三月ウサギは物思いに耽る
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✽4✽
「壁……外、ちょうさ……」
呆然とした呟きと表情が目の前に現れた。
一瞬、瞳の輝きが失われる。
(やはり聞いていないか……)
エルヴィンは、フェリーチェの姿に溜息を飲み込んだ。
「事情が重なり延び延びになっていたんだが、やっと許可が下りた。四日後には出発だ」
「四日……!? 私、何も知りませんでした……ごめんなさい……」
「なぜ君が謝る?」
「……ここ数日は事務仕事に追われていたのもあって、私は自分の事だけで精一杯だったんです。だから……」
「フェリーチェの今の仕事は、その事務だろう」
「でも、私はリヴァイさんの補佐です。いくら事務が主だとしても、リヴァイさんの補佐である以上、彼の予定は把握しておくのが当然だと思います」
自分を見つめる目はまっすぐで、どことなくリヴァイと似ている気がした。
しかし、幼さ残る彼女には、リヴァイの様な鋭い瞳は不釣り合いの様にも思える。
エルヴィンはフェリーチェを見つめ返した。
――あの子は……怖い子だよ……。
それはアインシュバルの言葉だった。
それを心で反芻しても、自分にはまだその言葉の真意が分からないでいる。
本当に、この子が……?
「それに、私には開発部の人間としての仕事もあります。……調査兵団に派遣された意味をもっと考えなくては……。本来の職務も忘れてはいけないのです」
「フェリーチェ……」
フェリーチェは小さく息を吐くと、一時テーブルの上のコーヒーを見つめていた。
(リヴァイから何も知らされていない事に、もっとショックを受けて落ち込むものだと思っていたが……)
強い子だ、ともアインシュバルはエルヴィンに何度も繰り返し言っていた。
その言葉に間違いは無い。
フェリーチェの事を深く知らない自分でも、今の彼女の目を見ればよく分かる。
普段は柔らかな空気を持ち、か弱い雰囲気のフェリーチェだが、ここにいる彼女はいつもと違った。少なくともいつもの柔らかさは消えている。
静かに目の前の小さな姿を見守った。表情から、フェリーチェが何を言うかは想像がついた。
あとはどう諭すかだ。
「エルヴィンさん」
カップから上る湯気が少なくなってきた時、フッと顔を上げたフェリーチェはエルヴィンに切り出した。
「私が壁の外でお手伝い出来る事は何ですか?」
(ああ、やはり……)
一度目を閉じた。
しかし、その問いに返す言葉は一つしか無い。
「君を連れて行く気は無い」
「ですが私は」
「フェリーチェ」
強めな声音で相手を制す。
フェリーチェの肩がピクリと揺れた。
「ただの一補佐を調査に同行させる意味がどこにある?」
「……開発部の人間としてなら意味があると思います」
「実地調査だと言いたいのか」
「はい」
「ならば、その調査に許可を出す事は調査兵団団長として出来ない。君は部長から何を聞いてここに来たんだ? 壁の外を調査しろと彼は言ったのか?」
「………それは……」
「フェリーチェ。君はアインシュバル部長の真意をもっと理解するべきだ。部の外へ出て視野を広げて欲しいというのは、壁外を見てこいという意味じゃない位、賢い君になら分かるだろう?」
エルヴィンの通る声に、フェリーチェの瞳が再び光を消した。
哀しそうな目の意味はよく理解出来る。しかし、だからと言って同情する事は出来ない。
当たり前だ。リスクを背負って行ける程、この調査は甘くないのだ。
「知っているはずだ。壁外調査では毎回多くの犠牲を伴う。だが、調査兵団の兵士達は皆、人類の為に心臓を捧げると誓った者達。自分の命が犠牲になる事もいとわない」
「っ……!」
開きかけた口を閉じ、フェリーチェは唇を噛み黙った。そして、そのまま俯いてしまう。
「君は兵士ではない。だから兵士としての技術も力も何も持っていない。……君は研究者だろう? 志はここにいる人間と同じかもしれないが、開発部と調査兵団では役割が大きく違うのだよ」
フェリーチェはエルヴィンの言葉をじっと聞いていた。
ふと見れば、彼女は膝の上でスカートの裾を握りしめ、その拳を震わせている。
彼女の姿に胸が痛んだが、しかし、これは彼女の為なのだと自分に言い聞かせるしかない。
隠そうと思っていた溜息をあえて出し、エルヴィンは言葉を続けた。
「フェリーチェ。ハンジ達が君に今回の調査の事を話さなかったのは何故だと思う? 彼らは君に余計な心配をかけさせたくなかったんだ」
「……分かります……。でもそれだってすぐに分かる事です……」
「ああ、そうだね。だが、ギリギリまで話さなかったのはその期間を少しでも短くしたいと思ったからじゃないのか? ……まさか、この時期まで隠しているとは私も思わなかったが……」
「…………」
「リヴァイは……誰よりもそう思っていただろうな」
ビクッ! とフェリーチェは身体を跳ねさせる。
俯いたままの彼女から低い呟きが聞こえ、エルヴィンはその言葉に思わず首を傾げてしまった。
「……そんな……じゃあ私は……」
私は――
繰り返すフェリーチェはどこか追い詰められている様だった。
(何かあったのか? リヴァイと)
疑問に思ったところで、普段の二人の様子をいつも見守っている訳ではないのだから、自分にそれを測り知る事は出来ない。
ただ、ハンジから聞いた限りでは「至って良好。それに良い傾向」という話だった。
そこから、自分の最初の判断に間違いは無かったと思っていたところだ。
(至って良好。それにいい傾向……か)
全ては一つの方向に向かっている。
それは喜ばなくてはならない。
「リヴァイの口から直接聞きたかったかな? だとしたら、私は少し余計な事をしてしまったかもしれないね、フェリーチェ」
エルヴィンの声に、フェリーチェは「いいえ」と頭をゆっくりと左右に揺らす。
「いいえ。エルヴィンさん」
「ッ! ……フェリーチェ……」
俯いていた顔をやっと上げた彼女の目は想像していたものと大分違い、エルヴィンを驚かせた。
「だからこそ分かった事があります。私はもう少し冷静にならなければなりません」
色の無い冷えた瞳がエルヴィンを見上げている。
それはいつもと真逆の印象を与えるものだ。
彼女もこんな顔をするのかと驚かされつつ、同時に奇妙な違和感も感じた。
普段の様子のフェリーチェは、良く言えば「純粋そのもの」悪く言えば「世間知らず」……そう印象付けられる姿でしかないからだ。
(――違和感はこのせいか?)
開発部という温室で彼女はもう十年以上過ごしているそうだ。計算すれば、フェリーチェは十歳頃から部に居た事になる。
……特殊な環境とはいえ、十分に安全を保証された温室で苦悩を知らず育った子供が、こんな冷めた目をするようになるのか? 考えられる理由なんて、彼女にはてっきり無いと思っていたが……。
怖い子だ、とアインシュバルが言っていたのは、もしかしたらここに起因しているのだろうか。
(だからといってこんな事を……)
机に置いてある手紙に視線を送ってから、エルヴィンはフェリーチェに切り出した。
――そろそろやるべき事をせねば……。
「フェリーチェ。君にとってはあまりいい感じには聞こえないだろうが……。それでも聞いて欲しい」
頷いたフェリーチェの瞳から冷たさが消えた。それにホッとしつつ、エルヴィンはフェリーチェに語りかける。
「君は開発部の人間としてここに来たが、実際はそれとしての仕事は求められていない。だから君をリヴァイの補佐にしたんだ。はじめにも言っただろう? 調査兵団内ではあくまでも技術班のアドバイザー的存在でしかないと。“実地調査目的”も、言ってしまえば、君がここに居やすい様にとアインシュバル部長がただ理由付けたものだ」
「…………」
「フェリーチェが私達の所に来た訳は、あくまで君の視野を拡げさせたいという部長の親心だよ。彼の真意を考えろとはそういう事だ。少し仕事から離れて周りに目を向けなさい」
例えやんわりとした口調で伝えても、きっと今のフェリーチェにとっては残酷に響く。
壁外へついて行くとまで言った彼女に、「お前はここでは兵士でもなければ研究員でもない」という宣言。仕事に対して真摯に向かい合っている彼女には、かなり突き刺さる言葉だろう。
「解って欲しい。……すまない」
フェリーチェの反応が気になる。言い切った後、エルヴィンは次にかける言葉をつい模索してしまった。
さっきのあの冷たい色が瞳に戻ってしまったら……? 自分は何を言ってやったらいい?
「……エルヴィンさんの言う事は理解出来ました。もう困らせてしまう様な事は言いません。……私、ちゃんと考えますから……部長が私に言いたかったことも」
フェリーチェは笑った。いつもと同じ様な人懐っこい笑顔だった。だが……それが逆に痛々しくも見える。
「じゃあ私、部屋に戻りますね」
「あ、ああ……。こんな時間に部屋に呼ぶだなんて君には失礼な事をしてしまったね。リヴァイが知ったら私は何を言われるか……………フェリーチェ?」
部屋を出ようとしているフェリーチェは、ドアをほんの少し開けそこから廊下を覗いていた。
その後ろ姿にエルヴィンも察する。成程……もう知られているということか。
「吐くべきじゃない嘘は、絶対に言っては駄目だという事が身に染みて分かって……。リヴァイさんには酷い事をしてしまいました」
「……私からも謝っておこう。元は私が原因だ」
フェリーチェは振り向いてまた笑った。
「リヴァイさんはとても優しくて誰よりも繊細な人です。彼の補佐になれて私は良かった……」
ありがとうございます。
そう言い残しフェリーチェはドアの側からあっという間に消えた。廊下に出て見送ろうとしていたエルヴィンは、その後を慌てて追う。
しかし、暗い廊下にもうフェリーチェの姿は無かった。
逃げ足は天下一品、とハンジが言っていたがこういう事か。
フッと笑ってしまう。
(どうやら私からも逃げ出したかったようだな)
「……すまない、フェリーチェ」
彼女がいないので暗い廊下の静けさに言うしかない。謝罪を漏らすと、エルヴィンには一気に自責の念が湧いてきた。
――だが、自分にはこうしてやる事しか出来無いのだ。
きっと、あの手紙の差出人も同じ気持ちでいるのだろう。
ソファーに座り、冷めてしまったコーヒーを口にしたエルヴィンは、深く溜息を吐く。
――ハンジやミケ達には、フェリーチェに調査の事を口外しない様事前に伝えておいた。
――リヴァイへの仕事を調査前のこの忙しい時期にあえて増やし、フェリーチェが他に気を取られない様にも仕向け。
そして、
――二人の関係が良好、更に良い傾向ともなっているのならば、リヴァイはフェリーチェに調査の予定を話す事を躊躇するだろうと読んだ。
全ては、こちらの思い通りに進んでいる……。
「悪く思うなよ、リヴァイ……」
濃い琥珀色に呟きを落とす。
「……こうするしかないんだ。私も、アインシュバル部長も――」
ソファーの背に頭部を預け、しばらく天井を見つめていたエルヴィンの口から、また深い深い溜息が漏れた。
「壁……外、ちょうさ……」
呆然とした呟きと表情が目の前に現れた。
一瞬、瞳の輝きが失われる。
(やはり聞いていないか……)
エルヴィンは、フェリーチェの姿に溜息を飲み込んだ。
「事情が重なり延び延びになっていたんだが、やっと許可が下りた。四日後には出発だ」
「四日……!? 私、何も知りませんでした……ごめんなさい……」
「なぜ君が謝る?」
「……ここ数日は事務仕事に追われていたのもあって、私は自分の事だけで精一杯だったんです。だから……」
「フェリーチェの今の仕事は、その事務だろう」
「でも、私はリヴァイさんの補佐です。いくら事務が主だとしても、リヴァイさんの補佐である以上、彼の予定は把握しておくのが当然だと思います」
自分を見つめる目はまっすぐで、どことなくリヴァイと似ている気がした。
しかし、幼さ残る彼女には、リヴァイの様な鋭い瞳は不釣り合いの様にも思える。
エルヴィンはフェリーチェを見つめ返した。
――あの子は……怖い子だよ……。
それはアインシュバルの言葉だった。
それを心で反芻しても、自分にはまだその言葉の真意が分からないでいる。
本当に、この子が……?
「それに、私には開発部の人間としての仕事もあります。……調査兵団に派遣された意味をもっと考えなくては……。本来の職務も忘れてはいけないのです」
「フェリーチェ……」
フェリーチェは小さく息を吐くと、一時テーブルの上のコーヒーを見つめていた。
(リヴァイから何も知らされていない事に、もっとショックを受けて落ち込むものだと思っていたが……)
強い子だ、ともアインシュバルはエルヴィンに何度も繰り返し言っていた。
その言葉に間違いは無い。
フェリーチェの事を深く知らない自分でも、今の彼女の目を見ればよく分かる。
普段は柔らかな空気を持ち、か弱い雰囲気のフェリーチェだが、ここにいる彼女はいつもと違った。少なくともいつもの柔らかさは消えている。
静かに目の前の小さな姿を見守った。表情から、フェリーチェが何を言うかは想像がついた。
あとはどう諭すかだ。
「エルヴィンさん」
カップから上る湯気が少なくなってきた時、フッと顔を上げたフェリーチェはエルヴィンに切り出した。
「私が壁の外でお手伝い出来る事は何ですか?」
(ああ、やはり……)
一度目を閉じた。
しかし、その問いに返す言葉は一つしか無い。
「君を連れて行く気は無い」
「ですが私は」
「フェリーチェ」
強めな声音で相手を制す。
フェリーチェの肩がピクリと揺れた。
「ただの一補佐を調査に同行させる意味がどこにある?」
「……開発部の人間としてなら意味があると思います」
「実地調査だと言いたいのか」
「はい」
「ならば、その調査に許可を出す事は調査兵団団長として出来ない。君は部長から何を聞いてここに来たんだ? 壁の外を調査しろと彼は言ったのか?」
「………それは……」
「フェリーチェ。君はアインシュバル部長の真意をもっと理解するべきだ。部の外へ出て視野を広げて欲しいというのは、壁外を見てこいという意味じゃない位、賢い君になら分かるだろう?」
エルヴィンの通る声に、フェリーチェの瞳が再び光を消した。
哀しそうな目の意味はよく理解出来る。しかし、だからと言って同情する事は出来ない。
当たり前だ。リスクを背負って行ける程、この調査は甘くないのだ。
「知っているはずだ。壁外調査では毎回多くの犠牲を伴う。だが、調査兵団の兵士達は皆、人類の為に心臓を捧げると誓った者達。自分の命が犠牲になる事もいとわない」
「っ……!」
開きかけた口を閉じ、フェリーチェは唇を噛み黙った。そして、そのまま俯いてしまう。
「君は兵士ではない。だから兵士としての技術も力も何も持っていない。……君は研究者だろう? 志はここにいる人間と同じかもしれないが、開発部と調査兵団では役割が大きく違うのだよ」
フェリーチェはエルヴィンの言葉をじっと聞いていた。
ふと見れば、彼女は膝の上でスカートの裾を握りしめ、その拳を震わせている。
彼女の姿に胸が痛んだが、しかし、これは彼女の為なのだと自分に言い聞かせるしかない。
隠そうと思っていた溜息をあえて出し、エルヴィンは言葉を続けた。
「フェリーチェ。ハンジ達が君に今回の調査の事を話さなかったのは何故だと思う? 彼らは君に余計な心配をかけさせたくなかったんだ」
「……分かります……。でもそれだってすぐに分かる事です……」
「ああ、そうだね。だが、ギリギリまで話さなかったのはその期間を少しでも短くしたいと思ったからじゃないのか? ……まさか、この時期まで隠しているとは私も思わなかったが……」
「…………」
「リヴァイは……誰よりもそう思っていただろうな」
ビクッ! とフェリーチェは身体を跳ねさせる。
俯いたままの彼女から低い呟きが聞こえ、エルヴィンはその言葉に思わず首を傾げてしまった。
「……そんな……じゃあ私は……」
私は――
繰り返すフェリーチェはどこか追い詰められている様だった。
(何かあったのか? リヴァイと)
疑問に思ったところで、普段の二人の様子をいつも見守っている訳ではないのだから、自分にそれを測り知る事は出来ない。
ただ、ハンジから聞いた限りでは「至って良好。それに良い傾向」という話だった。
そこから、自分の最初の判断に間違いは無かったと思っていたところだ。
(至って良好。それにいい傾向……か)
全ては一つの方向に向かっている。
それは喜ばなくてはならない。
「リヴァイの口から直接聞きたかったかな? だとしたら、私は少し余計な事をしてしまったかもしれないね、フェリーチェ」
エルヴィンの声に、フェリーチェは「いいえ」と頭をゆっくりと左右に揺らす。
「いいえ。エルヴィンさん」
「ッ! ……フェリーチェ……」
俯いていた顔をやっと上げた彼女の目は想像していたものと大分違い、エルヴィンを驚かせた。
「だからこそ分かった事があります。私はもう少し冷静にならなければなりません」
色の無い冷えた瞳がエルヴィンを見上げている。
それはいつもと真逆の印象を与えるものだ。
彼女もこんな顔をするのかと驚かされつつ、同時に奇妙な違和感も感じた。
普段の様子のフェリーチェは、良く言えば「純粋そのもの」悪く言えば「世間知らず」……そう印象付けられる姿でしかないからだ。
(――違和感はこのせいか?)
開発部という温室で彼女はもう十年以上過ごしているそうだ。計算すれば、フェリーチェは十歳頃から部に居た事になる。
……特殊な環境とはいえ、十分に安全を保証された温室で苦悩を知らず育った子供が、こんな冷めた目をするようになるのか? 考えられる理由なんて、彼女にはてっきり無いと思っていたが……。
怖い子だ、とアインシュバルが言っていたのは、もしかしたらここに起因しているのだろうか。
(だからといってこんな事を……)
机に置いてある手紙に視線を送ってから、エルヴィンはフェリーチェに切り出した。
――そろそろやるべき事をせねば……。
「フェリーチェ。君にとってはあまりいい感じには聞こえないだろうが……。それでも聞いて欲しい」
頷いたフェリーチェの瞳から冷たさが消えた。それにホッとしつつ、エルヴィンはフェリーチェに語りかける。
「君は開発部の人間としてここに来たが、実際はそれとしての仕事は求められていない。だから君をリヴァイの補佐にしたんだ。はじめにも言っただろう? 調査兵団内ではあくまでも技術班のアドバイザー的存在でしかないと。“実地調査目的”も、言ってしまえば、君がここに居やすい様にとアインシュバル部長がただ理由付けたものだ」
「…………」
「フェリーチェが私達の所に来た訳は、あくまで君の視野を拡げさせたいという部長の親心だよ。彼の真意を考えろとはそういう事だ。少し仕事から離れて周りに目を向けなさい」
例えやんわりとした口調で伝えても、きっと今のフェリーチェにとっては残酷に響く。
壁外へついて行くとまで言った彼女に、「お前はここでは兵士でもなければ研究員でもない」という宣言。仕事に対して真摯に向かい合っている彼女には、かなり突き刺さる言葉だろう。
「解って欲しい。……すまない」
フェリーチェの反応が気になる。言い切った後、エルヴィンは次にかける言葉をつい模索してしまった。
さっきのあの冷たい色が瞳に戻ってしまったら……? 自分は何を言ってやったらいい?
「……エルヴィンさんの言う事は理解出来ました。もう困らせてしまう様な事は言いません。……私、ちゃんと考えますから……部長が私に言いたかったことも」
フェリーチェは笑った。いつもと同じ様な人懐っこい笑顔だった。だが……それが逆に痛々しくも見える。
「じゃあ私、部屋に戻りますね」
「あ、ああ……。こんな時間に部屋に呼ぶだなんて君には失礼な事をしてしまったね。リヴァイが知ったら私は何を言われるか……………フェリーチェ?」
部屋を出ようとしているフェリーチェは、ドアをほんの少し開けそこから廊下を覗いていた。
その後ろ姿にエルヴィンも察する。成程……もう知られているということか。
「吐くべきじゃない嘘は、絶対に言っては駄目だという事が身に染みて分かって……。リヴァイさんには酷い事をしてしまいました」
「……私からも謝っておこう。元は私が原因だ」
フェリーチェは振り向いてまた笑った。
「リヴァイさんはとても優しくて誰よりも繊細な人です。彼の補佐になれて私は良かった……」
ありがとうございます。
そう言い残しフェリーチェはドアの側からあっという間に消えた。廊下に出て見送ろうとしていたエルヴィンは、その後を慌てて追う。
しかし、暗い廊下にもうフェリーチェの姿は無かった。
逃げ足は天下一品、とハンジが言っていたがこういう事か。
フッと笑ってしまう。
(どうやら私からも逃げ出したかったようだな)
「……すまない、フェリーチェ」
彼女がいないので暗い廊下の静けさに言うしかない。謝罪を漏らすと、エルヴィンには一気に自責の念が湧いてきた。
――だが、自分にはこうしてやる事しか出来無いのだ。
きっと、あの手紙の差出人も同じ気持ちでいるのだろう。
ソファーに座り、冷めてしまったコーヒーを口にしたエルヴィンは、深く溜息を吐く。
――ハンジやミケ達には、フェリーチェに調査の事を口外しない様事前に伝えておいた。
――リヴァイへの仕事を調査前のこの忙しい時期にあえて増やし、フェリーチェが他に気を取られない様にも仕向け。
そして、
――二人の関係が良好、更に良い傾向ともなっているのならば、リヴァイはフェリーチェに調査の予定を話す事を躊躇するだろうと読んだ。
全ては、こちらの思い通りに進んでいる……。
「悪く思うなよ、リヴァイ……」
濃い琥珀色に呟きを落とす。
「……こうするしかないんだ。私も、アインシュバル部長も――」
ソファーの背に頭部を預け、しばらく天井を見つめていたエルヴィンの口から、また深い深い溜息が漏れた。