Phosphorescence
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耳元でけたたましく鳴り出したアラームに、ぱちりと目が覚めた。
視界一面の見慣れぬ天井に一瞬身体が硬直するも、すぐさま昨日の出来事を思い出して脱力する。
あの、メフィスト・フェレスに撫でられた頭が妙に軽かった。
悪夢のような出来事を体験したばかりだというのに、すがすがしいまでに、まるで憑物が落ちたように、心が凪いでいる。
「ふ」
自分で考えたことに図らずも笑ってしまった。
いやはや可笑しな話だ。
憑物に弄られて、憑物が落ちたなどと。
・
時刻は午前六時前。
ふかふかのベッドで寝返りを打ち、勝手にセットされていた携帯の目覚ましを解除する。解除ついでに連絡があったかを確認すると、メールが一通だけ届いていた。
メールは昨日の幼馴染からだった。案の定、学校と塾両方をサボった私への怒りが短い行数で綴られている。
私は渋い顔になった。句読点がしっかりと打たれた色の無い文面に、このメールを打っている彼の姿を想像して苦虫を噛んだ。
女子に目がなく、いつも笑顔と煩悩を振りまいている彼は、時たま私への当たりがきつい。というか、私に関する怒りの沸点が異様に低かった。だからか彼は、大概、私が事に気がつく頃には大威徳明王と同化している。きっとこのメールも、大威徳明王化しながら書いたに違いない。
「あな恐ろしや……」
私は枕に向かって息を吐いた。
叱られるのは慣れているが、好きというわけではない。
だから、息を吐ききってすぐにベッドから離れた。
・
廊下の窓から朝日が入り込み、早朝の女子寮は蒼みがかっていた。
生徒の大半は明日の始業に備えているか、単に起き出していないようで、穏やかな春の寒さと呼応するように学園全体がしんとしている。
ブレザー下に着込んだカーディガンがちくちくするので、私は身をよじりながら歩く。
──本来なら四人で使う寮室が私だけなのも、部屋が高層の角部屋なのも、寮に居住する生徒を均等にさばききれなかった所為だろうか。あるいは、昨夜のメフィストが取り計らったか。どちらにせよ他の生徒より長く歩くことになるので、これから朝は早く出た方が良いかもしれない。
そんなことをとりとめもなく考えて、次の瞬間には忘れて、のんびりと階段を降りていく。
寮を出たところで、ピンク頭が項垂れていた。
ひとりだ。いつもなら坊と子猫さん──勝呂竜士と三輪子猫丸──の三人セットで現れるのに、彼はぽつねんと女子寮前の下り階段に腰かけていた。
彼がひとりでいること、それが私にとって稀に見る光景であったので、不思議に思ったのだが、やがて「メールをくれたのは彼だけだったな」と納得した。
「おはよー」
声をかけると勢いよく振り向かれる。
優しげな印象を与える垂れ目が、僅かにきゅっと吊り上がっている。
怒っているのだろうか。怒っているのだろう。
彼は何事か申したそうに唇をむにむに動かして、ややあって「おはよさんどす」と言って立ち上がった。
私たちは揃って歩き出した。
「昨日何してはったん」
「んー。電話、貰ったんで塾行きましたよ。せやけど誰も居りはらんかったんで、寮に。それから寮室の鍵貰て、んっふっふ……」
私は合掌した手を右頬に当て、ベッドで安らかに眠るポーズを取った。
昨夜の出来事を誰かに話すのは、少し、気が引けた。
「アホちゃう」
彼は鼻息混じりに笑い、制服のズボンから取り出した鍵を、寮から五十歩ほど歩いた先にあった道具倉庫の扉に使った。
彼の手で開かれた扉の先は、昨日見た祓魔塾らしき場所に繋がっている。
「坊と子猫さんはもう行ってはるから」
ぶっきらぼうに呟く彼に、私は「ほほー」と微笑んだ。「てことは廉造くんだけ待っててくれたいうこと。優しいねえ」
「優しいついでに一緒に謝ってくれへん?」
「いやどんな“ついで”なん? それ?」
「ははは」
笑いながら肘で小突くと、
「ハハハとちゃうで」
勢いよく頭を叩かれた。
痛くは、ない。
「反省しなさい」
外と内を隔てる、たった五センチ足らずの境界線を踏み越えて彼が言った。
揺れない頭を撫でながら私はふっと目を伏せる。
私が立っているアスファルトの、マフィンのような小さな割れ目に爪草が生えていた。彼が立つ向こう側はタイル張りで、こちらと同じ人工の地面だというのに、ひたすら生物の気配がない。
あちらだけが夜にあるみたいだった。
◆
「ナマエさん」
ここ数日よく声をかけられる。
幼馴染と教室に入ろうとする私を引き留めたのは、正十字騎士團の黒コートを着たメガネの青年だった。コートの腰周りには銃弾のストックや、薬品が入った小ぶりの瓶などが大量にぶら下がっている。
「対・悪魔薬学講師の奥村雪男です。はじめまして」
「はじめまして。これからヨロシウお願いします」
聞き覚えのある声だと思ったら、昨日祓魔塾で聞いた二つの内の一つだった。
私はいかにも「はじめましてです」を装って目をぱちくりと瞬かせた。ちらりと真横を窺うと、そこにいたはずの幼馴染が消えている。どうやら先に入ったようだ。
「ナマエさんは昨日、欠席していましたよね」
「はい」
「初日は塾生全員が悪魔を視えるようにする魔障の儀式を行いました。ナマエさんは魔障にかかったことはありますか?」
「はい」と答える。
両手でメガネを作って「悪魔もばっちり見えます」と笑う。
黒コートの青年──奥村先生──は、そんな私に眉をひそめた。口元は笑みを湛えたまま、視線だけで私を窘める。
「そうですか」
奥村先生はレンズ奥の目を細めた。
「なら、魔障の儀式は必要ありませんね」
「ですです。初日はすみませんでした。勝手に休んじゃって」
「はい。昨日は連絡をする相手が居なかったのもあるでしょうが、今後授業を欠席するときは僕に知らせて下さい」
「奥村センセに」
「一年の担当なんです。いい機会ですし、連絡先を教えます」
奥村先生はコートからガラパゴス携帯を取り出し、液晶に電話番号やアドレスを表示させてから差し出してきた。
私はそれを右手で受け取り、左手で持ち寄っていた学生鞄から自分自身の携帯を取り出す。片手で難なく連絡先を入力する私の手元を、奥村先生が物珍しそうに覗き込んだ。
「打ち込み早いですね」
「慣れてますから」
たった二言の内に携帯を返す。
私の携帯の液晶が、連絡先登録画面から、連絡先一覧の画面に変わり、ホーム画面へ戻る途中で、先生が「これは」と呟いた。
咄嗟に連絡先一覧の画面を出す。先生は携帯に映し出された大量の連絡先を、乾いた人差し指でなぞった。
「これは 全部イニシャルですか」
「はい」
「僕のは奥村雪男で登録してますよね」
「はい。身内は全員イニシャルです」
「志摩廉造。勝呂竜士……は、そのまま? でも、貴方は彼の」
先生の指を挟まないように、左手を下に降ろしてから私は自分のガラパゴス携帯を閉じた。
「身内じゃないですよ」
顔を向けると、僅かに姿勢を正される。
気苦労が多そうだな、と薄ら思う。
「明陀宗は知っていますか?」
私の問いかけに、奥村先生は一拍ほど固まったが「はい」と答えた。
「十年前、騎士團に吸収された仏教系の宗派ですよね」
「どんぴしゃです」
私は笑った。
「それに属していないって意味です。長く、連綿と続く血の教えも……強制ではありませんからねえ」
そこまで言って、携帯を仕舞う。
『では、名字ナマエの言う身内とは?』
奥村先生がそんな疑問を抱くより先ず、私はぱちんと手を打ち鳴らした。
「そうだ、授業の準備しないとですね!」
5・秘密は夜の味がする
視界一面の見慣れぬ天井に一瞬身体が硬直するも、すぐさま昨日の出来事を思い出して脱力する。
あの、メフィスト・フェレスに撫でられた頭が妙に軽かった。
悪夢のような出来事を体験したばかりだというのに、すがすがしいまでに、まるで憑物が落ちたように、心が凪いでいる。
「ふ」
自分で考えたことに図らずも笑ってしまった。
いやはや可笑しな話だ。
憑物に弄られて、憑物が落ちたなどと。
・
時刻は午前六時前。
ふかふかのベッドで寝返りを打ち、勝手にセットされていた携帯の目覚ましを解除する。解除ついでに連絡があったかを確認すると、メールが一通だけ届いていた。
メールは昨日の幼馴染からだった。案の定、学校と塾両方をサボった私への怒りが短い行数で綴られている。
私は渋い顔になった。句読点がしっかりと打たれた色の無い文面に、このメールを打っている彼の姿を想像して苦虫を噛んだ。
女子に目がなく、いつも笑顔と煩悩を振りまいている彼は、時たま私への当たりがきつい。というか、私に関する怒りの沸点が異様に低かった。だからか彼は、大概、私が事に気がつく頃には大威徳明王と同化している。きっとこのメールも、大威徳明王化しながら書いたに違いない。
「あな恐ろしや……」
私は枕に向かって息を吐いた。
叱られるのは慣れているが、好きというわけではない。
だから、息を吐ききってすぐにベッドから離れた。
・
廊下の窓から朝日が入り込み、早朝の女子寮は蒼みがかっていた。
生徒の大半は明日の始業に備えているか、単に起き出していないようで、穏やかな春の寒さと呼応するように学園全体がしんとしている。
ブレザー下に着込んだカーディガンがちくちくするので、私は身をよじりながら歩く。
──本来なら四人で使う寮室が私だけなのも、部屋が高層の角部屋なのも、寮に居住する生徒を均等にさばききれなかった所為だろうか。あるいは、昨夜のメフィストが取り計らったか。どちらにせよ他の生徒より長く歩くことになるので、これから朝は早く出た方が良いかもしれない。
そんなことをとりとめもなく考えて、次の瞬間には忘れて、のんびりと階段を降りていく。
寮を出たところで、ピンク頭が項垂れていた。
ひとりだ。いつもなら坊と子猫さん──勝呂竜士と三輪子猫丸──の三人セットで現れるのに、彼はぽつねんと女子寮前の下り階段に腰かけていた。
彼がひとりでいること、それが私にとって稀に見る光景であったので、不思議に思ったのだが、やがて「メールをくれたのは彼だけだったな」と納得した。
「おはよー」
声をかけると勢いよく振り向かれる。
優しげな印象を与える垂れ目が、僅かにきゅっと吊り上がっている。
怒っているのだろうか。怒っているのだろう。
彼は何事か申したそうに唇をむにむに動かして、ややあって「おはよさんどす」と言って立ち上がった。
私たちは揃って歩き出した。
「昨日何してはったん」
「んー。電話、貰ったんで塾行きましたよ。せやけど誰も居りはらんかったんで、寮に。それから寮室の鍵貰て、んっふっふ……」
私は合掌した手を右頬に当て、ベッドで安らかに眠るポーズを取った。
昨夜の出来事を誰かに話すのは、少し、気が引けた。
「アホちゃう」
彼は鼻息混じりに笑い、制服のズボンから取り出した鍵を、寮から五十歩ほど歩いた先にあった道具倉庫の扉に使った。
彼の手で開かれた扉の先は、昨日見た祓魔塾らしき場所に繋がっている。
「坊と子猫さんはもう行ってはるから」
ぶっきらぼうに呟く彼に、私は「ほほー」と微笑んだ。「てことは廉造くんだけ待っててくれたいうこと。優しいねえ」
「優しいついでに一緒に謝ってくれへん?」
「いやどんな“ついで”なん? それ?」
「ははは」
笑いながら肘で小突くと、
「ハハハとちゃうで」
勢いよく頭を叩かれた。
痛くは、ない。
「反省しなさい」
外と内を隔てる、たった五センチ足らずの境界線を踏み越えて彼が言った。
揺れない頭を撫でながら私はふっと目を伏せる。
私が立っているアスファルトの、マフィンのような小さな割れ目に爪草が生えていた。彼が立つ向こう側はタイル張りで、こちらと同じ人工の地面だというのに、ひたすら生物の気配がない。
あちらだけが夜にあるみたいだった。
◆
「ナマエさん」
ここ数日よく声をかけられる。
幼馴染と教室に入ろうとする私を引き留めたのは、正十字騎士團の黒コートを着たメガネの青年だった。コートの腰周りには銃弾のストックや、薬品が入った小ぶりの瓶などが大量にぶら下がっている。
「対・悪魔薬学講師の奥村雪男です。はじめまして」
「はじめまして。これからヨロシウお願いします」
聞き覚えのある声だと思ったら、昨日祓魔塾で聞いた二つの内の一つだった。
私はいかにも「はじめましてです」を装って目をぱちくりと瞬かせた。ちらりと真横を窺うと、そこにいたはずの幼馴染が消えている。どうやら先に入ったようだ。
「ナマエさんは昨日、欠席していましたよね」
「はい」
「初日は塾生全員が悪魔を視えるようにする魔障の儀式を行いました。ナマエさんは魔障にかかったことはありますか?」
「はい」と答える。
両手でメガネを作って「悪魔もばっちり見えます」と笑う。
黒コートの青年──奥村先生──は、そんな私に眉をひそめた。口元は笑みを湛えたまま、視線だけで私を窘める。
「そうですか」
奥村先生はレンズ奥の目を細めた。
「なら、魔障の儀式は必要ありませんね」
「ですです。初日はすみませんでした。勝手に休んじゃって」
「はい。昨日は連絡をする相手が居なかったのもあるでしょうが、今後授業を欠席するときは僕に知らせて下さい」
「奥村センセに」
「一年の担当なんです。いい機会ですし、連絡先を教えます」
奥村先生はコートからガラパゴス携帯を取り出し、液晶に電話番号やアドレスを表示させてから差し出してきた。
私はそれを右手で受け取り、左手で持ち寄っていた学生鞄から自分自身の携帯を取り出す。片手で難なく連絡先を入力する私の手元を、奥村先生が物珍しそうに覗き込んだ。
「打ち込み早いですね」
「慣れてますから」
たった二言の内に携帯を返す。
私の携帯の液晶が、連絡先登録画面から、連絡先一覧の画面に変わり、ホーム画面へ戻る途中で、先生が「これは」と呟いた。
咄嗟に連絡先一覧の画面を出す。先生は携帯に映し出された大量の連絡先を、乾いた人差し指でなぞった。
「これは 全部イニシャルですか」
「はい」
「僕のは奥村雪男で登録してますよね」
「はい。身内は全員イニシャルです」
「志摩廉造。勝呂竜士……は、そのまま? でも、貴方は彼の」
先生の指を挟まないように、左手を下に降ろしてから私は自分のガラパゴス携帯を閉じた。
「身内じゃないですよ」
顔を向けると、僅かに姿勢を正される。
気苦労が多そうだな、と薄ら思う。
「明陀宗は知っていますか?」
私の問いかけに、奥村先生は一拍ほど固まったが「はい」と答えた。
「十年前、騎士團に吸収された仏教系の宗派ですよね」
「どんぴしゃです」
私は笑った。
「それに属していないって意味です。長く、連綿と続く血の教えも……強制ではありませんからねえ」
そこまで言って、携帯を仕舞う。
『では、名字ナマエの言う身内とは?』
奥村先生がそんな疑問を抱くより先ず、私はぱちんと手を打ち鳴らした。
「そうだ、授業の準備しないとですね!」
5・秘密は夜の味がする