初雪
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「──ッ、あ……」
予想もしていなかった声だったから、反応が遅れた。
俺の隣で月夜がそちらを振り返り、「だぁれ?」と首を傾げて。
それから俺の顔を覗き込んできた。
「兄様?」
「……月夜、お前は部屋の方に戻れ。そろそろ小十郎が戻ってきた頃だ、今頃お前を探してやがるだろうぜ」
「でも兄様は」
「急げ。俺もあとで戻る」
強めに背中を押して、月夜をその場から立ち去らせる。
そうして三度深呼吸をして、覚悟を決めて──背後を振り返った。
「……母上」
「伊達家の嫡男ともあろう者が、稚児のように雪遊びとは。政宗の名が聞いて呆れる」
「……そうかもな」
「その調子では、いよいよ小次郎が跡継ぎとなるべきやもしれぬな。殿に進言するとしよう」
「それには及ばねぇさ。テメェが歴史ある伊達の名を継ぐに相応しくないのなら、俺自ら身を引く。それくらいの覚悟はある」
「……ではまだ、己にその資格があると?」
「少なくとも今はまだ、そうだろう」
そう答えてからは、無言の応酬だった。
母上の目は敵意を抱いていて、自分の子供に向けるようなそれじゃない。
それでも……どんなに棘のある言葉を突き付けられようと、この人は俺を産んでくれた母上だ。
俺からぞんざいに扱っちゃいけねぇ。
「ところで、先程の小娘。あれが忌み子か」
「もう忌み子じゃねぇ。月夜って名がある。父上が──」
「同じことよ。名を与えられたとて、あれは妾から千子を奪った憎き者。一つ目のお前の妹らしい存在よの」
「……は?」
「似合いだと言うておる。不満か?」
……普段であれば。
俺が標的になるだけだから、耐えられた。
だが俺以外の──ましてやようやく明るい所に出てこられた月夜が、そんな風に貶められるのは。
さすがの俺も、堪忍袋の緒が切れるって話だ。
「もしまた同じよう事を言ってみろ。母上といえど容赦しねぇ」
「ほう? 家中の意見など、妾の声一つでいくらでも塗り替えられようぞ」
「月夜に名を与え、居場所を与え、立場を与えたのは父上だ。片割れの凶兆を肩代わりして死んだのは千子姫のほうだったとまで宣言してな。その瞬間から月夜はもう忌み子じゃなくなってる。それでもまだ月夜をそう呼ぶなら、そいつは父上の決定に逆らうのと同義だろう」
痛いところを突いてやれば、案の定、母上は黙った。
たしかに伊達家において母上の発言力は大きい。
いつぞや父上と狐のオッサンが戦り合った時は、籠で戦場に突っ込んで停戦を取り付けたって話もある。
母上の考えは、戦国の世において一般論と称していい。
片目を失った俺を当主に据えるよりは、五体満足の竺丸──政道を当主にするほうが体面を保てる。
たとえ父上が月夜を可愛がったところで、月夜が忌み子であることは変わらねぇ。
……それでも。
俺は父上から伊達家の未来を託された。
月夜は父上から、姫として生きる為の全てを与えられた。
「俺たちはただ、父上の決定に従っただけだ。文句があるなら父上に直談判するんだな」
ザクザクと雪を踏み締めて、月夜の部屋の前まで戻っていく。
背後の連中の声は聞こえないフリをした。
聞いたところで何の為にもならねぇんだ、聞かなくても同じことだろう。
「……あ、兄様!」
ようやく月夜の部屋の前まで戻ってくると、既に小十郎が雪掻きの道具と桶を用意して待っていた。
駆け寄ってきた月夜を抱き留めて、その頭を撫でる。
「待たせて悪かったな」
「ううん、小十郎がお話の相手をしてくれてたの。それで兄様、あの女の人は誰なの?」
「……政宗様」
小十郎の気遣わしげな目に小さく首を振る。
月夜には……母上のことを、教えないほうがいい。
ようやく月夜は自分を大切にしてくれる奴らと出会えたんだ。
テメェのことを嫌ってる相手なんざ、会わせる必要はねぇ。
「俺達にゃ関係ねぇ奴だった。気にすんな、父上は顔が広いんだ」
「そうなの? でも兄様、お顔が悲しそうなの。竺丸兄様が遊びに来た時と同じ顔」
「……気のせいだ」
もう一度、ぽんと月夜の頭を撫でて、小十郎から雪掻きの道具を受け取る。
道具から手を離す直前、小十郎はそっと俺に耳打ちをした。
「政宗様」
「平気だ。……もう慣れた」
受け取ったそれで雪を集め、大きな雪玉を月夜に作らせる。
途中から小十郎も手伝いに入って、同じ大きさの雪玉が二つ並んだ。
思ったよりも小さいのは、雪の量が足りないせいだ。
まあ初雪だったしな、冬の初めにしちゃあ上出来だろう。
「これをどうするの?」
「片方の上に乗せてしまいます」
小十郎の手がひょいと持ち上げた雪玉は、地面に残った雪玉の上に乗せられた。
下段の胴体部分に、先が割れた細長い枝を刺して、小十郎が上下の間に、使い古した襟巻きを巻いた。
「ここで松ぼっくりの出番だ」
目となる位置に松ぼっくりを押し込む。
そうして短い枝で眉と鼻、口を作り、最後に桶を頭に被せれば──。
「お人形さんみたい! 雪のお人形さんなの?」
「ま、そんなところだな。こいつは雪だるまってやつだ」
「もう少し雪があれば、大きな雪だるまを作ることもできましたが、今回はこれが精一杯ですな」
「まだ初雪だぜ。奥州の冬は始まったばかりだ。これから嫌ってほど雪にまみれた毎日になるだろうさ」
そうこうしている間に、空からはまた雪がチラつき始めた。
俺達以外の気配を感じない、雪の庭。
なにもかもが消えて、なくなってしまったような。
(本当に消えてなくなってほしいものは、なくならねぇものなのにな)
雪だるまにはしゃぐ月夜を、微笑ましいような心地で見守る。
こうして見れば、どこにでもいる普通の姫だが、たった二ヶ月前まで月夜は存在を許されていなかった。
もし今も千子姫が生きていたら。
月夜は人知れず今も離れに隠されたままだったんだろう。
そうして雪みたいに儚く……ただ静かに、死んだのかもしれない。
死んでさえいなければ、こうしてここにいたのは千子姫だったわけだ。
(だからといって、月夜を千子姫の代わりにしてるわけじゃねぇ。俺達は月夜自身を愛している)
ろくに会わねぇまま死んだ千子姫のことは、俺も小十郎も他人からの話でしか知らない。
だが月夜は今ここにいる。
触れ合える距離に。
灰色の空を見上げて、落ちてくる白を眺める。
雪に呑まれて、母上との蟠りも消えてしまえばいいのに。
本当に消えてほしいものは、積もったまま残り続けて、消えそうもない。
予想もしていなかった声だったから、反応が遅れた。
俺の隣で月夜がそちらを振り返り、「だぁれ?」と首を傾げて。
それから俺の顔を覗き込んできた。
「兄様?」
「……月夜、お前は部屋の方に戻れ。そろそろ小十郎が戻ってきた頃だ、今頃お前を探してやがるだろうぜ」
「でも兄様は」
「急げ。俺もあとで戻る」
強めに背中を押して、月夜をその場から立ち去らせる。
そうして三度深呼吸をして、覚悟を決めて──背後を振り返った。
「……母上」
「伊達家の嫡男ともあろう者が、稚児のように雪遊びとは。政宗の名が聞いて呆れる」
「……そうかもな」
「その調子では、いよいよ小次郎が跡継ぎとなるべきやもしれぬな。殿に進言するとしよう」
「それには及ばねぇさ。テメェが歴史ある伊達の名を継ぐに相応しくないのなら、俺自ら身を引く。それくらいの覚悟はある」
「……ではまだ、己にその資格があると?」
「少なくとも今はまだ、そうだろう」
そう答えてからは、無言の応酬だった。
母上の目は敵意を抱いていて、自分の子供に向けるようなそれじゃない。
それでも……どんなに棘のある言葉を突き付けられようと、この人は俺を産んでくれた母上だ。
俺からぞんざいに扱っちゃいけねぇ。
「ところで、先程の小娘。あれが忌み子か」
「もう忌み子じゃねぇ。月夜って名がある。父上が──」
「同じことよ。名を与えられたとて、あれは妾から千子を奪った憎き者。一つ目のお前の妹らしい存在よの」
「……は?」
「似合いだと言うておる。不満か?」
……普段であれば。
俺が標的になるだけだから、耐えられた。
だが俺以外の──ましてやようやく明るい所に出てこられた月夜が、そんな風に貶められるのは。
さすがの俺も、堪忍袋の緒が切れるって話だ。
「もしまた同じよう事を言ってみろ。母上といえど容赦しねぇ」
「ほう? 家中の意見など、妾の声一つでいくらでも塗り替えられようぞ」
「月夜に名を与え、居場所を与え、立場を与えたのは父上だ。片割れの凶兆を肩代わりして死んだのは千子姫のほうだったとまで宣言してな。その瞬間から月夜はもう忌み子じゃなくなってる。それでもまだ月夜をそう呼ぶなら、そいつは父上の決定に逆らうのと同義だろう」
痛いところを突いてやれば、案の定、母上は黙った。
たしかに伊達家において母上の発言力は大きい。
いつぞや父上と狐のオッサンが戦り合った時は、籠で戦場に突っ込んで停戦を取り付けたって話もある。
母上の考えは、戦国の世において一般論と称していい。
片目を失った俺を当主に据えるよりは、五体満足の竺丸──政道を当主にするほうが体面を保てる。
たとえ父上が月夜を可愛がったところで、月夜が忌み子であることは変わらねぇ。
……それでも。
俺は父上から伊達家の未来を託された。
月夜は父上から、姫として生きる為の全てを与えられた。
「俺たちはただ、父上の決定に従っただけだ。文句があるなら父上に直談判するんだな」
ザクザクと雪を踏み締めて、月夜の部屋の前まで戻っていく。
背後の連中の声は聞こえないフリをした。
聞いたところで何の為にもならねぇんだ、聞かなくても同じことだろう。
「……あ、兄様!」
ようやく月夜の部屋の前まで戻ってくると、既に小十郎が雪掻きの道具と桶を用意して待っていた。
駆け寄ってきた月夜を抱き留めて、その頭を撫でる。
「待たせて悪かったな」
「ううん、小十郎がお話の相手をしてくれてたの。それで兄様、あの女の人は誰なの?」
「……政宗様」
小十郎の気遣わしげな目に小さく首を振る。
月夜には……母上のことを、教えないほうがいい。
ようやく月夜は自分を大切にしてくれる奴らと出会えたんだ。
テメェのことを嫌ってる相手なんざ、会わせる必要はねぇ。
「俺達にゃ関係ねぇ奴だった。気にすんな、父上は顔が広いんだ」
「そうなの? でも兄様、お顔が悲しそうなの。竺丸兄様が遊びに来た時と同じ顔」
「……気のせいだ」
もう一度、ぽんと月夜の頭を撫でて、小十郎から雪掻きの道具を受け取る。
道具から手を離す直前、小十郎はそっと俺に耳打ちをした。
「政宗様」
「平気だ。……もう慣れた」
受け取ったそれで雪を集め、大きな雪玉を月夜に作らせる。
途中から小十郎も手伝いに入って、同じ大きさの雪玉が二つ並んだ。
思ったよりも小さいのは、雪の量が足りないせいだ。
まあ初雪だったしな、冬の初めにしちゃあ上出来だろう。
「これをどうするの?」
「片方の上に乗せてしまいます」
小十郎の手がひょいと持ち上げた雪玉は、地面に残った雪玉の上に乗せられた。
下段の胴体部分に、先が割れた細長い枝を刺して、小十郎が上下の間に、使い古した襟巻きを巻いた。
「ここで松ぼっくりの出番だ」
目となる位置に松ぼっくりを押し込む。
そうして短い枝で眉と鼻、口を作り、最後に桶を頭に被せれば──。
「お人形さんみたい! 雪のお人形さんなの?」
「ま、そんなところだな。こいつは雪だるまってやつだ」
「もう少し雪があれば、大きな雪だるまを作ることもできましたが、今回はこれが精一杯ですな」
「まだ初雪だぜ。奥州の冬は始まったばかりだ。これから嫌ってほど雪にまみれた毎日になるだろうさ」
そうこうしている間に、空からはまた雪がチラつき始めた。
俺達以外の気配を感じない、雪の庭。
なにもかもが消えて、なくなってしまったような。
(本当に消えてなくなってほしいものは、なくならねぇものなのにな)
雪だるまにはしゃぐ月夜を、微笑ましいような心地で見守る。
こうして見れば、どこにでもいる普通の姫だが、たった二ヶ月前まで月夜は存在を許されていなかった。
もし今も千子姫が生きていたら。
月夜は人知れず今も離れに隠されたままだったんだろう。
そうして雪みたいに儚く……ただ静かに、死んだのかもしれない。
死んでさえいなければ、こうしてここにいたのは千子姫だったわけだ。
(だからといって、月夜を千子姫の代わりにしてるわけじゃねぇ。俺達は月夜自身を愛している)
ろくに会わねぇまま死んだ千子姫のことは、俺も小十郎も他人からの話でしか知らない。
だが月夜は今ここにいる。
触れ合える距離に。
灰色の空を見上げて、落ちてくる白を眺める。
雪に呑まれて、母上との蟠りも消えてしまえばいいのに。
本当に消えてほしいものは、積もったまま残り続けて、消えそうもない。
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