短編
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癖なのだろうな、と思った。
遠目にも分かる笑顔には温度がない。会話のなかで不意に首を触る仕草も、ペンをくるくると回す仕草も、紙束の側面を指で撫でる仕草にも──旧多二福一等捜査官には温度がなかった。彼の挙動は徹底的に「癖」で厚く上塗りされていて、まるでプラスチックの標本がひとの真似をしているかのように、いつも温度がなかった。温度がない、と言っても冷たいわけではない。ぬるま湯くらいの温度を保っている感じだった。
今朝、旧多一等は赤いツヤツヤした包装の小包みをキジマ式准特等から手渡されていた。赤は祝いの色だ。哀悼の色を着込む喰種捜査官とは対になる、祝賀の色。ただ、キジマ准特等は喰種相手の拷問に苛烈を極めることで有名だ。キジマ準特等イコール赤と言えば、祝賀より血肉の色を彷彿とさせる。 同じことを考えていたのか、隣の受付嬢が「うぇ」と小声で呻いた。不謹慎な私たちとは別に、旧多一等はニコニコしている。小包みを持っていない手で後頭部を撫でている。それは彼の「照れています」という意志表示だった。
今日は何かお祝いがあるのかしら、と思う。
旧多一等は懐に小包みを仕舞おうとして、そうすると胸の前がかさばることに気付いて目を瞬いた。喰種捜査官は喰種と戦う都合上、戦闘で動きが制限されるような凡ゆる要素を嫌う。キジマ准特等からの小包みは、持ち歩くには少し質量が多いように見えた。
旧多一等が首を回して周囲を見渡す。自分が安心して任せていられる場所に小包みを置いていきたいらしかったが、ここはキジマ班のオフィスではないので、当然ながら旧多一等の事務机はない。彼はしばらく考え込んで、ややあって受け付けに駆けてきた。
「や、ごめんなさいね」
チラと奥のキジマ班に視線をやってから、旧多一等が私を見る。やはり喰種捜査官というか、キジマ准特等と話していた場所から受け付けは距離があったように思っていたのだけど、旧多一等の呼吸は全く乱れていなかった。
「これを僕が帰ってくるまで預かっていて欲しいんだけど……」
「かしこまりました」
「……」
差し出された赤い小包みを受け取り、カウンター下にある荷物入れのカゴに入れる。カウンターの上に常備してあるメモ帳を一枚取り、胸ポケットに挿していたボールペンと一緒に差し出した。
「こちらにお名前をお願いします」
「はい、はい」
ボールペンを持ち直す際に、くるんと回す。
旧多、二福。フルタ、ニムラ……。あまり見かけない名字と名前に、ご丁寧にもフリガナを付けて書き置く。メモ用紙とボールペンをこちらに返す際、紙の向きと持ち手がこちら側になるよう差し出してくる。奥ゆかしさのなかに、ほんの一滴の浅ましさを控えている感じがする。
「夜の十一時までには戻ると思います。ええっと、その……」
「はい。他の受け付け員にも伝えておきます」
「……」
「お気を付けて」
「……」
眉をひそめて微笑む旧多一等に、両手を前で揃えて腰を曲げる。お辞儀の体勢をキッカリ五秒。受け付けを利用し終わったCCG職員が立ち去るのは、いつだってこの秒数内だった。
顔を上げると、キジマ班と合流した旧多一等が遠くに見えた。小さくなって離れていく旧多一等の後ろ姿は、やがて恰幅のいい他のキジマ班構成員たちの背に隠れて見えなくなる。誰もが本局を後にするキジマ班に視線を向けているなか、私はフッと肩の力を抜いた。
数多の凶悪喰種を亡き者にしてきた歴戦の猛者たち。そんな猛者たちを率いる、苛烈を極める拷問師で定評のあるキジマ式准特等。彼らの周囲には絶えず鉄錆の臭いが漂っている。とろりとした、味気ないのに濃密な──必要以上に温かな祝賀の色が。けれどもそんなキジマ班に、たった一人、温度を持たない男がいるのを私は知っている。
『──僕ねぇ、小学一年生になるんですよ』
昨晩、帰りしなの私を引き留めた彼はニコニコしていた。彼は確か今年で二十八になるはずだが。いち受付嬢に一体どんな反応を期待しているのやら。話の切り出しがあまりに風変わりで、私はただ曖昧に微笑むしかなかった。
『あ、その顔。何言ってるか分からないんでしょ』
うろうろと隣に付いて歩き、私の鞄を持つ手を握ろうとしてくる。呂律が回っていない。ふわふわと甘い酒気が漂ってきて、ああ酔っているのだな、と思う。
『こら逃げない。こらっ。あー君はいつもそう。そうやって僕をいじめる。僕が泣いちゃっても良いんですかぁ?』
うざがりつつも、鞄の持ち手を変えてやれば入念に指をひとつひとつ絡ませて握ってきた。一体私を誰と勘違いしているのやら。一方的に肩を寄せ『そうして従順にしてれば良いんですよ!』とむずかる、その表情さえも誰かの真似をしているようで見ているこちらが切なくなる。
『僕ねぇ、明日で七歳になるんですよ』
めいっぱい重心を乗せてくる彼にジロリと視線をやると、目が合った彼はあの笑顔をした。
『褒めてくれてもいいんですよ──』
二月の最終日前、閏年の真夜中だった。
短編・よくできました《了》
遠目にも分かる笑顔には温度がない。会話のなかで不意に首を触る仕草も、ペンをくるくると回す仕草も、紙束の側面を指で撫でる仕草にも──旧多二福一等捜査官には温度がなかった。彼の挙動は徹底的に「癖」で厚く上塗りされていて、まるでプラスチックの標本がひとの真似をしているかのように、いつも温度がなかった。温度がない、と言っても冷たいわけではない。ぬるま湯くらいの温度を保っている感じだった。
今朝、旧多一等は赤いツヤツヤした包装の小包みをキジマ式准特等から手渡されていた。赤は祝いの色だ。哀悼の色を着込む喰種捜査官とは対になる、祝賀の色。ただ、キジマ准特等は喰種相手の拷問に苛烈を極めることで有名だ。キジマ準特等イコール赤と言えば、祝賀より血肉の色を彷彿とさせる。 同じことを考えていたのか、隣の受付嬢が「うぇ」と小声で呻いた。不謹慎な私たちとは別に、旧多一等はニコニコしている。小包みを持っていない手で後頭部を撫でている。それは彼の「照れています」という意志表示だった。
今日は何かお祝いがあるのかしら、と思う。
旧多一等は懐に小包みを仕舞おうとして、そうすると胸の前がかさばることに気付いて目を瞬いた。喰種捜査官は喰種と戦う都合上、戦闘で動きが制限されるような凡ゆる要素を嫌う。キジマ准特等からの小包みは、持ち歩くには少し質量が多いように見えた。
旧多一等が首を回して周囲を見渡す。自分が安心して任せていられる場所に小包みを置いていきたいらしかったが、ここはキジマ班のオフィスではないので、当然ながら旧多一等の事務机はない。彼はしばらく考え込んで、ややあって受け付けに駆けてきた。
「や、ごめんなさいね」
チラと奥のキジマ班に視線をやってから、旧多一等が私を見る。やはり喰種捜査官というか、キジマ准特等と話していた場所から受け付けは距離があったように思っていたのだけど、旧多一等の呼吸は全く乱れていなかった。
「これを僕が帰ってくるまで預かっていて欲しいんだけど……」
「かしこまりました」
「……」
差し出された赤い小包みを受け取り、カウンター下にある荷物入れのカゴに入れる。カウンターの上に常備してあるメモ帳を一枚取り、胸ポケットに挿していたボールペンと一緒に差し出した。
「こちらにお名前をお願いします」
「はい、はい」
ボールペンを持ち直す際に、くるんと回す。
旧多、二福。フルタ、ニムラ……。あまり見かけない名字と名前に、ご丁寧にもフリガナを付けて書き置く。メモ用紙とボールペンをこちらに返す際、紙の向きと持ち手がこちら側になるよう差し出してくる。奥ゆかしさのなかに、ほんの一滴の浅ましさを控えている感じがする。
「夜の十一時までには戻ると思います。ええっと、その……」
「はい。他の受け付け員にも伝えておきます」
「……」
「お気を付けて」
「……」
眉をひそめて微笑む旧多一等に、両手を前で揃えて腰を曲げる。お辞儀の体勢をキッカリ五秒。受け付けを利用し終わったCCG職員が立ち去るのは、いつだってこの秒数内だった。
顔を上げると、キジマ班と合流した旧多一等が遠くに見えた。小さくなって離れていく旧多一等の後ろ姿は、やがて恰幅のいい他のキジマ班構成員たちの背に隠れて見えなくなる。誰もが本局を後にするキジマ班に視線を向けているなか、私はフッと肩の力を抜いた。
数多の凶悪喰種を亡き者にしてきた歴戦の猛者たち。そんな猛者たちを率いる、苛烈を極める拷問師で定評のあるキジマ式准特等。彼らの周囲には絶えず鉄錆の臭いが漂っている。とろりとした、味気ないのに濃密な──必要以上に温かな祝賀の色が。けれどもそんなキジマ班に、たった一人、温度を持たない男がいるのを私は知っている。
『──僕ねぇ、小学一年生になるんですよ』
昨晩、帰りしなの私を引き留めた彼はニコニコしていた。彼は確か今年で二十八になるはずだが。いち受付嬢に一体どんな反応を期待しているのやら。話の切り出しがあまりに風変わりで、私はただ曖昧に微笑むしかなかった。
『あ、その顔。何言ってるか分からないんでしょ』
うろうろと隣に付いて歩き、私の鞄を持つ手を握ろうとしてくる。呂律が回っていない。ふわふわと甘い酒気が漂ってきて、ああ酔っているのだな、と思う。
『こら逃げない。こらっ。あー君はいつもそう。そうやって僕をいじめる。僕が泣いちゃっても良いんですかぁ?』
うざがりつつも、鞄の持ち手を変えてやれば入念に指をひとつひとつ絡ませて握ってきた。一体私を誰と勘違いしているのやら。一方的に肩を寄せ『そうして従順にしてれば良いんですよ!』とむずかる、その表情さえも誰かの真似をしているようで見ているこちらが切なくなる。
『僕ねぇ、明日で七歳になるんですよ』
めいっぱい重心を乗せてくる彼にジロリと視線をやると、目が合った彼はあの笑顔をした。
『褒めてくれてもいいんですよ──』
二月の最終日前、閏年の真夜中だった。
短編・よくできました《了》
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