閉架書庫入り口


 蒼然とした闇が永遠に醒めぬ『幻失国』の夜半。
 『左手組』が支配する城の塔と塔の間を繋ぐ空中回廊。欄干らんかんに腰掛ける男は、すらりと伸びた細い脚を組み、手にした長杖を太腿に乗せる。
 そして杖の穂先寄りに唇を寄せ小さな穴――リッププレートに口付け、管のキイに指を添えれば。響き渡る静謐なメロディ。
 男は慣れた手つきで武器でもあるフルートの音を奏で、ただでさえ静かな世界にその音はよく響いた。
 孤独なリサイタルを続ける男がふいに目を開けると、数えきれないほどの魔物が眼下に集まっていた。大小様々な魔物は皆一様に演奏を聴き入っており、眼球から光が失われていく。
 そんな中。男は魔物の中に一際目立つものに、目をつける。
 人間の少女。戦いには適しない軽装から、こちら側の世界に迷い込んでしまったのだろう。
 リッププレートから口を離し演奏を終えた男は、空中回廊から一気に飛び降り、微動だにしない魔物の合間を縫って少女のもとへ。
 瞬きひとつしない少女の耳元で指を鳴らせば、ハッと肩を跳ね上がらせ混乱する。

「こ、ここは……?」
「ここは『幻失国』。宵闇が生み出した世界にございます。レディ、あなたは『幻双国』からいらしたのですね?」

 対となる国――『幻双国』の名に、少女は首が取れんばかりに頷き返す。

「そ、そうなんです! 迷い込んでしまって……出口を知りませんか⁉︎」
「ご安心ください。あなたのことは、この僕がお守りいたします」

 混乱していた少女はその言葉に、少しばかり笑みを見せる。

「夜に行動するのは大変危険です。朝を迎えるまではじっとしていましょう。どうぞこちらへ」

 差し伸べられた男の手に手を重ね、石像の如く動かない魔物の群れを抜け出す。

「お疲れでしょう。あなたさえ宜しければ、僕の部屋でおやすみください」
「はい……」
「ではご案内いたします」

 にこりと微笑み、少女の手を取り城内にある自室へと招く。
 パタン、と閉められた扉を最後に。少女の姿を見かけたものはいなかった。



「――お可哀想に」

 早朝。自室をあとにした男、エリライアは恭しく会釈した。
 男に声を掛けたのは麗しき人形、ルミレ。色違いの目を細め、唇に指を添える。

「おや、なんのことでしょうか。彼女は自ら僕のもとへ来たのですよ」

 一歩二歩と歩みを再開し、ルミレの前で立ち止まる。

「いつだって。相手に何かをねだるときは、選択を委ねるべきでしょう。その選択が全て僕に都合の良いものであろうと」
「揶揄いがいのない男」
「お褒めにお預かり大変光栄です。マイレディ」

 ヒール音を高らかに響かせ先に進むルミレの背に、エリライアも追従する。
 手に入れた『食材』でフルコースを振る舞うために。

8/14ページ