横顔も見慣れた頃に
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✽1✽
持っていたペンを机に置くと、ハンジは大きく伸びをした。
「終わった……!」
珍しくも一日を執務室で過ごすという偉業を成し遂げた彼女なのに、顔は晴々というよりどんよりと重く、そして少々不機嫌だ。
リヴァイに比べれば眉間の皺は圧倒的に少ないものの、理不尽だと言わんばかりの表情が、仕事を終えた喜びに浸っている訳ではない事を語っている。
「ねぇ、モブリット。君のいう“やんなきゃいけないヤツ”は全部やっつけたよ? しかも見てよ! 今日一日でだ。満足かい?」
「はい! 分隊長凄いじゃないですか。ですが、出来るならそれをまとめてではなく、適度に分けて仕上げていただけると助かるんですが」
「結果良ければ全て良し!」
「……今回はそういう事にしておきます……」
モブリットの溜息はいつ聞いても哀愁漂っている。たまには感嘆のそれを漏らせばいいのに……。モブリットはリヴァイとはまた違った方向で不器用なのかもしれない。
終わったものは終わったのだ。それについては手放しで喜べる話じゃないか。
男ってのはどうしてこうも不器用な奴ばっかなんだと、ハンジは彼らを気の毒に思った。
が、モブリットの溜息の殆どはハンジの行動から生まれている。当然その事を当の本人が知る由も無いわけだから、モブリットの溜息はこれからも哀愁漂い続けるのである……。残念な事に。
「終わったんだから研究室行ってもいい? 今日はまだ行ってないんだ。この状況だったからね」
「駄目ですよ!」
「えぇーっ何でだよ? 一日一回は研究室の空気吸わなきゃ、私は死ぬ……死んじゃうって!」
「もう何時だと思ってんですか。空気吸わずに死ぬ前に、食事をしなきゃ死にますよ。夕飯時はとうに過ぎてるんです。手配はしてありますから早く行って食べますよ!」
お母さんか!
世話焼きな所は彼の性格なのかもしれないけど……ああ、研究室! 私は今こそインクと薬品の匂いに包まれたいのにっ!
違う場を求めてソワソワするハンジを見て、モブリットの方は「これは駄目だ」と思っていた。
自分の指示だけでは確実に研究室に逃走するだろう。何とかいい回避ルートを……。モブリットは必死に模索する。そしてそれは運よくあった。
「そういえば、さっき廊下でフェリーチェさんに会ったんですが。フェリーチェさんも食事まだって言ってました……。なんでも、兵長に団長から頼まれた緊急の仕事が入ったらしくて、お手伝いしてるみたいですよ。あちらも大変ですねぇ……」
「ナニそれ本当!? リヴァイったら、フェリーチェにご飯も食べさせないで仕事させてんの? なんて奴だ!! あの子ただでさえ小っちゃいのに、ご飯食べなかったらもっと小っちゃくなっちゃって消えちゃうよ!」
「いや。いくらなんでもそれは無いと思いますけど……。兵長が食事に行かないから、フェリーチェさんも行かないんじゃないですか? 上官が行かなければ部下は当然遠慮しますよ」
「じゃあ私がリヴァイに食事させる! 引き摺ってでも食堂に連れて行かなきゃ!」
ハンジは、勢い余って椅子を倒すほど慌てて部屋を出ていこうとした。
そこではたと気付く。自分が食事を取っていないという事は……。
それは必然的に、
「モブリットも食べてないんだね?」
「いや……まぁ、そうですね。でも私は別に平気です」
「駄目だよ、ちゃんと食べて! 君に倒れられたら私も困る。勿論あの二人もね。先に食堂に行っててくれ、私は二人を連れていくから!」
モブリットは、ハンジの言葉に驚きを見せたあと困った様に笑った。
「分かりました。ではお二人をよろしくお願いします」
回避ルートは連鎖反応を起こし、まさかの全員結果良ければ……の状態になったらしい。ハンジ持論恐るべし。
モブリットがそんな事実に、自分の上官を上手いこと動かそうとあの二人を利用した事をほんの少し恥じ、また上官として自分を気遣ってくれた事を喜んでいるなんて、当然ハンジは知らない。
当本人はリヴァイの執務室へと向かう間、モブリットどうこう関係無く自分に少しばかり酔っていたからだ。
(ああっ! なんか今の私って、ちょっとお母さんっぽくない!?)
今から必ず食堂に来て食事しなさい! じゃなきゃ私がモブリットにボッコボコに殴られる!
そうハンジがうそぶいて言った時、フェリーチェは「えっ!? ぜ、絶対行きます!」と泣きそうな顔で必死に言った。
その隣でリヴァイは「勝手に殴られてろ」と真顔でサラッと言い捨てた。
二人の自分への態度は正反対過ぎる!
そんな不満が少しあったものの、フェリーチェの反応があまりにも可愛かったのでリヴァイの冷徹さは寛容に見逃してやった。
見逃してやったのだ! 日頃あまり取れないフェリーチェと楽しく食事する時間が出来るなら、多少の痛みはまぁ仕方ないかと。
なのに今。食堂には……
「なんでリヴァイだけなのさ! フェリーチェは!? フェリーチェはどうしたのっ!」
テーブルのあちら側に座るリヴァイに、ハンジは卓上を両の拳で叩いて抗議している。ハッキリ言ってすごくうるさい。
でも、幸いというべきか、食事の時間がとうに過ぎた食堂に兵士達の姿は無かった。数人、談笑の場にしようとやってきた者はいたが、ハンジとリヴァイの姿を見てみんな静かに引き返していったのだ。
人類最強の男と人類最狂の女を前に、のほほんと談笑出来る強者はまだこの兵団には居ない様だ。
「部屋は一緒に出た」
「じゃあ、どうしてあの子はここにいないんだよっ。リヴァイ、自分だけご飯早く食べたくてフェリーチェの事置いてきた訳!?」
「ぶ、分隊長……落ち着いてください」
「飯を食いたいのはお前の方だろうが、クソ眼鏡。こっちは食事の時間も惜しいくらい忙しいんだ」
「じゃあ、あんたはいいよ! 勝手にすればいい。でも、フェリーチェにはちゃんと食事をさせてあげなよ! リヴァイはあの子が倒れたらどうするんだい? その忙しい仕事の半分はフェリーチェが片付けてくれてるんだろう!?」
「だから分隊長……少し落ち着いてくださいって! テーブル割れますから! 料理落ちますから!!」
モブリットに宥められ、ハンジは頬を膨らませながらも一呼吸置いた。
興奮してつい立ち上がっていた身体を椅子に戻し、何も言わなくなったリヴァイを見る。
――リヴァイはハンジを見ていなかった。
腕を組み不機嫌そうに座ったまま、食堂の出入り口の方へ視線を向けている。
(まさか、こっちの言葉に返すコトバも無いとか? いやそれは無い。リヴァイに限って私相手にそれは無い……声が出なきゃ必ず足が出る。って、何その日常的対応……)
……自分で考えてちょっぴりへこむ。
「――俺は食事に行けと随分前に言ったんだ。だが、アイツは聞かなかった。フェリーチェはいつも俺の言う事を半分以上聞きやしねぇ」
「……リヴァイ?」
「やっと言う事を聞いたかと思えばコレだ。フラフラと勝手について行きやがって……」
チッと舌打ちをするリヴァイは、まだ出入り口を見つめていた。
「……ん? どういう事だい?」
「途中、エルヴィンがフェリーチェを呼び止めた。どうせまた追加させようとしてる仕事の事だろうよ。俺には言いにくかった様だからな。先に食堂に行っててくれ、と言ったのはフェリーチェの方だ」
やっと、リヴァイがハンジとモブリットに目を向けた。
眉間と瞳と口元と。その全てで不機嫌を語っているリヴァイに、ハンジは「こりゃ驚いた!」と心の中で叫んだ。
(マジで!? なんか嫉妬みたいに聞こえるんだけど!? しかもいつの間にか名前で呼んでる!)
この間二人で街に行ったらしいけど、そこで一体何があったんだ。
その顔、まるで除け者にされた子供みたいだね。
喉まで出かかったけど、それは頑張って止めた。
――また蹴られるに決まってる。
でも駄目だ。どうしても言いたい。
口がウズウズして仕方ない。
言いたい事を我慢出来ないのはハンジの良くない癖でもあった。
「ほっほうぅ……分かった! つまり、エルヴィンにフェリーチェを取られちゃってリヴァイは拗ねてるってワケだ!」
「……拗ねる? お前の眼鏡にはよほど矯正力が無ぇようだな。そんな必要無い眼鏡、今すぐ叩き割ってやるから寄越せ」
「うーん……私はメガネ取られたら困るけど、リヴァイはフェリーチェ取られたら困るね」
「……は?」
「エルヴィンといると言ったじゃないか。冷静に考えな。彼は貴族との舞踏会なんかで男は勿論、女も説き伏せるのが得意だ。腹の底で色々考えられる男なんだよ」
「そんな事は俺だって知ってる。なんだ急に」
「いいや。知っていても分かってはいないね。エルヴィンは、リヴァイには用事が無くてフェリーチェにはあるんだろ? 君はそれを仕事の要件だと決めつけてる様だけど、私は別の可能性も同時に考える」
「………」
リヴァイは急に黙り込んだ。ハンジのいう別の可能性について考えているのだろう。そしてすぐに分かるはずだ。その具体的内容を。
だからといって、フェリーチェを気にして迎えに行くなど、そんな事をする男だとも思えない。
アイツが誰に口説かれようと俺には関係無い。
(まずそう言うだろう。そりゃそうだ。フェリーチェはリヴァイの想い人でも恋人でもないからね。だけど、あの子の事は前より気にしてるみたいだ。しかも、ここ数日で急に。なんで? いや…まさか……ね)
恋に落ちたとは思えない。もしかしたら今後そうなるかもしれないけど、今の段階では可能性としては少ないだろう。リヴァイにしてみたら、保護者感覚に近いのか……?
ハンジの考えは、とりあえずそこに落ち着く。
「迎えに行ってあげなよ。君の補佐だろう? あの子の事だ、相手を信じきるか断れず流されるか、どっちかしか考えられない」
それに、私はとにかくフェリーチェと食事がしたいんだよね。
リヴァイが連れて来てくんなきゃ、それも叶わないじゃないか。
「……チッ、結局アイツに振り回されるのかよ……」
こちらの言葉に、珍しく素直にリヴァイが反応した。
まぁ、素直とはいえ仏頂面で苛立ちを隠さず、かったるそうに出ていったけど。
(そうそう、そうだよリヴァイ。それでいい。これなら保護者感覚だっていう大義名分が出来て、拗ねてる君だって動ける!)
早くフェリーチェをエルヴィンの魔の手から救っておいで~!
ヒラヒラ手を振りながら後ろ姿を見送る。エルヴィンにしてみれば、とんだとばっちりかもしれない……。
と、その横でぽつりとモブリットが呟いた。
「兵長は……何かあったんですかね?」
「あれ。モブリットも気付いた?」
「いや……。よく分からないんですけど、なんとなくフェリーチェさんに対して感じが変わったような……」
「フェリーチェが気になっちゃってしょうがないみたいだね。父性にでも目覚めたかな?」
「へ、兵長がですか!?」
「似合わないよなぁ……。っていうか想像出来ないよなぁ。リヴァイに父性。……っぶははっ!」
「分隊長……」
笑い過ぎです。
モブリットは溜息をついていた。やっぱり彼の溜息はテンションがやたら低かった。
「だってさー、想像してごらんって。リヴァイが、お前にうちの娘はやらん! とかなんとか言っちゃってんの」
「想像……ですか? それは、兵長がフェリーチェさんを娘みたいに思っていて……という事ですよね……」
「ん。無いね!」
「……言い切りましたね。自分で言った癖に」
ハンジは苦笑しつつ、テーブルに用意されてる食事を見つめた。
前の席に二人分。
並んで置かれているそれを見てると、自然とそこにフェリーチェとリヴァイの姿が思い浮かぶようになっていた。
それは、フェリーチェが調査兵団の風景に溶け込んできた事と、リヴァイの横に存在するのが当たり前になってきた事を意味している。
急に放り込まれた異世界に、彼女はやっと対応出来てきたようだ。やはり、それは喜んであげるべき事だ。
最初の頃のオドオドさったら本当可哀想な位だったし。
自分がそう思うのだから、当然リヴァイもそう感じているはずだ。むしろ、彼の方がそれを強く感じていてもおかしくはない。
「でもな~、急にあんな風になるかね? 今まで散々“面倒臭い”とか“厄介事”とか言ってたのに……。勿論今だってそんな事ばっか言ってるよ? だけど、何か違う気がするんだ私は」
「それこそ、兵長がフェリーチェさんを前より気にかけているって事じゃないですか。いい傾向って捉えて良いと思いますけど?」
「……うーん……」
何だろうな。あんまり納得いかない。
ハンジは、モヤモヤしたものが胸に拡がっていく気がして落ち着かなかった。
「これは、リヴァイを誘って酒でも飲みながら追求だね」
「分隊長。あまり兵長の気を逆なでする様な事はしないでくださいよ……?」
だーいじょうぶだって! とハンジがモブリットの背を叩くと、モブリットは困り果てた表情になる。
「その『大丈夫!』が一番怪しいんですよ」
ああ……言われてしまった——。
「だからお前は……。何でも請け負ってくるなと言っただろう!」
「ち、違いますって。誤解ですっ。私、なんにも請け負ってなんかいませんよ!」
「はぁ!? じゃあ、『頼むな、フェリーチェ』とエルヴィンが言ってたのはなんだ。仕事以外無いだろうが。勝手にこれ以上増やすんじゃねぇ! 俺の仕事が増えるという事は、お前の仕事も増えるってことだアホが!」
「私、リヴァイさんの仕事増えてもお手伝い出来る自信があります……。っていうか! く、苦しいですっ。苦しいですってば!」
バタバタと騒がしく戻って来た二人を、ハンジは温かく迎えようと笑顔を向ける。
やれやれ、やっとご到着だ。
「やぁ二人ともおかえり!」
が、その笑顔はすぐに凍った。
リヴァイがフェリーチェのスカーフリボンを掴み近づいてくるではないか。さすがに手を繋いで戻ってくるとは思ってなかったが、まさか彼女の胸ぐらを掴んで戻ってくるとは……。
こちらの想像を優に超えている。
「ちょっと何やってるのさ。フェリーチェ死んじゃうよ」
「コイツはこれ位しないと大人しくしねぇんだよ」
「ハンジさん……助けてください~っ」
半べそ状態のフェリーチェを乱暴に椅子に座らせると、リヴァイはそのまさに掴んでいたリボンを解きフェリーチェの手の届かない所に置く。
あああ……! とフェリーチェの情けない声がリヴァイの手を追った。
「なんで取っちゃうんですかっ」
「お前は食うのが遅い上に呆れるほど下手クソだ。この意味も無くでけぇリボンに、どれだけパン屑落としたら気が済むんだ。そんな状態で部屋をウロウロされると汚れる! 食い終わるまで没収だ」
「え……。なんか私、今すっごく子供みたいに言われてるんですけど……」
「ハッ。事実だろうが」
「そ、そんなぁ……」
ハンジとモブリットは顔を見合わせ、同時に肩を竦め苦笑する。
(まるで娘を叱ってるみたいですね……)
(そうだね。やっぱり保護者感覚か……)
声には出さないが、二人の気持ちが通じた瞬間だった――。
持っていたペンを机に置くと、ハンジは大きく伸びをした。
「終わった……!」
珍しくも一日を執務室で過ごすという偉業を成し遂げた彼女なのに、顔は晴々というよりどんよりと重く、そして少々不機嫌だ。
リヴァイに比べれば眉間の皺は圧倒的に少ないものの、理不尽だと言わんばかりの表情が、仕事を終えた喜びに浸っている訳ではない事を語っている。
「ねぇ、モブリット。君のいう“やんなきゃいけないヤツ”は全部やっつけたよ? しかも見てよ! 今日一日でだ。満足かい?」
「はい! 分隊長凄いじゃないですか。ですが、出来るならそれをまとめてではなく、適度に分けて仕上げていただけると助かるんですが」
「結果良ければ全て良し!」
「……今回はそういう事にしておきます……」
モブリットの溜息はいつ聞いても哀愁漂っている。たまには感嘆のそれを漏らせばいいのに……。モブリットはリヴァイとはまた違った方向で不器用なのかもしれない。
終わったものは終わったのだ。それについては手放しで喜べる話じゃないか。
男ってのはどうしてこうも不器用な奴ばっかなんだと、ハンジは彼らを気の毒に思った。
が、モブリットの溜息の殆どはハンジの行動から生まれている。当然その事を当の本人が知る由も無いわけだから、モブリットの溜息はこれからも哀愁漂い続けるのである……。残念な事に。
「終わったんだから研究室行ってもいい? 今日はまだ行ってないんだ。この状況だったからね」
「駄目ですよ!」
「えぇーっ何でだよ? 一日一回は研究室の空気吸わなきゃ、私は死ぬ……死んじゃうって!」
「もう何時だと思ってんですか。空気吸わずに死ぬ前に、食事をしなきゃ死にますよ。夕飯時はとうに過ぎてるんです。手配はしてありますから早く行って食べますよ!」
お母さんか!
世話焼きな所は彼の性格なのかもしれないけど……ああ、研究室! 私は今こそインクと薬品の匂いに包まれたいのにっ!
違う場を求めてソワソワするハンジを見て、モブリットの方は「これは駄目だ」と思っていた。
自分の指示だけでは確実に研究室に逃走するだろう。何とかいい回避ルートを……。モブリットは必死に模索する。そしてそれは運よくあった。
「そういえば、さっき廊下でフェリーチェさんに会ったんですが。フェリーチェさんも食事まだって言ってました……。なんでも、兵長に団長から頼まれた緊急の仕事が入ったらしくて、お手伝いしてるみたいですよ。あちらも大変ですねぇ……」
「ナニそれ本当!? リヴァイったら、フェリーチェにご飯も食べさせないで仕事させてんの? なんて奴だ!! あの子ただでさえ小っちゃいのに、ご飯食べなかったらもっと小っちゃくなっちゃって消えちゃうよ!」
「いや。いくらなんでもそれは無いと思いますけど……。兵長が食事に行かないから、フェリーチェさんも行かないんじゃないですか? 上官が行かなければ部下は当然遠慮しますよ」
「じゃあ私がリヴァイに食事させる! 引き摺ってでも食堂に連れて行かなきゃ!」
ハンジは、勢い余って椅子を倒すほど慌てて部屋を出ていこうとした。
そこではたと気付く。自分が食事を取っていないという事は……。
それは必然的に、
「モブリットも食べてないんだね?」
「いや……まぁ、そうですね。でも私は別に平気です」
「駄目だよ、ちゃんと食べて! 君に倒れられたら私も困る。勿論あの二人もね。先に食堂に行っててくれ、私は二人を連れていくから!」
モブリットは、ハンジの言葉に驚きを見せたあと困った様に笑った。
「分かりました。ではお二人をよろしくお願いします」
回避ルートは連鎖反応を起こし、まさかの全員結果良ければ……の状態になったらしい。ハンジ持論恐るべし。
モブリットがそんな事実に、自分の上官を上手いこと動かそうとあの二人を利用した事をほんの少し恥じ、また上官として自分を気遣ってくれた事を喜んでいるなんて、当然ハンジは知らない。
当本人はリヴァイの執務室へと向かう間、モブリットどうこう関係無く自分に少しばかり酔っていたからだ。
(ああっ! なんか今の私って、ちょっとお母さんっぽくない!?)
今から必ず食堂に来て食事しなさい! じゃなきゃ私がモブリットにボッコボコに殴られる!
そうハンジがうそぶいて言った時、フェリーチェは「えっ!? ぜ、絶対行きます!」と泣きそうな顔で必死に言った。
その隣でリヴァイは「勝手に殴られてろ」と真顔でサラッと言い捨てた。
二人の自分への態度は正反対過ぎる!
そんな不満が少しあったものの、フェリーチェの反応があまりにも可愛かったのでリヴァイの冷徹さは寛容に見逃してやった。
見逃してやったのだ! 日頃あまり取れないフェリーチェと楽しく食事する時間が出来るなら、多少の痛みはまぁ仕方ないかと。
なのに今。食堂には……
「なんでリヴァイだけなのさ! フェリーチェは!? フェリーチェはどうしたのっ!」
テーブルのあちら側に座るリヴァイに、ハンジは卓上を両の拳で叩いて抗議している。ハッキリ言ってすごくうるさい。
でも、幸いというべきか、食事の時間がとうに過ぎた食堂に兵士達の姿は無かった。数人、談笑の場にしようとやってきた者はいたが、ハンジとリヴァイの姿を見てみんな静かに引き返していったのだ。
人類最強の男と人類最狂の女を前に、のほほんと談笑出来る強者はまだこの兵団には居ない様だ。
「部屋は一緒に出た」
「じゃあ、どうしてあの子はここにいないんだよっ。リヴァイ、自分だけご飯早く食べたくてフェリーチェの事置いてきた訳!?」
「ぶ、分隊長……落ち着いてください」
「飯を食いたいのはお前の方だろうが、クソ眼鏡。こっちは食事の時間も惜しいくらい忙しいんだ」
「じゃあ、あんたはいいよ! 勝手にすればいい。でも、フェリーチェにはちゃんと食事をさせてあげなよ! リヴァイはあの子が倒れたらどうするんだい? その忙しい仕事の半分はフェリーチェが片付けてくれてるんだろう!?」
「だから分隊長……少し落ち着いてくださいって! テーブル割れますから! 料理落ちますから!!」
モブリットに宥められ、ハンジは頬を膨らませながらも一呼吸置いた。
興奮してつい立ち上がっていた身体を椅子に戻し、何も言わなくなったリヴァイを見る。
――リヴァイはハンジを見ていなかった。
腕を組み不機嫌そうに座ったまま、食堂の出入り口の方へ視線を向けている。
(まさか、こっちの言葉に返すコトバも無いとか? いやそれは無い。リヴァイに限って私相手にそれは無い……声が出なきゃ必ず足が出る。って、何その日常的対応……)
……自分で考えてちょっぴりへこむ。
「――俺は食事に行けと随分前に言ったんだ。だが、アイツは聞かなかった。フェリーチェはいつも俺の言う事を半分以上聞きやしねぇ」
「……リヴァイ?」
「やっと言う事を聞いたかと思えばコレだ。フラフラと勝手について行きやがって……」
チッと舌打ちをするリヴァイは、まだ出入り口を見つめていた。
「……ん? どういう事だい?」
「途中、エルヴィンがフェリーチェを呼び止めた。どうせまた追加させようとしてる仕事の事だろうよ。俺には言いにくかった様だからな。先に食堂に行っててくれ、と言ったのはフェリーチェの方だ」
やっと、リヴァイがハンジとモブリットに目を向けた。
眉間と瞳と口元と。その全てで不機嫌を語っているリヴァイに、ハンジは「こりゃ驚いた!」と心の中で叫んだ。
(マジで!? なんか嫉妬みたいに聞こえるんだけど!? しかもいつの間にか名前で呼んでる!)
この間二人で街に行ったらしいけど、そこで一体何があったんだ。
その顔、まるで除け者にされた子供みたいだね。
喉まで出かかったけど、それは頑張って止めた。
――また蹴られるに決まってる。
でも駄目だ。どうしても言いたい。
口がウズウズして仕方ない。
言いたい事を我慢出来ないのはハンジの良くない癖でもあった。
「ほっほうぅ……分かった! つまり、エルヴィンにフェリーチェを取られちゃってリヴァイは拗ねてるってワケだ!」
「……拗ねる? お前の眼鏡にはよほど矯正力が無ぇようだな。そんな必要無い眼鏡、今すぐ叩き割ってやるから寄越せ」
「うーん……私はメガネ取られたら困るけど、リヴァイはフェリーチェ取られたら困るね」
「……は?」
「エルヴィンといると言ったじゃないか。冷静に考えな。彼は貴族との舞踏会なんかで男は勿論、女も説き伏せるのが得意だ。腹の底で色々考えられる男なんだよ」
「そんな事は俺だって知ってる。なんだ急に」
「いいや。知っていても分かってはいないね。エルヴィンは、リヴァイには用事が無くてフェリーチェにはあるんだろ? 君はそれを仕事の要件だと決めつけてる様だけど、私は別の可能性も同時に考える」
「………」
リヴァイは急に黙り込んだ。ハンジのいう別の可能性について考えているのだろう。そしてすぐに分かるはずだ。その具体的内容を。
だからといって、フェリーチェを気にして迎えに行くなど、そんな事をする男だとも思えない。
アイツが誰に口説かれようと俺には関係無い。
(まずそう言うだろう。そりゃそうだ。フェリーチェはリヴァイの想い人でも恋人でもないからね。だけど、あの子の事は前より気にしてるみたいだ。しかも、ここ数日で急に。なんで? いや…まさか……ね)
恋に落ちたとは思えない。もしかしたら今後そうなるかもしれないけど、今の段階では可能性としては少ないだろう。リヴァイにしてみたら、保護者感覚に近いのか……?
ハンジの考えは、とりあえずそこに落ち着く。
「迎えに行ってあげなよ。君の補佐だろう? あの子の事だ、相手を信じきるか断れず流されるか、どっちかしか考えられない」
それに、私はとにかくフェリーチェと食事がしたいんだよね。
リヴァイが連れて来てくんなきゃ、それも叶わないじゃないか。
「……チッ、結局アイツに振り回されるのかよ……」
こちらの言葉に、珍しく素直にリヴァイが反応した。
まぁ、素直とはいえ仏頂面で苛立ちを隠さず、かったるそうに出ていったけど。
(そうそう、そうだよリヴァイ。それでいい。これなら保護者感覚だっていう大義名分が出来て、拗ねてる君だって動ける!)
早くフェリーチェをエルヴィンの魔の手から救っておいで~!
ヒラヒラ手を振りながら後ろ姿を見送る。エルヴィンにしてみれば、とんだとばっちりかもしれない……。
と、その横でぽつりとモブリットが呟いた。
「兵長は……何かあったんですかね?」
「あれ。モブリットも気付いた?」
「いや……。よく分からないんですけど、なんとなくフェリーチェさんに対して感じが変わったような……」
「フェリーチェが気になっちゃってしょうがないみたいだね。父性にでも目覚めたかな?」
「へ、兵長がですか!?」
「似合わないよなぁ……。っていうか想像出来ないよなぁ。リヴァイに父性。……っぶははっ!」
「分隊長……」
笑い過ぎです。
モブリットは溜息をついていた。やっぱり彼の溜息はテンションがやたら低かった。
「だってさー、想像してごらんって。リヴァイが、お前にうちの娘はやらん! とかなんとか言っちゃってんの」
「想像……ですか? それは、兵長がフェリーチェさんを娘みたいに思っていて……という事ですよね……」
「ん。無いね!」
「……言い切りましたね。自分で言った癖に」
ハンジは苦笑しつつ、テーブルに用意されてる食事を見つめた。
前の席に二人分。
並んで置かれているそれを見てると、自然とそこにフェリーチェとリヴァイの姿が思い浮かぶようになっていた。
それは、フェリーチェが調査兵団の風景に溶け込んできた事と、リヴァイの横に存在するのが当たり前になってきた事を意味している。
急に放り込まれた異世界に、彼女はやっと対応出来てきたようだ。やはり、それは喜んであげるべき事だ。
最初の頃のオドオドさったら本当可哀想な位だったし。
自分がそう思うのだから、当然リヴァイもそう感じているはずだ。むしろ、彼の方がそれを強く感じていてもおかしくはない。
「でもな~、急にあんな風になるかね? 今まで散々“面倒臭い”とか“厄介事”とか言ってたのに……。勿論今だってそんな事ばっか言ってるよ? だけど、何か違う気がするんだ私は」
「それこそ、兵長がフェリーチェさんを前より気にかけているって事じゃないですか。いい傾向って捉えて良いと思いますけど?」
「……うーん……」
何だろうな。あんまり納得いかない。
ハンジは、モヤモヤしたものが胸に拡がっていく気がして落ち着かなかった。
「これは、リヴァイを誘って酒でも飲みながら追求だね」
「分隊長。あまり兵長の気を逆なでする様な事はしないでくださいよ……?」
だーいじょうぶだって! とハンジがモブリットの背を叩くと、モブリットは困り果てた表情になる。
「その『大丈夫!』が一番怪しいんですよ」
ああ……言われてしまった——。
「だからお前は……。何でも請け負ってくるなと言っただろう!」
「ち、違いますって。誤解ですっ。私、なんにも請け負ってなんかいませんよ!」
「はぁ!? じゃあ、『頼むな、フェリーチェ』とエルヴィンが言ってたのはなんだ。仕事以外無いだろうが。勝手にこれ以上増やすんじゃねぇ! 俺の仕事が増えるという事は、お前の仕事も増えるってことだアホが!」
「私、リヴァイさんの仕事増えてもお手伝い出来る自信があります……。っていうか! く、苦しいですっ。苦しいですってば!」
バタバタと騒がしく戻って来た二人を、ハンジは温かく迎えようと笑顔を向ける。
やれやれ、やっとご到着だ。
「やぁ二人ともおかえり!」
が、その笑顔はすぐに凍った。
リヴァイがフェリーチェのスカーフリボンを掴み近づいてくるではないか。さすがに手を繋いで戻ってくるとは思ってなかったが、まさか彼女の胸ぐらを掴んで戻ってくるとは……。
こちらの想像を優に超えている。
「ちょっと何やってるのさ。フェリーチェ死んじゃうよ」
「コイツはこれ位しないと大人しくしねぇんだよ」
「ハンジさん……助けてください~っ」
半べそ状態のフェリーチェを乱暴に椅子に座らせると、リヴァイはそのまさに掴んでいたリボンを解きフェリーチェの手の届かない所に置く。
あああ……! とフェリーチェの情けない声がリヴァイの手を追った。
「なんで取っちゃうんですかっ」
「お前は食うのが遅い上に呆れるほど下手クソだ。この意味も無くでけぇリボンに、どれだけパン屑落としたら気が済むんだ。そんな状態で部屋をウロウロされると汚れる! 食い終わるまで没収だ」
「え……。なんか私、今すっごく子供みたいに言われてるんですけど……」
「ハッ。事実だろうが」
「そ、そんなぁ……」
ハンジとモブリットは顔を見合わせ、同時に肩を竦め苦笑する。
(まるで娘を叱ってるみたいですね……)
(そうだね。やっぱり保護者感覚か……)
声には出さないが、二人の気持ちが通じた瞬間だった――。