77章
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クローゼットの前で黒の外套を目にしてから、足が竦んで動けないまま、どれ程の時間が経ったんだろう。
突然ドアがノックされて、その音で私の足が力を取り戻した。
慌てて「どうぞ!」と答えたけど、いったいこんな時間に誰が尋ねてきたんだか。
ややあってドアがゆっくりと開けられて、顔を覗かせたのは……エイトだった。
「な、なんだ、エイトか……」
「僕じゃないほうがよかった?」
「意地悪なこと言わないでよぉ。エイトでよかったに決まってるじゃん」
クローゼットを閉めて、部屋のドアを開けてやると、エイトが小さく笑いながら部屋に入ってきた。
こんな時間まで誰かに捕まってたのか、世界を平和にした救世主は大変だな。
「お疲れ様、エイト」
「まだ起きてたんだ」
「なにおう! 世界を救った勇者様をお待ちしていたってのに!」
「わかったわかった」
どうもエイトは勇者とか救世主とか英雄とか呼ばれるのが苦手らしい。
それは私も同じだから、親近感しか湧かなかった。
さて、私はもうお風呂にも入って寝る準備は万端なんだけど、エイトは今の今まで外にいたんだもんな。
「お風呂は?」
「まだ。さっきパーティーが終わって、その足でここに来たから」
「じゃあ、お風呂入っておいでよ。起きて待っててあげるからさ」
「……え?」
「ん? え、もう寝るでしょ? だってもうド深夜だよ」
「いや寝るよ、寝るけど……。一緒に寝るの?」
「え? だっていつも一緒に……」
寝てたじゃん、と答えかけて、気付いた。
そうだ、ここはトロデーン城だ。
ということはエイトにも自分の部屋がある。
私と一緒に寝る必要はないのである!
自分が口走ったことにようやく気付いて、猛烈に顔が熱い。
「いやッ! えっと流石にエイトも自分の部屋で寝たいよね! 私と寝るの飽きたもんね!!」
「ううん、全然。死ぬまで一緒がいい」
「そこは飽きたって言うとこだよ」
「言わないよ、飽きたなんて思わないから」
「思えよォ!!」
「どうやって!?」
そ、そりゃあ……どうやってだろうな。
ちょっと私も分かんない。
でも勘違いしてたのが恥ずかしいから、とりあえず風呂に入ってきてもらおう。
エイトをぐいぐいと部屋の外へと押し出して、ドアを閉める。
戸惑いつつも部屋を出てくれたエイトは、「じゃあ、お風呂に行ってくるね?」と言い残して、部屋の前から去っていった。
……さて、どんな顔をして風呂上がりのエイトを迎えるべきか。
それが分かりゃあ苦労はしないのである。
男というのは風呂にかかる時間が短くていけない。
お待たせ、と言ってエイトは戻ってきたけど、こちらからしてみれば「はっや」の一言である。
この行水野郎め。
「そうだ、伝えなきゃいけないことだけ、先に伝えておくね」
「ん? うん」
なんだろ、明日からの任務に関する連絡事項かな。
だって明日からはまた、私たちの日常が戻ってくるんだもんね。
……私が誰かを手にかける日も、遠くないうちに。
「隊長からの伝言。もう『夜勤』は辞めるって」
「……え」
……『夜勤』が、なくなる?
そうしたら、誰が反乱分子を制圧するの?
私の言いたいことが伝わったんだろうか、エイトは悲しそうな目をすると、私の頬に触れて、そっとキスをした。
「トロデ王のご意思なんだって。これからは話し合いで解決すべきだっておっしゃっていたそうだよ」
「……」
「レイラ?」
「あ……ううん。その……意外、だったっていうか……。……そ、か。私……もう、誰も殺さなくていいんだ……」
それじゃあ……あの黒い外套も、もういらないんだ。
誰かの悲鳴を聞くことも、血を流して倒れる姿を眺めることも、死んだかどうか脈を確認することもしなくていい。
人間らしく生きていいのだと言われた気がした。
ぽた、と流れたのは涙だった。
エイトが私を抱き締めて、背中を撫でてくれる。
彼は何を言うわけでもなく……ただずっと私を抱き締めてくれた。
……あの外套を捨てよう。
もう私には必要のない物だから。
これからは、誇りあるトロデーン王国の近衛兵として、堂々とお日様の下を歩いていいんだ。
私のすすり泣く声が、二人の間にくぐもって響いては消える。
私を抱き締めてくれる腕の温かさに甘えていたくて、私はエイトにしがみついたまま、子供のように泣き続けた。
* * *
……さすがにあれだけ大泣きしたら恥ずかしくもなる。
ベッドに横になったまま、恥ずかしくて枕に顔を埋めてしまってから、私は内心で「うわあああ」と叫んだ。
「灯り、消すよ」
「ハイ……」
エイトの手が部屋の蝋燭を消して、ベッドに入ってきた。
部屋の明かりは窓から差し込んでくる月の光だけ。
なんだか……五人でラプソーンに挑む前の夜を思い出す。
あの時はこんなふうに穏やかな気持ちでいられるなんて、思いもしなかった。
もそ……と枕から顔を上げて、エイトと向かい合うように寝返りを打つ。
エイトの手が私の目尻に残った涙を拭ってくれて、情けない笑い声が出てしまった。
でも……私の情けない姿なんて、エイトはそれこそ見飽きてるか。
それでも私のことを好きでいてくれるんだもん。
この先どんなに情けない姿を見せても、エイトはこうやって寄り添ってくれるんだろうな。
ずびっと鼻をすすって、私はエイトの腕枕に頭を乗せることにした。
「世界を救った勇者は大変だねぇ。こんな夜遅くまで捕まっちゃってさ」
「本当にね。勘弁してほしいよ」
「みんな、エイトが国と自分たちを助けてくれたのが嬉しかったんだよ」
「レイラにも感謝してたよ、みんな」
「嘘だぁ、私なんにもしてないのに」
「それこそ嘘だよ。一緒に旅をしてたのに」
ごにょごにょと言い返せずに口ごもると、部屋の中はしんと静かになる。
でも、なんだか、眠ってしまうのが勿体なくて……私は今日の出来事の中から必死に話題を探しまくった。
「あ、そうだ。エイトがね、生まれ故郷を見つけたって、ゼシカから聞いたんだけどさ」
「ああ……うん。実はそうなんだ。一緒に行こうか、会わせたい人もいるし」
「ほんと? 行きたい行きたい! えー誰かなぁ?」
「内緒。でも、きっと驚くと思うよ」
エイトが言うなら、私はきっと驚くんだろうな。
エイトの生まれ故郷ってどんなところなんだろう?
優しい人たちが住んでる場所だといいなぁ。
でもエイトが生まれ育った場所だもん、きっとみんな、いい人たちだよね。
「そういうレイラは、トロデ王から自分の出自について、何か聞かされてない?」
「へ? ううん、何も」
「やっぱりそうだと思った。じゃあ代わりに僕が教えるけど、レイラはね、実はすごい人がお父上だったんだよ」
「え、そうなの!?」
「うん。レイラのお父上は──トロデ王の兄君だったんだ」
……はい?
誰の誰が私の何だって?
なんかちょっと……出てきてはいけない単語が二つほど出てきた気がする……。
い、いやいや、そんな……ね!
聞き間違いだよ……ね!!
突然ドアがノックされて、その音で私の足が力を取り戻した。
慌てて「どうぞ!」と答えたけど、いったいこんな時間に誰が尋ねてきたんだか。
ややあってドアがゆっくりと開けられて、顔を覗かせたのは……エイトだった。
「な、なんだ、エイトか……」
「僕じゃないほうがよかった?」
「意地悪なこと言わないでよぉ。エイトでよかったに決まってるじゃん」
クローゼットを閉めて、部屋のドアを開けてやると、エイトが小さく笑いながら部屋に入ってきた。
こんな時間まで誰かに捕まってたのか、世界を平和にした救世主は大変だな。
「お疲れ様、エイト」
「まだ起きてたんだ」
「なにおう! 世界を救った勇者様をお待ちしていたってのに!」
「わかったわかった」
どうもエイトは勇者とか救世主とか英雄とか呼ばれるのが苦手らしい。
それは私も同じだから、親近感しか湧かなかった。
さて、私はもうお風呂にも入って寝る準備は万端なんだけど、エイトは今の今まで外にいたんだもんな。
「お風呂は?」
「まだ。さっきパーティーが終わって、その足でここに来たから」
「じゃあ、お風呂入っておいでよ。起きて待っててあげるからさ」
「……え?」
「ん? え、もう寝るでしょ? だってもうド深夜だよ」
「いや寝るよ、寝るけど……。一緒に寝るの?」
「え? だっていつも一緒に……」
寝てたじゃん、と答えかけて、気付いた。
そうだ、ここはトロデーン城だ。
ということはエイトにも自分の部屋がある。
私と一緒に寝る必要はないのである!
自分が口走ったことにようやく気付いて、猛烈に顔が熱い。
「いやッ! えっと流石にエイトも自分の部屋で寝たいよね! 私と寝るの飽きたもんね!!」
「ううん、全然。死ぬまで一緒がいい」
「そこは飽きたって言うとこだよ」
「言わないよ、飽きたなんて思わないから」
「思えよォ!!」
「どうやって!?」
そ、そりゃあ……どうやってだろうな。
ちょっと私も分かんない。
でも勘違いしてたのが恥ずかしいから、とりあえず風呂に入ってきてもらおう。
エイトをぐいぐいと部屋の外へと押し出して、ドアを閉める。
戸惑いつつも部屋を出てくれたエイトは、「じゃあ、お風呂に行ってくるね?」と言い残して、部屋の前から去っていった。
……さて、どんな顔をして風呂上がりのエイトを迎えるべきか。
それが分かりゃあ苦労はしないのである。
男というのは風呂にかかる時間が短くていけない。
お待たせ、と言ってエイトは戻ってきたけど、こちらからしてみれば「はっや」の一言である。
この行水野郎め。
「そうだ、伝えなきゃいけないことだけ、先に伝えておくね」
「ん? うん」
なんだろ、明日からの任務に関する連絡事項かな。
だって明日からはまた、私たちの日常が戻ってくるんだもんね。
……私が誰かを手にかける日も、遠くないうちに。
「隊長からの伝言。もう『夜勤』は辞めるって」
「……え」
……『夜勤』が、なくなる?
そうしたら、誰が反乱分子を制圧するの?
私の言いたいことが伝わったんだろうか、エイトは悲しそうな目をすると、私の頬に触れて、そっとキスをした。
「トロデ王のご意思なんだって。これからは話し合いで解決すべきだっておっしゃっていたそうだよ」
「……」
「レイラ?」
「あ……ううん。その……意外、だったっていうか……。……そ、か。私……もう、誰も殺さなくていいんだ……」
それじゃあ……あの黒い外套も、もういらないんだ。
誰かの悲鳴を聞くことも、血を流して倒れる姿を眺めることも、死んだかどうか脈を確認することもしなくていい。
人間らしく生きていいのだと言われた気がした。
ぽた、と流れたのは涙だった。
エイトが私を抱き締めて、背中を撫でてくれる。
彼は何を言うわけでもなく……ただずっと私を抱き締めてくれた。
……あの外套を捨てよう。
もう私には必要のない物だから。
これからは、誇りあるトロデーン王国の近衛兵として、堂々とお日様の下を歩いていいんだ。
私のすすり泣く声が、二人の間にくぐもって響いては消える。
私を抱き締めてくれる腕の温かさに甘えていたくて、私はエイトにしがみついたまま、子供のように泣き続けた。
* * *
……さすがにあれだけ大泣きしたら恥ずかしくもなる。
ベッドに横になったまま、恥ずかしくて枕に顔を埋めてしまってから、私は内心で「うわあああ」と叫んだ。
「灯り、消すよ」
「ハイ……」
エイトの手が部屋の蝋燭を消して、ベッドに入ってきた。
部屋の明かりは窓から差し込んでくる月の光だけ。
なんだか……五人でラプソーンに挑む前の夜を思い出す。
あの時はこんなふうに穏やかな気持ちでいられるなんて、思いもしなかった。
もそ……と枕から顔を上げて、エイトと向かい合うように寝返りを打つ。
エイトの手が私の目尻に残った涙を拭ってくれて、情けない笑い声が出てしまった。
でも……私の情けない姿なんて、エイトはそれこそ見飽きてるか。
それでも私のことを好きでいてくれるんだもん。
この先どんなに情けない姿を見せても、エイトはこうやって寄り添ってくれるんだろうな。
ずびっと鼻をすすって、私はエイトの腕枕に頭を乗せることにした。
「世界を救った勇者は大変だねぇ。こんな夜遅くまで捕まっちゃってさ」
「本当にね。勘弁してほしいよ」
「みんな、エイトが国と自分たちを助けてくれたのが嬉しかったんだよ」
「レイラにも感謝してたよ、みんな」
「嘘だぁ、私なんにもしてないのに」
「それこそ嘘だよ。一緒に旅をしてたのに」
ごにょごにょと言い返せずに口ごもると、部屋の中はしんと静かになる。
でも、なんだか、眠ってしまうのが勿体なくて……私は今日の出来事の中から必死に話題を探しまくった。
「あ、そうだ。エイトがね、生まれ故郷を見つけたって、ゼシカから聞いたんだけどさ」
「ああ……うん。実はそうなんだ。一緒に行こうか、会わせたい人もいるし」
「ほんと? 行きたい行きたい! えー誰かなぁ?」
「内緒。でも、きっと驚くと思うよ」
エイトが言うなら、私はきっと驚くんだろうな。
エイトの生まれ故郷ってどんなところなんだろう?
優しい人たちが住んでる場所だといいなぁ。
でもエイトが生まれ育った場所だもん、きっとみんな、いい人たちだよね。
「そういうレイラは、トロデ王から自分の出自について、何か聞かされてない?」
「へ? ううん、何も」
「やっぱりそうだと思った。じゃあ代わりに僕が教えるけど、レイラはね、実はすごい人がお父上だったんだよ」
「え、そうなの!?」
「うん。レイラのお父上は──トロデ王の兄君だったんだ」
……はい?
誰の誰が私の何だって?
なんかちょっと……出てきてはいけない単語が二つほど出てきた気がする……。
い、いやいや、そんな……ね!
聞き間違いだよ……ね!!
