閉架書庫入り口
『幻失国』――クレイジーが根城とする闇の城の一角。
薄気味悪い城内に響くのは、女の笑い声。
「ああなんて美しいの……この瞳に『あの方』が映る……ふふ、あははははは……」
鏡に右手を、頬に左手を添え、ひとりごちるのは麗しき人形ルミレ。恋焦がれる『あの方』に振り向いてもらうため、今日も幻想を見る。
「――鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?」
「……」
「それは恋多き乙女でありましょう。白雪の母君よ」
紫の光粒を纏い宙を舞う折り鶴が、足音とともにルミレのもとへ。
かの有名なセリフの口にしながら参上したのはエリライアだった。
ルミレは、彼の魔術で動いているのであろう折り鶴を差し出した手のひらで受け止めたあと、半眼を浮かべて。
「何か用かしら」
「おや、僕からの
小さく嘆息したのち、近くのテーブルに折り鶴を放り投げる。
「二度目はないですわよ」
「ふふ、これは失礼いたしました。マイレディ」
胸元に手を添え恭しく会釈するエリライアだったが、ルミレはとある変化に気づく。
「町にでも行かれますの?」
その変化とは、エリライアの『服装』。通常の戦闘服ではなく、英国紳士風な私服へと着替えていた。
「ええ。その通りです」
にこりと微笑んだエリライアは、おもむろにぱちんっと指を鳴らす。
するとどうしたことか。虚空から現れたのは、レースがあしらわれた上品な日傘。
「僕と『デート』していただけませんか、マイレディ」
「……は?」
「わたくしを勝手に連れ出したことがクレイジー様に知られれば、あなただってタダでは済みませんことよ」
「元より罰などあってないようなものです。それより、僕はあなたとのデートを優先したい」
逆スマブラマークが鈍く輝く服装から、エリライアが用意したという服装に着替えさせられたルミレは、彼とともに『幻双国』の空の下を歩いていた。隣で彼女に日傘を差しているエリライアは笑みを絶やさずエスコートする。
「口の減らない男」
「お褒めに預かり光栄です。マイレディ」
皮肉もこの通り受け流され、ルミレは嘆息すらつかなくなった。
道ゆく人々の雑踏に紛れながら、目新しい街の中を歩む。
「ああ、見つけました」
突然エリライアが足を止めた。
なんだなんだと不審がるルミレに「こちらです」と扉を押し開く。
「あら、ここは……」
「ネイル系統を取り扱う店舗です。僭越ながら、あなた様に似合うものを贈らせていただこうかと」
そこはネイル用品を幅広く扱う人気の店舗。これにはルミレも笑みをのぞかせる。
「でも人が多くて鬱陶しいですわ」
そうわざとらしくエリライアを見遣れば、「お任せを」と空き手に長杖《奏響器コンムニオ》を召喚。
人目も憚らず石突付近のリッププレートに唇を添え、【奏響術】を奏でる。
するとどうしたことか。エリライアの奇行に目を丸くしていた客からハイライトが失われ、ぞろぞろと外に向かって行進。残されたのは術者とルミレ、そして今だに術中の従業員のみとなった。
「さ、お好きなものを」
「ふふ、どうもありがとう」
暫くして平然と退店したルミレはいつになく上機嫌。荷物を持つエリライアは普段通りに微笑んでいるだけだが。
次なる目的地へ向かう途中。ひらりとルミレの服の
斜め後ろを追従していたエリライアが拾いあげると、それは白の生地に赤薔薇の刺繍が施されたハンカチであった。
「マイレディ。こちら落としましたよ」
と、差し出したエリライアにルミレはそうだと言わんばかりに頬を緩める。
「そちら、わたくしが気まぐれに刺繍したものですが、あなたに施しとして差し上げましょう」
つまるところ、今日のお礼らしい。
そのままこちらに背を向ける彼女に会釈したエリライアは、謝辞を述べる。
「大切にいたします。ルミレ様」
「はぁ、最悪ですね。せっかく忌々しい者達を始末出来たかもしれないというのに……相変わらず無能な神様ですね」
《奏響器コンムニオ》を軸に颯爽と空を駆けるエリライアは不満を垂れこぼす。急な呼び出しがあったことで楽しみを奪われたからだ。
「……おや、忘れておりました」
ズキンと走る疼痛に、腕を斬られたことを思い出した。【奏響術】で治してもいいがMPの無駄。城にある薬で治療するほうがいいと判断したそのとき――あの日の出来事を想起する。
「これでいいでしょう」
ルミレから譲り受けたハンカチを傷口に巻き付ける。
白薔薇にじわりと血が滲み、赤く染め上げられていった――。