Phosphorescence
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「許したるわ」
「えっ」
机に肘をつきながら、私はぽかんと隣を見つめた。
正十字学園高等部・特Aクラスはことのほか賑やかだ。クラスメイトのメガネ率は予想通りの高さだったが、皆とても垢ぬけていて、同じ高校生とは思えない。
隣の彼など途轍もない。頭頂に金メッシュを入れ、耳にたくさんピアスをつけて、十代のくせに顎髭で──本人いわく気合いらしいが、その強面も相まって傍目にはチンピラである。すわヤクザと見まごう。
「いい加減、お前に怒鳴るんも飽きた。せやし朝は静かに過ごしたい」
「ああ……そう。朝ぁ静かに過ごしたいんは私も同意ですが」
「ですが」
「ちょっと拍子抜けやなと」
私は言い、机に備えられたランプに顔を向けた。台座に二つのタッチセンサーがある。電源および光度と、三種類の色調を操作するスイッチだ。操作は早めに覚えておいて損はない、と、片手であれこれ弄っているのが気になったのか、彼も早速ぽちぽちやっていた。
「押して駄目なら引いてみろですか?」
電源を切る。仰ぐように窺ってみると、深いため息を吐かれた。
「それ言うてことは確信犯やな」
「ごめんね。反省してます」
「ほんまか? 俺はもう病気や思うとるんやが」
きてれつな彼が手を戻す。
彼の好みは昼白色のようだ。自然光に近く目に優しい色。「金のかけ方が違うな」と呟いて、彼もデスクライトを消した。
クラスメイトの賑わいが窓外のさえずりを掻き消していた。
肘つく腕を反対にすれば、きれいな緑の黒板を背に、ひとりの男子生徒が大勢の女子に囲まれているのが見える。……男子生徒。主席のひと。奥村姓の、ついこの間祓魔塾で会話した一年担当の薬学講師。
その一帯を見るともなしに見ながら、隣の彼が私に怒鳴れば、手っ取り早く静かになるかもしれないな、と、ろくでもないことを考えた。
◆
塾で学ぶエクソシズムは基礎が多く、私には復習の意味合いが強かった。知っていることばかりで退屈する、ことは意外となく、むしろ忘れている歴史や基礎があったので丁度良いくらいだ。それに私が本拠を置いているイルミナティには聖薬系と呼ばれる聖水・聖銀などの特殊素材が少ないため、そのたぐいの授業が目新しく楽しかった。
──楽しい。
そう。
現状は『正十字騎士團の祓魔師になるため』というよりか、『エクソシズムの勉強が楽しくて』祓魔塾に通っている感覚だった。
だから真面目に祓魔師を目指している、一意専心して塾に通っている面々とはそりが合わないというか。
根本的な部分で、すれ違いが生じているというか。
「俺はな、祓魔師の資格得るために、本気で塾に勉強しに来たんや!!」
叫んでいるのは勝呂竜士だ。
自由席の塾では距離があるが、学園では隣席な義兄。
「塾におんのはみんな真面目に祓魔師目指してはる人だけや! お前みたいな意識の低い奴ッ目障りやから早よ出ていけ!」
「な……なんの権限で言ってんだこのトサカ、俺だってこれでも目指してんだよ!」
竜士の怒声を浴びているのは奥村燐くん。
メフィストに問題児と評されていた子だ。
今は魔法薬学の授業中で、奥村先生が小テストを返している最中だった。
「お前が授業まともに受けとるの見たことないし! いっっつも寝とるやんか!」
「ぼ、坊……落ち着いて」
「授業中ですよぉ坊」
荒ぶる竜士を子猫丸と廉造が、
「お 俺は実戦派なんだ! 体動かさないで覚えんの苦手なんだよ!」
「うんうん勝呂くんの言う通りだ。どんどん言って下さいね」
「だあーーッお前どっちの味方だ!」
「さてどっちでしょう」
唸る燐くんを奥村先生が、それぞれを羽交い絞めにして引き離す。
ちなみに燐くんは奥村先生の双子の兄らしい。奥村先生がかけているメガネで、あまり似ているように思えないが。
よく見ると口元が似ている。
ああだこうだと言い合う内に、授業終了のチャイムが鳴った。
おかげで喧嘩は一旦収まったものの、竜士と燐くんの険悪な顔つきを見るに、また近いうちに勃発しそうだ。しかし雨降って地固まるという言葉があるように、二人には喧嘩するほど仲良くなりそうな雰囲気があった。授業態度こそ真逆だが、性格は似ている気がするのだ。
それがいざこざの種かもしれなかったが。
・
次のコマは体育・実技。
各自動きやすい服装に着替え、悪魔の動きに慣れる訓練をする。
案内された地下訓練場は全面コンクリートだった。壁伝いに広い通路があり、通路は施設中央にある五角形の深い凹地を囲うように敷かれている。
凹地の中心まで上路トラスの橋が架かっていた。橋の終わりに檻が四つ吊り下がっており、中には下級悪魔の蝦蟇がいる。蝦蟇は蛙に憑依する悪魔で、その多くが肉食性だ。対峙した者の感情を読み、隙が出来れば咄嗟に襲う。
訓練はこの蝦蟇との追いかけっこだった。
逃げるのは私たち塾生である。
一応、蝦蟇は首を鎖で繋がれているから、追いつかれてしまったときは先生が橋げたにある操作レバーで鎖を巻いてくれる。だから、うっかり食べられるような悲劇はまず起こらない。
はず。
「コラァーーッ!!!!」
実技講師の椿先生が叫んだ。
天井の高い訓練場に、太い鎖が巻かれる音と、蝦蟇の押し潰したような呻きが響く。
五角形の凹地、訓練内容に因んでか競技場と呼ばれるそこで、あくまでも互いを見ない燐くんと竜士が立ち止まっていた。
通路から一部始終を見ていた私は頭を抱えた。すぐ近くに座っていた女の子──神木さん──が「バカみたい」と呟いたのには同意しかなかった。
便宜上タッグを組まされたのは不幸としか言いようがないが、贔屓目にみても今のは竜士が悪い。
本物の悪魔を相手どる訓練中に、仲間の訓練生に飛び膝蹴りをかますなど、これが実戦なら諸共喰われてお終いである。燐くんも燐くんで竜士を煽っていた。義兄は挑発に釣られやすいのに。
「この訓練は徒競走じゃない、悪魔の動きに体を慣らす訓練だと──コラコラコラ聞きタマエ!!」
「げえーっ」
ついに殴る蹴るの喧嘩が始まり、私は慌てて駆け出した。
競技場へは傾斜のきつい坂を下りるだけだ。
大股で飛ぶように坂をくだり、降り立った勢いのまま私は掴み合う二人に割って入った。
「はッ……誰?!」
「ナマエです! こんにちは!」
「おお?! チワ?!」
気抜ける燐くんの肩を押して竜士から離す。背後で竜士が「邪魔するな」と叫び、それに燐くんが中指を立て、私も流石に「こら」と叫んだ。
少し遅れて駆けつけてきた椿先生が燐くんの首根を掴み、竜士から一層遠ざける。
竜士は後からやってきた幼馴染たちにまたも羽交い締めにされ、そそくさと回収される。
諍いは第三者の介入で止められたものの、両者の顔つきは未だ険悪だ。それに対し、椿先生が竜士だけを連れて話をしに離れたのは疑問だった。そこは燐くんも連れていくところではないのか、と。
「なんでアイツだけ?」
同じように思ったらしい燐くんの呟きに、「さあ」と柔和に返したのは廉造だ。その隣には子猫丸が立っている。
「かんにんなぁ」
廉造が言った。
「坊はああみえてクソ真面目すぎて、融通利かんとこあってなぁ」
同じ競技場にいながら、私たちと竜士の間にはかなりの距離があった。
一方は数人で立ち話をし、一方はひとり注意を受けている。居心地の悪い立ち位置だった。竜士の方は尚のことだろう。しかし私たちだけが通路へ戻るわけにもいかず、場所はそのままに会話は続く。
「ごっつい野望持って、入学しはったから」
「野望?」
「坊はね、『サタン倒したい』言うて祓魔師目指してはるんよ」
「笑うやろ?」と吹き出した廉造を、子猫丸が「志摩さん」と窘めた。吊り目のフレームメガネをかけていても、子猫丸からは優しい印象を受ける。坊主頭なのもあるかもしれない。人の良い幼馴染だ。
「坊は『青い夜』で落ちぶれた寺を、再興しようて頑張ってるんです」
私が言うと、しかし燐くんはきょとんとした。
「『青い夜』?」
有名な事件だ。
祓魔師を志す者が、知らないというのは珍しい──。
「んーと」
図らずも、私は塾の初日を思い出していた。
会話に詰まった私の代わりに、子猫丸が続ける。
「青い夜というのは」
魔神・サタンが、世界じゅうの有力な聖職者を大量虐殺した事件のこと。
現在竜士が若座主を務める明陀宗は、祓魔に特化した仏教系の祓魔師集団だ。青い夜が起こる以前は檀家も参詣者も多く、つまり、力ある祓魔師が多かったためにサタンの標的になった。
その夜、全身から血と、青い炎を吹きながら大勢の僧侶が死んだと義父から聞いた。
今から十六年前、ちょうど私が勝呂家に引き取られたのもその頃だ。
「青い炎はサタンの証やからな」
と、子猫丸の説明に廉造が補足した。
始終まじめな表情で聴いていた燐くんは、その言葉に何か心当たりがあるようだ。奇しくも、私も心当たりがあり、私は脱力しながら首筋を撫でる。
『再度お尋ねします』
ほの暗い女子寮の廊下で、メフィストが二度確かめてきた。
次に思い出されるのは教室だ。
青い炎に満ち満ちた部屋で、私は殆ど聞き流していた。
『俺のせいで誰かが死ぬのは』
『それなら、僕と同じ』
椿先生と一緒に戻ってきた竜士を見て、私は首から手を離した。
正直初日に気付かなかったのが不思議なくらいだ。
今、分かって良かったかもしれない。
初日から一ヶ月余りが経ち、どうせならと祓魔塾の見取り図を覚えようなんて考えていた。見方を変えれば、そんなことを考えられるほど、この一ヶ月余り何も起こっていない。
正しく竜士に怒髪天を衝かせた程度だ。
それがサタンにまつわる者の荒事なら、どれほど平和で救いがあるのだろう。
8・青は藍より出でて
「えっ」
机に肘をつきながら、私はぽかんと隣を見つめた。
正十字学園高等部・特Aクラスはことのほか賑やかだ。クラスメイトのメガネ率は予想通りの高さだったが、皆とても垢ぬけていて、同じ高校生とは思えない。
隣の彼など途轍もない。頭頂に金メッシュを入れ、耳にたくさんピアスをつけて、十代のくせに顎髭で──本人いわく気合いらしいが、その強面も相まって傍目にはチンピラである。すわヤクザと見まごう。
「いい加減、お前に怒鳴るんも飽きた。せやし朝は静かに過ごしたい」
「ああ……そう。朝ぁ静かに過ごしたいんは私も同意ですが」
「ですが」
「ちょっと拍子抜けやなと」
私は言い、机に備えられたランプに顔を向けた。台座に二つのタッチセンサーがある。電源および光度と、三種類の色調を操作するスイッチだ。操作は早めに覚えておいて損はない、と、片手であれこれ弄っているのが気になったのか、彼も早速ぽちぽちやっていた。
「押して駄目なら引いてみろですか?」
電源を切る。仰ぐように窺ってみると、深いため息を吐かれた。
「それ言うてことは確信犯やな」
「ごめんね。反省してます」
「ほんまか? 俺はもう病気や思うとるんやが」
きてれつな彼が手を戻す。
彼の好みは昼白色のようだ。自然光に近く目に優しい色。「金のかけ方が違うな」と呟いて、彼もデスクライトを消した。
クラスメイトの賑わいが窓外のさえずりを掻き消していた。
肘つく腕を反対にすれば、きれいな緑の黒板を背に、ひとりの男子生徒が大勢の女子に囲まれているのが見える。……男子生徒。主席のひと。奥村姓の、ついこの間祓魔塾で会話した一年担当の薬学講師。
その一帯を見るともなしに見ながら、隣の彼が私に怒鳴れば、手っ取り早く静かになるかもしれないな、と、ろくでもないことを考えた。
◆
塾で学ぶエクソシズムは基礎が多く、私には復習の意味合いが強かった。知っていることばかりで退屈する、ことは意外となく、むしろ忘れている歴史や基礎があったので丁度良いくらいだ。それに私が本拠を置いているイルミナティには聖薬系と呼ばれる聖水・聖銀などの特殊素材が少ないため、そのたぐいの授業が目新しく楽しかった。
──楽しい。
そう。
現状は『正十字騎士團の祓魔師になるため』というよりか、『エクソシズムの勉強が楽しくて』祓魔塾に通っている感覚だった。
だから真面目に祓魔師を目指している、一意専心して塾に通っている面々とはそりが合わないというか。
根本的な部分で、すれ違いが生じているというか。
「俺はな、祓魔師の資格得るために、本気で塾に勉強しに来たんや!!」
叫んでいるのは勝呂竜士だ。
自由席の塾では距離があるが、学園では隣席な義兄。
「塾におんのはみんな真面目に祓魔師目指してはる人だけや! お前みたいな意識の低い奴ッ目障りやから早よ出ていけ!」
「な……なんの権限で言ってんだこのトサカ、俺だってこれでも目指してんだよ!」
竜士の怒声を浴びているのは奥村燐くん。
メフィストに問題児と評されていた子だ。
今は魔法薬学の授業中で、奥村先生が小テストを返している最中だった。
「お前が授業まともに受けとるの見たことないし! いっっつも寝とるやんか!」
「ぼ、坊……落ち着いて」
「授業中ですよぉ坊」
荒ぶる竜士を子猫丸と廉造が、
「お 俺は実戦派なんだ! 体動かさないで覚えんの苦手なんだよ!」
「うんうん勝呂くんの言う通りだ。どんどん言って下さいね」
「だあーーッお前どっちの味方だ!」
「さてどっちでしょう」
唸る燐くんを奥村先生が、それぞれを羽交い絞めにして引き離す。
ちなみに燐くんは奥村先生の双子の兄らしい。奥村先生がかけているメガネで、あまり似ているように思えないが。
よく見ると口元が似ている。
ああだこうだと言い合う内に、授業終了のチャイムが鳴った。
おかげで喧嘩は一旦収まったものの、竜士と燐くんの険悪な顔つきを見るに、また近いうちに勃発しそうだ。しかし雨降って地固まるという言葉があるように、二人には喧嘩するほど仲良くなりそうな雰囲気があった。授業態度こそ真逆だが、性格は似ている気がするのだ。
それがいざこざの種かもしれなかったが。
・
次のコマは体育・実技。
各自動きやすい服装に着替え、悪魔の動きに慣れる訓練をする。
案内された地下訓練場は全面コンクリートだった。壁伝いに広い通路があり、通路は施設中央にある五角形の深い凹地を囲うように敷かれている。
凹地の中心まで上路トラスの橋が架かっていた。橋の終わりに檻が四つ吊り下がっており、中には下級悪魔の蝦蟇がいる。蝦蟇は蛙に憑依する悪魔で、その多くが肉食性だ。対峙した者の感情を読み、隙が出来れば咄嗟に襲う。
訓練はこの蝦蟇との追いかけっこだった。
逃げるのは私たち塾生である。
一応、蝦蟇は首を鎖で繋がれているから、追いつかれてしまったときは先生が橋げたにある操作レバーで鎖を巻いてくれる。だから、うっかり食べられるような悲劇はまず起こらない。
はず。
「コラァーーッ!!!!」
実技講師の椿先生が叫んだ。
天井の高い訓練場に、太い鎖が巻かれる音と、蝦蟇の押し潰したような呻きが響く。
五角形の凹地、訓練内容に因んでか競技場と呼ばれるそこで、あくまでも互いを見ない燐くんと竜士が立ち止まっていた。
通路から一部始終を見ていた私は頭を抱えた。すぐ近くに座っていた女の子──神木さん──が「バカみたい」と呟いたのには同意しかなかった。
便宜上タッグを組まされたのは不幸としか言いようがないが、贔屓目にみても今のは竜士が悪い。
本物の悪魔を相手どる訓練中に、仲間の訓練生に飛び膝蹴りをかますなど、これが実戦なら諸共喰われてお終いである。燐くんも燐くんで竜士を煽っていた。義兄は挑発に釣られやすいのに。
「この訓練は徒競走じゃない、悪魔の動きに体を慣らす訓練だと──コラコラコラ聞きタマエ!!」
「げえーっ」
ついに殴る蹴るの喧嘩が始まり、私は慌てて駆け出した。
競技場へは傾斜のきつい坂を下りるだけだ。
大股で飛ぶように坂をくだり、降り立った勢いのまま私は掴み合う二人に割って入った。
「はッ……誰?!」
「ナマエです! こんにちは!」
「おお?! チワ?!」
気抜ける燐くんの肩を押して竜士から離す。背後で竜士が「邪魔するな」と叫び、それに燐くんが中指を立て、私も流石に「こら」と叫んだ。
少し遅れて駆けつけてきた椿先生が燐くんの首根を掴み、竜士から一層遠ざける。
竜士は後からやってきた幼馴染たちにまたも羽交い締めにされ、そそくさと回収される。
諍いは第三者の介入で止められたものの、両者の顔つきは未だ険悪だ。それに対し、椿先生が竜士だけを連れて話をしに離れたのは疑問だった。そこは燐くんも連れていくところではないのか、と。
「なんでアイツだけ?」
同じように思ったらしい燐くんの呟きに、「さあ」と柔和に返したのは廉造だ。その隣には子猫丸が立っている。
「かんにんなぁ」
廉造が言った。
「坊はああみえてクソ真面目すぎて、融通利かんとこあってなぁ」
同じ競技場にいながら、私たちと竜士の間にはかなりの距離があった。
一方は数人で立ち話をし、一方はひとり注意を受けている。居心地の悪い立ち位置だった。竜士の方は尚のことだろう。しかし私たちだけが通路へ戻るわけにもいかず、場所はそのままに会話は続く。
「ごっつい野望持って、入学しはったから」
「野望?」
「坊はね、『サタン倒したい』言うて祓魔師目指してはるんよ」
「笑うやろ?」と吹き出した廉造を、子猫丸が「志摩さん」と窘めた。吊り目のフレームメガネをかけていても、子猫丸からは優しい印象を受ける。坊主頭なのもあるかもしれない。人の良い幼馴染だ。
「坊は『青い夜』で落ちぶれた寺を、再興しようて頑張ってるんです」
私が言うと、しかし燐くんはきょとんとした。
「『青い夜』?」
有名な事件だ。
祓魔師を志す者が、知らないというのは珍しい──。
「んーと」
図らずも、私は塾の初日を思い出していた。
会話に詰まった私の代わりに、子猫丸が続ける。
「青い夜というのは」
魔神・サタンが、世界じゅうの有力な聖職者を大量虐殺した事件のこと。
現在竜士が若座主を務める明陀宗は、祓魔に特化した仏教系の祓魔師集団だ。青い夜が起こる以前は檀家も参詣者も多く、つまり、力ある祓魔師が多かったためにサタンの標的になった。
その夜、全身から血と、青い炎を吹きながら大勢の僧侶が死んだと義父から聞いた。
今から十六年前、ちょうど私が勝呂家に引き取られたのもその頃だ。
「青い炎はサタンの証やからな」
と、子猫丸の説明に廉造が補足した。
始終まじめな表情で聴いていた燐くんは、その言葉に何か心当たりがあるようだ。奇しくも、私も心当たりがあり、私は脱力しながら首筋を撫でる。
『再度お尋ねします』
ほの暗い女子寮の廊下で、メフィストが二度確かめてきた。
次に思い出されるのは教室だ。
青い炎に満ち満ちた部屋で、私は殆ど聞き流していた。
『俺のせいで誰かが死ぬのは』
『それなら、僕と同じ』
椿先生と一緒に戻ってきた竜士を見て、私は首から手を離した。
正直初日に気付かなかったのが不思議なくらいだ。
今、分かって良かったかもしれない。
初日から一ヶ月余りが経ち、どうせならと祓魔塾の見取り図を覚えようなんて考えていた。見方を変えれば、そんなことを考えられるほど、この一ヶ月余り何も起こっていない。
正しく竜士に怒髪天を衝かせた程度だ。
それがサタンにまつわる者の荒事なら、どれほど平和で救いがあるのだろう。
8・青は藍より出でて
10/10ページ