謀計
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きな臭い噂を聞くようになったのは、兄様が天下に名乗りを上げ、群雄割拠の乱世に身を投じるようになってから。
それは米沢に残した母様が、政道兄様を伊達家の当主として担ぎ上げようとしている──というものだった。
もしくは私と小十郎を離縁させ、忌み子としての産まれを隠して、尾張の魔王へ嫁がせるという噂さえ、まことしやかに囁かれていた。
あまりにも馬鹿馬鹿しい噂だったから、兄様も私達も、意に介していなかったのだけれど……。
決定的となる事件が、起きた。
* * *
「──ご無沙汰しております、月夜姫様! いやはや、なんとも義姫様に似てお美しくなられましたな!」
小十郎の不在の隙を突いてやってきたのは、母様に近い家臣たち。
兄様がわざと米沢に残して、私から遠ざけてきた者達が、なぜ今になって。
彼らは私が忌み子だと知っていて、私のことをよく思っていない。
警戒心を滲ませながら、私は努めて冷静に頷いた。
「米沢から大森まで、遠路はるばるご苦労。しかし、先触れもなしに押し掛けるとは、随分と礼を欠いたものね」
「それは大変な失礼を! どうかご寛如くだされ」
「……まぁいいわ。今回だけは母様の顔に免じて許す。次は問答無用で追い返すから」
「寛大なお心、有り難う存じまする」
脇息に凭れたまま、わざとらしく頭を下げる二人を見つめる。
『この忌み子が、偉そうに』とでも言いたげな顔を、無理やり笑顔に隠している様は、いっそ滑稽にさえ思えた。
小十郎は今、黒川城にて兄様と政に明け暮れている。
ようやく城下の縄張りも終わったところで、これから職人らと詳細を詰めなければならず、当分は大森に戻れない。
母様からの使いと言われてしまえば、家臣達も止めるに止められなかったのだろう。
「それで用向きは」
「いや何、我等は常々、姫様をお案じ申しておりましてな。なにせ姫様は亡き輝宗様とそのご正室たる義姫様の子、言わば宗家の正統なる血筋。そのように尊きお生まれの方が、たかが一家臣の嫁に収まってよいものかと」
「くだらない。他家へ嫁げなかった私を嗤ったのはお前たちだろう。忘れたとは言わせない」
「ええ、ええ。その過ちにつきましては、我々もひどく反省致しました。なればこそ、我々はこうして姫様の御前に参上仕った次第」
「……」
「義姫様も姫様のご境遇を哀れんでおられる。そこで、如何でしょう? 片倉家を離れ、尾張の織田家へ嫁に向かわれませ」
手元で遊ばせていた扇子をパチンと閉じる。
表面上はにこやかな笑みでも、私を蔑み、嘲笑う気配は隠せていない。
織田へ嫁に行くなど、体のいい人質と変わらない。
嫁に行った先でどんな扱いを受けるかなんて、火を見るより明らかだし、彼らもそれを理解した上で言っている。
「……この私に、片倉を捨てよと?」
「片倉家など織田家の足元にも及びませぬ! 織田家は今、天下に最も近いとされる勢力。織田家と関係を築くことができれば、伊達家も安泰ではございませぬか!」
「愚か者。政宗兄様に、魔王へ頭を垂れよと申すか! 天下とは政宗兄様が手にすべきもの。他者に媚びへつらい、おこぼれに与ろうなど、伊達の流儀を愚弄するのも大概になさい!」
「そのようなものではございませぬ。しかしご聡明な月夜姫様とて、ご理解なさっておられよう? 織田という一大勢力に、たかだか伊達一軍で対抗できようはずがないと」
「それ故に私を送り込むと? 馬鹿者が。私を娶ることに、織田家はどれ程の価値を見出す? ろくな目に遭わぬということくらい、お前達も理解できるでしょう」
「しかし──」
「くどい! 私は片倉小十郎景綱の正室。伊達のため粉骨砕身する夫を、どうして裏切れようか。話にならないわ、即刻米沢へ帰りなさい」
「姫様!」
「本沢、見送りを」
片倉家の家臣に命じて、押しかけてきた二人を追い出す。
先触れもなくやってきたと思ったら、まさか私に小十郎と離縁して織田へ嫁げだなんて。
……けれどあの二人の言うことは一理ある。
織田は現状、天下に最も近い。
尾張を中心に加賀の前田、三河の徳川と錚々たる顔ぶれが並び、その陣容は計り知れない。
甲斐武田もその脅威には晒されているし、北条が攻め込まれるのも時間の問題。
なにせ駿河の今川は既に桶狭間で散った。
織田信長の血を分けた妹、お市の方を迎えたはずの近江の浅井、そして浅井と懇意にしていた越前の朝倉も、既に魔王の手によって滅ぼされている。
それどころか魔王は、妻である濃姫の生家──美濃の斎藤家すら攻め滅ぼした。
北条と武田が落ちたら、次はいよいよ奥州が攻め込まれる。
蹂躙だけは避けなければいけない。
だから私を送り込み、所領の安堵を図ろうというのだろうけれど。
あの第六天魔王を称するうつけが、人の世の道理で動くはずがないでしょうに。
「姫様、お加減が宜しくないようです。お部屋にてお休みください」
「……ミツ。黒川城へ早馬を出して。文を持たせるから、小十郎に急いで渡すよう伝えて」
「かしこまりました」
胸の中の空気を全て吐き出すようにため息をつき、重い体を引き摺るように立ち上がる。
どうして今更、小十郎の妻を辞めるなんて。
そんなことができるはずないのに。
(会いたい。小十郎に会いたい……)
小十郎の妻でいていいと、ただその一言が聞きたい。
私でなければいけないのだと……ただそれだけを。
それは米沢に残した母様が、政道兄様を伊達家の当主として担ぎ上げようとしている──というものだった。
もしくは私と小十郎を離縁させ、忌み子としての産まれを隠して、尾張の魔王へ嫁がせるという噂さえ、まことしやかに囁かれていた。
あまりにも馬鹿馬鹿しい噂だったから、兄様も私達も、意に介していなかったのだけれど……。
決定的となる事件が、起きた。
* * *
「──ご無沙汰しております、月夜姫様! いやはや、なんとも義姫様に似てお美しくなられましたな!」
小十郎の不在の隙を突いてやってきたのは、母様に近い家臣たち。
兄様がわざと米沢に残して、私から遠ざけてきた者達が、なぜ今になって。
彼らは私が忌み子だと知っていて、私のことをよく思っていない。
警戒心を滲ませながら、私は努めて冷静に頷いた。
「米沢から大森まで、遠路はるばるご苦労。しかし、先触れもなしに押し掛けるとは、随分と礼を欠いたものね」
「それは大変な失礼を! どうかご寛如くだされ」
「……まぁいいわ。今回だけは母様の顔に免じて許す。次は問答無用で追い返すから」
「寛大なお心、有り難う存じまする」
脇息に凭れたまま、わざとらしく頭を下げる二人を見つめる。
『この忌み子が、偉そうに』とでも言いたげな顔を、無理やり笑顔に隠している様は、いっそ滑稽にさえ思えた。
小十郎は今、黒川城にて兄様と政に明け暮れている。
ようやく城下の縄張りも終わったところで、これから職人らと詳細を詰めなければならず、当分は大森に戻れない。
母様からの使いと言われてしまえば、家臣達も止めるに止められなかったのだろう。
「それで用向きは」
「いや何、我等は常々、姫様をお案じ申しておりましてな。なにせ姫様は亡き輝宗様とそのご正室たる義姫様の子、言わば宗家の正統なる血筋。そのように尊きお生まれの方が、たかが一家臣の嫁に収まってよいものかと」
「くだらない。他家へ嫁げなかった私を嗤ったのはお前たちだろう。忘れたとは言わせない」
「ええ、ええ。その過ちにつきましては、我々もひどく反省致しました。なればこそ、我々はこうして姫様の御前に参上仕った次第」
「……」
「義姫様も姫様のご境遇を哀れんでおられる。そこで、如何でしょう? 片倉家を離れ、尾張の織田家へ嫁に向かわれませ」
手元で遊ばせていた扇子をパチンと閉じる。
表面上はにこやかな笑みでも、私を蔑み、嘲笑う気配は隠せていない。
織田へ嫁に行くなど、体のいい人質と変わらない。
嫁に行った先でどんな扱いを受けるかなんて、火を見るより明らかだし、彼らもそれを理解した上で言っている。
「……この私に、片倉を捨てよと?」
「片倉家など織田家の足元にも及びませぬ! 織田家は今、天下に最も近いとされる勢力。織田家と関係を築くことができれば、伊達家も安泰ではございませぬか!」
「愚か者。政宗兄様に、魔王へ頭を垂れよと申すか! 天下とは政宗兄様が手にすべきもの。他者に媚びへつらい、おこぼれに与ろうなど、伊達の流儀を愚弄するのも大概になさい!」
「そのようなものではございませぬ。しかしご聡明な月夜姫様とて、ご理解なさっておられよう? 織田という一大勢力に、たかだか伊達一軍で対抗できようはずがないと」
「それ故に私を送り込むと? 馬鹿者が。私を娶ることに、織田家はどれ程の価値を見出す? ろくな目に遭わぬということくらい、お前達も理解できるでしょう」
「しかし──」
「くどい! 私は片倉小十郎景綱の正室。伊達のため粉骨砕身する夫を、どうして裏切れようか。話にならないわ、即刻米沢へ帰りなさい」
「姫様!」
「本沢、見送りを」
片倉家の家臣に命じて、押しかけてきた二人を追い出す。
先触れもなくやってきたと思ったら、まさか私に小十郎と離縁して織田へ嫁げだなんて。
……けれどあの二人の言うことは一理ある。
織田は現状、天下に最も近い。
尾張を中心に加賀の前田、三河の徳川と錚々たる顔ぶれが並び、その陣容は計り知れない。
甲斐武田もその脅威には晒されているし、北条が攻め込まれるのも時間の問題。
なにせ駿河の今川は既に桶狭間で散った。
織田信長の血を分けた妹、お市の方を迎えたはずの近江の浅井、そして浅井と懇意にしていた越前の朝倉も、既に魔王の手によって滅ぼされている。
それどころか魔王は、妻である濃姫の生家──美濃の斎藤家すら攻め滅ぼした。
北条と武田が落ちたら、次はいよいよ奥州が攻め込まれる。
蹂躙だけは避けなければいけない。
だから私を送り込み、所領の安堵を図ろうというのだろうけれど。
あの第六天魔王を称するうつけが、人の世の道理で動くはずがないでしょうに。
「姫様、お加減が宜しくないようです。お部屋にてお休みください」
「……ミツ。黒川城へ早馬を出して。文を持たせるから、小十郎に急いで渡すよう伝えて」
「かしこまりました」
胸の中の空気を全て吐き出すようにため息をつき、重い体を引き摺るように立ち上がる。
どうして今更、小十郎の妻を辞めるなんて。
そんなことができるはずないのに。
(会いたい。小十郎に会いたい……)
小十郎の妻でいていいと、ただその一言が聞きたい。
私でなければいけないのだと……ただそれだけを。