ここではただの…


(……確かにここは城の近く、だね)

 マスターに教えてもらった先は、『オータヌム探偵事務所アルス支店』。とどのつまり、レイの事務所兼自宅だ。王都に居を構える彼の家に泊まるのであれば、わざわざ記載しないだろう。
 エレナがチャイムを鳴らすと、中から少しバタバタした音が聞こえたのち『は〜い』と間延びした声で扉から顔を覗かせたのはラフェルトだった。

「あれ、エレナじゃん。どうしたの?」
「こんばんは、ラフェルトさん。あのー……ヴィル様は……?」
「中にいるよ」

 と、ラフェルトはエレナの手を引いて彼女を中へ導く。

「ヴィルー、エレナが来たよ」
「ん? エレナ?」
「なーんだ、エレナちゃんだったのか。てっきりクレイジーさんかと」
「来てたら殺す」
「僕ん家壊すつもりなんだね」

 『それよりもどうしてここに』と言いたげなヴィルヘルムの隣で、半眼を浮かべるレイ。彼ら二人はキッチン台の前にエプロンを装備して立っており、夕食の準備をしていたことが窺える。

「それで、僕に何か用?」
「その……本日提出期限の書類を渡しそびれてしまって……」

 おずおずと経緯を話すエレナに対しヴィルヘルムは『そんなことか』と嘆息する。

「別に明日でも良かったのに。君の働きぶりは知っているからわざとじゃないって分かるし、おこりもしないよ」
「それがそうとも言えない状況でして……」
「え?」

 訝しむヴィルヘルムは野菜を洗っていた手を止め、エレナが差し出した資料を一読。僅かに瞠目し、エレナが急ぎで持ってきた理由を察した。

「あー、確かにこれは今日中に対応しなきゃだね。明日の朝イチで渡されていたらキレてた自信ある」
「えっそんなにヤバいの⁇」
「明日の午前中に開催予定の『大乱闘』のファイター変更」
「それは急ぎで対応しないとだね」
「ごめん、レイ。ちょっと仕事するね」
「気にしないで。そこまで期待してないから」
「……一言余計なんだけど」

 むっと口を曲げながらエプロンを脱ぐヴィルヘルムに、どこ吹く風と口笛を吹き誤魔化す。
 一連の流れを見つめていたエレナは、あの、とヴィルヘルムが洗った野菜の皮を剥くレイに話しかけた。

「ヴィル様の代わりに、私がお手伝いします」
「気を遣ってるなら気持ちだけ受け取っておくよ」
「そ、そんなことないですよっ」

 明らかに気を遣っている様子のエレナに苦笑を見せつつ、レイは《エレパッド》で作業を始めたヴィルヘルムを見遣る。彼もその視線に込められた意図に気づき、「大丈夫だよ」と優しく宥めた。

「今からでも修正は間に合うし、君が責任を感じる必要はないよ」
「すみません……」

 そう宥められてもなお、エレナの気持ちは深く沈んでいた。暫くは引きずるかもな、とヴィルヘルムが思っていると、同じことを考えていたらしきレイが「じゃあ……」と意見を変える。

「やっぱり手伝って貰おうかな。んで、エレナちゃんも食べていきなよ」
「あ……ありがとうございます……!」
「こちらこそ。エプロンはヴィルのを使っていいからね」
「はいっ!」

 笑顔を取り戻したエレナに、そうでなくちゃとレイは頷き、ヴィルヘルムの頬が綻ぶ。



「あ、エレナちゃんって料理は出来る?」
「一般的なものであれば……」
「そうだよね。お城でもよくお菓子作ってるもんね」

 エプロンを装備し、手を洗ったエレナに「まずはじゃがいもの皮剥きからお願い〜」と託しながら、レイは冷蔵庫から玉ねぎを取り出す。

「玉ねぎって常温保存じゃないんですか?」
「実は冷やしておくと目に染みないんだよ。あとは水につけておくと皮が剥きやすくなるんだ」
「えっそうなんですね! ……、じゃがいもの皮剥き終わりました!」
「ありがとう〜」
「そういえば、今日の夕食はなんですか? カレー……ですかね?」
「うん、惜しい。シチューだよ。フェルがいっっっつもシチューをリクエストしてくるからね」

 何処となく怨嗟がこもったレイの言葉に、エレナはラフェルトに目を向けると彼はニコニコと満面の笑みでこちらを見返していた。

「何故かフェルは手作りにこだわるんだよね。前にインスタントのシチューを出したら、食べてはいたけど不満げだったし」
「城で出されるシチューも食べはするけど満足しないよね。そんなに手作りがいいの?」
「さあね〜」

 レイに続いてヴィルヘルムも疑問を呈すが、肝心のラフェルトははぐらかすばかり。話す気はないんだなと悟った二人が揃って嘆息する中、エレナはレイに尋ねる。

「レイさんはシチューを作るときに、何か特別な隠し味とか入れていたりするのですか?」
「いんや? あまり調理に時間をかけたくないから変なことはしてないし、パッケージのレシピ通りに作ってるよ」
「ますます謎ですね……」
「でしょう〜? だから誰かに手伝ってもらうのはかなり有難いんだよね」

 と、話しながらエレナが皮を剥いた野菜を慣れた手付きで切っていくレイに、エレナは得心がいく。

「それでヴィル様がお手伝いされているのですね」
「うん。でもヴィルには基本、野菜を洗ってもらったり、食器洗いを任しているだけだよ。料理は全く出来ないからね」
「レイ!」

 怒号が飛んでくるが今度もスルー。全く、とぼやきながらヴィルヘルムは作業に戻る。
 二人のやり取りを微笑ましく見守っていたエレナだったが、ふと疑問に思う。

「レイさんは、ヴィル様が調理が苦手なのを何処でお知りになったのですか?」

 エレナの記憶では、ヴィルヘルムが王城のキッチンに立っている姿を(マネージャー業を除き)見たことはない。それは彼が持つ“特殊な体質”も関係しているだろうが、料理が苦手だったのも理由らしい。エレナも今し方知った事実だ。

「あれは……まだ僕が、フェルやヴィルを“君付け”していた頃かなぁ」

 その問いにレイは当時を想起しながら語り始めた。

2/4ページ