摺上原
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蘆名義広は夜のうちに黒川城を捨て、佐竹へ逃げた。
その報せを聞き、政宗様は放棄され主を失った黒川城へ入城。
二十年間を過ごされた米沢城から、ここ黒川城に居城を移された。
そして俺は二本松城在番を解かれることとなり、代わりに成実殿が城主として入られた。
では俺はというと──。
兵たちを引き連れ、新しく与えられた城へと足を踏み入れる。
……信夫郡大森城。
先日までは成実殿が治めておられた土地に、まさか俺が入ることになるとは。
先触れは出しておいたから、二本松城に居た奴らも、既にこちらへ移っているはずだ。
「ただいま戻りました」
玄関を上がって、月夜姫様のお部屋へと急ぐ。
部屋の外から声を掛ければ、すぐに襖が開いて、月夜姫様が俺に飛びついてきた。
離れないというように背中に回された手は、少し震えている。
寂しい思いをさせてしまっただろう、不安な思いも。
それでも俺も月夜姫様の腕に抱き締められてようやく、帰ってきたと実感できた。
「おかえりなさい、小十郎」
「はい。ただいま帰りました。小十郎が不在の間、お変わりはありませんでしたか」
「恙なく過ごしていたわ。でも寂しかったから、しばらくは私を離さないで……」
「言われずとも」
抱き着いたままの月夜姫様を抱き上げ、室内へと立ち入る。
そうして座布団の上にそっと降ろし、懐から結紐を取り出して、月夜姫様の手に握らせた。
初夜の翌日に受け取った結紐は、俺がお守りのように肌身離さず持ち歩いていたせいで、かなり擦り切れている。
使うことはできねぇだろうが、これが摺上原で俺を見守っていてくれたんだと思うと、俺にとっちゃあこの結紐は、伊勢神宮でもらうお守りより遥かにご利益がある代物だ。
「此度も無事、持ち帰ることができました」
「ええ。信じていたもの。ありがとう、小十郎。早馬で報告は逐一受けていたけれど、それでも小十郎の顔を見るとほっとするわ」
「ご心配をお掛け致しました。しかしこれで、奥州は名実ともに、伊達の名のもとに一つとなったのです。これで心置き無く、天下へ挑めます」
「……ええ。必ず帰ってくるのよ。兄様と一緒に、必ず。私、小十郎と長生きするのが目標なの」
「はい。共に長生きできるよう、天下を政宗様に獲っていただきましょう」
「そうね!」
互いの手で結紐を握ったまま、唇を合わせる。
何かを隠すように俺を求める月夜姫様の仕草で、ここに戻って月夜姫様と再会してからの疑念が、確信に変わった。
変わりなかった、などと嘘を申されたのは、おそらく戦から帰ったばかりの俺を慮ってのことだろう。
「月夜姫様」
「なぁに?」
「やはり何かございましたか」
「どうしてそう思うの?」
「城の者たちは誤魔化せても、この小十郎の目は騙せませぬ。貴女の微笑みからは、悲しみを押し隠したようなものを感じる」
「……」
「どうかこの小十郎に、打ち明けてはくださらぬか。最愛の嫁御殿の悩みは、共に背負いたく」
「……やっぱり小十郎は鋭いわね」
苦笑いを浮かべた月夜姫様が、ため息を吐き出す。
そうしてそっと、ご自身の腹に手を当てられた。
……まさか。
その可能性がないわけではなかったが、もしや。
いや、だとしても何も不思議じゃねえ。
初夜であれだけ月夜姫様の腹に俺の子種をぶちまけたんだ。
それならなぜ、悲しそうなお顔を……?
「……月のものが来てしまったの」
「は……」
「初夜にあれだけ小十郎が私を求めてくれたでしょう? 私が孕むまで抱くと言ってくれて、実際、私もこれは出来たと思ったの」
「……」
「あんなに子種をもらっても出来ないとなると……。私、もしかしたら石女なのかもしれないって……」
月夜姫様の打ち沈むお声が震えた。
ぽたりぽたりと流れる涙が、お心に負われた傷の深さを物語るようだ。
だがそもそも、初夜を添い寝程度で終わらせようとしていたのはこちらなのだから、子が成せずとも問題はない。
どうも月夜姫様は、俺との子を成す……俺の妻としての務めを一刻も早く果たさねばと気負っておられるようにも思えた。
「月夜姫様。小十郎はまだ、子が欲しいとは思いませぬ」
「知ってるわ。だって小十郎、初夜で私に手を出すつもりがなかったじゃない。私と二人きりがいいって」
「おっしゃる通りです。ですので今、月夜姫様のお腹にややができずとも、小十郎はまったく構わぬのです」
「……それは結果論よ。私がもし石女だったら、小十郎は一生、子供を持てないのよ」
「その際はどこかの家から養子をとります。側室など持つ気は更々ございませぬ。たとえ月夜姫様がそうせよと仰せでも」
先んじて反論の道を塞いでしまうと、月夜姫様は口を閉ざして俯いてしまった。
七年前と比べて、お身体はすっかり大きくなられた。
折れてしまいそうな手足も、壊れてしまいそうな胴も、未だすらりとされているが、それでも健康的と言っていい。
多少手荒に扱っても、折れやしないし壊れもしない。
それは初夜で獣のように貪り、抱き潰した俺が知っている。
だが、それでも。
月夜姫様はまだ、十五の育ち盛り。
お体も成熟したとは言い難く、その背丈もまだ成長を止めてはいない。
だから本当に──初夜で月夜姫様を抱くつもりは、なかったんだ。
煽られて、理性を剝がされて、獣を押さえつけていた鎖を外されて……欲望のままに、その瑞々しい柔肌を荒らしたが。
「何度も申し上げましたとおり、この小十郎は、月夜姫様との時間を、今しばらく堪能したく存じまする。ようやくこの腕に捕まえられてくれた、二つとない至宝……この世の何よりも愛おしい嫁御殿でおられる故」
「……私が石女でも、兄様のところに送り返したりしない?」
「むしろなぜ手放せようか。何度でも申しましょう、この小十郎の妻は貴女でなければ意味がないと」
「……うん」
「初夜を終えて後は、政宗様の落馬による骨折だの、その隙を突いた岩城による田村侵攻だのと、立て続けに問題が起こりましたゆえ、ろくにお顔を合わせることもございませんでしたからな。不安な思いをさせたままで、お傍に居ることもできず、申し訳ございませんでした」
「謝らないで……。私の心が弱いだけなの。小十郎の想いを今更疑ったりはしていないのよ。ただそれでも、やっぱり私の心の中に、離れに居た頃の八年間が残り続けたままなの」
忌み子、そう呼ばれていた頃の月夜姫様は、そのお命に意味など持っていなかった。
離れから連れ出され、名実共に伊達の姫となられても、その身に伊達の名を背負って嫁ぐことすらできず。
だからこそ焦っておられたのかもしれない。
俺との子を産まなければ、存在を許されないと、そう考えてしまう程に──。
月夜姫様の心に巣食う自己への劣等感は、俺の思う以上に深い傷となって残り続けていたと思い知らされる。
どう言葉をかけたら良いのか分からず、俺はただひたすらに、月夜姫様を抱き締め続けた。
そうすることしか、できなかった。
その報せを聞き、政宗様は放棄され主を失った黒川城へ入城。
二十年間を過ごされた米沢城から、ここ黒川城に居城を移された。
そして俺は二本松城在番を解かれることとなり、代わりに成実殿が城主として入られた。
では俺はというと──。
兵たちを引き連れ、新しく与えられた城へと足を踏み入れる。
……信夫郡大森城。
先日までは成実殿が治めておられた土地に、まさか俺が入ることになるとは。
先触れは出しておいたから、二本松城に居た奴らも、既にこちらへ移っているはずだ。
「ただいま戻りました」
玄関を上がって、月夜姫様のお部屋へと急ぐ。
部屋の外から声を掛ければ、すぐに襖が開いて、月夜姫様が俺に飛びついてきた。
離れないというように背中に回された手は、少し震えている。
寂しい思いをさせてしまっただろう、不安な思いも。
それでも俺も月夜姫様の腕に抱き締められてようやく、帰ってきたと実感できた。
「おかえりなさい、小十郎」
「はい。ただいま帰りました。小十郎が不在の間、お変わりはありませんでしたか」
「恙なく過ごしていたわ。でも寂しかったから、しばらくは私を離さないで……」
「言われずとも」
抱き着いたままの月夜姫様を抱き上げ、室内へと立ち入る。
そうして座布団の上にそっと降ろし、懐から結紐を取り出して、月夜姫様の手に握らせた。
初夜の翌日に受け取った結紐は、俺がお守りのように肌身離さず持ち歩いていたせいで、かなり擦り切れている。
使うことはできねぇだろうが、これが摺上原で俺を見守っていてくれたんだと思うと、俺にとっちゃあこの結紐は、伊勢神宮でもらうお守りより遥かにご利益がある代物だ。
「此度も無事、持ち帰ることができました」
「ええ。信じていたもの。ありがとう、小十郎。早馬で報告は逐一受けていたけれど、それでも小十郎の顔を見るとほっとするわ」
「ご心配をお掛け致しました。しかしこれで、奥州は名実ともに、伊達の名のもとに一つとなったのです。これで心置き無く、天下へ挑めます」
「……ええ。必ず帰ってくるのよ。兄様と一緒に、必ず。私、小十郎と長生きするのが目標なの」
「はい。共に長生きできるよう、天下を政宗様に獲っていただきましょう」
「そうね!」
互いの手で結紐を握ったまま、唇を合わせる。
何かを隠すように俺を求める月夜姫様の仕草で、ここに戻って月夜姫様と再会してからの疑念が、確信に変わった。
変わりなかった、などと嘘を申されたのは、おそらく戦から帰ったばかりの俺を慮ってのことだろう。
「月夜姫様」
「なぁに?」
「やはり何かございましたか」
「どうしてそう思うの?」
「城の者たちは誤魔化せても、この小十郎の目は騙せませぬ。貴女の微笑みからは、悲しみを押し隠したようなものを感じる」
「……」
「どうかこの小十郎に、打ち明けてはくださらぬか。最愛の嫁御殿の悩みは、共に背負いたく」
「……やっぱり小十郎は鋭いわね」
苦笑いを浮かべた月夜姫様が、ため息を吐き出す。
そうしてそっと、ご自身の腹に手を当てられた。
……まさか。
その可能性がないわけではなかったが、もしや。
いや、だとしても何も不思議じゃねえ。
初夜であれだけ月夜姫様の腹に俺の子種をぶちまけたんだ。
それならなぜ、悲しそうなお顔を……?
「……月のものが来てしまったの」
「は……」
「初夜にあれだけ小十郎が私を求めてくれたでしょう? 私が孕むまで抱くと言ってくれて、実際、私もこれは出来たと思ったの」
「……」
「あんなに子種をもらっても出来ないとなると……。私、もしかしたら石女なのかもしれないって……」
月夜姫様の打ち沈むお声が震えた。
ぽたりぽたりと流れる涙が、お心に負われた傷の深さを物語るようだ。
だがそもそも、初夜を添い寝程度で終わらせようとしていたのはこちらなのだから、子が成せずとも問題はない。
どうも月夜姫様は、俺との子を成す……俺の妻としての務めを一刻も早く果たさねばと気負っておられるようにも思えた。
「月夜姫様。小十郎はまだ、子が欲しいとは思いませぬ」
「知ってるわ。だって小十郎、初夜で私に手を出すつもりがなかったじゃない。私と二人きりがいいって」
「おっしゃる通りです。ですので今、月夜姫様のお腹にややができずとも、小十郎はまったく構わぬのです」
「……それは結果論よ。私がもし石女だったら、小十郎は一生、子供を持てないのよ」
「その際はどこかの家から養子をとります。側室など持つ気は更々ございませぬ。たとえ月夜姫様がそうせよと仰せでも」
先んじて反論の道を塞いでしまうと、月夜姫様は口を閉ざして俯いてしまった。
七年前と比べて、お身体はすっかり大きくなられた。
折れてしまいそうな手足も、壊れてしまいそうな胴も、未だすらりとされているが、それでも健康的と言っていい。
多少手荒に扱っても、折れやしないし壊れもしない。
それは初夜で獣のように貪り、抱き潰した俺が知っている。
だが、それでも。
月夜姫様はまだ、十五の育ち盛り。
お体も成熟したとは言い難く、その背丈もまだ成長を止めてはいない。
だから本当に──初夜で月夜姫様を抱くつもりは、なかったんだ。
煽られて、理性を剝がされて、獣を押さえつけていた鎖を外されて……欲望のままに、その瑞々しい柔肌を荒らしたが。
「何度も申し上げましたとおり、この小十郎は、月夜姫様との時間を、今しばらく堪能したく存じまする。ようやくこの腕に捕まえられてくれた、二つとない至宝……この世の何よりも愛おしい嫁御殿でおられる故」
「……私が石女でも、兄様のところに送り返したりしない?」
「むしろなぜ手放せようか。何度でも申しましょう、この小十郎の妻は貴女でなければ意味がないと」
「……うん」
「初夜を終えて後は、政宗様の落馬による骨折だの、その隙を突いた岩城による田村侵攻だのと、立て続けに問題が起こりましたゆえ、ろくにお顔を合わせることもございませんでしたからな。不安な思いをさせたままで、お傍に居ることもできず、申し訳ございませんでした」
「謝らないで……。私の心が弱いだけなの。小十郎の想いを今更疑ったりはしていないのよ。ただそれでも、やっぱり私の心の中に、離れに居た頃の八年間が残り続けたままなの」
忌み子、そう呼ばれていた頃の月夜姫様は、そのお命に意味など持っていなかった。
離れから連れ出され、名実共に伊達の姫となられても、その身に伊達の名を背負って嫁ぐことすらできず。
だからこそ焦っておられたのかもしれない。
俺との子を産まなければ、存在を許されないと、そう考えてしまう程に──。
月夜姫様の心に巣食う自己への劣等感は、俺の思う以上に深い傷となって残り続けていたと思い知らされる。
どう言葉をかけたら良いのか分からず、俺はただひたすらに、月夜姫様を抱き締め続けた。
そうすることしか、できなかった。
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