Phosphorescence
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増築に増築を重ねたような正十字学園町。俗に「日本のモン・サン=ミッシェル」と呼ばれるこの町の中腹には、町をぐるりと一周するように長い道路が敷かれている。
道路は普段使いがよろしくなかったため車の通りが少なく、それが平日の昼間ともなれば人の気配さえない。
ぽかぽか陽気だ。道路沿いに植えられた桜を見上げると、寄せ合うように咲く花々が風にさざめいていた。
「ハア……」
溜め息を吐いたのには訳がある。
実は、私は今日からこの町の名前にもなっている有名な私立校へ通うことになっていた。しかし学校は全寮制で、一度でも正門から先へ踏み入れると許可の無い外出が出来なくなる。それに堪えかねた私は、つい入学式をスルーしてしまったのだ。
そして、いつものように、気の向くまま、こんなところまで、歩いてきてしまった。
──ピピピピ!
甲高い電子音が何者かの着信を知らせる。ひと気の無い道路に来るまで幾度と鳴っているそれに、私は仕方なく桜から視線を離す。
肩に提げた真新しい学生鞄から、震えるガラパゴス携帯を取り出し、着信先の名前を見てから接続の許可を出す。
「もしもし」携帯を右耳に宛てがうと、真面目な調子で「今どこ」と質問された。
丁度視線の先に交通標識が見えたので、私は書かれている通りに「徐行」と答えた。
接続先から深い溜め息。
「……あのね。目につくもん適当に言われただけや分からんの。もっとこう、南正十字二十一番地みたいな地名らしい地名言うてくれんと」
「うーん? 南正十字二十一番地かな」
「アホなの?」
「すみません。実は私にも分かりません」
「ほな塾の鍵は。持っとるやろ」
私は小首を傾げ、首と肩の間に携帯を固定させた。
両手で開いた学生鞄から白いアクセサリーじみた鍵を取り出し、スカートのポケットに入れて携帯を持ち直す。
「ありましたよ」と伝えると、急に「それ使て祓魔塾来て」と急くような調子で電話口。「どのドアに挿しても来れるから、早う来て」
「分か……」
しかし返事を言いかけたところで、耳元で接続の切れたノイズが鳴った。共に何かがどっと崩れ落ちたような音も聞こえたので、接続が切れたのは不可抗力かもしれない。
大事なければいいが。
通話の切断から数秒、立ち尽くしていた私は携帯を下ろした。腰を軽く捻って見渡してみる。
「ドア、ねえ」
この辺りに戸口のついた建築物は無かった。道路沿いの桜がひたすらに綺麗だ。
戸口以外で鍵が使用できそうな物なら、なぜここに設置したのか皆目見当がつかない郵便ポストがあるが、果たしてポスト側面にある郵便物取集用扉から塾へ行けるか、否か。
問題なのは取集用扉の大きさに合致する戸口が、“向こう側”にあるかどうかだ。“鍵”は基本的に使用された戸口と同じ大きさの戸口に繋がる(と聞いている)ので、候補として考えられるのは戸棚や小窓のような、まず戸口として使用されないもの──。
私は携帯を学生鞄に戻した。
桜の花びらが風に流され、コンクリートの地面に白い点を散らしている。その点々を堅い革靴で踏みつぶしながら、私は郵便ポストに歩み寄った。スカートのポケットから鍵を取り出し、鍵のブレードをポスト側面にある小さな鍵穴に突き合わせてみる。
鍵は何にも引っかからずに入っていった。この状態でヘッドを回せば錠が外れ、扉の“向こう側”は塾のどこかへと繋がるだろう。
「変なところに繋がりませんように」
春の陽気にささやかな祈りを捧げ、私は鍵を回した。
小気味よい解錠音が聞こえた後、鍵を引き抜いて扉の引き手に指をかける。開けた先に木張りの床が見えたので、どうやら“向こう側”にあった戸棚の下段に繋がったらしい。
私は扉の下枠に両手をつき、向こう側に上半身を乗り出した。が、“向こう側”の酷い臭気に直ぐさま左手で鼻を覆う。
「、……」
それは強烈な腐臭。また、肉の焼ける臭い。
硝煙の臭いに、木製の物が燃える臭いだ。
「……」
私は鼻を覆ったまま、匍匐前進のような体勢で恐る恐る“向こう”へと身体を滑らせた。出てきた扉はきちんと閉める。
部屋の床には十何体と丸い生物が転がっていた──恐らく下級悪魔の子鬼だろう──死体のほとんどに真新しい銃創があり、その内の五、六体は現在進行形で燃えている。死体にまとわりついた炎は深い海の色を持って揺らめき、時たま死体の体液で弾けた。
青い炎の光を受けてそこかしこで煌いているのは薬莢だった。使用済みの薬莢はここで銃撃戦があったことを示している。
這うようにして部屋の様子を窺うと、まるで大きな力で押し出されたように倒れている木製の長机や長椅子、その奥に一つの古めかしい黒板が見えた。入ってきたときは気がつかなかったが、黒板の前で二人の青年が何かを言い合っていた。
「ただ俺は──」
私の顔の近くで、パチパチと音を立てて死体が焼けている。
「強くなりたい。俺の所為で誰かが死ぬのはもう嫌だ!!」
肉の焦げる饐えた臭いで思考がクリアになる。
きっと二人の会話は、二人以外が聞いて良いものではない。
静かに何もかも聞き流していよう。
「それなら、僕と同じだ」
私は近くに倒れていた長机に背を預け、会話を邪魔しないようひっそりと息をした。
まだ何も入っていない学生鞄を胸に抱く。
「僕もただ強くなりたくて祓魔師になった」
青い炎が震えるように揺れていた。この炎は悪魔に特効があるのだろう。清潔で冷ややかな海の色は、子鬼の肉はおろか骨すら燃やし尽くしている。
私は緩く瞼を下ろし、白い悪魔のことを考えた。彼は今何をしているのだろう。まだ真っ白で寒い部屋にいるのだろうか。薄いシーツをたった一枚だけかけて、横になっているのだろうか。
そう言えば、電話の彼と結局会っていない。入学式も塾の授業もスルーしてしまった。次に会うときは怖い顔で怒鳴ってくるだろうし、謝る準備をしておかないといけない。彼によれば、私はみんなに心配をかけすぎるらしいから。
「すみませんでした皆さん。別の教室で授業再開します。奥村くんも!」
「はーい、先生!」
部屋の正しい戸口が開いて、閉まる音がした。
私は人の気配が消えたのを察し、瞼を開ける。
長机の影からゆっくりと体を出すと、大量の薬莢に子鬼の焼き切れた跡、雑然と転がっている長机と長椅子が部屋一面に広がっていた。
青い炎は燃やすものが無くなったのか既に霞と消えており、長机と長椅子は炭化しているものもある。酷い臭いは相変わらずだ。
「早よ出よう……何かどっと疲れた…」
か細く唸った私は鞄を胸に抱えたまま足早に戸口へ向かった。
戸口のドアはステンドグラスを埋め込んだような装飾がされており、取っ手を捻って押し出すときに多少の重厚感を覚えた。
開けたドアの隙間に足を踏み出すと、不意に、ふわふわとした感触が私の足首に絡みつく。思わず視線を床に落とすと、どこから湧いて出たのだろう、桜色のスコティッシュテリアが非難げに私を上目見ていた。
3・やるせない新入生
道路は普段使いがよろしくなかったため車の通りが少なく、それが平日の昼間ともなれば人の気配さえない。
ぽかぽか陽気だ。道路沿いに植えられた桜を見上げると、寄せ合うように咲く花々が風にさざめいていた。
「ハア……」
溜め息を吐いたのには訳がある。
実は、私は今日からこの町の名前にもなっている有名な私立校へ通うことになっていた。しかし学校は全寮制で、一度でも正門から先へ踏み入れると許可の無い外出が出来なくなる。それに堪えかねた私は、つい入学式をスルーしてしまったのだ。
そして、いつものように、気の向くまま、こんなところまで、歩いてきてしまった。
──ピピピピ!
甲高い電子音が何者かの着信を知らせる。ひと気の無い道路に来るまで幾度と鳴っているそれに、私は仕方なく桜から視線を離す。
肩に提げた真新しい学生鞄から、震えるガラパゴス携帯を取り出し、着信先の名前を見てから接続の許可を出す。
「もしもし」携帯を右耳に宛てがうと、真面目な調子で「今どこ」と質問された。
丁度視線の先に交通標識が見えたので、私は書かれている通りに「徐行」と答えた。
接続先から深い溜め息。
「……あのね。目につくもん適当に言われただけや分からんの。もっとこう、南正十字二十一番地みたいな地名らしい地名言うてくれんと」
「うーん? 南正十字二十一番地かな」
「アホなの?」
「すみません。実は私にも分かりません」
「ほな塾の鍵は。持っとるやろ」
私は小首を傾げ、首と肩の間に携帯を固定させた。
両手で開いた学生鞄から白いアクセサリーじみた鍵を取り出し、スカートのポケットに入れて携帯を持ち直す。
「ありましたよ」と伝えると、急に「それ使て祓魔塾来て」と急くような調子で電話口。「どのドアに挿しても来れるから、早う来て」
「分か……」
しかし返事を言いかけたところで、耳元で接続の切れたノイズが鳴った。共に何かがどっと崩れ落ちたような音も聞こえたので、接続が切れたのは不可抗力かもしれない。
大事なければいいが。
通話の切断から数秒、立ち尽くしていた私は携帯を下ろした。腰を軽く捻って見渡してみる。
「ドア、ねえ」
この辺りに戸口のついた建築物は無かった。道路沿いの桜がひたすらに綺麗だ。
戸口以外で鍵が使用できそうな物なら、なぜここに設置したのか皆目見当がつかない郵便ポストがあるが、果たしてポスト側面にある郵便物取集用扉から塾へ行けるか、否か。
問題なのは取集用扉の大きさに合致する戸口が、“向こう側”にあるかどうかだ。“鍵”は基本的に使用された戸口と同じ大きさの戸口に繋がる(と聞いている)ので、候補として考えられるのは戸棚や小窓のような、まず戸口として使用されないもの──。
私は携帯を学生鞄に戻した。
桜の花びらが風に流され、コンクリートの地面に白い点を散らしている。その点々を堅い革靴で踏みつぶしながら、私は郵便ポストに歩み寄った。スカートのポケットから鍵を取り出し、鍵のブレードをポスト側面にある小さな鍵穴に突き合わせてみる。
鍵は何にも引っかからずに入っていった。この状態でヘッドを回せば錠が外れ、扉の“向こう側”は塾のどこかへと繋がるだろう。
「変なところに繋がりませんように」
春の陽気にささやかな祈りを捧げ、私は鍵を回した。
小気味よい解錠音が聞こえた後、鍵を引き抜いて扉の引き手に指をかける。開けた先に木張りの床が見えたので、どうやら“向こう側”にあった戸棚の下段に繋がったらしい。
私は扉の下枠に両手をつき、向こう側に上半身を乗り出した。が、“向こう側”の酷い臭気に直ぐさま左手で鼻を覆う。
「、……」
それは強烈な腐臭。また、肉の焼ける臭い。
硝煙の臭いに、木製の物が燃える臭いだ。
「……」
私は鼻を覆ったまま、匍匐前進のような体勢で恐る恐る“向こう”へと身体を滑らせた。出てきた扉はきちんと閉める。
部屋の床には十何体と丸い生物が転がっていた──恐らく下級悪魔の子鬼だろう──死体のほとんどに真新しい銃創があり、その内の五、六体は現在進行形で燃えている。死体にまとわりついた炎は深い海の色を持って揺らめき、時たま死体の体液で弾けた。
青い炎の光を受けてそこかしこで煌いているのは薬莢だった。使用済みの薬莢はここで銃撃戦があったことを示している。
這うようにして部屋の様子を窺うと、まるで大きな力で押し出されたように倒れている木製の長机や長椅子、その奥に一つの古めかしい黒板が見えた。入ってきたときは気がつかなかったが、黒板の前で二人の青年が何かを言い合っていた。
「ただ俺は──」
私の顔の近くで、パチパチと音を立てて死体が焼けている。
「強くなりたい。俺の所為で誰かが死ぬのはもう嫌だ!!」
肉の焦げる饐えた臭いで思考がクリアになる。
きっと二人の会話は、二人以外が聞いて良いものではない。
静かに何もかも聞き流していよう。
「それなら、僕と同じだ」
私は近くに倒れていた長机に背を預け、会話を邪魔しないようひっそりと息をした。
まだ何も入っていない学生鞄を胸に抱く。
「僕もただ強くなりたくて祓魔師になった」
青い炎が震えるように揺れていた。この炎は悪魔に特効があるのだろう。清潔で冷ややかな海の色は、子鬼の肉はおろか骨すら燃やし尽くしている。
私は緩く瞼を下ろし、白い悪魔のことを考えた。彼は今何をしているのだろう。まだ真っ白で寒い部屋にいるのだろうか。薄いシーツをたった一枚だけかけて、横になっているのだろうか。
そう言えば、電話の彼と結局会っていない。入学式も塾の授業もスルーしてしまった。次に会うときは怖い顔で怒鳴ってくるだろうし、謝る準備をしておかないといけない。彼によれば、私はみんなに心配をかけすぎるらしいから。
「すみませんでした皆さん。別の教室で授業再開します。奥村くんも!」
「はーい、先生!」
部屋の正しい戸口が開いて、閉まる音がした。
私は人の気配が消えたのを察し、瞼を開ける。
長机の影からゆっくりと体を出すと、大量の薬莢に子鬼の焼き切れた跡、雑然と転がっている長机と長椅子が部屋一面に広がっていた。
青い炎は燃やすものが無くなったのか既に霞と消えており、長机と長椅子は炭化しているものもある。酷い臭いは相変わらずだ。
「早よ出よう……何かどっと疲れた…」
か細く唸った私は鞄を胸に抱えたまま足早に戸口へ向かった。
戸口のドアはステンドグラスを埋め込んだような装飾がされており、取っ手を捻って押し出すときに多少の重厚感を覚えた。
開けたドアの隙間に足を踏み出すと、不意に、ふわふわとした感触が私の足首に絡みつく。思わず視線を床に落とすと、どこから湧いて出たのだろう、桜色のスコティッシュテリアが非難げに私を上目見ていた。
3・やるせない新入生