BLACK BOX
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通常、防魔結界は三人から十余人で張るものだ。
防魔する範囲や規模や質、陣および護符の作成にかける時間と材料。それは祓魔師の技量にも寄るが、間違っても大きな庭付きの蔵付きの温室付きの屋敷全体を覆うような結界の作成は人間ひとりに任せられる規模ではなく、かける時間も材料も、一端の中一級祓魔師が用意できるものではない。
順当に考えて、本日フェレス卿から下された任務は鬼畜を極めていた。
範囲に規模に質、エトセトラ込みで規格外。滅多なことでは動じない自信がある私も、当初は本気で「騎士團の礎となって死ねということかな?」と離職の決意を固めかけた。
というのも、一見パワハラじみているこの案件は、落ち着いて概要を読み解かなければ文字通り死ぬ危険があったのだ。卿がいつになく緊迫した様子で「行間を読んで事にあたって下さい」と凄んでこなければ、私は恐らく額面通りに話を受け取っていただろう。まあ、いつになく緊迫した様子で「行間を読んで」と凄んできた卿こそが、任務内容、ついで任務に充てる祓魔師を決めているのだが。
「本っっ当にありがとうございました!」
私は正面で項垂れている祓魔師二人に勢いよく頭を下げた。
幅狭いコンクリートの歩道にたむろする祓魔師が三人。店の往来を邪魔しないよう、立て看板がある玄関から3メートルほど離れた場所に集合している。
地面に散乱しているのは屋敷の図面と、陣の構成に使用した護符の余分、購入したばかりの聖薬系物品。最後のものは、正面の二人へのお礼だ。この二人の他にも結界作成を手伝わせるために何人か買収していたので、経費で落ちることを祈るばかりだった。
「いえいえぇ……お役に立てて何より……」
「お疲れ様です……マジで……ご苦労様です……」
かすれ気味の声に頭を上げて、祓魔師二人の真っ青を通りこした白い肌色に冷や汗が垂れた。
「お二人のおかげで助かりました。あの……」
さすがに三人では個の負担が大きすぎたか、最低でも六人で結界作成に挑んだ方がよかったか、と。
「無理を言ってすみませんでした」
考えたとて後の祭りである。
・
任務は老朽化した防魔結界の張り直しだった。
書面での参加者は私一人だけだったが、現場が陣の作成に必要な材料があらかた揃っている祓魔用品店『フツマヤ』であることと、今日が騎士團の公休日であることを踏まえれば、実際の参加者人数が優に一桁を超えることは想像にかたくなかった。
装備の多くが現地調達、協力者多数ならば参加者は一人であった方が報告書は簡潔に済ませられる。書面上の任務難易度が見せかけのブラフであることも、この任務先と日程から簡単に察しがつく。 また、備考欄に記された『下級悪魔だけが外部から侵入でき、中級以上はできない造りで』というどこか既視感ある結界の注文も、この任務の意図を正確に把握する一つの助けになるだろう。
要は、日本支部に所属している祓魔師たちの結界術スキル向上。
卿の目的はそんなところと思われた。
・
祓魔師二人を見送り、結界の最終点検をしていると、足首に毛玉のようなものが触れた。歩きながら足元を見、見覚えのありすぎるピンク色のスコティッシュテリアがいつの間にやら自分と並進しているのに、堪らず口から苦い息がもれる。
テリアの首に巻かれているスカーフは、ピンク地に白の水玉模様だ。スカーフに取り付けられた金製の騎士團バッヂが日の光に光っている。本来は聖銀で作られる騎士團バッヂは、悪魔や悪魔の混血の團員に限り金で特注される。無論、この犬は。
「……気が散るので止めて下さい。フェレス卿」
びゅお、と音を立てた風に後ろ髪をかき乱される。
歩みを止めない私を見上げ、テリアは何故かご機嫌だった。
「上手にできたなら褒めてあげないとね」
足元のふわついた言葉に、私は片眉を上げた。
「私、今褒められているのですか?」
「ハイ☆ もふもふ大サービスですよ☆」
屋敷の裏に差しかかり、幅狭い歩道は影で薄暗くなった。日なたと日かげの温度差が肌で分かるほどに大きい。残暑は陽射しが強くて風が冷たい。高所に位置するフツマヤは、周囲に風を遮る建造物がないため、秋冬は日に照らされていないと余計に寒く感じられる。
びゅう、と一際強い西風が煽る。
案の定よろめいた私だったが、テリアだけは踏みつけずに持ち直した。私より遥かに軽いテリアが風に飛ばされていかないのは、彼という悪魔に向かい風という現象が存在しないからだろう。これはゲーテの受け売りであるが、あり得ない話ではない。
「もふもふを危うく踏んでしまいそうではらはらしているのですが」
「それは大変。もふもふキープしますか?」
私は赤くなった鼻先をこすった。
強い風を往なすように身体ごと傾け、足元をついて回るテリアを見る。もふもふのオノマトペに恥じないもふもふの毛玉はいかにも温そうだ。腕に抱いて歩けば、ミルクのような甘い匂いさえ薫ってきそうな雰囲気がある。けれどテリアの首輪には金のバッヂが付いている。
「ゔーん……」
私は歩調を速めた。一刻も早くこの日かげから抜けて、初秋の日差しを浴びたかった。
大変悩ましいが、どれほど素敵なもふもふだろうが、上司を腕に抱いて愛玩する趣味は私にはないのだ。
競歩のような速度で歩く私に、犬の歩幅ではついていけなくなったらしい。しびれを切らした卿が人型に戻ったのを皮切りに、私もついに走り出した。
2020/9月・BLACK BOX
防魔する範囲や規模や質、陣および護符の作成にかける時間と材料。それは祓魔師の技量にも寄るが、間違っても大きな庭付きの蔵付きの温室付きの屋敷全体を覆うような結界の作成は人間ひとりに任せられる規模ではなく、かける時間も材料も、一端の中一級祓魔師が用意できるものではない。
順当に考えて、本日フェレス卿から下された任務は鬼畜を極めていた。
範囲に規模に質、エトセトラ込みで規格外。滅多なことでは動じない自信がある私も、当初は本気で「騎士團の礎となって死ねということかな?」と離職の決意を固めかけた。
というのも、一見パワハラじみているこの案件は、落ち着いて概要を読み解かなければ文字通り死ぬ危険があったのだ。卿がいつになく緊迫した様子で「行間を読んで事にあたって下さい」と凄んでこなければ、私は恐らく額面通りに話を受け取っていただろう。まあ、いつになく緊迫した様子で「行間を読んで」と凄んできた卿こそが、任務内容、ついで任務に充てる祓魔師を決めているのだが。
「本っっ当にありがとうございました!」
私は正面で項垂れている祓魔師二人に勢いよく頭を下げた。
幅狭いコンクリートの歩道にたむろする祓魔師が三人。店の往来を邪魔しないよう、立て看板がある玄関から3メートルほど離れた場所に集合している。
地面に散乱しているのは屋敷の図面と、陣の構成に使用した護符の余分、購入したばかりの聖薬系物品。最後のものは、正面の二人へのお礼だ。この二人の他にも結界作成を手伝わせるために何人か買収していたので、経費で落ちることを祈るばかりだった。
「いえいえぇ……お役に立てて何より……」
「お疲れ様です……マジで……ご苦労様です……」
かすれ気味の声に頭を上げて、祓魔師二人の真っ青を通りこした白い肌色に冷や汗が垂れた。
「お二人のおかげで助かりました。あの……」
さすがに三人では個の負担が大きすぎたか、最低でも六人で結界作成に挑んだ方がよかったか、と。
「無理を言ってすみませんでした」
考えたとて後の祭りである。
・
任務は老朽化した防魔結界の張り直しだった。
書面での参加者は私一人だけだったが、現場が陣の作成に必要な材料があらかた揃っている祓魔用品店『フツマヤ』であることと、今日が騎士團の公休日であることを踏まえれば、実際の参加者人数が優に一桁を超えることは想像にかたくなかった。
装備の多くが現地調達、協力者多数ならば参加者は一人であった方が報告書は簡潔に済ませられる。書面上の任務難易度が見せかけのブラフであることも、この任務先と日程から簡単に察しがつく。 また、備考欄に記された『下級悪魔だけが外部から侵入でき、中級以上はできない造りで』というどこか既視感ある結界の注文も、この任務の意図を正確に把握する一つの助けになるだろう。
要は、日本支部に所属している祓魔師たちの結界術スキル向上。
卿の目的はそんなところと思われた。
・
祓魔師二人を見送り、結界の最終点検をしていると、足首に毛玉のようなものが触れた。歩きながら足元を見、見覚えのありすぎるピンク色のスコティッシュテリアがいつの間にやら自分と並進しているのに、堪らず口から苦い息がもれる。
テリアの首に巻かれているスカーフは、ピンク地に白の水玉模様だ。スカーフに取り付けられた金製の騎士團バッヂが日の光に光っている。本来は聖銀で作られる騎士團バッヂは、悪魔や悪魔の混血の團員に限り金で特注される。無論、この犬は。
「……気が散るので止めて下さい。フェレス卿」
びゅお、と音を立てた風に後ろ髪をかき乱される。
歩みを止めない私を見上げ、テリアは何故かご機嫌だった。
「上手にできたなら褒めてあげないとね」
足元のふわついた言葉に、私は片眉を上げた。
「私、今褒められているのですか?」
「ハイ☆ もふもふ大サービスですよ☆」
屋敷の裏に差しかかり、幅狭い歩道は影で薄暗くなった。日なたと日かげの温度差が肌で分かるほどに大きい。残暑は陽射しが強くて風が冷たい。高所に位置するフツマヤは、周囲に風を遮る建造物がないため、秋冬は日に照らされていないと余計に寒く感じられる。
びゅう、と一際強い西風が煽る。
案の定よろめいた私だったが、テリアだけは踏みつけずに持ち直した。私より遥かに軽いテリアが風に飛ばされていかないのは、彼という悪魔に向かい風という現象が存在しないからだろう。これはゲーテの受け売りであるが、あり得ない話ではない。
「もふもふを危うく踏んでしまいそうではらはらしているのですが」
「それは大変。もふもふキープしますか?」
私は赤くなった鼻先をこすった。
強い風を往なすように身体ごと傾け、足元をついて回るテリアを見る。もふもふのオノマトペに恥じないもふもふの毛玉はいかにも温そうだ。腕に抱いて歩けば、ミルクのような甘い匂いさえ薫ってきそうな雰囲気がある。けれどテリアの首輪には金のバッヂが付いている。
「ゔーん……」
私は歩調を速めた。一刻も早くこの日かげから抜けて、初秋の日差しを浴びたかった。
大変悩ましいが、どれほど素敵なもふもふだろうが、上司を腕に抱いて愛玩する趣味は私にはないのだ。
競歩のような速度で歩く私に、犬の歩幅ではついていけなくなったらしい。しびれを切らした卿が人型に戻ったのを皮切りに、私もついに走り出した。
2020/9月・BLACK BOX
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