閉架書庫入り口
※エレナ(夢主)→ヴィルヘルム(オリキャラ)要素注意。
私は空っぽだった。
覚えているのは名前だけ。その名前ですら、私を導く調べとはならなくて。
これまでに経験した楽しい思い出も、辛い思い出も。振り返り、笑顔することも、涙することも。私にはできなくて。
縋るものも術もない私を──あの人は正しく導いてくれた。
確かな信頼と意志をもって、私も知らない私自身と向き合ってくれた。
そうして下した決断を、「尊敬している」とまで言ってくれたあの人に出会えたことを。
私は、感謝してもしきれない。
「えー! テルルさん、ヴィル様の事がお好きなんですか⁉︎」
「シーっシーっ!」
「あっすみません……」
『アルス城』庭園の中央に位置するガゼボに響く黄色の声。
同じ卓を囲うテルルはエレナに嗜めたのち、注意深く周囲に目を見遣る。
口元に手を添え謝罪したエレナを、ははっとザクロが笑う。
「気が付かなかったのか? 案外わかりやすいぞ」
「もうザクロさんっ」
頬を膨らませるテルルの顔はいちごのように真っ赤だ。
くすりと笑みをこぼしたエレナは、で、と詰め寄る。
「いつからお好きなんですか⁇」
「う〜……」
「まあいいじゃないか、話しても損はないだろう」
ザクロの言葉に背を押され、テルルはもじもじと指先を突き合わせながら経緯を語った。
「あ……兄の代わりに出席したパーティーを逃げ出してしまって……申し訳なくて庭園で泣いていたところを、ヴィルくんに励ましてもらってから……」
「きゃー! 素敵なお話ですねっ!」
目を爛々にするエレナに、テルルはとうとう頭のてっぺんからボシュッ、と湯気を立ち上げ俯いてしまう。
なおも微笑むザクロを、テルルは反撃とばかりに涙目で睨む。
「そういうザクロさんだってヴィルくんのこと意識してますよね?」
「えっ⁉︎ ザクロさんが⁉︎」
僅かに食指が動いたのを誤魔化すように、「何の話だ?」といつもの笑みを貼り付けて。
「そんなことよりも、エレナ。君はどうなんだい?」
「私……ですか?」
「ああ。私達よりも共にいる機会が多いだろう。……そういった気持ちも芽生えているのでは?」
卓に肘をつくザクロの問答に、エレナはうーんと小首を傾げた。
「憧れではありますが……恋愛と言えるかどうかは」
あっけらんとした答えを、テルルは目を丸くした。
「まあ……そうなのね。でもエレナさんはきっと──」
「テルル。そういうことは本人が気づくべきだ」
「そ、そうですね」
二人の会話についていけないエレナの疑問は深まるばかり。
そうこう話しているうちに解散した彼女らを、茜色の空が見下げていた。
☆★☆
「……これでよし、と」
お茶会で使用した食器を片す頃には地平線の先に日が沈む間際であった。
水で濡れた手を拭きキッチンを後にしようとしたところで──遭遇した人物がひとり。
「あ、エレナ」
「ヴィル様っ」
練習着に着替え首からタオルを掛けた──鍛錬終わりのヴィルヘルムがやって来たのだ。
「お疲れ様です」
「ありがとう。何をしていたの?」
「先程までザクロさんとテルルさんの三人でお茶会をしていたのでその後片付けを」
「そうなんだ。楽しかった?」
「はいっ!」
「良かったね」
微笑を浮かべるヴィルヘルムが動き始めたのを見たエレナは、あの、と引き止める。
「お取りしますよ。お水ですよね?」
鍛錬終わりのキッチンとなれば話は分かる。ヴィルヘルムは「うん、お願い」と甘んじた。
エレナは慣れた手つきでロック付きの冷蔵庫を操作し、中から一本のペットボトルを取り出す。
「ヴィル様どう──あっ」
ペットボトルにまとわりついた水滴で手から滑らせてしまったエレナは、コロコロと床に転がるペットボトルを思わず見守る。
暫くして「すみませんっ」と拾うべく屈んだエレナだったが。
「きゃあっ⁉︎」
「え。」
落としたペットボトルを踏みつけてバランスを崩し、勢いよくヴィルヘルムの胸元に飛び込んだ。
突然のことでも難なく受け止めたヴィルヘルム。エレナも大した痛みもなく良かったものの。二人は揃って頬を紅潮させていた。
「っ……」
右臀部に感じる細く長くゴツリとした力強い手の感触。スカート越しとはいえ感触は伝わる。
硬直していた二人のうち──ヴィルヘルムが先に自身からエレナを引っぺがした。
「ごっごめん。そ、そんなつもりは一切なくてその……」
耳まで真っ赤にしてしどろもどろに弁明するヴィルヘルムを、エレナはぽかーんと見つめ返していた。
真面目な好青年。仕事に実直。声を上げて笑うこともない普段の彼から想像もできないしぐさに、エレナの胸奥がくすぐられる。
「え、エレナ……?」
小さく笑い始めたエレナを恐る恐る覗き込む。
エレナは首を横に振って、舌を出しながら意地悪に笑う。
「意外とすけべなんですねっ」
「〜っエレナ‼︎」
顔を真っ赤にして頬を膨らませたヴィルヘルムもまた、エレナに苦笑を浮かべたのだった。
これが恋心というのかは分からない。
だけど確実に言えることは……。
誰も知らないこの人のことを知りたいです。
私は空っぽだった。
覚えているのは名前だけ。その名前ですら、私を導く調べとはならなくて。
これまでに経験した楽しい思い出も、辛い思い出も。振り返り、笑顔することも、涙することも。私にはできなくて。
縋るものも術もない私を──あの人は正しく導いてくれた。
確かな信頼と意志をもって、私も知らない私自身と向き合ってくれた。
そうして下した決断を、「尊敬している」とまで言ってくれたあの人に出会えたことを。
私は、感謝してもしきれない。
「えー! テルルさん、ヴィル様の事がお好きなんですか⁉︎」
「シーっシーっ!」
「あっすみません……」
『アルス城』庭園の中央に位置するガゼボに響く黄色の声。
同じ卓を囲うテルルはエレナに嗜めたのち、注意深く周囲に目を見遣る。
口元に手を添え謝罪したエレナを、ははっとザクロが笑う。
「気が付かなかったのか? 案外わかりやすいぞ」
「もうザクロさんっ」
頬を膨らませるテルルの顔はいちごのように真っ赤だ。
くすりと笑みをこぼしたエレナは、で、と詰め寄る。
「いつからお好きなんですか⁇」
「う〜……」
「まあいいじゃないか、話しても損はないだろう」
ザクロの言葉に背を押され、テルルはもじもじと指先を突き合わせながら経緯を語った。
「あ……兄の代わりに出席したパーティーを逃げ出してしまって……申し訳なくて庭園で泣いていたところを、ヴィルくんに励ましてもらってから……」
「きゃー! 素敵なお話ですねっ!」
目を爛々にするエレナに、テルルはとうとう頭のてっぺんからボシュッ、と湯気を立ち上げ俯いてしまう。
なおも微笑むザクロを、テルルは反撃とばかりに涙目で睨む。
「そういうザクロさんだってヴィルくんのこと意識してますよね?」
「えっ⁉︎ ザクロさんが⁉︎」
僅かに食指が動いたのを誤魔化すように、「何の話だ?」といつもの笑みを貼り付けて。
「そんなことよりも、エレナ。君はどうなんだい?」
「私……ですか?」
「ああ。私達よりも共にいる機会が多いだろう。……そういった気持ちも芽生えているのでは?」
卓に肘をつくザクロの問答に、エレナはうーんと小首を傾げた。
「憧れではありますが……恋愛と言えるかどうかは」
あっけらんとした答えを、テルルは目を丸くした。
「まあ……そうなのね。でもエレナさんはきっと──」
「テルル。そういうことは本人が気づくべきだ」
「そ、そうですね」
二人の会話についていけないエレナの疑問は深まるばかり。
そうこう話しているうちに解散した彼女らを、茜色の空が見下げていた。
「……これでよし、と」
お茶会で使用した食器を片す頃には地平線の先に日が沈む間際であった。
水で濡れた手を拭きキッチンを後にしようとしたところで──遭遇した人物がひとり。
「あ、エレナ」
「ヴィル様っ」
練習着に着替え首からタオルを掛けた──鍛錬終わりのヴィルヘルムがやって来たのだ。
「お疲れ様です」
「ありがとう。何をしていたの?」
「先程までザクロさんとテルルさんの三人でお茶会をしていたのでその後片付けを」
「そうなんだ。楽しかった?」
「はいっ!」
「良かったね」
微笑を浮かべるヴィルヘルムが動き始めたのを見たエレナは、あの、と引き止める。
「お取りしますよ。お水ですよね?」
鍛錬終わりのキッチンとなれば話は分かる。ヴィルヘルムは「うん、お願い」と甘んじた。
エレナは慣れた手つきでロック付きの冷蔵庫を操作し、中から一本のペットボトルを取り出す。
「ヴィル様どう──あっ」
ペットボトルにまとわりついた水滴で手から滑らせてしまったエレナは、コロコロと床に転がるペットボトルを思わず見守る。
暫くして「すみませんっ」と拾うべく屈んだエレナだったが。
「きゃあっ⁉︎」
「え。」
落としたペットボトルを踏みつけてバランスを崩し、勢いよくヴィルヘルムの胸元に飛び込んだ。
突然のことでも難なく受け止めたヴィルヘルム。エレナも大した痛みもなく良かったものの。二人は揃って頬を紅潮させていた。
「っ……」
右臀部に感じる細く長くゴツリとした力強い手の感触。スカート越しとはいえ感触は伝わる。
硬直していた二人のうち──ヴィルヘルムが先に自身からエレナを引っぺがした。
「ごっごめん。そ、そんなつもりは一切なくてその……」
耳まで真っ赤にしてしどろもどろに弁明するヴィルヘルムを、エレナはぽかーんと見つめ返していた。
真面目な好青年。仕事に実直。声を上げて笑うこともない普段の彼から想像もできないしぐさに、エレナの胸奥がくすぐられる。
「え、エレナ……?」
小さく笑い始めたエレナを恐る恐る覗き込む。
エレナは首を横に振って、舌を出しながら意地悪に笑う。
「意外とすけべなんですねっ」
「〜っエレナ‼︎」
顔を真っ赤にして頬を膨らませたヴィルヘルムもまた、エレナに苦笑を浮かべたのだった。
これが恋心というのかは分からない。
だけど確実に言えることは……。
誰も知らないこの人のことを知りたいです。
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