初雪
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霜月も下旬に差し掛かった今日この頃。
月夜の手習いが本格的に始まってから十日程が経った。
平仮名を早々に習得した月夜は今、片仮名と簡単な漢字を習っているらしい。
完全に親馬鹿と化した喜多は、月夜が初めて書いた『いろはにほへと』を持ってくるなり、俺たちに見せびらかしてきた。
「ご覧くださいませ! この繊細で奥ゆかしい筆致、月夜姫様らしいではございませんか!」
「お、おう、そうだな……?」
「初めてにしては大変お上手でおられる。文字は心の写鏡。月夜姫様のお心が清らかな証かと」
「……」
なんでこいつらは、月夜を褒めるとなった途端、スラスラと言葉が並ぶんだ?
初めてにしちゃあ上出来だっていうのは俺も認めるが……。
文字まで控えめなのもまあ、月夜らしいっちゃらしい話だ。
「たまには頑張ってる妹を労いに行くか」
「そうおっしゃって毎日のように通いつめておられることにお気付きか、政宗様」
「妹を甘やかすのは兄貴の専売特許だろ。お前は理由がなけりゃ月夜に会わねぇんだもんな。月夜への敬愛はその程度か」
「政宗様へ誓った忠義と変わらぬものを月夜姫様へも捧げております。が、傅役を外された今、この小十郎が頻繁に月夜姫様のお部屋へ通うのは問題があるかと」
「ンな面倒くせぇこと、月夜が気にするかよ」
この堅物、今度は甲斐性無しになるつもりか?
そんなんだから喜多の奴にどやされるんだろうに。
綱元と二人でため息をついた時。
こちらにやってくる小さな足音に誰もが気付いた。
「兄様」
「月夜? 珍しいな、お前からこっちに来るなんざ」
「喜多がね、兄様のところに行くって言ってたの。だから月夜も来たの。あ、小十郎!」
小十郎が頭を下げるより早く、月夜が小十郎へと駆け寄る。
そうして小十郎の膝の上にすっぽりと収まった。
慌てふためく小十郎を他所に、俺と喜多は顔を背けて笑うことしかできない。
喜多や俺が月夜を膝の上に抱えることが多いせいか、月夜は誰かの膝の上に座るのが普通だと思うようになったらしい。
落とさないように抱え直す小十郎に「足を崩していい」と伝えると、小十郎は胡座に変えて月夜を抱えた。
「月夜姫様、この綱元の膝も空いておりますよ」
「今日は小十郎の膝にするの」
「フラれたな」
「景綱、後で覚えておけ」
「横暴では!?」
それでも月夜を膝の上から下ろそうとはしないあたり、小十郎も大概、月夜に甘い。
人の事言えた義理か? と喉元まで出かかったのを、どうにか飲み込んだ。
喜多がお茶を淹れてくると言って部屋を出る。
その手が障子を開けると、外は白いものがチラついていた。
「おや、道理で寒いはずです」
「ここ数日でめっきり冷え込んだしな。そろそろかと思っちゃいたが」
「月夜姫様はご覧になったことがございますか?」
「ううん。白いのが降ってるけど、これはなぁに?」
「これは雪だ。こうやって寒くなると、雨じゃなくて雪が降るようになる」
「これが雪……」
「近くでご覧になられますか」
小十郎に問われ、月夜はこくりと頷いた。
月夜を抱き上げた小十郎が、廊下へと出る。
そうして草履を履いて庭へと降りた。
「わ……」
「寒くはございませぬか」
「ううん、大丈夫。小十郎、雪、触ってみてもいい?」
「勿論です」
少しふっくらとした手が、そっと空に伸ばされる。
大粒の雪は月夜にも降り落ちて、体温でじんわりと溶けていった。
「雪、消えちゃったの」
「月夜姫様の手が温かいゆえ、雪が溶けてしまうのでしょう」
「どうしたら雪、触っていられる?」
「そうですな……。明日の朝には」
「朝?」
「この量ならば、朝にはすっかり積もっておるものと。雪遊びならば、政宗様のほうがお詳しい。雪で遊んでみるのもまた一興です」
「そうする。兄様!」
小十郎の腕の中から月夜がこっちに手を振る。
仕方ねぇ、かわいい妹たっての頼みだ。
明日は目一杯、雪遊びの相手をしてやろう。
ま、寒さを理由に、部屋に閉じこもるよりは、よっぽどその方が健全だしな。
「小十郎、鼻が赤いの」
「それは月夜姫様もです。……少し雪が増えてきましたな。そろそろお部屋へお戻りを」
「うん」
これまた素直に頷いて、月夜は小十郎と一緒に戻ってきた。
すっかり冷えた手を火鉢で暖めながら、月夜の視線は部屋の外に向けられたままだ。
よっぽど雪が気に入ったらしい。
城の奴らは、明日の雪掻きに辟易としていやがるだろうが、な。
「兄様、雪って消えちゃうのに、本当に明日の朝、雪で遊べるの?」
「夜の間は寒すぎて、雪が溶けずに残るんだ。まあ、明日の朝を楽しみに待っておけ」
「ふぅん……」
灰色の空からしんしんと降り続く雪は、全ての音を奪い去っていくかのようだ。
いつもなら遠くから微かに聞こえる城内の声も、雪に呑まれて聞こえない。
……今年も奥州の冬がやってきた。
雪と寒さに耐え、春の芽吹を待ち遠しく思う、長い冬が。
月夜の手習いが本格的に始まってから十日程が経った。
平仮名を早々に習得した月夜は今、片仮名と簡単な漢字を習っているらしい。
完全に親馬鹿と化した喜多は、月夜が初めて書いた『いろはにほへと』を持ってくるなり、俺たちに見せびらかしてきた。
「ご覧くださいませ! この繊細で奥ゆかしい筆致、月夜姫様らしいではございませんか!」
「お、おう、そうだな……?」
「初めてにしては大変お上手でおられる。文字は心の写鏡。月夜姫様のお心が清らかな証かと」
「……」
なんでこいつらは、月夜を褒めるとなった途端、スラスラと言葉が並ぶんだ?
初めてにしちゃあ上出来だっていうのは俺も認めるが……。
文字まで控えめなのもまあ、月夜らしいっちゃらしい話だ。
「たまには頑張ってる妹を労いに行くか」
「そうおっしゃって毎日のように通いつめておられることにお気付きか、政宗様」
「妹を甘やかすのは兄貴の専売特許だろ。お前は理由がなけりゃ月夜に会わねぇんだもんな。月夜への敬愛はその程度か」
「政宗様へ誓った忠義と変わらぬものを月夜姫様へも捧げております。が、傅役を外された今、この小十郎が頻繁に月夜姫様のお部屋へ通うのは問題があるかと」
「ンな面倒くせぇこと、月夜が気にするかよ」
この堅物、今度は甲斐性無しになるつもりか?
そんなんだから喜多の奴にどやされるんだろうに。
綱元と二人でため息をついた時。
こちらにやってくる小さな足音に誰もが気付いた。
「兄様」
「月夜? 珍しいな、お前からこっちに来るなんざ」
「喜多がね、兄様のところに行くって言ってたの。だから月夜も来たの。あ、小十郎!」
小十郎が頭を下げるより早く、月夜が小十郎へと駆け寄る。
そうして小十郎の膝の上にすっぽりと収まった。
慌てふためく小十郎を他所に、俺と喜多は顔を背けて笑うことしかできない。
喜多や俺が月夜を膝の上に抱えることが多いせいか、月夜は誰かの膝の上に座るのが普通だと思うようになったらしい。
落とさないように抱え直す小十郎に「足を崩していい」と伝えると、小十郎は胡座に変えて月夜を抱えた。
「月夜姫様、この綱元の膝も空いておりますよ」
「今日は小十郎の膝にするの」
「フラれたな」
「景綱、後で覚えておけ」
「横暴では!?」
それでも月夜を膝の上から下ろそうとはしないあたり、小十郎も大概、月夜に甘い。
人の事言えた義理か? と喉元まで出かかったのを、どうにか飲み込んだ。
喜多がお茶を淹れてくると言って部屋を出る。
その手が障子を開けると、外は白いものがチラついていた。
「おや、道理で寒いはずです」
「ここ数日でめっきり冷え込んだしな。そろそろかと思っちゃいたが」
「月夜姫様はご覧になったことがございますか?」
「ううん。白いのが降ってるけど、これはなぁに?」
「これは雪だ。こうやって寒くなると、雨じゃなくて雪が降るようになる」
「これが雪……」
「近くでご覧になられますか」
小十郎に問われ、月夜はこくりと頷いた。
月夜を抱き上げた小十郎が、廊下へと出る。
そうして草履を履いて庭へと降りた。
「わ……」
「寒くはございませぬか」
「ううん、大丈夫。小十郎、雪、触ってみてもいい?」
「勿論です」
少しふっくらとした手が、そっと空に伸ばされる。
大粒の雪は月夜にも降り落ちて、体温でじんわりと溶けていった。
「雪、消えちゃったの」
「月夜姫様の手が温かいゆえ、雪が溶けてしまうのでしょう」
「どうしたら雪、触っていられる?」
「そうですな……。明日の朝には」
「朝?」
「この量ならば、朝にはすっかり積もっておるものと。雪遊びならば、政宗様のほうがお詳しい。雪で遊んでみるのもまた一興です」
「そうする。兄様!」
小十郎の腕の中から月夜がこっちに手を振る。
仕方ねぇ、かわいい妹たっての頼みだ。
明日は目一杯、雪遊びの相手をしてやろう。
ま、寒さを理由に、部屋に閉じこもるよりは、よっぽどその方が健全だしな。
「小十郎、鼻が赤いの」
「それは月夜姫様もです。……少し雪が増えてきましたな。そろそろお部屋へお戻りを」
「うん」
これまた素直に頷いて、月夜は小十郎と一緒に戻ってきた。
すっかり冷えた手を火鉢で暖めながら、月夜の視線は部屋の外に向けられたままだ。
よっぽど雪が気に入ったらしい。
城の奴らは、明日の雪掻きに辟易としていやがるだろうが、な。
「兄様、雪って消えちゃうのに、本当に明日の朝、雪で遊べるの?」
「夜の間は寒すぎて、雪が溶けずに残るんだ。まあ、明日の朝を楽しみに待っておけ」
「ふぅん……」
灰色の空からしんしんと降り続く雪は、全ての音を奪い去っていくかのようだ。
いつもなら遠くから微かに聞こえる城内の声も、雪に呑まれて聞こえない。
……今年も奥州の冬がやってきた。
雪と寒さに耐え、春の芽吹を待ち遠しく思う、長い冬が。
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