Episode.01
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濃州との境目に程近い、信州某所――
小さな城に居を構える武家へ、私は乳母子の侍女を伴って嫁いだ
行列は花嫁を乗せた駕籠と、嫁入り道具を積んだ車が一つだけ
護衛兵の数は最低限で、彼らは私を送り届けると「用は済んだ」とばかりに美濃へ帰っていった
次期当主の若君と三々九度の盃を交わし、晴れて妻となった私の眼差しは暗く、心には何の感情も浮かばない
齢十五の若君と、まだ十の私は、政略結婚という見方をすれば自然ではあるけれど――実態はそうではなかったというのは、世間に疎い私でも察している
全ての婚儀が滞りなく終了し、自分の部屋へ戻ろうと廊下を歩いていたとき、私の耳は呆れ果てる家老の声を聞き取っていた
「若様も目にされましたな?
いやはや驚き申しました
なんでしょうな、あの花嫁行列は!
姫君の乗った駕籠の他に、嫁入り道具を載せたものが一つだけとは
あれではまるで、体のいい厄介払いのようではありませぬか――」
背後で侍女がいきり立つのを、視線で押さえる
しかしながら、厄介払いという例えは正解だ
事実そうであるし、何より私の生家は、この家と敵対している
私を送り込んだからといって和平を結ぶわけでもない
さりとてこの家も、私の存在を盾にすることは出来ない
どちらにせよ、私はこの家にとっても邪魔でしかないのだ
私の居場所はここではなかった
初めから何も期待されていない
誰からも望まれていないまま、ここで命が尽きるまでただ待つだけ
「そうだな
姫君はあの家では、あまり大切にされてこなかったようだ」
今日一日で聞き慣れた声がため息混じりに呟く
しかしと声は続いた
「なればこそせめて、これから私が大切にしてやりたいと思うのだ」
思わず耳を疑った
敵対する家から嫁いだ私を大切にしようなどと、正気ではない
それは家老も同じであったようだ
狼狽えた声が若君へ尋ねた
「あの家の者ですぞ?
姉君は織田方へ嫁がれておられまする」
「まさか間者であると疑っているのか?
それは絶対に違うと断言できるぞ」
「そのようなもの、分かりませぬぞ
しおらしく見せているのは今だけやも――」
「彼女は、しおらしく見せていたのではないぞ
……あれは全てを諦めてしまった者の目だ
だからこそ私が与えてやらなければ
居場所はここにあるのだと」
動くことも、喋ることも出来ない私のほうへ、足音が向かってくる
そうして部屋から出てきた若君は、すぐそばに立ち尽くしていた私を見て「うおっ」と声を上げた
「姫?
このようなところで如何した」
何を、と言われても、衝撃的な話を立ち聞きしてしまっただけだ
……などということは決して言えない
「……お城には初めて来たもので、お恥ずかしながら迷ってしまいました
方向さえ教えてくだされば、あとは自分で向かいますゆえ――」
「では私が案内しよう
こちらだ」
これ幸いと言わんばかりに目を輝かせ、若君は私たちの前を歩き始めた
案内されたのは本丸から東に渡った屋敷
私のために設えられた部屋は、生家にいた頃には考えられないほどにもてなしの心を感じた
「姫君の侍女は一人だけか?
それでは何も回らないだろう、もう何人かつけねばなるまいな」
「お心遣い、感謝申し上げます
しかし私に仕えたいと思う者はおりますまい
ご安心くださいませ、私も立場は弁えております
私は敵国から嫁いだ身です
最低限の衣食住さえ整えば充分にございます
改めてご挨拶申し上げます
美濃斎藤家当主・道三が次女――綾葉にございます」
部屋の中で三つ指をついて、若君に頭を垂れる
ここが私の墓場であることは変わらない
武家の妻として、責務を果たすだけだ
この家で私の立場など無いに等しいのだから
「では私も改めて
美稜家嫡男、彦一郎隆政だ
末永くよろしく頼む、綾葉」
「はい、隆政様――」
「彦一郎でいい、皆そう呼ぶ」
先程から私は面食らったままだ
なんなんだ、この人は
私が織田に属する家の出だと知らないはずがないのに
「……では、そのように」
「呼んではくれないか?」
「えっ?」
「綾葉から呼ばれてみたいのだ」
子供のようだ、と思った
名前ひとつで目を輝かせるなんて
「……彦一郎様」
「もう一度」
「彦一郎様」
「あと一度だけ」
「彦一郎様」
「うん、綾葉」
柔らかな微笑みが私に向けられている
春風のような優しさが、私に与えられている
「……何故ですか」
気が付けばそう呟いていた
姫様、と侍女が窘める
「私は斎藤家の人間です
武田一門とは敵対しています
なぜ私との縁談をお受けに……
私は斎藤家から厄介払いを受けたも同然です
私を盾にしても、斎藤家との繋がりは得られません
なのに、なぜ……ここまで?」
「……美稜は美濃と信濃の境だ」
それは知っている
故に美稜家は、武田に与する家の中でも要所を担っているのだと
決して大きくはない家だが、信州へ攻め入る際にまず立ちはだかる家だ、とも聞いた
「織田側の家から誰かを迎え入れることが出来ればと思ったのは確かだ
だがお前の花嫁行列を見て、考えが変わった
まずは綾葉を大切にするのが先、織田や斎藤との関係はそれからだ」
「……尚更理解できませぬ
私などを大切にして、美稜に何の得が生まれるのです?」
「損得ではない
己が妻を大切にして、何が悪い?」
「――」
「勘違いをしているようだな
お前はもう斎藤綾葉ではなく、美稜綾葉だろう?」
……織田側の出ではない側室の腹から産まれた私を、斎藤家はよく思わなかった
追い払われた先の美稜家では、織田側から送り込まれた女が正室にと煙たがられる
誰もがそうなのだと信じて疑わなかった
けれど彦一郎様は違った
彼は私のことを大切にしたいとおっしゃった
損得勘定ではなく、ただ妻であるからと
「……彦一郎様と美稜に、この身を全て捧げます」
ここを私の故郷にしよう
力の限り、彦一郎様をお支えしたい
「ふつつか者ではございますが、末永くお傍に置いてくださいませ」
「もちろんだ
共により良い美稜の未来を作り上げよう」
私の手を取って笑った彦一郎様は、心底嬉しそうだった
それ程までに喜んでくださるのか
背後で侍女が泣いている
私が幼少の頃からの付き合いだ、自分の事のように嬉しいのだろう
「……っと、あまり長居をするものではないな
また夜に会おう」
「は、はい……」
「そうだ、明日は空いているか?
共に城下を見て回ろう!
綾葉には美稜を好きになってほしい!」
そう言い残して、彦一郎様が去っていく
まもなく家督を継いで当主になる人とは思えないほど、純粋だ
姫様と呟く侍女へ微笑む
「貴女と彦一郎様がいてくれれば、私はきっと大丈夫よ」
私の居場所はここにあった
この信州美稜の地に、彦一郎様の隣に
私はここで生きていく
春風の彼と共に、いつまでも
――この日々が続くのだと、そう信じて疑わなかった
平穏はいつだって、ある日突然、終わりを告げる
包囲された居城、固く閉ざされた門、怒号が飛び交う城内
恐怖に震える日々は、瞬く間に終わりを告げた
不意に漂う、何かが焦げる臭い
城内からは絶えず何かが燃える音が聞こえた
視界が赤い、肺が痛い
誰かの名を叫び、しかし私の体は炎から逃げるように反対へと走っていく
手を引かれて城を抜け出し、裏手の山林を駆け抜け、闇夜の中を二人で逃げる
けれどそれも叶うことはなく、託された刀ひとつ抱えて、今度は一人でただ走った
――どうか生き延びてくださいませ
震えた声が訴える
私に、生きよと
――ああ、息が苦しい、身体が熱い
助けて、誰か
――どうか、お逃げください、姫様
ただ走った
生きるために
何から逃げるのか
それすらも分からず……
それが本当の始まりだった――
小さな城に居を構える武家へ、私は乳母子の侍女を伴って嫁いだ
行列は花嫁を乗せた駕籠と、嫁入り道具を積んだ車が一つだけ
護衛兵の数は最低限で、彼らは私を送り届けると「用は済んだ」とばかりに美濃へ帰っていった
次期当主の若君と三々九度の盃を交わし、晴れて妻となった私の眼差しは暗く、心には何の感情も浮かばない
齢十五の若君と、まだ十の私は、政略結婚という見方をすれば自然ではあるけれど――実態はそうではなかったというのは、世間に疎い私でも察している
全ての婚儀が滞りなく終了し、自分の部屋へ戻ろうと廊下を歩いていたとき、私の耳は呆れ果てる家老の声を聞き取っていた
「若様も目にされましたな?
いやはや驚き申しました
なんでしょうな、あの花嫁行列は!
姫君の乗った駕籠の他に、嫁入り道具を載せたものが一つだけとは
あれではまるで、体のいい厄介払いのようではありませぬか――」
背後で侍女がいきり立つのを、視線で押さえる
しかしながら、厄介払いという例えは正解だ
事実そうであるし、何より私の生家は、この家と敵対している
私を送り込んだからといって和平を結ぶわけでもない
さりとてこの家も、私の存在を盾にすることは出来ない
どちらにせよ、私はこの家にとっても邪魔でしかないのだ
私の居場所はここではなかった
初めから何も期待されていない
誰からも望まれていないまま、ここで命が尽きるまでただ待つだけ
「そうだな
姫君はあの家では、あまり大切にされてこなかったようだ」
今日一日で聞き慣れた声がため息混じりに呟く
しかしと声は続いた
「なればこそせめて、これから私が大切にしてやりたいと思うのだ」
思わず耳を疑った
敵対する家から嫁いだ私を大切にしようなどと、正気ではない
それは家老も同じであったようだ
狼狽えた声が若君へ尋ねた
「あの家の者ですぞ?
姉君は織田方へ嫁がれておられまする」
「まさか間者であると疑っているのか?
それは絶対に違うと断言できるぞ」
「そのようなもの、分かりませぬぞ
しおらしく見せているのは今だけやも――」
「彼女は、しおらしく見せていたのではないぞ
……あれは全てを諦めてしまった者の目だ
だからこそ私が与えてやらなければ
居場所はここにあるのだと」
動くことも、喋ることも出来ない私のほうへ、足音が向かってくる
そうして部屋から出てきた若君は、すぐそばに立ち尽くしていた私を見て「うおっ」と声を上げた
「姫?
このようなところで如何した」
何を、と言われても、衝撃的な話を立ち聞きしてしまっただけだ
……などということは決して言えない
「……お城には初めて来たもので、お恥ずかしながら迷ってしまいました
方向さえ教えてくだされば、あとは自分で向かいますゆえ――」
「では私が案内しよう
こちらだ」
これ幸いと言わんばかりに目を輝かせ、若君は私たちの前を歩き始めた
案内されたのは本丸から東に渡った屋敷
私のために設えられた部屋は、生家にいた頃には考えられないほどにもてなしの心を感じた
「姫君の侍女は一人だけか?
それでは何も回らないだろう、もう何人かつけねばなるまいな」
「お心遣い、感謝申し上げます
しかし私に仕えたいと思う者はおりますまい
ご安心くださいませ、私も立場は弁えております
私は敵国から嫁いだ身です
最低限の衣食住さえ整えば充分にございます
改めてご挨拶申し上げます
美濃斎藤家当主・道三が次女――綾葉にございます」
部屋の中で三つ指をついて、若君に頭を垂れる
ここが私の墓場であることは変わらない
武家の妻として、責務を果たすだけだ
この家で私の立場など無いに等しいのだから
「では私も改めて
美稜家嫡男、彦一郎隆政だ
末永くよろしく頼む、綾葉」
「はい、隆政様――」
「彦一郎でいい、皆そう呼ぶ」
先程から私は面食らったままだ
なんなんだ、この人は
私が織田に属する家の出だと知らないはずがないのに
「……では、そのように」
「呼んではくれないか?」
「えっ?」
「綾葉から呼ばれてみたいのだ」
子供のようだ、と思った
名前ひとつで目を輝かせるなんて
「……彦一郎様」
「もう一度」
「彦一郎様」
「あと一度だけ」
「彦一郎様」
「うん、綾葉」
柔らかな微笑みが私に向けられている
春風のような優しさが、私に与えられている
「……何故ですか」
気が付けばそう呟いていた
姫様、と侍女が窘める
「私は斎藤家の人間です
武田一門とは敵対しています
なぜ私との縁談をお受けに……
私は斎藤家から厄介払いを受けたも同然です
私を盾にしても、斎藤家との繋がりは得られません
なのに、なぜ……ここまで?」
「……美稜は美濃と信濃の境だ」
それは知っている
故に美稜家は、武田に与する家の中でも要所を担っているのだと
決して大きくはない家だが、信州へ攻め入る際にまず立ちはだかる家だ、とも聞いた
「織田側の家から誰かを迎え入れることが出来ればと思ったのは確かだ
だがお前の花嫁行列を見て、考えが変わった
まずは綾葉を大切にするのが先、織田や斎藤との関係はそれからだ」
「……尚更理解できませぬ
私などを大切にして、美稜に何の得が生まれるのです?」
「損得ではない
己が妻を大切にして、何が悪い?」
「――」
「勘違いをしているようだな
お前はもう斎藤綾葉ではなく、美稜綾葉だろう?」
……織田側の出ではない側室の腹から産まれた私を、斎藤家はよく思わなかった
追い払われた先の美稜家では、織田側から送り込まれた女が正室にと煙たがられる
誰もがそうなのだと信じて疑わなかった
けれど彦一郎様は違った
彼は私のことを大切にしたいとおっしゃった
損得勘定ではなく、ただ妻であるからと
「……彦一郎様と美稜に、この身を全て捧げます」
ここを私の故郷にしよう
力の限り、彦一郎様をお支えしたい
「ふつつか者ではございますが、末永くお傍に置いてくださいませ」
「もちろんだ
共により良い美稜の未来を作り上げよう」
私の手を取って笑った彦一郎様は、心底嬉しそうだった
それ程までに喜んでくださるのか
背後で侍女が泣いている
私が幼少の頃からの付き合いだ、自分の事のように嬉しいのだろう
「……っと、あまり長居をするものではないな
また夜に会おう」
「は、はい……」
「そうだ、明日は空いているか?
共に城下を見て回ろう!
綾葉には美稜を好きになってほしい!」
そう言い残して、彦一郎様が去っていく
まもなく家督を継いで当主になる人とは思えないほど、純粋だ
姫様と呟く侍女へ微笑む
「貴女と彦一郎様がいてくれれば、私はきっと大丈夫よ」
私の居場所はここにあった
この信州美稜の地に、彦一郎様の隣に
私はここで生きていく
春風の彼と共に、いつまでも
――この日々が続くのだと、そう信じて疑わなかった
平穏はいつだって、ある日突然、終わりを告げる
包囲された居城、固く閉ざされた門、怒号が飛び交う城内
恐怖に震える日々は、瞬く間に終わりを告げた
不意に漂う、何かが焦げる臭い
城内からは絶えず何かが燃える音が聞こえた
視界が赤い、肺が痛い
誰かの名を叫び、しかし私の体は炎から逃げるように反対へと走っていく
手を引かれて城を抜け出し、裏手の山林を駆け抜け、闇夜の中を二人で逃げる
けれどそれも叶うことはなく、託された刀ひとつ抱えて、今度は一人でただ走った
――どうか生き延びてくださいませ
震えた声が訴える
私に、生きよと
――ああ、息が苦しい、身体が熱い
助けて、誰か
――どうか、お逃げください、姫様
ただ走った
生きるために
何から逃げるのか
それすらも分からず……
それが本当の始まりだった――
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