ぼやぼや
どうにかなりたい
2023/04/03 18:20しんどい身辺雑記
◆性行為、性的倒錯、強姦について言及します
タップで展開
タップで展開
「書くぞ!」と腰を据えたところで、わらび餅の移動販売が近くを通りがかって、しばらく音のする方へ顔を向けていた。いつだったか分からないが一度、車を追いかけて買いに行ったことがある。100円か200円かそれくらい、味も見た目ももう覚えていない。
わたしは自分の父と兄が嫌いなのだけれども、好きになるキャラクターは大抵、父くらいの歳頃だったり兄属性だったりする。
ナルトのうちはイタチ、青エクのメフィスト。兄であり兄役。たとえば古い記憶、恋愛を知らなかった頃に好きになったドラゴンボールのピッコロは、口から卵を産む、ある種の父だ。……こうして好きになったひとのことを考えていると、わたしはわたしの理想の父性、兄弟愛を無意識下で求めているのか……と気づかされるようで憂うつになる。
それは本能的な好 き で、知性・理性的な好 き ではない。という命題。ただしこの本能的という形容動詞は、前に防衛とつけた方が分かりよく伝わるかもしれない。
わたしが自分の父と兄を嫌いになったのは、受けた加害を自覚してからだ。でも、あれは実際には起こらなかったのかもとたまに思う。なぜならとても昔のことで、記憶が曖昧、信憑性に欠けるためだ。しかし確かに、でも誰にも、今初めて言葉にした。
二次元と三次元は違う。空想と現実は違う。
分かっているが引かれるのは父や兄だ。それが悲しい。
三次元で現実で、この女体で、男体を好きになりかけると先ず「温感がある」「陰茎がついている」と考える。と瞬間、思考が止まる。わたしは自分含め動物全般の性器をグロテスクだと思っている。とくに陰茎がこわい。あのグロテスクなものを意識しながら、生色の質感を持つ肉体を意識しながら、他人と交流を続けることはむつかしい。
少子化問題が訴えられる時世だ。いつか直視しないといけないのか、直視する状況に陥るのか或いは自分がさせるのかと想像すると、頬が強張る。
他方で二次元と空想の世界では、あの温感や陰茎とはほとんど無縁でいられる。……だからなのか? わたしがかれらを好きになるのは、こういう所以なのか?……そう思うとやはり、悲しいし、キャラクターたちには申し訳ない。
本当に好きなのに、これ、錯覚なのかと、思いつく自分が悲しい。
初めて形にしたR-18の夢小説が、公式設定で「アセクシュアル(愛に体の繋がりを求めない)」とされるキャラクターに強姦される話だった。
性行為にトラウマを持つ夢主が、相手に突然キスをされて泣く。嗚咽が要因となって過呼吸を起こす。そんな様子を気に入られて、手で犯される。『おまえは死んだよ』と全身に香油を塗られる。好きな歌すら殺される。
ここで一応断っておくと、"陵辱もの"という成人向け要素は単なるわたしの好みであって。決してあの体験が気持ちよかったとか、楽しかったとか、そういうことでは無い。
強姦は最悪だ。強姦は許されることではない。
作品にこの要素を含む場合は明記するべきとわたしは思う。個人の好みの見つけやすさ以前に、注意書きひとつで受けずに済む苦痛の回避を優先したいと思っている。
……まあこのサイトはわたし一人が趣味で運営しているものだから、処置もわたし一人の基準でしかなく、至らない点などなどなど多いと思う。己の心身と相談しながら考えたり調べたりして、己のできる範囲内で誠実であろうとはしている。ツイッター……のわたしは何かもう不誠実の塊すぎて自分でも( ´ᾥ` )。たぶん銀河じゅうから嫌われている。
R-18夢小説の話。
この夢主の背景や、相手がアセクシュアルなこと、作中に陰茎が一切登場しないこと、これらはわたしの「厭」の発露でしかなく、投稿後に気づいて頭を抱えた。ポイピク投稿分は翌日に消した。半年間読み返せなかった。藪蛇だったのだ。
当初は欲たぎるエロを書きたかったのだが、しかし現実のエロでわたしは欲たぎられたためしが無く(被害を自覚してからいちいち脳裏に現れる)(芋づる式に蘇る露出魔と遭遇した記憶)(蘇るんじゃねえ)その上、強姦→"快楽堕ち"という展開には強い忌避感があった。
結果出来がった末文は『そんな相手を夢主は好きにならない』。タイトルは『くちなしばらばら』。事実夢主は作中でひと言も発さない。地の文は終始相手視点で傾いてゆき、夢主の意思は尊重されない。
もはやわたしの回顧録でしかない。
しからば合意と避妊をした「きちんとした」セックスを!
であればきっと欲たぎる楽しいものになる、はず!
二作目を書いた。すごい勢いで。
こちらの夢主は性行為は初めて、相手は公式で『兄』と呼ばれている、他所の色事を嬉々として眺めにいく男体持ち。陰茎の描写も入れた。両者とも妊活に意欲的でない、というか、妊娠が発覚すると所属組織から縊り殺されるので全力で避妊してもらう。
わたしが義務教育中に受けた性教育は月経と精通と性感染症について以外頭から消え失せていて(教えられなかったのかも)、それで経口避妊薬の用法、避妊具の安全な着用と処理方法が分からなかったのでネットで調べた。緊急避妊薬については以前調べて知っていた。コンドームは、男同士でするときも性病感染の恐れがあるため着用した方が衛生上よいらしい。
……結果として、出来上がったものは公開から約二ヶ月後に非公開にした。書き終わり憂うつになり山を見にいった。元気になれたので夢絵を書く気にもなって書いて公開、鬱屈、これも夢小説と同日に非公開にし、今なお非公開である。見返せるようになったのはつい一週間前だ。公開に戻すには、まだ時間が要る。
小説タイトルは『よべのほとり』。絵の方は『ANATOMIE』、解体新書の低本からとったドイツ語で人体解剖の意だ。
『よべのほとり』は終始夢主視点で話が進み、楽しさが欲しかったので『気持ちが良い』『甘い』『くるしい』などの主観的な表現を多くした。そしてわたしはこれらをして『催眠に似ている』『催眠や催淫の類いに罹っているなら』と地の文で書いた。つまりここでの夢主の感覚は、……幻覚剤で起こされた作用でしかない、そうだろう、好 き な の に 錯 覚 だ よ 、というわたし自身の不安だ。
だってわたしは性器がこわい。あまり話したくないけれど自慰の際は必ずといっていい頻度でフラッシュバックする。その気持ち悪さはいつか小学校時代の水泳の授業、同性だけの空間で着替えをしていたときの違和感に似ている。……現在する体に対して不可視の心だけが5cmも10cmもはみ出している。今でさえ自分の胸を胸だと、股を股だと思うとそうなる。わたしはこの感覚が好きではない。
だから銭湯とか公共プールではとても気後れする。銭湯とか公共プールが娯楽施設なのは知っているし、実際楽しいと思えるときもある。わたしが楽しくなくても、それを楽しいと思う人が居ることは知っている。
『よべのほとり』『ANATOMIE』を公開に戻す考えは今のところ無い。
……合意と避妊をした「きちんとした」セックスのはずが、わたしには全く楽しくないどころか藪蛇、藪蛇、藪蛇だったからだ。それは相手が男体持ちかつ、兄役、人間の生には物欲・性欲・知識欲が不可欠と説く、他所の色事を嬉々として眺めたり、女体の好みを訊かれたら答えてあげたりしてしまう性格というのもある。
たぶん次を書くとしたら"時間停止もの"か"複数プレイ"じゃないか。無いかもな。気が向いたらまた書きます。
他方『くちなしばらばら』は公開に戻してある。
非合意の明らかに「きちんとしていない」セックスだが、現れた藪蛇は一匹で許容範囲、わたしは"陵辱もの"が好き。
相手は男体で、きょうだいの情報は無く、愛に体の繋がりを求めない。
行為の動機は恐ろしがる夢主をよく見たいからだ。彼には何より、今自分がしていることが犯罪だという自覚がある。謎なやさしさで過呼吸を起こす夢主を介抱し、夢主の好きな歌を覚えていて唄ったりなんかする、……もちろん内心では『殺せる』などと考えているわけだが。
『くちなしばらばら』はわたしの過去を回顧しながら、徹底的に乖離させ、「厭」を避けた作品だ。だから許容できたのだろう。
そういった観点で……もう名指しで言ってしまうが、Hazbin HotelのAlastorは、わたしが何の後ろめたさもなく「好き」と言える無二のキャラクターだ。
今生、好きになったキャラクターには誰に対してもこの考えなのだが、あのひとは私をきっと好きにはならないが、私はここで愛しているし、ここで私を愛してほしい。
そんな感じで考えている。
ここまで書くのに三日かかった。
書いておきたかったから書いた。
わらび餅の移動販売はとっくに居なくなっているし、考えたくないことを考えたり、話したくないことを話したり、それを情報の海に放つのはとてもこわい。
発言は残る。行為は残る。永遠に残るのだ。
だからできたなら誠実でありたいし、誰かや自分の今ある苦痛が一つでも減ればいいのにと思う。……ああ、あのベトナム人女性が無罪になってよかった。これも今初めて言葉にした。
わたしは自分の父と兄が嫌いなのだけれども、好きになるキャラクターは大抵、父くらいの歳頃だったり兄属性だったりする。
ナルトのうちはイタチ、青エクのメフィスト。兄であり兄役。たとえば古い記憶、恋愛を知らなかった頃に好きになったドラゴンボールのピッコロは、口から卵を産む、ある種の父だ。……こうして好きになったひとのことを考えていると、わたしはわたしの理想の父性、兄弟愛を無意識下で求めているのか……と気づかされるようで憂うつになる。
それは本能的な
わたしが自分の父と兄を嫌いになったのは、受けた加害を自覚してからだ。でも、あれは実際には起こらなかったのかもとたまに思う。なぜならとても昔のことで、記憶が曖昧、信憑性に欠けるためだ。しかし確かに、でも誰にも、今初めて言葉にした。
二次元と三次元は違う。空想と現実は違う。
分かっているが引かれるのは父や兄だ。それが悲しい。
三次元で現実で、この女体で、男体を好きになりかけると先ず「温感がある」「陰茎がついている」と考える。と瞬間、思考が止まる。わたしは自分含め動物全般の性器をグロテスクだと思っている。とくに陰茎がこわい。あのグロテスクなものを意識しながら、生色の質感を持つ肉体を意識しながら、他人と交流を続けることはむつかしい。
少子化問題が訴えられる時世だ。いつか直視しないといけないのか、直視する状況に陥るのか或いは自分がさせるのかと想像すると、頬が強張る。
他方で二次元と空想の世界では、あの温感や陰茎とはほとんど無縁でいられる。……だからなのか? わたしがかれらを好きになるのは、こういう所以なのか?……そう思うとやはり、悲しいし、キャラクターたちには申し訳ない。
本当に好きなのに、これ、錯覚なのかと、思いつく自分が悲しい。
初めて形にしたR-18の夢小説が、公式設定で「アセクシュアル(愛に体の繋がりを求めない)」とされるキャラクターに強姦される話だった。
性行為にトラウマを持つ夢主が、相手に突然キスをされて泣く。嗚咽が要因となって過呼吸を起こす。そんな様子を気に入られて、手で犯される。『おまえは死んだよ』と全身に香油を塗られる。好きな歌すら殺される。
ここで一応断っておくと、"陵辱もの"という成人向け要素は単なるわたしの好みであって。決してあの体験が気持ちよかったとか、楽しかったとか、そういうことでは無い。
強姦は最悪だ。強姦は許されることではない。
作品にこの要素を含む場合は明記するべきとわたしは思う。個人の好みの見つけやすさ以前に、注意書きひとつで受けずに済む苦痛の回避を優先したいと思っている。
……まあこのサイトはわたし一人が趣味で運営しているものだから、処置もわたし一人の基準でしかなく、至らない点などなどなど多いと思う。己の心身と相談しながら考えたり調べたりして、己のできる範囲内で誠実であろうとはしている。ツイッター……のわたしは何かもう不誠実の塊すぎて自分でも( ´ᾥ` )。たぶん銀河じゅうから嫌われている。
R-18夢小説の話。
この夢主の背景や、相手がアセクシュアルなこと、作中に陰茎が一切登場しないこと、これらはわたしの「厭」の発露でしかなく、投稿後に気づいて頭を抱えた。ポイピク投稿分は翌日に消した。半年間読み返せなかった。藪蛇だったのだ。
当初は欲たぎるエロを書きたかったのだが、しかし現実のエロでわたしは欲たぎられたためしが無く(被害を自覚してからいちいち脳裏に現れる)(芋づる式に蘇る露出魔と遭遇した記憶)(蘇るんじゃねえ)その上、強姦→"快楽堕ち"という展開には強い忌避感があった。
結果出来がった末文は『そんな相手を夢主は好きにならない』。タイトルは『くちなしばらばら』。事実夢主は作中でひと言も発さない。地の文は終始相手視点で傾いてゆき、夢主の意思は尊重されない。
もはやわたしの回顧録でしかない。
しからば合意と避妊をした「きちんとした」セックスを!
であればきっと欲たぎる楽しいものになる、はず!
二作目を書いた。すごい勢いで。
こちらの夢主は性行為は初めて、相手は公式で『兄』と呼ばれている、他所の色事を嬉々として眺めにいく男体持ち。陰茎の描写も入れた。両者とも妊活に意欲的でない、というか、妊娠が発覚すると所属組織から縊り殺されるので全力で避妊してもらう。
わたしが義務教育中に受けた性教育は月経と精通と性感染症について以外頭から消え失せていて(教えられなかったのかも)、それで経口避妊薬の用法、避妊具の安全な着用と処理方法が分からなかったのでネットで調べた。緊急避妊薬については以前調べて知っていた。コンドームは、男同士でするときも性病感染の恐れがあるため着用した方が衛生上よいらしい。
……結果として、出来上がったものは公開から約二ヶ月後に非公開にした。書き終わり憂うつになり山を見にいった。元気になれたので夢絵を書く気にもなって書いて公開、鬱屈、これも夢小説と同日に非公開にし、今なお非公開である。見返せるようになったのはつい一週間前だ。公開に戻すには、まだ時間が要る。
小説タイトルは『よべのほとり』。絵の方は『ANATOMIE』、解体新書の低本からとったドイツ語で人体解剖の意だ。
『よべのほとり』は終始夢主視点で話が進み、楽しさが欲しかったので『気持ちが良い』『甘い』『くるしい』などの主観的な表現を多くした。そしてわたしはこれらをして『催眠に似ている』『催眠や催淫の類いに罹っているなら』と地の文で書いた。つまりここでの夢主の感覚は、……幻覚剤で起こされた作用でしかない、そうだろう、
だってわたしは性器がこわい。あまり話したくないけれど自慰の際は必ずといっていい頻度でフラッシュバックする。その気持ち悪さはいつか小学校時代の水泳の授業、同性だけの空間で着替えをしていたときの違和感に似ている。……現在する体に対して不可視の心だけが5cmも10cmもはみ出している。今でさえ自分の胸を胸だと、股を股だと思うとそうなる。わたしはこの感覚が好きではない。
だから銭湯とか公共プールではとても気後れする。銭湯とか公共プールが娯楽施設なのは知っているし、実際楽しいと思えるときもある。わたしが楽しくなくても、それを楽しいと思う人が居ることは知っている。
『よべのほとり』『ANATOMIE』を公開に戻す考えは今のところ無い。
……合意と避妊をした「きちんとした」セックスのはずが、わたしには全く楽しくないどころか藪蛇、藪蛇、藪蛇だったからだ。それは相手が男体持ちかつ、兄役、人間の生には物欲・性欲・知識欲が不可欠と説く、他所の色事を嬉々として眺めたり、女体の好みを訊かれたら答えてあげたりしてしまう性格というのもある。
たぶん次を書くとしたら"時間停止もの"か"複数プレイ"じゃないか。無いかもな。気が向いたらまた書きます。
他方『くちなしばらばら』は公開に戻してある。
非合意の明らかに「きちんとしていない」セックスだが、現れた藪蛇は一匹で許容範囲、わたしは"陵辱もの"が好き。
相手は男体で、きょうだいの情報は無く、愛に体の繋がりを求めない。
行為の動機は恐ろしがる夢主をよく見たいからだ。彼には何より、今自分がしていることが犯罪だという自覚がある。謎なやさしさで過呼吸を起こす夢主を介抱し、夢主の好きな歌を覚えていて唄ったりなんかする、……もちろん内心では『殺せる』などと考えているわけだが。
『くちなしばらばら』はわたしの過去を回顧しながら、徹底的に乖離させ、「厭」を避けた作品だ。だから許容できたのだろう。
そういった観点で……もう名指しで言ってしまうが、Hazbin HotelのAlastorは、わたしが何の後ろめたさもなく「好き」と言える無二のキャラクターだ。
今生、好きになったキャラクターには誰に対してもこの考えなのだが、あのひとは私をきっと好きにはならないが、私はここで愛しているし、ここで私を愛してほしい。
そんな感じで考えている。
ここまで書くのに三日かかった。
書いておきたかったから書いた。
わらび餅の移動販売はとっくに居なくなっているし、考えたくないことを考えたり、話したくないことを話したり、それを情報の海に放つのはとてもこわい。
発言は残る。行為は残る。永遠に残るのだ。
だからできたなら誠実でありたいし、誰かや自分の今ある苦痛が一つでも減ればいいのにと思う。……ああ、あのベトナム人女性が無罪になってよかった。これも今初めて言葉にした。