所だ。こんな時間に誰かが……なんて絶対無いだろうけど。
 呼吸を整えながら窓を開けた。
 今夜の月は大分太っている。雲の無いおかげで部屋はとても明るい。
 フェリーチェは何度も深呼吸を繰り返した。
 だが、足の疲労や呼吸の乱れは徐々に治まっても、鼓動の速さは全く落ち着いてくれない。
 鼓動が直に耳に響く。静かな場所だけに余計にそれを強く感じた。
(……考えても……)
 どくどくと早い音の奥でエルヴィンの声が重なる。こういう時は自分の記憶力が恨めしい。
 一言一句蘇ってくるのだ。嫌だった事が、このせいでいつも脳内再生される。たちが悪いのは、良かった事はあまり残らずに忘れてしまう事だった。
(何も変わらない。だって私……何も知らないもん)
 ある日突然調査兵団に行くよう言われ、準備もままならない内にここへ来た。
 アインシュバルからは、「行きなさい」と指示されただけだった。詳しい理由なんて何一つ聞けなかった。
 だから、この異動はアインシュバル自身も断れないような事情があるんだとばかり思っていたのに。
 初日に「部長直々にどうしてもと何度も頼まれてしまっては…」なんてエルヴィンの口から聞いた時は、本当に驚いた。
 親心? 確かにそういうものもあるかもしれない。
 だけど、開発部での生活は嫌じゃなかったし、何の不満も無くここまで生きてきたのは、アインシュバルが一番知っているはず。
 いまさら「外へ出したい、視野を拡げさせたい」と言われて、自分は何をどう納得すればいいのだろう?
 一瞬、ていの良い追い出しなんじゃないかと勘繰ってしまった位だ。
 親心なんて、親になったこと無い自分には理解出来ない……。

「………」
 
 フェリーチェは下唇を噛み拳を握りしめ、自分の感情を抑えようとした。こうしていれば、溢れだしそうな感情はいつも自然とどこかへ消えていく。
(冷静になれ。冷静になれ……)
 心で繰り返す。
 でも、今回ばかりは無理だった。
(リヴァイさんも何も言ってくれなかった……)
 多分それが一番辛いんだと思う。
――本当に心配してくれてただけ……?
 自分が本来どんな仕事をしているかリヴァイは知っている。
 だったら開発部の人間達が普段何をしているかは知らなくても、部が今後の武器改善や開発のため、調査兵団の壁外調査に並々ならぬ期待と関心を向けて兵士達を壁外へと送り出している事くらいは解るだろう。
 自分の立場からしてみれば、普通の娘が壁外に赴く身内を見送るのと意味が違うのだ。それなのになんで心配なんか……。
 エルヴィンの言葉を思い出しながら何度も考えたけど、落ち着く答えに辿り着けない。
(——違う)
 見たくないものから目を逸らしているだけだ。
 さっき思ったばかりじゃないか。
 さっき思い知らされたばかりじゃないか。

――君は兵士ではない。だから兵士としての技術も力も何も持っていない。……君は研究者だろう

 エルヴィンの言った言葉。答えはそれだ。
 リヴァイが今まで壁外調査の事を言わなかった理由。
 ただ心配してくれているだけなら、彼なら逆に言ってくれたはず。聞いてオロオロする自分がいれば、むしろ喝を入れてくるだろう。

「お前開発部の人間だろ。それ位でうろたえてんじゃねぇ」とか言って。

(つまり私は……リヴァイさんにとってはただの補佐。ただの借り物。ちゃんとした研究者とは思われてないかもしれない)
 記憶が少し前の時間を再生する。
 あの時感じた感情がフェリーチェの中に再び蘇ってきた。

――開発部の人間としてここに来たが、実際はそれとしての仕事は求められていない。
――少し仕事から離れて周りに目を向けなさい。

(私が出来る事は無い……?)
(調査兵団に来て痛感してた。だからこそ、ここで自分が出来る事を全力で……と思ったのに!)

 握りしめていた拳は、とうとう我慢が出来なくなった。溢れだす感情を止められない。

「なんでっ!!」

 腕を横に思いっ切り振り、フェリーチェは拳を壁にぶつけた。
 衝撃は肩まで上って来て痺れを苦しみに変え、壁を突き破る事の出来ないひ弱な拳は、そこからの行き場を失ってしまう。
 悔しさだけが籠っていくそれは、もう壁にめり込ませる様に擦り付けるしかなかった。

「私はいっつも、何も出来ない……何も出来ないっ!!」

 叫びを吐き出したフェリーチェの呼吸は荒れた。
 すると、荒れた呼吸の向こうで、ざり……と小さな音が聞こえ、小指を中心とした手の側面に違和感を覚える。
 そこで初めてフェリーチェは、自分の拳と壁を見た。
 壁紙が剥がれかかっていたその部分には、劣化した木材がむき出しになっている。荒れた木目か、たまたま釘でもあったのか……。
 原因は分からないが、そこへ強く擦り付けていた拳から紅い液体が流れ落ち、床にぱたぱたと点を作っている。

「………」

 その紅さを見たフェリーチェの瞳から、スッと何かが落ちていった。

「終わらせない。終わらせてたまるか……絶対に」

(このまま、ぬくぬくとここで暮らす訳にはいかないでしょう?)

「認められないなら認めさせるしかない。誰にも邪魔させない……これは私の仕事……」

(いつか絶対にやり遂げる……)

 フェリーチェの低い呟きが、床を照らす月光の中を這って行った……――。


 
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