ぼやぼや
心覚え
2023/08/07 15:31しんどい身辺雑記
◆性行為、強姦について言及します
タップで展開
タップで展開
起きてから寝るまでセックスのことばかり考えている。
正確に言う。
HazbinHotelのAlastorとのセックスのことばかり考えている。
今は彼寄りの夢小説、ふわふわひつじシリーズのR-18短編を書いていて、情事と事後はあらかた書き終わった。執筆開始当初は愛咬癖のあるAlastorが読みたかっただけなので正直、そこを描写しきった情事だけでも作品として公開できる。が、依然これが公開に至っていないのは、ふわふわひつじの夢主の背景がわたしと似通っている点にある。
性被害の話は今年4月の日記に書いた。
わたしが加害者の父/兄という属性に無意識的に引かれがちで、それを自覚してうつな気分になったこと。動物全般の性器、生身の肉体に嫌悪感と忌避感があること。
性的感情・恋愛感情の相対を望んでいないことは去年1月にカムアウトした。
身体性を自称で決定・表明するセルフID制や、……日本で(おそらく海外でも)性同一性障がいと同義で使われるトランスジェンダーの『ジェンダー』という語が『歴史的・文化的・社会的に形成される男女の差異』を指す言葉であることをして、重篤な後遺症が残りやすい性別適合手術を経たトランスセクシュアルとその手術をせずにこころの性で身体性を定義するトランスジェンダーとの違い。身体違和を抱える未成年者にこの性別適合手術を肉体的精神的に成熟していない未成年者の合意で受けさせたタビストックジェンダークリニックの閉鎖、訴訟……わたしが今疑念をもっているのは性自認主義だ。この主義はトランスと切り離せない。
これらについてもっともっともっと考える時間が欲しかったので当該文は削除したが、ここに改めて書いておく。
わたしはいわゆるヘテロ、アコイセクシュアルで、リスロマンティックだ。異性愛者で性的感情・恋愛感情の相対を望まない。
トランスふうに言えばFtXだ。Female To X。身体性は女だがこころは不一致、男女どちらでもない。異性愛者でFtX。矛盾している。
だがわたしは女だ。
どこまでも女性だ。
性加害と差別とで自分の体が嫌いになった女だ。
そこを見失ってはいけないと思っている。
ふわふわひつじシリーズの夢主に性行為に対してトラウマがあることは上述した今年4月の日記に書いた。それは短編『くちなしばらばら』でも地の文ではっきりと書いている。
夢絵では必要を感じなかったのであまり描写しなかったが、今年6月に公開した『Happy Pride Month!!』ではなるべくそれを書こうとした。性的少数者の自負と誇りを祝う6月……Alastorという極めて個人的なキャラクターに当てられた無性愛者のラベルも、わたしが夢主に当てているラベルも、凡ゆるひとが所有し表明している自負と誇りを、わたしはきちんと認識して接していきたいと思っている。けれど。
同時に、これらを不安になりながら書いている。
わたしは以前はトランスジェンダーに対して好意的だった(なにせ当事者だもんで)。しかし今は不安のほうが大きい。
……LGBとTでは抱える問題が違う。
同性愛者(Lレズビアン、Gゲイ)と両性愛者(Bバイセクシュアル)は自他の身体性を認識して考慮するが、トランス(Tトランスジェンダー。性別適合手術を経たトランスセクシュアルではない)は身体性をこころの性に任せて定義する。またトランスはこころの性を優位とした身体性の認識、この承認を自他共に要求するという複雑な事情がある。こころは視覚聴覚できず物質ではない。トランスの表明する身体性は自称の範疇を越えない。
LGBとTは身体性の定義において在り方が異なるため、それぞれ別の問題として分けて議論しないと"同性"婚の法律制定までの道程が難解になり混乱する。
そしてままLGBTという語の後ろにつけられるQの問題。Qはクエスチョニング=性的指向や身体性やこころの性を定めていない、考えているの意……なのだが、この一字の定義があまりに曖昧で広い。Qはクィア=性的嗜好も内包している。クィアは元は同性愛者への侮蔑語で、小児性愛や二次元愛もクィアの範疇にある。QクエスチョニングとTトランスは親和性が高いが、ここにQクィアが入ると途端に外連味を帯びる。
また公共報道のLGBT、LGBTQ、LGBTQIA+等の呼称のばらつきから性的少数者について報じるにあたり確としたマニュアルが存在していないことが疑われる点。先述した呼称の、一緒くたにすると混乱を招く属性がまとめられていること。これは今年6月に可決されたLGBT理解増進法案の報道でとくに目立った。
カミングアウトという言葉の誤用がしばしば取り沙汰されるが、当事者ですら理解に時間がかかる言葉の意味を、深く理解して使っているひとが今政府や公共報道の場にどれだけいるのだろう。曖昧な情報を曖昧なまま公共然として垂れ流しているのならそれは報道ではないのだし。
書きながら混乱してきた。
やはり考えなければならないことが山ほどあるので、困っているし混乱しているし、不安だ。
また、わたしにはこういうことを話せるひとが周囲に居ないため基本ひとりで悩むしかなく結果、思考が独善、傾倒していて、発信の際はそれを憂慮しなければならない。……まずわたしは会話が不得手だ。情報処理に時間がかかるし軽率に惑わされる。一本芯が無い。
顔がみえていてもいなくとも他者が発信・共有した物事にたやすく不安や怒りを煽られたり惑わされたりする上、Twitter等の多数の目に触れる場所で負の感情の犬笛にはなりたくない。話したい/話したくないで板挟みだ。しかし黙しているばかりでは事態は悪化する一方で。
ゔーん。いったん区切り。
夢主について。
彼女(敢えてこう書く)には自傷癖がある。
深爪をしたり肉体を痛めつけて鼻血をだしたり、……その血が夢主が住む家の魔法円に触れてAlastorは喚ばれたと勘違いして人間界に現れる。
また彼女の自傷痕は夢絵内で描画している。左右の前腕に塞がったためらい傷がある。ふわふわひつじ④の最後にある漫画では、Alastorはわざわざ浴槽から持ち上げてこの傷を確認している。これは⑤にある『Remember me. "Old Pal"』でAlastorが泣く一因でもある。
なお、夢主の死因は事故死であり、自殺ではない。
Alastorは彼が背負わずともよい罪悪感を抱いている。他者の苦しみを冷笑した己への嫌悪感、謝罪したい被害者がもう居ないやるせなさ。
わたしは……謝罪という行為のその実行と補償を重要視していて、他方、別としてそれを謝罪する側の自己満足と考えているので、夢主の蒸発にAlastorは一切関与していない非が無いことをここに付しておく(Alastorさんが懊悩する部分はまったくわたしの悪趣味で)(この辺の裏設定は撫ぜるていどに『ふわふわの蛇足』に書いてあります)
つまり夢主は自分の肉体が好きではない。
それはわたしがFtXを自負している理由の核心だ。
夢主は自分の肉体を好きではない故に顧みず、また好きではない自分を自覚して、無意識的にストレスの捌け口として自分を使っている。彼女は自己嫌悪と自殺念慮に悩んでいるし、それら心傷の発端であるトラウマにも悩まされている。自分自身を顧みないために痛みに鈍感で、他者の痛みに気づくのが遅い。
Alastorに『きみも笑って』と頬笑まれた夢主が『何故』と訊くのは彼女が笑える精神状態にないからだ。夢主は無理に笑わない。笑顔は自然にこぼれるものだと考えているし、……Alastorが夢主の笑顔をみるのは、彼が彼女を慮って涙を拭おうとしたときが最初だ。
夢主はやさしさを汲んでやさしさで返す人間性をしている。
ただ、しばしば無意図に他者を傷つけ、そのことに当時その場では気づくことができない。
こういう内容の話をR-18短編の事後の深掘りで書いている。
ふわふわひつじの夢主はわたしと似た部分を多くした夢主なため、この短編の執筆は身を切るようで気力が要る。
わたしはAlastorが無性愛者であることもきちんと認識して接したい。わたしの描く彼がどれだけAlastorからかけ離れていようが、わたしはわたしの思うAlastorが好きだし、取りこぼしたくない。
わがまま、独善だ。
相手を傷つけたくないからこそ不自然で緊張した対応をしてしまう。それが却って相手を傷つける。現実を直視するのには気力が要る。直視し続けることにはもっと気力が要る。拒絶することは簡単だ。加害を認めず直視しない選択はあまりにも簡単に手に取ることができる。
わたしは分別が出来ていない。彼や彼女をただの消費物として、交接して性的絶頂感を得るだけの嗜好品を作れたら、こんなふうに悩んで書かずに済む。でも悩むし悩んでいる。だってこの夢作品はわたしがわたしのために書いているのだから。
あほかと自分で思う。
それでも空想空間でAlastorと幸福なキスやセックスがしたいのでわたしは自分にむかついている。
この……いや、物事全般に言えることだと思うが。
いち創作者として作品を世に出す以上、作品内容が書き手の観念や欲望の影響を受けて反映されていること、それを読み手が見聞きして多少なりとも感想を持つことに、作者は自覚的でありかつ意識的であったほうがいい。
そんな心覚えをしたかった。
で、今日この日記を書いた。
途方に暮れている。
正確に言う。
HazbinHotelのAlastorとのセックスのことばかり考えている。
今は彼寄りの夢小説、ふわふわひつじシリーズのR-18短編を書いていて、情事と事後はあらかた書き終わった。執筆開始当初は愛咬癖のあるAlastorが読みたかっただけなので正直、そこを描写しきった情事だけでも作品として公開できる。が、依然これが公開に至っていないのは、ふわふわひつじの夢主の背景がわたしと似通っている点にある。
性被害の話は今年4月の日記に書いた。
わたしが加害者の父/兄という属性に無意識的に引かれがちで、それを自覚してうつな気分になったこと。動物全般の性器、生身の肉体に嫌悪感と忌避感があること。
性的感情・恋愛感情の相対を望んでいないことは去年1月にカムアウトした。
身体性を自称で決定・表明するセルフID制や、……日本で(おそらく海外でも)性同一性障がいと同義で使われるトランスジェンダーの『ジェンダー』という語が『歴史的・文化的・社会的に形成される男女の差異』を指す言葉であることをして、重篤な後遺症が残りやすい性別適合手術を経たトランスセクシュアルとその手術をせずにこころの性で身体性を定義するトランスジェンダーとの違い。身体違和を抱える未成年者にこの性別適合手術を肉体的精神的に成熟していない未成年者の合意で受けさせたタビストックジェンダークリニックの閉鎖、訴訟……わたしが今疑念をもっているのは性自認主義だ。この主義はトランスと切り離せない。
これらについてもっともっともっと考える時間が欲しかったので当該文は削除したが、ここに改めて書いておく。
わたしはいわゆるヘテロ、アコイセクシュアルで、リスロマンティックだ。異性愛者で性的感情・恋愛感情の相対を望まない。
トランスふうに言えばFtXだ。Female To X。身体性は女だがこころは不一致、男女どちらでもない。異性愛者でFtX。矛盾している。
だがわたしは女だ。
どこまでも女性だ。
性加害と差別とで自分の体が嫌いになった女だ。
そこを見失ってはいけないと思っている。
ふわふわひつじシリーズの夢主に性行為に対してトラウマがあることは上述した今年4月の日記に書いた。それは短編『くちなしばらばら』でも地の文ではっきりと書いている。
夢絵では必要を感じなかったのであまり描写しなかったが、今年6月に公開した『Happy Pride Month!!』ではなるべくそれを書こうとした。性的少数者の自負と誇りを祝う6月……Alastorという極めて個人的なキャラクターに当てられた無性愛者のラベルも、わたしが夢主に当てているラベルも、凡ゆるひとが所有し表明している自負と誇りを、わたしはきちんと認識して接していきたいと思っている。けれど。
同時に、これらを不安になりながら書いている。
わたしは以前はトランスジェンダーに対して好意的だった(なにせ当事者だもんで)。しかし今は不安のほうが大きい。
……LGBとTでは抱える問題が違う。
同性愛者(Lレズビアン、Gゲイ)と両性愛者(Bバイセクシュアル)は自他の身体性を認識して考慮するが、トランス(Tトランスジェンダー。性別適合手術を経たトランスセクシュアルではない)は身体性をこころの性に任せて定義する。またトランスはこころの性を優位とした身体性の認識、この承認を自他共に要求するという複雑な事情がある。こころは視覚聴覚できず物質ではない。トランスの表明する身体性は自称の範疇を越えない。
LGBとTは身体性の定義において在り方が異なるため、それぞれ別の問題として分けて議論しないと"同性"婚の法律制定までの道程が難解になり混乱する。
そしてままLGBTという語の後ろにつけられるQの問題。Qはクエスチョニング=性的指向や身体性やこころの性を定めていない、考えているの意……なのだが、この一字の定義があまりに曖昧で広い。Qはクィア=性的嗜好も内包している。クィアは元は同性愛者への侮蔑語で、小児性愛や二次元愛もクィアの範疇にある。QクエスチョニングとTトランスは親和性が高いが、ここにQクィアが入ると途端に外連味を帯びる。
また公共報道のLGBT、LGBTQ、LGBTQIA+等の呼称のばらつきから性的少数者について報じるにあたり確としたマニュアルが存在していないことが疑われる点。先述した呼称の、一緒くたにすると混乱を招く属性がまとめられていること。これは今年6月に可決されたLGBT理解増進法案の報道でとくに目立った。
カミングアウトという言葉の誤用がしばしば取り沙汰されるが、当事者ですら理解に時間がかかる言葉の意味を、深く理解して使っているひとが今政府や公共報道の場にどれだけいるのだろう。曖昧な情報を曖昧なまま公共然として垂れ流しているのならそれは報道ではないのだし。
書きながら混乱してきた。
やはり考えなければならないことが山ほどあるので、困っているし混乱しているし、不安だ。
また、わたしにはこういうことを話せるひとが周囲に居ないため基本ひとりで悩むしかなく結果、思考が独善、傾倒していて、発信の際はそれを憂慮しなければならない。……まずわたしは会話が不得手だ。情報処理に時間がかかるし軽率に惑わされる。一本芯が無い。
顔がみえていてもいなくとも他者が発信・共有した物事にたやすく不安や怒りを煽られたり惑わされたりする上、Twitter等の多数の目に触れる場所で負の感情の犬笛にはなりたくない。話したい/話したくないで板挟みだ。しかし黙しているばかりでは事態は悪化する一方で。
ゔーん。いったん区切り。
夢主について。
彼女(敢えてこう書く)には自傷癖がある。
深爪をしたり肉体を痛めつけて鼻血をだしたり、……その血が夢主が住む家の魔法円に触れてAlastorは喚ばれたと勘違いして人間界に現れる。
また彼女の自傷痕は夢絵内で描画している。左右の前腕に塞がったためらい傷がある。ふわふわひつじ④の最後にある漫画では、Alastorはわざわざ浴槽から持ち上げてこの傷を確認している。これは⑤にある『Remember me. "Old Pal"』でAlastorが泣く一因でもある。
なお、夢主の死因は事故死であり、自殺ではない。
Alastorは彼が背負わずともよい罪悪感を抱いている。他者の苦しみを冷笑した己への嫌悪感、謝罪したい被害者がもう居ないやるせなさ。
わたしは……謝罪という行為のその実行と補償を重要視していて、他方、別としてそれを謝罪する側の自己満足と考えているので、夢主の蒸発にAlastorは一切関与していない非が無いことをここに付しておく(Alastorさんが懊悩する部分はまったくわたしの悪趣味で)(この辺の裏設定は撫ぜるていどに『ふわふわの蛇足』に書いてあります)
つまり夢主は自分の肉体が好きではない。
それはわたしがFtXを自負している理由の核心だ。
夢主は自分の肉体を好きではない故に顧みず、また好きではない自分を自覚して、無意識的にストレスの捌け口として自分を使っている。彼女は自己嫌悪と自殺念慮に悩んでいるし、それら心傷の発端であるトラウマにも悩まされている。自分自身を顧みないために痛みに鈍感で、他者の痛みに気づくのが遅い。
Alastorに『きみも笑って』と頬笑まれた夢主が『何故』と訊くのは彼女が笑える精神状態にないからだ。夢主は無理に笑わない。笑顔は自然にこぼれるものだと考えているし、……Alastorが夢主の笑顔をみるのは、彼が彼女を慮って涙を拭おうとしたときが最初だ。
夢主はやさしさを汲んでやさしさで返す人間性をしている。
ただ、しばしば無意図に他者を傷つけ、そのことに当時その場では気づくことができない。
こういう内容の話をR-18短編の事後の深掘りで書いている。
ふわふわひつじの夢主はわたしと似た部分を多くした夢主なため、この短編の執筆は身を切るようで気力が要る。
わたしはAlastorが無性愛者であることもきちんと認識して接したい。わたしの描く彼がどれだけAlastorからかけ離れていようが、わたしはわたしの思うAlastorが好きだし、取りこぼしたくない。
わがまま、独善だ。
相手を傷つけたくないからこそ不自然で緊張した対応をしてしまう。それが却って相手を傷つける。現実を直視するのには気力が要る。直視し続けることにはもっと気力が要る。拒絶することは簡単だ。加害を認めず直視しない選択はあまりにも簡単に手に取ることができる。
わたしは分別が出来ていない。彼や彼女をただの消費物として、交接して性的絶頂感を得るだけの嗜好品を作れたら、こんなふうに悩んで書かずに済む。でも悩むし悩んでいる。だってこの夢作品はわたしがわたしのために書いているのだから。
あほかと自分で思う。
それでも空想空間でAlastorと幸福なキスやセックスがしたいのでわたしは自分にむかついている。
この……いや、物事全般に言えることだと思うが。
いち創作者として作品を世に出す以上、作品内容が書き手の観念や欲望の影響を受けて反映されていること、それを読み手が見聞きして多少なりとも感想を持つことに、作者は自覚的でありかつ意識的であったほうがいい。
そんな心覚えをしたかった。
で、今日この日記を書いた。
途方に暮れている。