メフィスト・フェレス
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はたと、出くわした。
そりゃあ同じ屋根の下、寝食共にしていれば一日一回は顔を合わせる。
しかし二人の生活リズムは完璧なまでにずれまくっていたから、早朝洗面所で顔を合わせることは本当に珍しかった。
「おはようございます」
できれば、会いたくなかった。
真鍮のドアノブを押し開いた先、歯ブラシを口に咥えたまま彼が鏡越しに目礼してきた。
「おかえりなさい」
字にしてみれば尤もらしいが、ア段が漏れなくファに変わっている。
私は眉を顰めた。
てっきり起きて──と言うのも彼は平均睡眠時間一時間の悪魔であるから──自室でゲームに興じているか、上階の執務室で書類でも捌いているかと思ったのに。
「……何で起きてるんです?」
「フォブッ!!」
尚も鏡越しに見つめ合っていた彼は、慌ててシンクに顔を突っ込んだ。
手探るようにシンクの蛇口を捻り、両手を桶にして口を濯いでいる。水の入ったコップが洗面台に見えるが、忘れているのか。妙なところに泡が入ったらしく、水気の混じった咳をしていた。
私は後ろ手に洗面所のドアを閉め、彼、メフィストに歩み寄った。
咳き込むその背を撫でようとして、止める。
美しいネグリジェ。
時刻は午前四時を過ぎる。
気象庁が梅雨入りを発表したのはつい先日のことだ。
日の出が日増しに早くなり、梅雨明け前から秋が恋しい始末。
とくにここヨハン・ファウスト邸は、町の頂に聳えているため朝の訪れが早かった。
悪魔は暗所を好むものだ。昼は潜み、夜に動く。おおよその人間とは対極にある。
しかし目下のメフィストは活動時間に昼夜を問わない。アニメにゲームにドラマに漫画、人間観察鑑賞管理と趣味がエトセトラエトセトラなせいで滅多に床に入らなかった。食事は三食きちんと摂るし風呂にだって入るが、私と顔を合わせるときは大抵が正装姿だ。むろん私もそうだから、寝巻きや私服姿でメフィストと会うことは殆どない。だが。
「……遠回しに死ねって言われました私?」
歯ブラシ片手にメフィストが見上げる。
激しく咳き込んだせいだろう、瞳に涙が浮かんでいる。
「遠回しに死ねって言った人ですか?」
姿勢を正したメフィストが見下ろしてくる。
問いには答えず、私は傍らのコップを取ってシンクに傾けた。
視線は排水口へ。空になったコップを元の場所に戻し、しかし視線は戻さずに俯く。
自分から火薬の臭いがした。眼下に見えるのは血で赤ばんだ騎士團の黒コートだ。前方の床にふわふわとしたピンク色のスリッパが見えるが、手前には泥まみれの厚底ブーツが見える。
溜め息が出る。
片手で顔を覆うと、袖口から饐えた臭いがした。
シャワーを浴びようと思っていた。
誰もいないと思っていたのに。
ふと、顔を覆ったまま見上げる。
メフィストの手が視界に入ったからだ。
彼の片手が首横を通って、私の後頭を撫でるように引き寄せた。抵抗するとそれは両手になる。引き寄せるのを止めて、まるで犬にでもするように撫で回してくる。
「ただいまと言ってみなさい」
「やめて」
「何です? 聞こえません」
「い、今汚いからっ」
「おかえりダーリン☆ ご飯にするお風呂にするそれともわ・た・し?☆」
──途端、両頬を掴まれて上向かされた。
思わず息が詰まったのは、無理やり首を回されたからでも、頬の両手がいやに冷たかったからでもない。
至近距離で対した顔の、緩んだ頬と口元が。
その、まなざしが。
「お加減いかがですか」
出会ったあの日を忘れさせるほど殺気立っていた。
ショートショート・新婚ごっこ《了》
そりゃあ同じ屋根の下、寝食共にしていれば一日一回は顔を合わせる。
しかし二人の生活リズムは完璧なまでにずれまくっていたから、早朝洗面所で顔を合わせることは本当に珍しかった。
「おはようございます」
できれば、会いたくなかった。
真鍮のドアノブを押し開いた先、歯ブラシを口に咥えたまま彼が鏡越しに目礼してきた。
「おかえりなさい」
字にしてみれば尤もらしいが、ア段が漏れなくファに変わっている。
私は眉を顰めた。
てっきり起きて──と言うのも彼は平均睡眠時間一時間の悪魔であるから──自室でゲームに興じているか、上階の執務室で書類でも捌いているかと思ったのに。
「……何で起きてるんです?」
「フォブッ!!」
尚も鏡越しに見つめ合っていた彼は、慌ててシンクに顔を突っ込んだ。
手探るようにシンクの蛇口を捻り、両手を桶にして口を濯いでいる。水の入ったコップが洗面台に見えるが、忘れているのか。妙なところに泡が入ったらしく、水気の混じった咳をしていた。
私は後ろ手に洗面所のドアを閉め、彼、メフィストに歩み寄った。
咳き込むその背を撫でようとして、止める。
美しいネグリジェ。
時刻は午前四時を過ぎる。
気象庁が梅雨入りを発表したのはつい先日のことだ。
日の出が日増しに早くなり、梅雨明け前から秋が恋しい始末。
とくにここヨハン・ファウスト邸は、町の頂に聳えているため朝の訪れが早かった。
悪魔は暗所を好むものだ。昼は潜み、夜に動く。おおよその人間とは対極にある。
しかし目下のメフィストは活動時間に昼夜を問わない。アニメにゲームにドラマに漫画、人間観察鑑賞管理と趣味がエトセトラエトセトラなせいで滅多に床に入らなかった。食事は三食きちんと摂るし風呂にだって入るが、私と顔を合わせるときは大抵が正装姿だ。むろん私もそうだから、寝巻きや私服姿でメフィストと会うことは殆どない。だが。
「……遠回しに死ねって言われました私?」
歯ブラシ片手にメフィストが見上げる。
激しく咳き込んだせいだろう、瞳に涙が浮かんでいる。
「遠回しに死ねって言った人ですか?」
姿勢を正したメフィストが見下ろしてくる。
問いには答えず、私は傍らのコップを取ってシンクに傾けた。
視線は排水口へ。空になったコップを元の場所に戻し、しかし視線は戻さずに俯く。
自分から火薬の臭いがした。眼下に見えるのは血で赤ばんだ騎士團の黒コートだ。前方の床にふわふわとしたピンク色のスリッパが見えるが、手前には泥まみれの厚底ブーツが見える。
溜め息が出る。
片手で顔を覆うと、袖口から饐えた臭いがした。
シャワーを浴びようと思っていた。
誰もいないと思っていたのに。
ふと、顔を覆ったまま見上げる。
メフィストの手が視界に入ったからだ。
彼の片手が首横を通って、私の後頭を撫でるように引き寄せた。抵抗するとそれは両手になる。引き寄せるのを止めて、まるで犬にでもするように撫で回してくる。
「ただいまと言ってみなさい」
「やめて」
「何です? 聞こえません」
「い、今汚いからっ」
「おかえりダーリン☆ ご飯にするお風呂にするそれともわ・た・し?☆」
──途端、両頬を掴まれて上向かされた。
思わず息が詰まったのは、無理やり首を回されたからでも、頬の両手がいやに冷たかったからでもない。
至近距離で対した顔の、緩んだ頬と口元が。
その、まなざしが。
「お加減いかがですか」
出会ったあの日を忘れさせるほど殺気立っていた。
ショートショート・新婚ごっこ《了》